降り出した雨はものの数分で庭の草木を濡らした。 父が趣味で昨年に植えさせた紫陽花の濡れ姿はどこか妖艶で、 その色合いと雰囲気は友人である猫の妖を思い起こさせる。 聞こえるのは軒先に打ち付ける雨音のみ。 雨が世の全ての音を吸い込んでしまっているのではないかと思うほどに 離れの周囲は静かだった。 〜雨塊を破らず〜 「暇そうじゃの。」 沈黙を破る穏やかな声に目を向ければ、 古い着物をきてボロボロの笠を被った初老の男性が立っていた。 その隣には寄り添うように小奇麗な着物を着た少女が無表情でこちらを見ている。 全てが対照的な老人と少女だが、 彼らは鍵と鍵穴のようにどこかしっくりとくる組み合わせだった。 そんな2人を見ても新一は特に驚くことなく、少し座っている位置をずらして縁側に誘う。 その場に立たせているより縁側に座らせたほうが雨どいで濡れずにすむ。 新一の動きを見てその行動に含まれた意味を違うことなく受け取った二人は ひっそりと音も立てずに新一の隣へと座った。 「今日はほうじ茶なんじゃな。」 差し出されたお茶をすすりながら、初老の男、博士はほうっと息をつく。 「京からの贈り物だよ。気に入ってもらえてよかった。」 黙々とお茶を飲んでいる哀に新一は頬を緩ませる。 あまり口数が多い少女ではないが、志保に通じるものがあり、 新一は彼女を妹のように大切に思っていた。 新一の視線を感じたのか、哀がふと飲んでいる手を止めて 思い出したように手に持っていた巾着を探る。 今日、わざわざこんな雨の中、この場に来た目的を果たさず帰るわけにはいかないから。 「これ、約束のもの。」 断片的な言葉に彼女の小さな手元をみれば、綺麗な根付があった。 紫と青の中間色のような色合いで、結われた紐は落ち着いた黒。 一見地味にも見えるが、落ち着いた色である着物の帯にはよく似合いそうだ。 そして何より、その色は彼の瞳の色と同じだった。 「ありがとう。」 まるで壊れ物を扱うように新一はそれを手に取ると、じっくりと様々な角度から眺める。 先日、体をこじらせる前に、ちょっと散歩をして見つけた品物。 その散歩が原因で高熱を出し今日に至るのだが・・・。 「外出を禁止されてさ。買えないかと思ってたから、本当に助かった。」 「でも、妖に誕生日は無いわ。」 「はは。そうかもな。」 人間よりも何十倍も生きる妖は、誕生日を忘れてしまうという。 それでも新一は、彼らとの出会いを大切にしたいと、勝手に誕生日を決めていた。 特に人間に混ざって暮す快斗と平次は表向き誕生日も必要だったからこそ。 「しかし、快斗君も幸せ者じゃ。」 「本当にちょっとしたお礼だよ。たいしたものじゃないし。それに・・・」 通り一本先の店にも自分で買いにいけない体が悔しくてたまらない。 新一はその言葉を飲み込んで、ニコリと微笑むと、そっと哀の濡れた髪にふれた。 「妖は濡れても平気。」 「でも、寒いだろ?」 哀はゆっくりと首を振る。 寒くなんてない。 彼の隣に居る時は、寒さなんて感じない。 むしろ 「あったかいわ。」 「え?」 「はは。そうじゃの。新一坊ちゃんの隣は暖かいのぉ。」 意味が分からないとばかりに首を傾げる新一を眺めながら 博士は微笑み哀もまた少しだけ頬を緩ませる。 ふと、気付けば雨はあがり、分厚い雲の狭間から柔らかな光が見えた。 「さて、そろそろお邪魔するとしようか。哀くん。」 「ええ。」 音も無く地面に降り立つ哀とのっそりと立ち上がる博士。 本当に仕草までも似ても似つかない彼らが共に居る理由を新一は知らない。 けれど、2人が一緒に居る。 そのことだけで事実としては充分だとも思えた。 「また来いよ。」 新一の言葉に頷くと、来たときと同じように彼らはアジサイの陰に消える。 まるでここに居たのが嘘のように。 それでも、新一の隣に並んだ2つの湯呑みが、彼らの痕跡を主張していた。 ギシっと床が軋む。 と、同時にふわりと肩に丹前が掛けられた。 「若旦那。熱が下がったのは今朝とお忘れですか?」 「忘れてない。たださ、雨を見ていたかったんだ。」 雨塊を破らず あめつちくれをやぶらず 太平の世であれば、雨も静かに降るからこそ 土を壊さず、草木を培養してくれる。 そんな先人の言葉を思い出し、雨を見ることで安心感に包まれたかったと告げると、 やってきた手代の1人、快斗は困ったような笑みを浮かべた。 「心配せずとも、戦になろうが、私が全力でお守りしますよ。 例え世界中が滅びようとも、若旦那だけはお助けします。」 お茶を注ぎながら増えている湯のみに気付き、 眉を顰める快斗を眺めながら新一はそっと彼の肩に寄りかかる。 どこか具合でも?と驚く彼に新一はゆるゆると頭を振った。 「今の言葉、撤回しろ。1人だけ生き残っても意味が無い。 それに敬語も若旦那も今くらい止めろ。次に言ったら追い出すからな。」 「いつ俺が若旦那・・・いや、新一を1人残すって言った? 新一が1人でこの世界に生き残れるはずないじゃん。 俺も一緒に生き残って守り続けるよ。」 「快斗、約束だからな。」 「もちろん。嫌がっても無駄だからね。」 言葉と共にそっと肩に回された彼の手に新一は頬を緩める。 「快斗・・・。」 「ん?」 「誕生日おめでとう。」 目の前に先ほどの根付を見せれば、 彼の表情は驚きから見る見るうちに満面の笑みに変わっていく。 おそらく忘れていたからこそ、嬉しさも一塩なのだろう。 そんな笑みに照れくさくなり、視線を空へと移せば、 美しい虹が、晴れ上がった空に輝いていた。 END |