青空が時々辛くなることがある。

光が恐ろしくなることがある。

闇が恋しくなることがある。

 

―空の水槽―

 

なんとも歯切れの悪い事件だったと思う。

浮気関係のもつれから、女は愛人と旦那を殺した。

罪を暴かれてヒステリックに叫ぶ犯人を何度も相手にしてきたけど、

彼女は何も言わずに罪を受け止めた。

ただ、旦那の胸元から愛人に送られたメールをみて静かに涙を流していたが。

 

“大切なたったひとりの人を守りたいので、もう終わりにしよう”

 

愛人に送られたメールの大切な人とはもちろん妻だったのだろう。

 

 

車で送ると言う高木刑事の申し出をやんわりと断って、

新一は暑い日差しの下を歩く。

 

事件帰りが夕闇ということはしばしばあったが、スピード解決だったせいもあってか、

日はちょうど南中に達したところ。

まばゆい光から逃れるように新一は日陰を歩く。

暑いという理由だけではなかった。

 

 

今日は、何故か・・・・光が怖いと感じた。光の下を歩くことが。

 

 

 

「工藤君。大丈夫?」

 

自宅に戻らずにそのまま博士の家に寄ったのはほとんど無意識で

気がつけばなだれ込むようにソファーに仰向けになっていた。

汗もでていない額を見て、哀は軽い日射病だと告げる。

そして、冷たいタオルを額にのせた。

 

「こんなに暑いのに、どうして高木刑事に送ってもらわなかったの?」

「歩きたい気分だったんだよ。」

「ほんとうにしょうがないんだから。そうそう、黒羽君には連絡をいれておいたわよ。」

 

その言葉に新一はエッと閉じていた目を開く。

それによって額のタオルが少し動いた。

 

「どうして、あいつに。」

「あら、なにか不都合でも。」

 

 

黒羽快斗。

半月前に知り合った大学の友人。

そして、甲斐甲斐しくも週末は泊まり込んで食事なんかをつくってくれる良い奴だ。

話しもおもしろいし、一緒にいて気が楽なところも高く買っている。

 

「今日、大学に来てなかったからさっき心配して電話があってね。

 それで、ありのままを伝えたら・・・。」

「伝えたら?」

「今すぐ来るそうよ。」

 

はぁ〜と大げさに新一はため息をつく。

まだ、午後の講義があの男にはあったはずだ。

第一、今日はマジシャンをやっている彼の貴重な休みでもある。

 

“1日大学で勉強しなきゃな。遅れた分とり戻さなきゃだし”と

呟いていたのは彼自身のはずだったが。

 

ピーンポーン

 

「あら、来たみたいね。」

「アホじゃないか。あいつ。」

「まぁ、苦労人だとは認めるけど?」

「はぁ?」

 

こんな鈍い人に思いを寄せているっていう点では。

 

哀はその言葉を心の中だけで呟いて玄関にむかう。

これからあるであろう口論に少しだけ気だるさを感じながら。

 

 

「工藤。倒れたって!?」

「倒れちゃいねーよ。たっく、どうしてそこまで話が広がる。」

 

ペシンと頭に乗っていたタオルを顔に投げつければ、

それが顔にちょうど当たったのか、フガッと奇妙な声を上げる。

 

「何するんだよ。」

「おまえこそ、貴重な時間を潰して来るんじゃねー。ただの日射病なんだから。」

 

「俺が心配してるのは、その原因。

 工藤が現場から歩いて帰るときはなにかあったときだろ。いつも。」

だから心配だったんだよ。と付け加える快斗に新一は間の抜けた表情になった。

 

 

どうして分かるのだろう。

 

確かに今日は嫌な事件だった。

憎しみだけの事件ならまだ気分も楽だ。

だけど・・・愛情のすれ違いは辛い。

本来、幸せにむかっていたものが崩れる習慣を垣間見るのは辛い。

 

「ほら、やっぱり何かあったんだ。」

 

投げつけられたタオルを水に浸し、絞ると、それを新一の額に載せながら

快斗は呆れたような視線を向ける。

哀は傍で麦茶をコップに注いでいたが、話を聞いている仕草は見えなかった。

 

「黒羽は・・・光が嫌になることはないか?」

「え?」

 

「闇を求めることはないか?光のしたにいるのが怖くなることはないか?」

 

「・・・・どうだろうね。」

 

 

闇は快斗にとって、KIDとしての舞台でもある。

だけど光を怖いと思ったことはない。

それは時として眩しすぎるけど、

月明かりのような光は足下をきちんと照らしてくれるから。

深い深い、闇に落ちてしまわないように。

 

 

まぁ、俺にとっての光は工藤なんだけど。

 

 

そんな言葉を飲み込んで、そっと新一の髪を撫でる。

親が子供を撫でるような優しい仕草で。

 

 

「工藤は怖いの?光が。」

「ああ。時々。光があまりにも優しすぎて。」

「何も見えない闇を望んでしまう?」

「ん。どうだろ。よく分かんねー。」

 

言葉を濁して新一は天井を仰ぐ。

そしてぐったりとソファーの横にたれ下がっていた腕を持ち上げて、目の辺りを覆った。

 

 

「空の水槽。」

「は?」

「いや、昔に聞いた話。空はさ、本当は水でいっぱいの水槽でできてるんだって。」

 

続き聞く?と尋ねるような視線に新一は黙って頷いた。

 

「水槽にね、光が当たると乱反射でキラキラ光るじゃん。眩しいくらいに。

 だから、時々、空が無性に眩しく見えることがあるんだって。」

 

「それが?」

 

「工藤が光を怖いと思うときは、俺がいつでも水槽の水を空っぽにしてやるよ。

 光を眩しいと感じないように。」

 

 

本当に意味不明な言葉だと、新一は思う。

空の水槽という時点で、まか不思議であるのに、それをカラにするとは。

だけど、心が少しだけ軽くなったのは、なんとなく分かった。

 

「なんか、工藤の視線が疑ってる気がする。」

 

指の間だから見える瞳に快斗は不満げな声を発する。

 

「おう、よく分かったな。」

「む〜〜。マジシャンに不可能はないんです。」

 

 

だから、辛くなったら俺を呼んで。

 

顔を覆っていた手をそっと握って、快斗は耳元でそう呟く。

そんな彼にバーカと良いながら新一は微笑んだ。

 

                                                   END