人生に色が付く。

そんな瞬間を俺は幸運にも味わえた。

貧富の差が色濃く出てきた平安の世。

貴族が扇をはためかせているときに、農民は田を耕す。

こんなご時世に、あいつと会えて本当に幸せだった。

 

もう、この時代で会えることはないけど、

約束は果たせそうにないけど・・・・

いつか、また、桜が咲く季節に、オレ達は出会うから。

だから、泣かないで。

 

 

First contact

 

 

桜のつぼみが随分と膨らんできた頃、俺は大きな屋敷の前にいた。

 

「金持ちはやっぱ違うな〜。」

 

いつもとは違う小綺麗な服を着て、少しだけ緊張する。

今日からのご奉公先。それがここ最近、勢力を拡大している貴族、白馬家だった。

 

木製の立派な門をくぐってかいま見えたのは大きな桜。

庭もそれはそれは広いけれど、その庭を囲むように数十本の桜が植えてあった。

これが満開になるときはさぞ綺麗だろう。

 

「快斗様でしょうか?」

 

ちらほらと咲き始めている桜に見とれていたら、遠慮がちに声がかけられた。

いけねぇ、仕事の挨拶に来たんだっけ。

俺は慌てて振り返り、目の前に立つ侍女らしき女性に頭を下げる。

女性もまたそのお辞儀に丁寧に頭を下げた。

 

「桜が綺麗でしたので。ついつい見とれておりました。」

「白馬家の館は桜の屋敷とも呼ばれるほどですので、

 満開になれば極楽浄土を連想させるような美しさですよ。

 それでは、こちらに。主人が待っておられます。」

 

侍女はそう告げると、しずしずと屋敷の中に消えていった。

 

案内されたのは一番奥の小さな離れだった。

と言っても俺が住んでいた今にも壊れそうな縦穴住居とは比べものにならないほどの立派さだが。

 

 

「中に主人がいらっしゃいます。」

「御頭首がこのような場所にですか?」

「ええ、少々変わり者でして。」

 

侍女はそう言って微笑むと、ガラリとその扉を開ける。

その瞬間、敷き詰められた畳の匂いがふわりと香った。

 

「ご主人様。新しき従者を連れて参りました。」

「お初にお目にかかります。近江出身の快斗ともうします。」

「うむ。よくぞ参った。」

 

簾の奥から低く重い声が聞こえる。

俺は全身に悪寒が走るのを感じた。

それはちょっとした拒絶反応にも近いのかも知れない。

貴族というお高い位置でいつも農民をあごで使う種族。

だけれど、彼らに逆らってはこの時代で生きることはできないから。

 

「用件はお前の横にいる侍女、紅子に伝えてある。

 日々の生活は隣家で他の従者達と共に行うこと。

 もちろん、武芸にも励んでもらう。近い内に内乱が起こるかもしれないのでな。」

 

「承知いたしました。」

「下がって良い。」

 

最後まで顔の見えない相手との会話は少しだけ息が詰まる。

ようやく退出の許可がでて俺は大きくため息をついた。

 

 

「快斗様。それでは次にこちらへ。」

「あ、はい。」

 

侍女はそう言うと今度は先程の桜が咲き乱れる庭へ足を向けた。

確か、名前は紅子と呼ばれていたはずだ。

長い黒髪に、淡い黄色の衣がよく似合っている。

だけれど・・・と俺は思う。

彼女は侍女という立場はどうも不釣り合いに見えた。

具体的に表現するならもっと格上の人間のような動きだ。

 

「こちらです。」

「こちらって、誰もいませんが。」

 

一端屋敷に入って、通された暗い部屋にはもちろん人影などなかった。

おそらく北側に面している為だろう。ジメジメとかび臭い。

 

「また、庭に行ってらっしゃるのですね。桜ノ宮様はご存じでしょう?」

と彼女は軽くため息をついて尋ねる。

 

桜ノ宮・・・そう言えばここに来る前に村人達が言っていた。

ここには、桜のように美しい姫君がいると。

 

 

「なまえは噂で耳にしましたが。こちらが彼女の部屋なのですか?」

 

「ええ。御頭首が他人には見せたくないと、奥にしまい込んでいるのです。

 それでも、彼女はもともと自由な身分でしたので、

 おとなしくしていられないのでしょうね。そうそう、まだ申し上げていませんでしたが、

 快斗様。貴方の任務はお嬢様の世話係です。がんばってくださいね。」

 

侍女の声は暗い部屋に良く響き、それが彼女の声の独特の艶めかしさを強調する。

そして、自分はこれから用事があるのだと告げて、中庭への道を事細かに説明しはじめた。

 

 

俺は教えられたとおりに迷路のような屋敷を進む。

右に曲がり左に折れ、縁側を歩き、ようやく説明された様子の庭に出た。

 

中央に小さな池があり、こちらも見事な桜に埋め尽くされている。

だけれど、妙な圧迫感を感じるのはなぜだろう。

俺はきょろきょろと見渡してようやくその理由に気がついた。

そう、垣根が異常に高いのだ。

これでは、蒼い空しか見えない。

 

 

「さて、噂のお姫様はどこだろう。

 にしても、貴族の女性って他人に顔を見せないんじゃなかったっけ?」

 

小さいときに村長から聞いた話を思い出しながら、庭の隅々を捜した。

当時は貴族の暮らしなど雲の上の話のように聞いていたが

まさかそこに入ることになるとは

 

「マジでおとぎ話だな。」

「何がおとぎ話なんだ?」

「え?」

 

 

俺は突然の声に振り返る。

見れば若い女がクスクスと笑っていた。

 

 

「ここに人が来るなんて珍しいな。」

「ひょっとして、桜ノ宮姫様ですか?」

「ああ。ここではそう呼ばれてるかな。」

 

彼女はそう言うと、興味深そうにその整った顔をグッと俺に近づけた。

ドキリとするようなまつげの長さ。

そして、桜の傍にいたせいか、ふわりと甘い香りが漂う。

 

「で。何?あんた。」

「あ、ああ。わたくしは姫君の警護を頼まれた快斗と・・・。」

「またか。それ、いらないから。自由にして良いぜ。

 俺がうまく父君に言っておくから、金だけは貰えるし。」

「は?」

「だから、適当にどこかで1日過ごせ。俺は他人となれ合う気はないんだ。」

 

先程見せた笑顔とは180度違う表情。

全てを拒絶したような無機質な顔は、彼女には似合わないと思った。

 

 

そして同時に、さっきの笑顔を見たいと思った。

 

 

「桜ノ宮姫。わたくしは、いや俺は決めたぜ。」

「え?」

「ぜってー、俺を他人とは言わせないようにしてやるっ。」

 

もう一度あの笑顔が見れるなら、どんな努力も惜しまない。

さぁ、勝負しようぜお姫様。どちらが最初に諦めるか。

いっとくけど、俺は負けず嫌いなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

それからの毎日は、いろいろな意味で戦いだった。

全身で嫌気を示すお姫様に取り繕って、毎日口げんかをして。

だけど、少しずつ桜ノ宮は表情を見せてくれて

新しい表情を見つけるたびに俺は彼女に惹かれていった。

 

俺は稽古のない日はいつも彼女の傍にいて

彼女といろいろな話をした。

教養を積んだ彼女の話は興味深く、

俺は乾いた砂が水を吸い込むようにその知識を手にいれていく。

 

 

「快斗って、頭良いな。こんなに話がおもしろい奴は初めてだ。」

「そう?ところで、一つ聞いても良いか?」

「ああ。何だ?」

 

桜ノ宮はそう言うと最初に出会った頃のように俺の顔をのぞき込む。

ひょっとしたらこれは彼女なりの癖なのかも知れない。

だけど、他の男に同じようなことをしたならば間違いなく押し倒されているだろう。

俺だって正直言ってギリギリの状態だ。

 

不自然の無いように体を離して俺は一呼吸置く。

そして、前々から思っていた疑問をぶつけた。

 

「なぁ、桜ノ宮の本当の名前を聞いても良い?」

「つっ。」

 

俺の言葉に明らかに動揺した彼女。

やはり逆鱗だっただろうか。

不安げな俺の顔に桜ノ宮の表情か哀しみに満ちた表情は消えて

クスクスと可笑しそうに笑う。

 

「何でお前が泣きそうな顔になるんだよ。」

「いや、聞いちゃやばかったかと思って。」

「・・・快斗になら良いぜ。教えてやるよ。」

 

桜ノ宮・・いや新一の話はこうだった。

工藤家という由緒ある家に生まれたものの、10歳を迎えたある日

白馬家に攻め入れられ両親を殺された。

そして、頭首は自分の容姿を好み、ここに連れてきたのだと。

 

言ってみればここは敵の住む家。

だけど、ここにいなければ生きていけない。

 

「自分じゃ何にもできないんだ。弱いだろ。こんなか弱いお姫様なんて嫌いなんだ。」

「新一・・・。」

「強く1人で生きていけたら良いと思う。快斗、おまえみたいに。」

 

新一はそう言うと顔を俺の肩に埋めた。

多分今までの精神的苦痛が一気に流れ出したんだと思う。

こんなに儚げな表情を見たのは初めてだったけど、

ずっと彼女を守りたいと思った。

 

「新一・・俺。」

 

言おう。今日こそ言ってしまおう。

貴方が好きだと。

身分の差はあっても、愛しているのだと。

 

蒼い双眼が俺を見上げる。

不思議そうに見つめてくる。

 

「俺、新一のこと・・・。」

 

 

 

「ここかーー。白馬家は!!」

「金目のものを出しやがれっ。」

「オレ達は、泣く子も黙る盗賊一味だぜ。」

 

ガシャーンと垣根が倒れ、数名の男達が部屋へと土足で入ってくる。

 

盗賊、最近この界隈で増えだしたと、塾頭が言っていた気がした。

俺はとっさてきに新一の前に出てその綺麗な顔を袖で隠す。

男達は刀を持って近づいてきた。

カタカタと新一が震えているのが分かった。

きっと、幼いときに同じ体験をしたことが脳裏によみがえっているのだろう。

 

 

「大丈夫だよ、新一。俺が守るから。」

 

 

数ヶ月間、隣家の従者達の詰め所で塾頭に習った剣術。

本来は直やってくる他家との争いのためらしいが、

俺は新一を守るために必死になって腕を磨いた。

 

その成果、見せてやるよ。

 

 

 

「無粋な輩ども。逃げる時間をやるぜ。」

 

 

低い声で男達に告げる。

彼らは俺の言葉にケラケラと笑い声をたてた。

 

 

「聞いたか?オレ達に勝つ気でいるぜ。」

「おまえこそ、そこの女、渡してすっこみな。」

「まぁ、命くらいは勘弁してやる。」

 

 

薄暗い部屋で男達の刀が鈍い光を見せる。

 

 

「お頭が桜ノ宮をほしがってるんだよ。さぁ、どけ。若造!!」

「嫌だねっ。」

 

新一を引き寄せて、その刀を交わす。

そして次の瞬間にはその男の腕を切り落とした。

飛び散る血液が新一に当たらないように配慮して俺は次々に男を切り倒す。

新一の名を無粋に口にした男を許せるわけがなかった。

 

「新一。」

「終わったのか?」

「うん。もう、大丈夫だよ。」

 

ポンポンと頭を叩くと拗ねたような顔。

そして、新一はそっと、俺の頬についた血を袖でふき取った。

 

「ありがと。」

「どういたしまして。お姫様。」

「それより、快斗。さっき、何を言おうとしたんだ?」

「ん?ああ。また今度、言うよ。」

 

こんな血まみれの部屋では嫌なんだ。

それに、新一が平気そうに繕っていても、

血なまぐさい匂いに吐き気を催していることは分かるから。

 

 

「侍女を呼ぼうね。綺麗にしなきゃ。この部屋。」

「そうだな。それにおまえもだ。快斗。

血まみれじゃねーか。怪我とかしてないよな?」

 

あんまり近づくなって。

押し倒してしまいそうなんだよ。

分かってるの?お姫様?

 

 

「怪我はしてないよ。ほら、近づかない。血がつくから。」

 

 

ようやくしぶしぶながらも離れてくれた新一に

俺は気づかれないようにため息をもらした。

 

 

 

 

 

 

 

それから、日を追う毎に、屋敷に忍び込むものが多くなった。

 

 

俺はそのたびに敵を切り、新一を守った。

 

 

 

 

 

そして数日後、俺は頭首に呼ばれる。

 

 

「快斗。君の働きは実に素晴らしい。

 心を開かなかった桜ノ宮が人間としての情を取り戻すことができたのも君のお陰だ。

 そして、なにより数多の敵を1人で倒す剣術も見事である。

 そこでだ、ついに我ら白馬家も他家との戦いに赴くことが決まった。

 行ってくれるな。快斗。」

 

「・・・仰せのままに。」

 

 

出陣の命。

いつかは来ると思ってた。

これも、新一を守るためだと言い聞かせて、

重い足取りで新一の部屋へと向かう。

 

だけど、新一は自室にいなくて・・・・俺は慌てて中庭に進路を変えた。

 

中庭には垣根が無くなってからは行かないようにと言い聞かせていたのに。

とてつもない不安が俺を襲う。

もし、彼女が不逞の輩に襲われていたら・・・。

 

 

 

「新一っ。」

「快斗?」

「どうしてここにいるんだよ。心配したんだからなっ。」

 

淡い桜色の着物に身を纏った新一を引き寄せて、

俺は衝動的に彼女を抱きしめる。

最初は驚いてもがいていた新一だったけど、最後はおとなしく腕の中に収まった。

 

「まったく、これじゃあ安心して行けないじゃないか。」

 

「じゃあ、行くなよ。」

 

もう、話を聞いてしまったのだろうか?

驚いた俺の表情を気にすることなく新一は話を続ける。

 

「紅子から聞いたんだ。

 なぁ、戦乱に行って帰ってきた人間はほとんどいないんだぜ。

 特にここの頭首はすぐに家来を見捨てるんだ。」

 

 

新一の目元が月明かりに照らされて、キラキラと光っている。

 

なぁ。泣いているの・・・?

この気持ちを伝えてもいいの?

 

 

「新一。来年の桜が咲く頃には必ず戻ってくる。

 桜の下でオレ達は再び出会うから。泣かないで。」

「約束・・しろよ。」

 

 

強い意志を持った瞳。

ああ、俺はこの瞳に惚れ込んだんだ。

やっぱり泣き顔も綺麗だけど、

それよりもそんな表情が似合ってる。

 

 

「好きだよ。新一。」

「知ってた。言うのが遅いんだよ。バカイト。」

 

 

そして、最初で最後のキスを交わした。

碧に茂る桜の木とおぼろげに輝く満月に見守られて・・・

俺の大好きな新一の笑顔が俺のものになった瞬間だった。

 

 

 

 

「新一。月が綺麗だね。」

 

もう、瞳を開けていられそうにないよ。

約束を守れなくてゴメンネ。

でも、ずっと笑っていて。

ずっと、覚えていて。

 

必ず桜の咲く頃に再び出会うから。

 

 

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