「くっそ。絶対、あいつぶっ殺す。てか、主催者なんてクソ喰らえだ!!」 梅雨前線が停滞し、長雨の続く6月のある日。 夜の10時ごろに所要で工藤邸を訪れた哀は、 とんでもない暴言を吐く家主に思わず閉口した。 そして、チラリとキッチンで洗物をしている彼の妻に視線で問う。 いったい何があったのか?と。 +最低で最高のバースデー+ 「ほっとけ、ただの独り言だ。」 キュッと蛇口を閉め、 食器乾燥機のスイッチを入れると新一は紅茶を入れる準備を始めた。 哀はお構いなくと言いつつも、 とりあえずこの珍しい状況を堪能したいらしく、快斗の正面に腰を下ろす。 快斗はそんな哀に気づいているのかいないのか、 まだブツブツと呪いの様な言葉を吐いていた。 暑さが苦手な新一のため、部屋には除湿が掛かっており、 外の湿気とは打って変わって過ごしやすい環境になっている。 こと省エネが叫ばれる時代にどうなのか?と思ったが、 ソーラー発電を利用しているため、差し引きゼロといったところかもしれない。 もちろん梅雨の今の時期は、太陽光など望めないが、 博士が発明したソーラーバッテリーなので、 効果はよく分からないというのが正直なところだった。 そんなことを考えながら暫く壊れた快斗を見ている哀の前に、新一が紅茶を置く。 夕飯のときについでに作ったというパウンドケーキも添えてあり、 家庭菜園のミントと生クリームでデコレーションまでもしてあるためか、 立派なカフェのケーキセットのようだった。 突然来ても、こうして完璧な対応をしてくれる新一に哀は満足げに小さく笑う。 そしてフォークでケーキを口に運びながら、再び先ほどと同じ質問を繰り返した。 こうやって観察するのも興味深いが、そろそろ飽きてきたのだ。 哀の問いかけに、新一も自らの紅茶を飲みながら、重々しくため息をつく。 少し伸びた髪を掻きあげ、どこから話そうか思案した後、徐にその口を開いたのだった。 「明日が快斗の誕生日ってのは、分かってるよな。」 「ええ。それで浮かれているのは先週から知ってたわ。」 あれは、先週の日曜日。 就学前の幼い子供達が、ひと月前から哀や新一、 さらには毛利探偵事務所にまで赴いてコツコツとお小遣いをため、 お祝いのための資金集めをしていたことを知った日だったろうか。 公民館を借りて、快斗のお祝いをするという招待状を子供たちに貰い 浮かれまくった彼は、知っている人間に電話をかけ、最後に哀たちの所へやってきた。 もちろん、彼らが準備をしていたことは、博士も哀も知っていたので 自慢されても今更な感じだったのだが、あの浮かれようは見事だったと思う。 最初は子供の自慢、そして最後にはさすが新一と俺の愛の結晶だよと なぜかノロケ話になっていたのは、もう忘れてしまいたい記憶だ。 そんな彼がこれほどまでに落ち込んで壊れている理由。 そう考えれば、ただ1つ。その予定のキャンセル・・・しかなかった。 「公民館が使えなくなったとか?」 思い当たる理由を口にすれば、新一はゆっくりと頭を振る。 「いや。仕事だよ。急に真田さんがショーに出れなくなってさ。彼の変わり。」 「そんなの断れば良いじゃない。」 「まだ、こいつに、んな権限ねぇし。 それに主催者は、快斗の親父さんとも面識の深い人だから断れなかったんだよ。」 カチャリとソーサーにカップを置いた音が響いた。 確かに新一の言うとおり、快斗は未だ大学生をしながらのマジシャンで 日本一と謳われる真田一三の代わりに抜擢されるだけ名誉なことである。 鈴木家の船上パーティーでKIDの変装をし、観衆を興奮させた彼は あの頃からさらに腕をあげてはいるが、哀的には、快斗の方がはるかに上と感じていた。 それでも、経験やキャリアがものを言う世界。彼の融通が利くほど甘くは無いのだろう。 「なるほどね。それで、そんな仕事を請けたマネージャーも恨みの対象ってこと。」 「まぁ、な。けど、俺がマネージャーでも、普通なら同じことするだろう。」 「ええ。それで、子供たちは?」 事実が分かってしまえば、快斗のことなど正直、哀にとってはどうでもよかった。 心配なのは父親のためと一生懸命頑張って準備をしてきた4人の子供たち。 幼いころからそれこそオムツまで替えてあげてきた彼らを 哀は兄妹のように可愛がっており、 今回の計画がだめになったと分かれば、ひどく落ち込んでいることだろう。 チラリと視線を上に向けた哀に新一は頬を軽く掻きながら言葉を濁した。 「落ち込んで文句を言ってくれるなら、まだ良かったのかもなぁ。」 「そうじゃないの?」 おそらく泣かれて快斗がここまでなっているかと思ったのだが。 そう言外に含める哀に応えたのは、 新一ではなく、恨みつらみを呟いていた正面の人物だった。 「仕事の事情は分かってるから、頑張って来て・・だって。 すっげぇ、泣きそうな顔で言うんだよ。もう、なんなのあの出来た子! てか、子供に気を使わせる父親なんて・・・失格だぁ!!」 「さっきからこの繰り返し。恨み言か嘆きか、もういい加減うぜぇ。」 「ひどっ。新一だって思うだろ。」 「だからってここでグチグチ言ったってどうしようもねぇじゃねぇか。 んなに、悔しいなら、さっさと一流にでも世界一でもなりやがれってぇの。」 イラついた新一の一言に、ピキッと空気が凍る。 哀は2人の雰囲気に不協和音を感じ、珍しいと目を細めた。 さすがに今の一言は言いすぎだろう。 おそらく隠してはいたものの、新一も相当、機嫌が悪かったのだ。 「そんなの、新一に言われなくても分かってるよ。」 ガンっとテーブルを叩いて部屋を出て行く快斗に、 新一は視線を向けることなくカップを手に取る。 久しぶりの本気の喧嘩に哀はチラリと遠慮がちにその背中を見送った。 バタンと扉が閉まれば、部屋中に夜の雨が寂しく響く。 あと数時間で快斗の誕生日のはずなのに。 「俺、最悪だ・・・。」 「そうかもね。」 「仕事って分かってるはずなのにな・・。」 落ち込む新一に哀はその肩を叩いて、静かに部屋を出る。 これ以上は何を言っても無駄と分かっているから。 「あの子達がせめて哀しまなければ良いけど。」 とりあえずドタキャンした真田には、一発毒でも仕込んでやろうか。 哀は全ての元凶を彼と位置づけると、妖しい笑みを浮かべたのだった。 目を覚ませば快斗はすでにおらず、1人で打ち合わせのために会場に向かったようだった。 新一はまだ「おめでとう」の一言も言っていないことに気づき、小さく舌打をする。 こんなにも穏やかでない彼の誕生日は始めてだ。 重い気分のまま布団から出ると、朝食の準備をするためキッチンへと向かう。 湿度のせいか、気分のせいか、屋敷中に、錘が乗 「おはよう、ママ。パパは?」 「おはよう。快斗は仕事だよ。もう直ぐ朝食だから、顔を洗っておいで。」 ぬいぐるみを抱えて起きてきた長女の目は少し赤い。 きっと部屋に篭って泣いていたのだろう。 新一はそんな娘にニコリと微笑みかけ、気づいていないふりを決め込んだ。 続いておきてくる息子達や次女も、たぶん由佳と同じように泣きはらしているかもしれない。 そう思うと一層、遣る瀬の無さが心を蝕む。 快斗の誕生日にと子供たちが準備したのは、マジックだ。 日頃はしない悠斗や由梨もまた、その練習に勤しみ、 最後にプレゼントを公民館のステージ上に出現させる予定だった。 一ヶ月前からマジックに必要な道具やプレゼントの資金を貯め、 寺井に頼んで、一緒に計画をしていた彼ら。 それがダメになったと分かっても、父を責めない子供たちに 愛おしさと共に自らのふがいなさを感じないはずがない。 快斗の場合は、なおさらだろう。 「なんで、あんなこと言ったんだろ。」 台所に隠してあるプレゼントへ視線を落とし、浅漬けを切る。 だが気分は手元まで移ってしまっていたのか、久々に包丁で指を怪我してしまって。 「情けねぇよ・・・どうにか、できないのか・・おれ。」 快斗も子供たちも笑顔にしたい。 その方法は・・・。 「ダメもとで頼むしかないよな。」 工藤新一という後ろ盾の無い今、自分の願いが聞き入れられる可能性はゼロに等しい。 それでもできる限りのことをしたいから。 新一はグッと気合を入れて、電話を手に取った。 大切な家族に最高の誕生日を過ごしてもらうために。 会場を包み込む拍手に感じたのは罪悪感だ。 快斗はステージを降りながら、ポーカーフェイスの下に悔しさを隠す。 『最高だったよ』と満足げな主催者の男を思わず鼻で笑いたくなった。 私情を仕事に持ち込むつもりはない。 けれど、今日のマジックは今までの中で最低な出来だ。 細かなところのため、気づくとするなら新一か哀か寺井くらいだろう。 だが、お金を払って来てくれている客に、 最高のエンターテインメントを見せられなかったことは一生の汚点だと思った。 「新一にあんなふうに言われるのも最もだよな・・。」 未だ狭い、宛がわれた楽屋に戻ると、衣装を乱暴に脱ぎ捨てる。 マネージャーは主催者と話しでもしているのだろう。 楽屋に送られた花はまだまだ小さく、それが今の実力を表しているようにも思えた。 「なるべく早く帰って、少しでも子供たちに罪滅ぼしなきゃ。」 本来なら今頃、公民館でパーティーをしていたのに。 くだらない仮想だけが、頭の中でぐるぐると回っている。 と、そのとき、遠慮がちにノックの音が響いた。 マネージャーだろうか。快斗は「はい。」と抑揚の無い声で返事をする。 今、マネージャーが来たら当たってしまいそうなので、できれば来て欲しくなかった。 ガチャリと開いた扉の先、そこにはシックな格好の女性がひとり。 驚いてみれば、手には小さなカードを持っていた。 「し、新一!?」 「幽霊でも見たような顔だな。おまえ、俺が居るの気づいてなかっただろ。」 軽く変装しているが、気配でいつも分かるはずなのに。 それほど客席に神経を向けてなかったのかと、さらに憂鬱な気分は増大する。 そんな快斗に新一は大きくため息をついて、カードを彼へと渡した。 「なに・・これ。」 「超VIPでレアなチケット。将来の大物マジシャンの初ステージだ。」 「どういうこと?」 「とにかく客席に来い。それだけだ。」 カードと新一の顔を快斗は何度も見比べる。 ただ座席番号と時間とがかかれたカードは、手書きで。 それが新一の字だということは分かったが、真意はまったくつかめない。 そうこうしているうちに、新一は踵を返して部屋を後にした。 来れば分かる。そう言うのだから、行けば分かるのだろう。 快斗は首を傾けながらも急いで着替え、客席へと向かった。 ステージではない、見る側の居るべき場所へと。 お客の帰った会場は異様な静けさで、ライトは落とされていた。 もちろんのことながら人っ子一人おらず、快斗は指定された席へととりあえず腰を下ろす。 時計をみれば午後10時、1分前。あと数十秒で、チケットに書かれた開始時刻だ。 5,4,3,2,1 秒針を辿りながらカウントダウンすると 0になった瞬間、一気に幕が開ける。 盛大な音と光とともに。 「「「「黒羽快斗様!ようこそ、黒羽4兄妹のステージに!!」」」」 「俺達のステージを」 「どうぞお楽しみください。」 「少しですが夢の時間へと、パパを誘います。」 「大好きなパパの生まれた日に感謝を込めて。」 タキシードとドレスを着た小さなマジシャン達は、深々と一礼するとマジックを始めた。 拙く、仕掛けも分かってしまうほどだけれど、一生懸命にするその姿に目頭が熱くなる。 気づけば新一が右隣りに座り、左には哀と博士も座っていた。 それは15分ほどの短いショー。 トランプから箱を使った初歩的なもの。 だけど、どんな大仕掛けより、派手なイリュージョンより、キラキラと輝いていた。 「では、次は最後です。」 「この箱には種も仕掛けもございません。」 「ですが、黒羽雅斗が魔法をかけますと・・・。」 由佳の言葉に雅斗がステッキで閉じられた箱を数回叩く。 すると 開いた箱の中から、立派な腕時計が出てきたのだった。 その時計を持って降りてくる子供たちを快斗は全身で1人ひとり抱きしめる。 由梨が照れくさそうに笑いながら、快斗の手首にその時計を巻いた。 「「「「お誕生日おめでとう。これからも頑張ってね。」」」」 「雅斗、由佳、悠斗、由梨・・・本当にありがと。」 わが子に貰ったのは、惜しみの無い愛情と、マジシャンとしての心構え。 どんなときも誰かを思ってするということ。今日のステージに一番欠けていた何かだ。 「お前達は、俺の宝物だよ。」 この子達に恥じない父親になりたい。そう改めて心から思った。 その後、なぜか一番号泣していた博士と真田に仕返ししといたわと笑う哀とを 家に招いて、ケーキをみんなで食べた。 遅くまで起きていたせいか、子供たちはすっかりくたくたで、今はそれぞれの部屋で眠っている。 時刻は11時55分。あと5分で21日が終わろうとしていた。 「快斗。」 片づけを終え、風呂から上がった新一は、 リビングのソファーに座ったまま未だに時計を見てほくそ笑む旦那に声をかける。 「これ。俺から。」 「新一・・・。」 「昨日は本当に悪かった。俺もイラついててさ。おまえが頑張ってることくらい知ってるのに。」 快斗の隣に座り、小さな小箱を渡す。 俯いたままの新一に、快斗はそっと手を伸ばして頭を引き寄せた。 「いや、新一の言うとおりだよ。それに最近、俺、我武者羅になってなかった。」 所詮は、大学の生活が終わってから。 そう思っていた自分が居たことに、今日、気づかせられたから。 「それに、新一があの場所をお願いしてくれたんだろ?」 何のコネも使わずに頭を下げたのだと、先ほど哀から聞いていた。 どうか閉演後のステージを貸してくれないかと。 本来なら使えないステージを、たった一人の誕生日祝いのために。 「そんなことくらいしか出来なかったし。」 「そんなことじゃないよ。」 「良いんだ、俺がしたかったから。それより、お誕生日おめでとう。」 「ありがとう、新一。」 「ギリギリ、今日中に言えてよかった・・・。」 コトンと快斗の胸元に頭をあずけて新一がホッと息をつく。 見れば秒針があと一回りで日付が変わるところまできていた。 「これからも元気で居ろよ。お父さん。」 「お互い白髪が生えるまで、一緒に居てね、お母さん。」 お互いの額をくっつけてクスクスと笑いながら、どちらからともなくキスを交わす。 家族との誕生日のあとは、夫婦だけの誕生日。 甘い甘い夜は、まだ始まったばかり。 |