自室で俺は1人パソコンに向き合ってキーボードを叩く。 ワードの用紙の下に記された数字を目に留めて、 もうこんなにも書いたのかと自嘲するような笑みを浮かべた。 −First love of spirit− こうしてパソコンで日記を付けはじめ、1週間が経とうとしていた。 パソコンの右側で湯気を立てているコーヒカップを手にとって壁時計へと視線を移す。 午後10時。もうすぐKIDが、いや快斗が仕事を終えて帰ってくる時間だ。 別段、快斗に見られて困る日記ではないと思う。 しょせんは毎晩見た夢を書きつづっているだけなのだから。 だが、あのやきもち妬きの男がこの日記を見たら少々面倒なことになりそうだと 俺はあえて、あいつのいない時間を狙って日記を付けていた。 今日の日記も終わりにさしかかったところで、スーッと窓際から風が吹いてくる。 自然とその方向へ目を移せば、閉めたはずの窓が開け放たれ、カーテンがはためき 黒い影がそこには映し出されていた。 「早かったな。」 少しだけ焦りを感じながら、俺はきわめて落ち着いた声を放つ。 もちろん窓側に視線を向けたまま、日記を保存し、パソコンの電源は切った。 「ただいま、新一。」 カーテンの影が、実物へと代わる。 月の光を瀬に浴びて、モノクルをつけたままなので その表情は口元しか見えなかったけれど、笑顔を浮かべていることだけは分かって、 その瞬間に俺の中の焦燥は消え失せた。 いつもそうだ。 日記を打ち込んでいるときに芽生える苦しいような、だけど愛しいような感覚は 快斗の顔を見れば消えてしまう。 不思議だけれど、それのお陰で俺はこうして目の前の男と向き合えるのだと思う。 「何してたの?体冷えてるじゃん。」 「おまえこそ、毎回窓から入るのは止めろ。灰原に叱られっぞ。」 「いやぁ、どうも癖でね。それに泥棒が玄関から堂々とお邪魔するのも変じゃん。」 快斗はそう言うと、近くに置いてあったジャケットを俺の肩に掛ける。 そしてまるで挨拶をするような感覚で、キスをした。 「やっぱ、冷えてる。」 「夜空を飛んできたお前にいわれたかねーよ。」 どう考えたって快斗のほうが冷たすぎだ。 そう悪態をつきながら俺は快斗に、用意していたバスタオルを投げつける。 「風呂、沸かしてあるから、さっさと暖まってこい。」 「うん。新一は?」 「俺はもう入った。見てわからねーの?」 「もう一度入ろうって言ってるんだよ。だって、そんなに体、冷え切ってるし。 それにたまには場所を変えてやっちゃっても、気分が変わ・・・。って、危ねーじゃん。」 投げつけたコーヒーカップをあいつは中身を一滴もこぼすことなく受け取った。 もちろん取れることは分かっていたけど、なんだかシャクだ。 「殺意を覚えるときって、こんな瞬間なんだな。快斗。」 「ヒドイ、新ちゃんは俺を愛していないのね・・。」 そう言ってオヨヨと泣き真似をする間抜けな快斗を部屋から蹴り出して スタスタとパソコンのほうへ戻る。 「はやく、暖めてくれよ。」 席についてそうボソリと言葉を漏らせば 破顔したあいつの気配が伝わってきて、 次の瞬間には階段をダッシュで下りる音が聞こえていた。 単純で、まっすぐで、それでいて不器用なやつ。 そんなことを思いながらパソコンの電源を入れて、日記の終わりを書き込む。 夢に出てくる“アイツ”もそんな人間なのだろうか。 一文字一文字打ち込みながら、また苦しい気持ちになった。 戻ってきた快斗はすぐに俺をベットに連れ込んで いつものように優しく触れてくる。 だけど、気のせいかも知れないけれど、最近の快斗はいつもより手荒だ。 まるで、嫉妬心をぶつけてくるように。 もちろん日記はパスワードがいるし、 あいつに“夢の男”の存在がばれることはないと思う。 「愛してるよ。新一。」 「ああ。」 耳元で呟く快斗の声を聞きながら、俺は意識に任せて思考を排除した。 目が覚めれば隣に快斗の姿はなかった。 変わりにベットサイドに置いてあったのは走り書きされたメモ。 そこには丁寧な字で“学校に行って来ます”との文字。 そこで俺はようやく、今日が平日であることを悟った。 気だるい体を起こして壁時計に視線を移せば、 長針と短針は昨晩俺が見たときからちょうど一回りしていた。 午前10時。一般の学生なら勉学に勤しんでいる最中だ。 のっそりとベットから出て、底冷えした室内に体を震わせる。 「はい。これ。」 「ありがと。って、灰原!!」 渡された上着を素直に受け取ったものの、その渡し主に俺の意識は一気に覚醒した。 そして、おそるおそる視線を向ければ隣に住んでいるはずの科学者が 呆れた表情で見上げてくる。 「昨晩はずいぶんと遅くまで起きていたみたいね。」 「まぁな。それで、どうしたんだよ。寝室まで来るなんて珍しいし。」 俺の質問に灰原はスッと視線を逸らすと 「朝ご飯、黒羽君が作っていったみたいだから、いただきましょう。」 とだけ告げて、スタスタと階段を下っていった。 哀は快斗の作った料理を温めなおしながら、 今朝、快斗と交わした言葉を思い起こしていた。 +++++++ 多分、6時を少し廻った時間帯だったと思う。彼が阿笠邸の前に立っていたのは。 日頃快斗に対しては“何か用?”と門前払いする哀だったが ポーカーフェイスなんて忘れてしまったかのように 力無く微笑む彼を放っておけるはずもなく家の中へと招き入れた。 砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーを手渡す。 工藤君もたまにはブラックじゃなくてミルク入りでも飲んでくればいいのに。 そんなことを思いながら。 「で、どうしたの。」 「新一が・・最近、変なんだ。」 彼が落ち込むなんて新一がらみだろうと予想していた哀は、 その言葉に軽く頷いて先を述べるように促した。 「日記を毎日つけてるみたいだし。それに、夢でうなされてる。」 「うなされる?」 「うん。新一自身に自覚はない見たいなんだけど。誰かを求めるように手を伸ばして、涙を流すんだ。」 「その“誰か”は貴方じゃないの?」 哀の問いかけに快斗は静かに頭を横に振った。 「確証はないけど、違うと思う。新一は別の“誰か”を求めて泣くんだよ。俺じゃない“誰か”を。」 「そう。それで最近、工藤君の顔色も優れないわけね。」 悲痛な表情の快斗を一瞥すると、 哀はコーヒーをテーブルに置いて、ここ最近の新一の顔色を思い起こす。 言われてみれば、時々思い詰めた表情で遠くを見ていた気がした。 それは、まるで、この時代に彼自身が存在しないかのように。 「哀ちゃん?」 「・・・工藤君の夢、気になるわね。」 「夢?」 「とにかく、貴方は学校に行きなさい。もう、時間でしょ。 それと、くだらない嫉妬心を彼にぶつけないでね。」 最近、手荒になってるでしょ? 意味ありげな笑みを浮かべた哀に 快斗は困ったようにカリカリとこめかみを掻くと強く頷いて、部屋を後にした。 +++++++ 「遅いわね。」 完全に温まったポトスを器に注ぎながら哀は天井を見上げる。 再び寝てしまったのだろうか? そう思いながら階段を上がろうと一段目に足をかけたとき、 焦点の定まらない瞳で階段の中程に立ち玄関を見つめる新一が視界に映った。 「工藤君?」 「やっと、帰ってきたんだな。」 「えっ?」 新一は歓喜したような声を上げると、哀の隣を通り過ぎ玄関へと駆け下りる。 哀は彼の動きに会わせて反射的に玄関へと視線を向けたが そこにはもちろん人影はなかった。 「工藤君。しっかりして!!」 靴も履かずに飛び出そうとする新一の体がその言葉にビクっと硬直する。 立ち止まった彼は驚いた表情で哀を見ていた。 「灰原・・。俺。」 「ねぇ、貴方の“夢”を私に教えてくれないかしら?」 哀は新一に駆け寄ると哀願するように彼を見上げた。 だけれど、新一はゆっくりと頭を横に振る。 そして、しゃがみこみ哀に視線を合わせると“もう少しだけ待ってくれ”と耳元で囁いた。 俺の目の前に白昼夢として現れる男は日に日に、現実味を帯びていく。 その背格好や着ている洋服さえ鮮明に見えるのだけど、 “声”と“顔つき”は不確かなままだった。 「新一。」 「んっ。」 そっと頬に温かい手が添えられる感触で俺は目を覚ます。 少しだけ目を開ければ、おだやかな表情のあいつがいた。 「うなされてたよ。」 「またか・・・。」 ゆっくりと体を起こして、汗ばんだ前髪を掻き上げる。 快斗が俺の目元に溜まった涙を舐めた。 「嫉妬してるか?」 「うん。どうしようもなく。」 おどけたように尋ねれば、快斗は俺を腕の中に引き寄せて首元に顔を埋める。 灰原が“夢”について尋ねた瞬間からなんとなく分かっていた。 快斗が俺の“夢”について気づいたのだと。 それでも、この“夢”を見たくないと思うことはない。 なぜなら、この“夢”でしか俺はあの男に会うことはできないから。 「今日、KIDの仕事がある。」 「ああ、知ってるけど。」 「話があるんだ。屋上で待っててくれない?」 快斗は顔を上げることなくそう告げると、 小さなボストンバックを持って部屋を出ていった。 いよいよ別れ話だろうか? 快斗の背中を見送りながら頭の中でそんな言葉がよぎる。 俺は最近、快斗を見てはいなかった。 それをあいつ自身気づいていたはずだ。 「これが、罰かも知れないな。」 自嘲めいた笑みを浮かべて、俺は再び夢に墜ちる。 “夢の男”に会うために。 「ぼっちゃま。」 「何?寺井ちゃん。」 警察のヘリコプターが飛び交う夜空の下、KIDは、とある廃ビルの屋上に立っていた。 「今日は、何か特別なことでもあるのですか?覚悟されているような表情に見えますが。」 「どうだろ。覚悟と言うよりは悪あがきかも知れないなぁ。」 「悪あがき・・・ですか?」 「そう、俺は“KID”だからさ、簡単には諦めきれないんだよね。」 KIDはそう言うとシルクハットをかぶり直す。 そして百万$の夜景に向けて叫んだ。 「Readies and gentlemen It's
show time!!」 言葉と共に月の輝く夜空へと飛び出し、滑空する彼を寺井は見送る。 どうか、彼の望みが叶うようにと願いながら。 同時刻、新一もまた眠りから覚めたところだった。 今日、1日を全て“眠り”に費やした気がするのは気のせいではないはず。 それだけ、長く眠り、そして“真実”を手に入れた。 本当に“夢”の正体はあっけなくて、 俺は外に出る準備をしながら始終笑いが止まらなかった。 これまで悩んでいたことが馬鹿みたいに思えて、それでいてこの結末を嬉しく感じる。 「はやく、あいつに伝えてやんねーと。」 厚手のコートを羽織って、カギをポケットに無造作に突っ込むと はやる気持ちを抑えて外へと飛び出した。 「急がねーと、やべぇーな。」 走りながら空へと目を向ければ、満月が煌々と輝いていた。 「鮮やかな手口、無駄のない動き。今宵もさすがだな、KID。」 「これは名探偵。現場にいらしていなかったようですが、よくお分かりになりますね。」 待ち合わせの屋上に降り立ったKIDに声をかければ、皮肉めいた返事が返ってくる。 月をバックにしたあいつの表情はまったくここからは見えない。 それでも、俺は臆することなく一歩一歩、あいつに近づいた。 「現場の様子は逐一連絡が入るんでね。」 「なるほど、仲のいい刑事さんがいらっしゃるようで。」 KIDはクスクスと笑いながらフェンスから屋上のコンクリートへと飛び降りる。 俺とあいつの距離がグッと縮まる。 それは、お互いに本来の目的を話そうという暗黙の了解だった。 「快斗。できれば、変装をといて欲しい。」 「分かったよ。新一。俺も、快斗として新一と話したいしね。」 一瞬の仕草で目の前の男は黒羽快斗の姿へと変わる。 ようやく垣間見た快斗の表情は出会った頃と同じ完璧なポーカーフェイスで、 俺は少し泣きたくなった。 そして同時に、どれだけ彼を苦しめていたのかを悟る。 今更、遅いかも知れないが。 「快斗も気づいているとおり、俺は夢の中の男に心を奪われた。」 聞こえる声は自分のものとは思えないほどの落ち着いていた。 浮気の弁解のような話の切り出し方に、俺自身、自分の弁論術の無さを思い知らされる。 それでも、黙って聞いてくれる快斗の気配を感じながら俺は話を続けた。 「そいつは、平安時代の服装をしてさ、俺とその男は身分違いの恋をしていたんだ。」 「平安?」 「夢なんだから気にするな。 それで、ある日その男は貴族同士の戦いに派遣されることが決まった。 別れの瞬間、男は俺に約束したんだ。必ず、再び出会うと。」 そっと顔を上げてみれば、複雑そうな表情の快斗が視界に飛び込んでくる。 きっと意味が分からないのだろう。 なんせ、夢の中の話し。現実味などひとかけらもないのだから。 「男は約束を果たさず戦死したが、俺はその男と何度も出会った。 別の人間として戦国時代や江戸時代なんかの様々な時代で。 それが俺の魂の運命なんだ。その男と出会うことが俺の生きる目的。」 「それじゃあ、新一はこの時代でもその男を待つんだね。」 ようやく快斗が見せた表情はひどく哀しげだった。 例えるなら、雨の中に置き去りにされたような子犬。 大きな双眼は落ち着いた色彩を放ってはいるが・・・。 「その男によろしく伝えてよ。俺はきっと敵わないから。」 「・・・伝える必要は無いかもな。」 「冷たいよな、新一は。俺の最後の我が儘も聞いてくれないのかよ。」 クルリと快斗は俺に背中を向けると、月を見上げる。 そろそろ、潮時だ。俺はそう思い快斗の腕を掴んだ。 そして、グイッと乱暴にひっぱって視線を合わせる。 「ひでー顔。」 ポーカーフェイスはどうした?そう尋ねればあいつは哀しく笑うだけ。 俺はそんな快斗の顔にそっと手を添える。 夜風にさらされた為か、ジンワリと頬の冷たさが伝わってきた。 「なぁ、わからねぇの?その男が誰なのか。 その男の瞳は深海のような深みを持った群青で猫毛の黒髪。 そして、どうしようもないお人好しで馬鹿な奴。」 これで分からなかったら、即行別れてやる。 黙り込んだ快斗に俺は内心毒づく。 「自惚れていいの?」 焦点のあっていない瞳を向けて、快斗は恐る恐る俺に尋ねた。 臆病になっているとは思えないが、確信を持てないのは事実なのだろう。 俺はそんな快斗を安心させるために強く頷いた。 「おまえは覚えちゃいないかもしれないけど。 間違いなくその男は黒羽快斗だったぜ。」 どの時代でも、必死に俺を守ろうとした男。 なぁ、そろそろ俺にも守らせてくれよ。 おまえの死に顔ばかり見せつけられて来たんだから。 快斗は何も言わずに俺を引き寄せて、 強く強く抱きしめた。 そして息が詰まるほど甘く深いキスをする。 First Love of spirit 快斗が俺の魂の初恋。 |