〜光と陰と〜・・・後編 「随分と面白いことをしてくれたようね。」 木造のロッジに帰ってきた新一を眺めながら、哀は淡々と言葉を綴った。 となりでは、博士が凄い形相で睨み付けている。それは、2人からの無言の重圧だった。 「KIDがそんなにお気に入りなの?」 「俺自信、なんでこんな事しているのかわかんねぇーんだ。」 新一は博士と哀の視線から逃れるように窓辺へと移動する。 そして、窓の外に視線をやった。 都心とはほど遠いこの場所。周りは鬱蒼と木々が茂っている。 しばらく、日常に戻ることはできないが未練はない。 こうして優作達が用意したロッジや人知れぬ家を転々として暮らしていくことが生きるすべ。 そう、組織を完全に潰すまでの。 「殺人という最大の禁忌を俺は犯した・・・。」 いつの間にか降り出した雨をBGMに新一は口を開く。 しばらく雨音だけの静寂がロッジを包んだ。 「それは、自己防衛の範囲よ。」 「そうじゃ、組織の人間をたった一人・・・。」 「それでも、俺はこの手で・・・殺したんだ。あの人間の人生を奪ったんだ。」 30代の男から拳銃を向けられて、思わず発砲してしまった。 後ろには哀がいたので避けることは出来なかった。 手は必然的に心臓を狙っていて、銃弾は彼が胸元に隠し持っていた家族写真を貫き、 ・・・・・・・・・・心臓を貫いた。 家族の名を呼び、倒れていく彼。 その時初めて実感した、殺人を犯したと。 落ち着きを失いけている新一をなだめる為に、哀は薬と水を手渡す。 今、新一の体は、元の姿に戻った影響で些細な興奮状態さえ命取りになりかねない。 新一はその薬を黙って受け取ると、ゆっくりと口に含みごくりと飲み込む。 それを飲んだと同時に襲ったのは、いつもとは違う激しい眠気。 ただの精神安定剤のはずなのに・・・・。 「おまっ・・・。」 「工藤君。悪く思わないで、3日間は絶対安静っていう約束を守れなかったでしょ。」 その場でばたりと倒れた新一を博士が受け止めて寝室へと運ぶ。 博士は新一を抱えながら、又彼が軽くなってしまったことを 腕にかかる重さで実感して、落胆したようなため息をもらした。 眠っている新一に点滴を投与して戻ってきた哀に 博士はお疲れさまの意味を込めて、紅茶を手渡した。 はっきり言って、哀も博士もこんな強制的な方法は好きではない。 だが、彼の体を思うならば、こうするしかないのだ。 哀が最も精神的に疲れていることを気遣った博士の行動に、哀は心配しないでと笑顔を返す。 “一番つらいのは、工藤君だから”と言葉を付け加えて。 「哀君は新一君の行動をどう思っとるんじゃ?」 とりあえず、向かい合うような形で2人はイスに腰掛けると、 今日一日を思い返しながら話しを始める。 外の雨音は一層激しさを増していた。 「無意識に薬でない精神安定剤を求めているってところかしら。」 「つまり、対等に渡り合える、いや、自分以上の頼れる誰かを捜しとるんじゃな。」 「ええ。その対象が同じ犯罪者であるKIDなのかもしれないわ。 私は工藤君ではないから、断言は出来ないけれど。」 哀はそこまで一息で話すと、フウッとため息をつき、視線だけを新一のいる寝室へ向ける。 もし、彼の気持ちが全て分かるなら辛さも半分くらい取り除いてられるかも知れないのにと 思いながら。 「それで・・・哀君はこれから・・・。」 「黒羽快斗の力量を見定めに行こうかと思ってるの。明後日くらいに。 だから、その時は工藤君のこと・・・・。」 嵐のような風雨に哀の言葉を最後まで聞き取れることが出来なかったが、 それは予測できる範囲だったので、博士は黙って頷くのであった。 ・・・・・・・・ 工藤新一と屋上で会ってから2日ほどが過ぎていた。 まだ2日かと思う反面、もう2日もたっているとも感じられる。 それは、工藤新一を調べ初めてこの2日寝ていないせいなのかもしれないが。 「快斗、最近疲れてない?」 「別に。何?心配してくれんの?」 「なっ、誰があんたのことなんて。もうしらないっ。」 ポーカーフェイスが得意な快斗がいくら幼なじみと言えど 他人に疲れを見抜かれるとは、いつも以上にはりきっているんだな、と 今更ながら実感して笑いがこみ上げてくる。 たったひとりの探偵の、最後のなんともいえない表情が頭からこびりついて離れない。 まるで、救ってくれといった風な眼差しに見えたのは 自分の願望の現れのせいなのだろうか。 あれから調べて手に入った情報は、 工藤新一が放火事件の重要参考人であるはずなのに警察から逃げていること。 そのくらいのことだった。 おまけにその事件もかなり曖昧で・・・。 廃ビルが全焼して、その中から20人の遺体が発見され、 殆どが焼死だったが一人は心臓を打ち抜かれて死んでいた。 その人も寄りつかないような現場近くで、目撃されたのは一人の少女と工藤新一。 おそらく、その廃ビルで死んだ人間は、工藤新一が追っていた組織だ。 組織の全滅を恐れた上層部が、そこに火を放ったと考えれば全て合点がいく。 「なら、なんで、逃げるんだ・・・。」 そんなの、工藤新一らしくないと快斗は思った。 別に、工藤新一をそこまで詳しく知っている分けではないのに そう思ってしまう自分に滑稽な思いだと再度笑いがこみ上げてくる。 だいたい、工藤新一らしいとはどういう事を示すのであろうか? 「あーーー。もう、わっけわかんねー。」 「随分とお悩み、みたいね。」 ガリガリと頭をかく快斗を横目に、 紅子は快斗の席にぶら下がっている彼の鞄を机の上に置くと、 中から石の固まりを取り出すと、それをポンッと上へとなげる。 石はゆっくりと重力に従って、また、紅子の手の中へとすんなりと収まった。 「おいっ。」 「これが貴方の捜し物だったのね。」 紅子は快斗の規制を気にすることなく石を太陽へとかざす。 だが、もちろんそれは何のへんてつもない石だった。 「磨かれる前の宝石。まるで、貴方みたいね。」 「は?」 「正確にはお互いに惹かれあっていることに気づかないあなた達かしら?」 紅子の意味深な言葉を快斗は黙って聞いていた。 紅子もその石を手の中でもてあそびながら話を続ける。 「人間なんて、ここにある原石のようなものでしょ?宝石になるのは死ぬ時。」 「何が言いたいんだ。」 「お互いに、相手は自分よりも輝いていると思って、 完璧に磨かれて近づくことさえ敵わないと諦めて・・・。 そんなあなた達が滑稽なだけ。」 「んなこと言ったって・・・あいつはお前の言うとおり光だ。 そして俺は闇。決して交わることのない対局の位置に居るんだよ。」 快斗は自分自身でそう言って、改めて彼との差を感じた。 もっと、彼を知りたいと思えば思うほど、近づきたいと願えば願うほど、 その気持ちはジレンマのように自分を襲う。 そんな、快斗の様子に紅子は自分の言ったことが図星だったと笑みを深める。 もちろん、快斗にばれないほどの些細な表情の変化だが。 「光と闇・・・というよりあなた達の場合は光と陰よ。」 「あら、小学生がこんな所に入って良いのかしら?」 「今は高校生。」 聞き慣れない声と見慣れない顔。 栗毛の色に知的な雰囲気を漂わせた女性がそこには立っていた。 しっかりと、江古田の制服を着こなしているためか 誰も彼女の存在に気づいていない。 「誰なんだ?紅子。」 「私の知り合いよ。宮野・・・いえ、灰原だったかしら?」 「どちらでも良いわ。」 灰原と紹介された女性は、ゆっくりとした仕草で 紅子の手の中にある石を持つと、教室の外へと向かう。 気配を微塵も感じさせない彼女の行動に、クラスメイトの誰一人も、 前を通られても気づくことはなかった。 「なに、ぼんやりとしているの?あの石、大切なものなんでしょ?」 「・・・。」 この石を返して欲しければついてこい。 快斗は、紅子の声にはじかれたように席を立つと、足早に教室をあとにする。 幼なじみが後ろから“もう、授業始まるよ。”と叫んでいるのが聞こえる。 だが、快斗の足は止まらない。 紅子が快斗を追いかけようとする青子をなだめて教室へと戻っていくのが、 廊下の角を曲がるときに横目で見えた。 「こんなところに呼び出して、お前何者だ?」 「あら、分からない?私が誰だか。」 屋上のフェンスから両腕を出して、哀は後ろを振り返ることなく グランドに視線を向けたまま返事を返す。 一昨日の嵐は嘘のように空は高く快晴だ。 快斗が哀の言葉から彼女が何者だと言うことを思い出すのに時間はかからなかった。 「工藤新一のそばにいる小学生か・・・。」 「ご名答。さすがはKID。と言いたいところだけど 今頃気づくなんてまだまだ、工藤君には及ばないわね。」 ようやく振り返った彼女の表情は、小馬鹿にしたような笑顔。 冷めた瞳は、まるで期待はずれだと物語っている。 「工藤新一を捜すことを止めろと言いに来たのか?」 「ええ。貴方じゃ役不足なの。彼は今、精神的にそうとうまいっているわ。 真実は私が全てはなしてあげるから、諦めなさい。 そうすれば、彼を追う理由もなくなる。悪い話しじゃないんじゃない?」 哀が話し終わったと同時に、原石が彼女の手から快斗の手へと投げ出される。 工藤新一と自分を繋いでいた唯一のもの。それが、このパンドラの原石。 「はやく、壊したら?お父様の復讐はそれで終わる。KIDも終わる。 貴方には平穏な毎日が戻ってくるのよ。マジシャンになって 幼なじみの彼女と幸せな家庭生活をおくるの。ふふ、良い話ね。」 「あいにくだけど、あんたの言うとおり動くつもりも、日常に帰るつもりはない。 この石や組織については工藤新一から直接聞かないと気が済まないんでね。」 「そう。後悔しない事ね。」 捜し続けるのを反対していたはずなのに、 彼女はひどくあっさりと快斗の言葉を受け止めた。 そんな彼女の様子に拍子抜けしたような快斗の隣を 哀は横切って、ドアの前でピタリととまる。 「1つだけヒントをあげるわ。教室でも言ったように、 あなた達は光と闇ではなくて、光と陰。見てみなさい、自分の陰を。 光がないところに陰は出来ないし、陰のないところに光はない。 それに、ほら、陰はいつも光に包まれているわ。 今、工藤君に最も必要なのは、その光よ。 土足で気持ちに入り込まずに、宝石を磨くように ゆっくりと外側から、凍り付いた心を解かしてくれる光。 貴方は、工藤君こそが光りだと言うけれど・・・・ 確かに工藤君はだれにでも優しい光を注いでくれると私も思うけれど、 彼を癒す光が無いなんて辛すぎるわ。」 “私はそれにはなれないの” そう付け加えて笑った顔はひどく儚げで、快斗はしばらくその場を動くことが出来ずにいた。 遠くで聞こえるチャイムの音・・・どうやら授業は終わったようだ。 ・・・・・ 「灰原・・・どこに行ってたんだ。」 「分かってるのに聞くなんて、あくどい方法は止めてくれるかしら?」 江古田の制服を着ている彼女を見れば、すぐに行った先など一目で分かる。 薬を使ったためか、哀の顔色はひどく悪かった。 「おまえ、なんでそんなことまでしてるんだよ。自分の体のこと少しは・・。」 「私の気持ち、分かってくれた?」 言いかけた言葉を途中で継ぐんだ新一に、 哀は満足したように微笑むとその場に崩れるようにして倒れ込む。 新一は慌てて彼女の体を支えた。 自分がどれだけの心配を彼女にかけていたのかが、身をもって分かった。 自分はたった一度でこれなのだから、哀はどれだけ心配していたのだろう? 「こんなに辛いんだな。周りの人間って。」 「そうじゃ、これからは少しでもいい自重してくれ新一君。 そうしないと、哀君は死んでしまう。いくら、君が“大丈夫だ”“責任はない”と いっても、哀君は一生自分自身を責め続ける。 せめて、新一君が元気で笑っていてくれることが、彼女の救いになるんじゃよ。 もう、自分の気持ちに正直になったらどうじゃ?哀君がお膳立てをしてくれたんじゃし。」 新一の腕の中から元のサイズに戻った哀をゆっくりと抱き寄せて、 博士は寝室へと彼女を運んでいった。 博士の言葉が頭の中で何度もリフレーンしている。 自分の気持ちに素直に・・・。 「俺は、あいつをもっと知りたいんだ。」 犯罪者という場所に身を置いて、周りのものを偽っていく黒羽快斗の強さをしりたかった。 自分もそんなふうに生きたいと思った。 犯罪者で、偽っていて、自分に一番近い場所にいる彼こそ救いの光のように感じていた。 ひょっとしたら、黒羽快斗の強さこそが偽りのものかも知れないが。 新一は迷うことなくロッジを飛び出す。 江古田までここからだとタクシーでも4時間の道のりだ。 夕日が空を覆っている。 彼がどこにいるのかはしらない、高校ならともかく、あちらにつくころには自宅だろう。 自宅なんて知るはずもない。 「時計台・・・。」 彼と初めてあったあの場所。新一は賭にでることに決めた。 もし、今日、あそこで彼に会えたのなら・・・・。正直になろうと。 2日ほど寝ていた為か全身が重い。 ゆっくりと休んだはずなのに、心臓が悲鳴を上げている。 新一は飛んでいきそうな意識を必死に繋いで、道路まで出た。 博士が呼んでいてくれたのであろう、なじみのタクシー運転手がそこにはいた。 「どこまで、行きます?」 「東京の・・あの時計台まで。」 「はい。かしこまりました。」 新一はタクシーに乗り込んだ瞬間、意識を失った。 しばらく休めば、治るだろうと思いながら。 ・・・・・・・ 「快斗っ。どこに行くの?」 「あ、ああ、ちょっと用事。先に帰っとけよ。」 校門を出ていつもは右に向かうはずなのに、快斗はまよわず左へと進んだ。 それに、気づいた青子は慌てて快斗を呼び止める。 だが、快斗から返ってきた返事はありきたりなもの。 「用事って・・・一緒に行って良い?」 「何で青子を連れて行かなくちゃなんねーんだ。」 「だって・・・快斗と一緒に帰りたいんだもん。」 ジッと自分を見てくる青子から快斗は目をそらせずにいた。 外は、委員会で遅くまで残っていったためかすっかり暗くなっている。 こんな時間に彼が来るはずはないと思いつつもどうしてもあの場所へ一人で向かいたかった。 正確に言えば、呼ばれた気がしたのだ。 「俺は、今行かないと一生後悔する。」 「青子はっ、・・青子は今、快斗を止めないと一生後悔するの。」 「ごめん。」 彼女の口から発せられた、的を射た言葉はおそらく女の勘というものだろうと快斗は思った。 自分にもそんなものがあれば、あの屋上であったとき 工藤新一を呼び止めれていたかも知れないな、と思うと 少しそんな勘を持つ彼女を羨ましく思ってしまう。 だけど、ここで彼女の言葉に従うつもりは毛頭ない。 後ろから突き刺さる強い視線と哀願を振り切って、快斗は走り出した。 工藤新一と初めてであった、時計台に向かって。 時計台にたどり着いたとき、そこには目的の人物は居なかった。 まだ来ていないのかもしれないと、快斗はとりあえず一目のつかない場所に腰掛ける。 工藤新一は逃亡の身。人目に付きやすい場所には現れないであろうから。 「来るはずないのにな。」 時計は午後9時の鐘をうつ。ここに来て、3時間はたっただろうか。 先程まで居た人々の数も随分と少なくなった気がする。 そろそろ帰ろうと、重い腰を上げて快斗はゆっくりと歩き出した。 「捜してくれって頼まれたのに、けっきょく捜せなかったな。」 時計台のある公園を出て、 そう呟いて、 自分の馬鹿さ加減に笑って、 ・・・・そして気づく。 “捜す” その単語の意味することに。 自分はあそこで待っていた。彼がやってくるのを・・・。捜すのは自分の方なのに。 「くそったれっ。」 IQ400の頭もどうしてこんな大事なときには正常にはたらいてくれないのだろう。 天才と何とかは紙一重と言うけれど、自分はおそらく後者だ。大馬鹿者だ。 学校まで出てきた彼女になんと言った? 必ず探し出すと誓ったはずだ。 あんな姿に戻って、組織の人間に見つかったら殺されるかも知れないのに。 危険を顧みず、命がけで自分とコンタクトをとった工藤新一と灰原哀。 「どこだ、あいつはどこにいるんだ?」 快斗は全速力で時計台へと戻ると、周りを見渡す。 そして、ふと上を見た。 「あそこだっ。」 時計台の頂上へと通じる入り口には閲覧時間を過ぎたためか頑丈な南京錠がはめてあったが、 快斗はそれを一瞬で開けると、階段を駆け上った。 はやく、はやくあいつに会いたいと思う一心で。 時計の中、大きな歯車が廻る中、彼は壁により掛かって座っていた。 小さな小窓から、月の光が射し込んでいるために、足場だけは確認できる。 「おせーよ。」 「ごめん。遅れた。」 そう言ってニヤリと笑う新一に快斗も笑顔を返した。 この話はここで終わりではない、ここから始まりなのだ。 END あとがき 後編が無駄に長い・・・。 おまけに、甘さが0ですね。 とりあえず・・・・終わった。 |