俺の名前は広沢拓巳(ひろさわ たくみ)。

あの有名なマジシャン、黒羽快斗さんの弟子の1人なんだ。

とは言っても彼は基本的に弟子を持たないタイプの人で、

いちスタッフとして傍で勉強させて貰っている。

指導は時々厳しいけど、この半年、彼の傍で勉強して俺の腕は確実に上がった。

そして、こんなマジック一筋の俺にも遅い春がやってきた予感がしている。

 

〜憧れのヒト〜

 

「タク。これをステージ袖に運んどいてくれ。」

「はいっ。」

少し長めの茶色の髪を後ろでまとめた20代半ばの青年は先輩の声に大きな返事を返した

彼こそ広沢拓巳。黒羽快斗を師に仰ぐ若きマジシャン志望の青年である。

 

午後のショーが終わって、拓巳は興奮さめやらぬ状態で黒羽快斗の楽屋を訪れた。

中には自分と同じように、彼に憧れてマジシャン修行を行う先輩スタッフが数名、

楽しそうに快斗と雑談を行っている。

 

「快斗さん。お疲れさまでした。今日も、すばらしかったッス。」

「ありがと。拓巳、今、お前の話をしてたんだよ。みんなで。」

 

快斗はニコリと微笑んで、拓巳も雑談に加わるようにと促した。

拓巳はそんな彼のお誘いに喜んで輪の中へとはいる。

先輩達も快く、快斗の隣を譲ってくれた。

 

「俺の話しって?」

「ほら、タク、言ってただろ。世界一の美女を見たって。」

同期の青年が缶コーヒーを手渡すと、ひじで腰をつついた。

それに、拓巳は合点がいったようで“ああ”と大きく頷く。

 

「快斗さん、綺麗な物好きだから。見たら絶対惚れますよ。」

 

拓巳は自慢げにそう快斗を見たが、その周りの先輩達はクスクスと笑っていた。

 

拓巳と、同期の青年は顔を見合わせて首を傾げる。

何がおかしいのかさっぱり理解できなかったから。

 

 

そんな彼らの様子を見かねた先輩の1人が口を開いた。

 

「タク。快斗さんには奥さんがいるんだぜ。美人の。

 彼女より上はいねぇーから、快斗さんは惚れねぇーよ。

 あっ、このことは秘密だから女のスタッフや世間体にばらすんじゃねーぞ。」

 

「分かってますよ。ところで奥さん、そんなに美人なんすか?」

 

同期の青年が興奮気味に快斗を見る。

その瞬間、快斗は彼ら2人も見たことのない様な柔らかな笑みを浮かべた。

だが、それもつかの間ですぐにのろけ顔へと変化する。

 

「それがさぁ。めちゃくちゃ美人なんだよね。

 世界を敵に回しても俺は絶対彼女の味方でいたいくらいに。」

 

「快斗さんの、のろけが始まったら長いぞ。

 まぁ、おまえら快斗さんについて知らないのなら話を聞いていけばいいさ。」

 

先輩達はそう言って次々に席を立つ。

一方の快斗は、まだ話し足りないらしく、

若者2人を捕まえてそれから30分延々と家族について話し続けた。

 

「快斗さん、俺そろそろバイトが・・・。」

「ああ、わりぃ。」

「いつか、紹介してくださいよ。奥さんを。」

OK。」

 

拓巳はうまく快斗の話の切れ目を見計らって適当な理由をつけると

楽屋を急いで飛び出した。

6時30分に必ず、駅のホームで見かけるあの女性に会うために。

 

 

 

帰宅ラッシュのホームは今日も今日とて人だかりだった。

だけど、そんな人混みでも拓巳にとってその女性を見つけることは容易だ。

 

全身から放たれる妖艶なオーラが彼女を浮きだたせるのだと拓巳は信じている。

げんに、彼女が歩くと人々は思わず道をあけ、小さな小径ができてしまうほど。

 

「やっぱ、綺麗だ。快斗さんには、悪いけど、奥さんよりも美人だと思うな。」

 

皮のコートに鼠色のパンツ。

彼女は携帯電話で誰かと話をしているようだった。

駅にいる人々も彼女をチラチラと見ている。

その瞬間、拓巳はいつも見るなっと叫びたくなるのだ。

 

自分の彼女でもないのに、変な話だよな。

 

拓巳はそんな虚しさを感じながら電車を待った。

数メートル離れた位置にいる彼女はまだ電話中だ。

話しかけようと何度も思ったけれど、自分なんかには高嶺の花で・・・。

 

拓巳は気を紛らわせようと、今日、快斗の行ったマジックのいくつかをひっそりと始めた。

快斗から何度もまねして体で覚え込めと教えられたからだ。

 

数回、そんな事をやっていると

ホームにいた何人かが興味深そうに自分の手元に視線を向けているのに気が付いた。

まだまだ、ステージに立てる腕ではないけれど

自分のマジックを見て笑顔までこぼれている人々が視界の端に映り込む。

拓巳にはそれがたまらなく嬉しかった。

 

「あの、ちょっと。」

「え?」

マジックが一段階終わったところで、遠慮がちな声が耳元に響いた。

 

女性の声。

誰だろう。

 

拓巳はそんな気持ちで横に視線を向ける。

 

 

するとそこには、先程まで離れた位置にいたあの女性が立っていた。

 

 

「マジシャンなんですか?」

「見習いですけど・・・。」

 

なんて綺麗な声だろうと思った。

おそらく、女神様と同じ声を使っているのだろうと単純だけど思えてくるような澄んだ声。

周りの人々が羨ましそうに自分を見ているのが拓巳には分かった。

 

「私の身内もマジシャンなんです。

それで、手の使い方がその身内に似ていたから。」

「そうなんですか?」

「きっと、立派なマジシャンになれると思います。頑張って下さい。」

 

女性が言い終えた瞬間、電車がホームに滑り込んできて、

女性は頭を下げてその電車に乗ってしまう。

だけど、拓巳はその電車に乗ることはなく、呆然と彼女を見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「幸せっていいっすね。」

「タク、大丈夫か?」

 

翌日、先輩達は、仕事中にふぬけた表情の拓巳を見て首を傾げた。

いつも人一倍がんばる彼がこんな様子になることはきわめておかしいこと。

 

「タク、おい、タク。」

「は〜い♪」

「気色悪いな。ところで、快斗さんが呼んでらっしゃるぞ。

 何でも奥様が楽屋に見えたそうで。だけどもっとシャキッとしていけよ。」

 

 

先輩はそう言って拓巳の背中をドンと叩いた。

拓巳はその力に前のめりになりながらも、急いで楽屋へと向かう。

きっとあの女性よりは劣るだろうけど、黒羽快斗が惚れ込んだ女はやはり気になるのだ。

 

「失礼します。」

「あっ、来たな。由希、彼が拓巳だよ。広沢拓巳。」

 

4,5歳の子ども達と話をしていた女性がすっと立ち上がる。

綺麗な黒髪がふわりと揺れて振り返った顔には見覚えがあった。

 

「あ、昨日の。」

「・・・・。」

女性は少し驚いたように拓巳を見る。

拓巳は彼女以上に驚き、そして同時に多大なショックを受けていた。

 

「由希、拓巳を知ってるの?」

「まぁ、帰りに駅で見かけたんだ。マジックの手つきが快斗に似てたから覚えてる。」

「あれ、じゃあひょっとして。」

 

快斗はその場に座り込んだ拓巳をみて、昨日の話が脳裏を巡った。

彼の今の様子から察するに・・・・

 

「拓巳。おまえの言ってた女性って、由希のことだった?」

「はい・・・。」

 

憧れていた女性は、なんと憧れのマジシャン黒羽快斗の奥様。

拓巳はまさに天国から地獄に突き落とされた気分になった。

新一はというと、意味が分かっていないようで快斗の後ろで首を傾げている。

だが、そんな仕草も拓巳にはとても可愛く見えてしょうがなかった。

 

 

「拓巳、お前の女の趣味はいけてると思うぞ。」

「快斗、何、言ってるんだ?」

 

ガックリと肩を落とす彼の背中を叩いて、

快斗はとりあえず頭に思いついた言葉を彼へと告げる。

恋に破れた男はそっとしておいたほうがいいだろう。

 

「俺、先に失礼します・・・。」

 

広沢拓巳、25歳。彼の恋はこうして終わりを告げたのだった。

 

 

あとがき

突発的に思いついたお話し。これも一応快新?

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