送迎会を一足早く抜けて、哀は隣家の阿笠邸でのんびりと

酔い覚ましのコーヒーを飲んでいた。

明日、旅立つ彼らのために渡した薬のリストをチェックし、

渡し忘れが無いかもう一度綿密に確認を取る。

 

未だに身体の弱い新一を援助していくのは自分の使命であり生きる意味だと

日頃から哀は思っていた。そんなことを言えば、きっと優しい彼は怒るだろうが。

 

時計の針は午後9時を回り、明日の朝は早いからと帰っていく声が

虫の鳴き声に混ざって遠くから聞こえる。

ずいぶんと酔っ払って騒ぐ平次に怒鳴る和葉の声が一際響いてきて思わず苦笑した。

 

 

 

―いまを生きる―

 

 

 

新一の周りには幸せが集まってくるのだと感じつつ、そっと目をつぶる。

自分もそして、彼のパートナーである黒羽快斗も、新一によって幸せを手にした一人。

 

「懐かしいわね。ほんとに。」

 

新一と快斗の出会いから今までを見てきた自分にとって、

今日までの日々はとても長かったようで、それでいてあっという間だった。

正式に結婚式をする。多くの夫婦が行うこのイベント。

 

なのに、どうして。

 

新一が発作を起こしたときのようにギュッと胸の辺りを掴み、ギリッと奥歯をかみ締める。

 

どうして、あの男は彼の幸せを奪おうとするのだろう。

いっそ、この命を賭けて、アイツを・・・。

 

 

「哀姉。怖い顔してるよ。」

「・・・由佳。あなた、相変わらず気配が無いわね。」

 

聞こえた声に慌てて振り返ると、穏やかな表情で少女が立っていた。

綺麗な黒髪を靡かせて、哀の隣にそっと座ると、

ポンッと一瞬のうちにミルクを手の中に表出させる。

 

「さすがのお手並みね。」

「ありがと。それより、ミルク。ブラックばかりは胃に良くない。でしょ?」

 

容赦なくミルクを注ぐ由佳に、哀はお手上げとばかり肩をすくめた。

近頃、由佳がマジックをしなくなったと黒羽家の面々は心配そうにしているが、

家族以外の前ではこうして時折腕前を披露する。

その理由はよく分からないが、今でもマジックをこっそり練習していることは明らかで

哀としては、それだけ分かれば十分だと思い、特に言及したことはなかった。

 

「それより、どうしたの?片付けとか大変でしょう?」

「そう思うなら哀姉も手伝ってよ。もう、おじさんたちが散らかしすぎなのよ。」

 

「おじさんって、服部君や白馬君かしら?」

 

「それ以外、誰が居るの?一応、家のパパはおじ様的な分類だから。

 だって天下の黒羽快斗なんだしね。あとはおじさんで十分。」

 

フフッと笑う由佳の手にはいつの間にかホットミルクの入ったカップが握られている。

本当にそつなくなんでもできる子だ。

 

「ひどい言われようね。けど、片付けはパス。面倒ごとは嫌いなのよ。」

「冗談。哀姉に頼んだら後がこわいもの。」

「あら、よく分かってるじゃない。で?おおかた由佳は片付けに嫌気が指したから

博士がリビングで寝たとでも報告するって託けて逃げてきたのかしら?」

 

コーヒーカップをソーサーに戻して、哀は緩やかな孤を口元につくる。

 

「お察しの通り。あと、聞きたい事があったってのも、ひとつかな。」

「聞きたいこと?」

「そ。お父さんとお母さんの馴れ初め。行く前に聞いておきたくなって。」

 

ふーっとミルクを息で冷ますと口に運び、真剣な目で由佳は哀を見据えた。

哀もその真剣な表情に、目を若干細める。

 

「今まで聞いたことなかったの?」

「教えてくれないのよ、二人とも。」

「まぁ、確かに平坦なお付き合いじゃないからね。あの2人の場合は。」

 

「平成のルパンと平成のホームズ。平坦なんて期待してないよ。最初から。

 だから、ね?哀姉。教えてよ、二人の馴れ初めを。」

 

 

「分かったわ。けど、真実を全て私の口から話すことはできないから、

そこは勘弁して頂戴。おねがいね。」

 

 

彼らの出会いには皮肉にも黒の組織やジンの存在は欠くことのできない要素。

けれど、その話は子供達にはしないようにと新一や快斗から頼まれているし

哀自信も、口になどする気は毛頭なかった。

 

全ては過去のことなのだから。

 

それでも、今回は彼らとの接触があるだけに、情報がゼロという状況は避けたい。

 

哀はすぐさま話すべきことを整理すると、

一度目をつぶり、ゆっくりと口を開いたのだった。

 

 

 

月夜の晩に現れたKIDからの誘いを受けてから(Moon light参照)

新一は、いやコナンは不機嫌だった。

阿笠邸にやってくるや否や、濃いめのコーヒーを手早く煎れて、

ソファーにどかりと座り込む。

哀はそんな彼に呆れつつも、で?と先を促した。

 

「だから、なんでアイツはあんなに俺のことを知ってんだ?

 俺はアイツのこと何にも知らねぇのによ。くっそっ。」

 

「そうじゃなくて、あなたはどうしたいのか聞いているのよ。

 ハートフルな怪盗さんを信じて手を組むのか、拒むのか。

 誰も貴方達の慎密度なんて聞いてないわ。」

 

「俺もんな話はしてねぇよ!!とにかく、情報が少ないんだ。KIDの野朗の。」

 

 

近くにあったクッションをギュッと抱きしめて拗ねる姿は

女の哀から見ても可愛いとしか言いようがなく、そんな彼に軽く肩をすくめる。

 

どうして素直に、もっと彼のことが知りたいといえないのかしら。と。

 

 

KIDの情報ね。まぁ、私も調べては見るわ。

 信用に値する相手か否か。あの組織と、本当に関係がないのか・・・。」

 

「組織との関係についてはいらねぇよ。あいつは犯罪者だけど、根っからの黒じゃねぇ。」

 

ポツリと漏れた言葉とは裏腹にコナンの表情は真剣だった。

それはKIDを必死で弁解しようとしているように見えて、哀はもはや二の句がつなげない。

 

 

こんなにも気持ちを傾けているのに、無自覚なんて・・ね。

 

「幸せ者な泥棒さんね。」

「はぁ?何言ってるんだ?」

「とにかくそろそろじゃないの。KIDとの逢瀬の時間。」

 

「だから、そういうのじゃねぇって。暗号の答えあわせだよ、バーロ。」

 

声を荒げて言うと、コナンはボンッとクッションを投げて慌てて出て行く。

ちらりと見えた耳が赤く染まっていたのは気のせいだと思いたい。

 

『信用していただくために、私と対決してくださいませんか?』

 

その言葉を添えて送られてくる暗号を、律儀に解いて、

逃走ルートへ向かう回数はもはや両手に余るほどだ。

 

夜風は身体に毒だと言ったら、見る見るうちに頬を赤く染めた彼。

きっと、似たようなことをKIDにも言われたのかもしれない。

 

もしくは、暖めますとでも言って抱きしめられたのか。

 

「どっちもでしょうね。彼ならやりかねないわ。で、工藤君も拒まなかったってとこよね。」

 

それなのに・・・。

 

「なんで気づかないのかしら、自分の気持ち。」

 

 

哀はそこまで考えて、本当に怪盗が幸せなのか、

自分が数刻前に発した言葉に対して思わず疑問に思ってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・てところかしら。」

 

哀はコナンの部分は敢えて言及を避けて、手短に話を終える。

彼らのここから付き合うまでの経緯を話すには、時間帯が遅すぎるのだ。

けれど由佳は予想に反して不満そうな顔色を示すのではなく、

満足げな表情で軽く頷いて微笑んだ。

 

「お母さんが意地っ張りなのは昔からってことかぁ。

 でも、なんとなく2人らしいデートのしかたよね。」

 

「当時はデートなんて思ってもいなかったでしょうけど。工藤君の場合。」

「確かに。お父さんも苦労したんだ。」

 

飲み終えたカップをポンっと手に出したときのように消失させると

由佳はゆっくりと席を立つ。

 

 

「哀姉。全てが終わったら・・・全てを聞かせてもらえるのかな。こんな私でも。」

 

 

立ち上がり背を向けた彼女の表情は分からないが、

哀は由佳がここに来た意味を少しだけ分かった気がした。

 

子供達のためと思って隠し続けている『コナン』と『アポトキシン』の存在。

そして、彼らと戦った『黒の組織』。

 

蘭や歩美の心の中には未だに『コナン』の存在は残っているのだろう。

綺麗な思い出として。けれど、それは遠い過去だ。

 

 

 

それでも、もはや真実を追究する彼らを止めることはできないだろう。

彼らは好奇心が旺盛な『マジシャン』と真実を追究する『探偵』の子供なのだから。

 

 

「全てが終わる頃には必然的に貴方は全てを知ってしまうはずよ。」

「そっか。」

 

「それでも、・・・全てを知っても、何も変わらないわ。だって・・・。」

 

「私たちは、『いま』を生きているから。でしょ?」

 

 

振り返って笑みを浮かべる由佳に哀は黙って頷いた。

 

 

明日からのハワイへの旅路で、きっと彼らは本当の意味で普通の家族になれるのだ。

きっと。