汗の滲む額を濡らした布で拭い取りながら 薄い青地の着物を着た女は、青年の荒い息に眉を顰めた。 どうして彼ばかりがいつも苦しむのだろうかと思わずにはいられない。 自分に少しでも彼の苦しみを取り除く力が無いことが悔しくてたまらなかった。 長生きした猫が妖しになった姿を人は猫又というが彼女はその猫又である。 猫であった時の名は『お白』。だが、今は『志保』と名乗っていた。 彼女にこの名をくれたのは、まさに目の前の青年で。 彼は名と共に、妖しとして生きる意義までも与えてくれた。 ―かざぐるま― 「若旦那、苦しそう。」 「我らが涼しくしてあげなきゃ。」 「きゅぴぃ。」 視線を落としていた志保の視界に、数匹の小鬼がうつる。 鳴家と呼ばれる彼らは、若旦那である新一を慕っており、 苦しそうな様子にどうにかしなくてはと奮闘していた。 「風車?」 鳴家が持ってきたのは、千代紙で作られた風車。 それをフーフーと小さな口で回そうと頑張る姿に志保は視線を和らげる。 おそらく風を起こしているつもりだろうが、 いくら風車が回るからといっても新一に風が当たるということにはならない。 「本当に面白いわね、貴方達は。」 フフッと笑う志保に、鳴家は不思議そうに首をかしげた。 一生懸命しているのに何が可笑しいのだ?と腹を立てているのも数匹いる。 「猫又は笑っているだけじゃないか。」 「怒らないでちょうだい。それに、風車は好きよ。」 志保はすっと手を伸ばすと、 小鬼たちの持っていた風車を取り上げ、ふーっと息を吹きかけた。 クルクルと綺麗に回るそれに、怒っていた鳴家たちも自然と笑顔になり、 きゅぴきゅぴと騒ぎ始める。 「誰かと思えば、志保ちゃんか。」 「お邪魔してるわ。黒羽君。」 湯気の立つ湯のみを持って現れた手代の1人、 黒羽快斗に家鳴たちは興味深そうに彼の足元によってきた。 大方、お菓子か何かを期待しているのだろう。 快斗は小さくため息をついて、これは薬だと視線で伝えた。 それでも諦めが付かないのか、快斗が新一の枕元に置いたお盆を覗き込んでいる。 そしてその匂いをかぎ、あまりに強烈なそれに泣きながら部屋の隅に消えた。 「また、とんでもない薬みたいね。」 「人が作るものより信用できるよ。まぁ、匂いは強烈だけど。」 快斗はそういうと新一のために持ってきた薬を己の口に含む。 彼の引き締まった腕が、新一の首の後ろに回り、 上半身を抱え上げるとそのまま口移しで薬を飲ませた。 トクンと喉をくだったのを確認して、快斗は名残惜しそうに新一を布団へと横たえる。 よほど熱が高いのだろう。 その間も新一はまったく目を覚ます気配は無かった。 「手代の仕事にしては、やりすぎじゃない?」 「こんなに苦しそうな新一をたたき起こすことなんて出来ないし。 それにようやく眠ってくれたんだからさ。」 いつものことだよと言いたげに、快斗は小さくほくそ笑む。 きっと、もう1人の手代は知らないだろう。彼がこんなことをしているなんて。 もちろん知ったら知ったで騒がしそうだが。 眉間にシワを寄せる志保に気を止めることなく、快斗は新一の髪を優しく撫でた。 「それ、風車?」 「ええ。鳴家がもってきたのよ。工藤君の熱を冷まそうと。」 志保の手にある綺麗な風車。 ふーっと再び吹き付ける志保の表情はいつもよりどこか嬉しそうだ。 「何か風車に思い入れでもあるんですか?」 その表情に問いかけたのは、快斗ではなく、屏風のぞきの白馬だった。 「彼と初めて人間の姿をして歩いた時に買ってもらったのよ。」 「ほぅ。初耳ですね。」 「いつのまに新一と出かけたんだよ。」 ムッとする快斗に志保は小さく笑う。 その笑みは詳しくは彼と私との秘密よ、とでも言いたげで。 予想通り、志保はそれ以上はなすことなく、風車をふぅーっと再び吹いた。 クルクルとまわる風車は、夏の暑さには涼しげに見える。 「それより、黒羽君。どうして彼を名で呼ばないの?」 風車に視線を向けたまま尋ねる志保に、快斗は新一の髪を梳いていた手を止めた。 「新一が何か言ってた?」 「ええ。若旦那としか自分の前では呼ばないって。寂しそうだったわ。」 志保はスッと視線を快斗に向け、探るようにその瞳を細めた 「俺は新一の手代でしかないから。」 「貴方らしく無いですね。」 「白馬には分かんねぇよ。俺がどれだけ新一を大事に思ってるかなんて。」 人と妖しの恋が実るとは思っていない。 もちろん、自分のかつて使えていた新一の祖母は大妖怪で、 人である新一の祖父と結ばれた。 けれど、それは本当に奇跡のようなことで。 何より、人の命は妖しのそれよりずっと短い。 「俺は・・・新一が幸せで生きてくれるならそれでいい。」 「馬鹿ね。」 志保はそれだけ呟くと、スッと一匹の猫に戻る。 もちろん尻尾は三叉に分かれてはいるが。 口に風車を咥え、庭から塀を飛び越えて志保は見えなくなった。 「おまえも馬鹿って思うか?」 「思いますよ。工藤君の傍に居すぎるせいで、分かっていないんでしょうね。」 「んだよ、俺は新一のことなら、何でも・・・。」 「か、いと?」 言いかけて聞こえてきた声に、快斗は視線をすぐに新一に戻す。 先ほどより呼吸が穏やかで。薬が効いたのかとほっと息をついた。 「ご機嫌はだいぶよろしいですか?若旦那。」 「・・・たぶん。」 「では、食事を持ってきます。粥くらい食べてくださいね。」 立ち上がり、湯のみを持って部屋を出て行く快斗を白馬は呆れて表情で見送る。 若旦那と呼ばれる瞬間の、新一の表情を彼は本当に気づいていないのだ。 人の命は短く儚い。 だからこそ、自分達は惹かれるのだ。彼の命の輝きに。 「工藤君。」 「ん?」 「長生きしてくださいね。」 「何だよ、それ。」 小さく笑う新一に、白馬は同じ言葉を口に出さずに繰り返す。 どうか、一日でも長く、自分達と一緒に居てくれ・・と。 |