犬も喰わないなんて、昔の人は良い言葉を思いついたわよね。 由梨は目の前で繰り広げられる言葉の嵐をみてそう思っていた。 ◇犬も喰わない・・・◇ 台風が接近しいるらしいのに、空は澄みきった深い蒼。 心地よいそよ風が吹き、それによって若葉が揺れる。 こんなに気持ちの良い五月晴れの日に・・・・黒羽家には一足早く台風が直撃していた。 「だから、色物と白い服は一緒に洗濯するなって言ってるだろ!!」 「めんどくせーんだよ。お前はどこぞの主婦か!!」 「めんどくさいとかじゃなくて、服が染まるんだよ。」 「ちょっとくらいいいじゃねーか。」 「ちょっとって・・・。」 原因は新一が快斗のワイシャツとジーンズを一緒に洗濯したこと。 それによって、真っ白なワイシャツはうっすらと青く染まってしまったのだ。 良くある失敗だが、新一はうっかり忘れたのではない。 “仕分けがめんどくさい”そんな理由で・・・今まで何度シャツが無駄になったことか。 「前から言おうと思ってたけど、もう少し家事の知識を付ければ?」 「はぁ?しらねーよそんなの。それに、漂白剤にでも付ければ白くなるんだろ。 俺がやるからそのシャツ渡せ。」 「・・いい。漂白剤の使い方も良く知らないだろうし。俺がする。」 「渡せって」 「俺がする!!」 一枚の青く染まったシャツは哀れにも、新一と快斗の手の中を行き来して、 最後には双方から引っ張られる形となった。 それを、悠斗は新聞の隙間から見て深くため息を付く。 雅斗や由佳は、言い争いが始まった時点で巻き込まれたくないと自室へと戻って今はいない。 「久しぶりの喧嘩だよな。」 「夫婦なんだから仕方ないんじゃない。」 隣で朝食にトーストを食べている由梨は、特に気にした様子もなくコーヒーへと手を伸ばす。 その瞬間・・・・ビリッっと嫌な音が部屋中に響いた。 「短い命だったわね。あのシャツも。」 新一の手の中には袖が・・・残りの部分は快斗の手の中に収まっていた。 「なんで、こんなに脆いんだ!!」 「そう言う問題じゃないっ。これで何着目だよ。」 快斗はシャツをゴミ箱へと投げ入れて、呆れたようにため息を付く。 「・・・・俺が悪いって言うのか。」 「どう考えたってそうだろ。・・・・新一?」 捨てたシャツを見ていた快斗は新一の表情の変化に気づいていなかった。 「もう知らねーー!!この、バカイト!!大っ嫌いだ。」 「へ?」 バッターン すさまじいドアの音と共に、新一は部屋から飛び出した。 「・・・帰ってこないね。」 由佳はカーテンを閉めると、ソファーに気の抜けたように座っている快斗に視線を向けた。 あれから数時間、空は先程の穏やかさを微塵も残すことなく、大荒れの模様。 強い風が吹き、外では最近ようやく芽吹いたばかりの若葉がちりぢりに空へと舞う。 それなのに、外へと飛び出した新一は未だに帰っていなかった。 「・・俺は悪くない。」 迎えに行けとばかりの視線を向けてくる彼らに弁解するように、快斗はぼそりと呟く。 「母さんの性格くらい知ってるだろ。」 「なんだ、雅斗。お前は俺が悪いって言うのかよ。」 「はぁ、誰もそんなこといってねーだろ。この頑固親父。」 こんな時には何を言ったって快斗には逆効果なのは十分承知しているはずなのに、 雅斗は言葉をとどめることができなかった。 そして、その一言が快斗に新たな苛つきを与える。 「だれが、頑固だよっ。」 「そこで、大嫌いて言われてショック受けてるくせに、意地張って迎えに行けない父さん。」 売り言葉に買い言葉 どんどんエスカレートしていく言葉は留まることを知らず、本来の目的を失っていた。 「お母さん、今頃何してるのかな・・・。」 2人の言葉を遮るほどの音量で、由佳の言葉が部屋一帯に響いた。 この台風のなかを、一人、歩いているのだろうか。 それともどこかで、泣いているのかも知れない。 「哀姉に電話したけど、来ていないって。」 「平次おじさんのところも、蘭さんのところもいなかったな・・・。」 由梨、悠斗は由佳の後に言葉を続ける。 「じゃあ、どこにいるんだよ。母さん。」 「お父さんを、待ってるのかもね。」 雅斗に答えるような口調であっても、由佳の視線は快斗からずれることはなかった。 まっすぐにみつめて、早く迎えに行くようにと促す。 悔しいけれど、きっと、意地っ張りな母親は父の出迎え以外では帰っては来ないから。 「ちょっと行ってくる。」 テレビの上にある車のキーを手にとって、快斗は足早に外へと飛び出していった。 「雅兄、今日の態度・・・減点。」 快斗が出ていったのを確認して、悠斗は雅斗に耳打ちする。 それに、ギュッと雅斗の拳が握りしめられた。 何で自分でもあんな言い方をしてしまったのか、よく分からない。 ただ、気が付けば反抗的な言葉の羅列が勝手に滑り出していて 「超だっせーじゃん、俺。」 「気持ちは分からなくもないけど・・・ね。」 カーテンを少しだけ開いて大荒れの外を眺めると、由梨は独り言のように呟いた。 「黒羽君。」 「哀ちゃん?」 キーを差し込んで、アクセルを踏み込もうとした瞬間 コンコンっと運転席の窓が外から叩かれた。 見れば、黄色の傘を差した哀が薄暗闇の中、立っている。 「ちょっと、いいかしら。」 「悪いけど、大事な用があるから。」 「今のあなたは工藤君を迎えに行ける状態じゃないわ。」 哀は車の正面へと移動した。 「そこ・・・どいてくんない。」 ライトに照らされ彼女の表情がはっきりと運転席から確認できる。 「あなたの脅しなんて、私には通用しないわ。工藤君のいる場所を分かっているから。 私の話を聞いてから行きなさい。今いけば、又喧嘩になるだけよ。」 哀はそれだけ告げると、自宅の方へと歩き出す。 実際のところ子ども達に促されて車に飛び乗ったけれども 新一に素直に謝れる状態でなく、誤る理由も分かっていない状況。 哀の言うことはもっともな正論だった。 快斗は自嘲めいた笑みを浮かべ、エンジンをきると、彼女の後を追う。 ・・・新一の居場所を知るために。 「本当にびっくりしたわ、あんなところにいるんだもの。」 「すみません。ご迷惑お掛けして。」 「いいのよ、工藤君にはいつもお世話になっているからね。」 佐藤はハンドルさばきも鮮やかに車を自宅の駐車場へと止めた。 だが、それは一軒家の彼女の母と生活している家の前ではない。 彼女は3年ほど前から高木と同居生活をするため 都内の4LDKのマンションに引っ越したのだ。 「で、喧嘩でもしたの。」 タオルとコーヒを手渡すと、佐藤は新一の正面へと座った。 「そのことで・・・佐藤さんにお願いがあるんですけど。」 「ん?」 「家事の知識を・・その教えてくれませんか?」 コーヒカップをテーブルへと置き、新一は佐藤を見据えた。 「家事の知識?」 「その、洗濯のコツとか、注意点とか。」 「え・・・あの・・・コツ・・コツね・・えっと。」 佐藤は目を泳がせながら、必死に答えを捜す。新一はその様子を小首を傾げながら眺めていた。 高木と2人暮らしなら、おそらく家事も上手にこなせていそうなのに・・・。 「あっ、そうだ、あれよあれ。洗濯の時は洗剤を大量に入れるとか・・・。」 「そんなことをしたら溶け残りの洗剤が出てしまいますよ・・。」 佐藤の珍回答に直ぐさま訂正の声が後ろから響いた。 それは、この家のもう一人の家主・・・高木の声。 「高木君、いつの間に帰ったの。」 「今ですよ。こんにちは、工藤君。」 「お邪魔してます。」 昔と変わらない笑顔を向けてくる高木に新一は軽く頭を下げた。 「工藤君、ここだけの話し、佐藤さんは家事の類は全く無理なんだ。 だから、僕がいつも家事をしてるんだよ。」 「ちょっと、高木。何よけいなことを言ってるのっ。」 新一の傍によってボソボソと告げた言葉も佐藤には筒抜けだったらしく、 耳を引っ張られて無理矢理立たせられる。 それに、高木は“痛いですよ〜”と言いながらも表情はとても穏やかだった。 「家事のコツは僕が教えますよ。きっと、快斗君も心配してると思いますし。」 「じゃあ、私は資料の整理があるから。工藤君、がんばってね。」 佐藤はウインクすると、コーヒーと鞄を手に持って部屋を後にした。 「・・原因は分かったわ。」 同じ頃、阿笠の家のリビングで快斗は哀に喧嘩の原因を話していた。 それを一通り聞き終わると、哀は呆れたように軽くため息をもらす。 「それで、哀ちゃん。新一は今どこに?」 「焦らないで。それで、あなたは家事の事を工藤君に教えたことはあったの?」 「へ?」 「どうせ、“手が荒れる”とか“俺がする”とか言って、あんまりさせてなかったんでしょ。」 「・・・何でそれを。」 「家事なんてやっているのを見れば分かるものだけれど、 事細かなコツとか注意点なんて見ていただけじゃ、分からないわ。 あなたは、それを教えもしないで、工藤君に怒ったのね・・・。」 哀はその言葉に放心する快斗を見て、本日2度目のため息を付く。 確かに、“色物とは洗ってはダメ”と言ったけど、どんな色物なのか全く教えていなかったし、 その他のことも、何やかんや言って自分だけでやっていた気がする。 「家で待っておきなさい。 そして、おかえりって言葉で迎えてあげればごめんなさいの変わりになるから。 後日、家事を教えながら、仲直りだってできるわ。」 「そうだね。手取り足取り、腰取りなんてしながら♪」 「・・・・元気になったようね。もう帰りなさい。あと、雅斗にも謝っておくのよ。」 「うん。いろいろとありがと、哀ちゃん。」 「いいえ。もう、慣れたわ。」 快斗の口の付けていないコーヒーと自分のカップを手にとって、哀はキッチンへと向かう。 それを、見送りながら、快斗も又席を立つのだった。 「ただいま。」 「お帰り、新一。」 ドアを開ければ、快斗が嬉しそうな表情で玄関に立っていた。 ひょっとしたら、まだ怒っているかもしれない。 そう、予想していた新一には快斗の笑顔は突拍子もない驚きで。 「その、今日は・・・。」 「ごめんね、新一。」 「何で、快斗が謝るんだ。」 うつむいていた顔を上げ、新一は不思議そうに快斗を見た。 誰に聞いたって、悪いのは自分の方なのに・・・。 「俺にも原因はあったんだ。だから、謝らせて?」 「・・・・俺も、悪かった。」 「ああ、もう本当にかわいいなぁ、新一は♪」 「おいっ。」 せっかく珍しく真剣に謝ったというのに可愛いとはどういうことだ。 そう、文句を言おうと口を開いた瞬間、それを快斗の唇でふさがれしまう。 いつもよりは、激しくて、長いKiss。 新一はそれを抵抗することなく受け入れた。 「そうだ、新一。嫌いって言葉訂正してくれる?」 くたっと力の抜けている新一の肩を支えて、その顔をのぞき込むように快斗は問いかけた。 “結構あの一言、ショックだったんだぜ”そう付け加えて。 「・・・快斗のことは嫌いじゃない。」 「まあ、今日はそれで免除するよ。」 “好き”なんて言葉は新一の口から出るのはすごく難しいことだから。 でも、その気持ちは充分伝わっているから。 快斗はもう一度新一を抱き寄せて、耳元でもう一度“お帰り”と告げた。 〜おまけ〜 「新一、家事のコツを俺が伝授するよ。」 次の日の朝、はりきった面もちの快斗は新聞を読む新一に下心丸見えの表情で新一を誘った。 「ああ、高木さんに教えて貰ったからいい。」 だが、快斗の様相に反し、新一はとびっきりの笑顔で拒否。 「高木ー!!俺と新一のあんあことやこんあことをするチャンスを奪いやがって・・。」 「朝っぱらから下品。」 手に持っていた新聞を快斗へと投げつけて・・・また慌ただしい黒羽家の朝が始まる。 それを、呆れた表情で見る子ども達がいたとか、いないとか。 あとがき 初の?雅斗君反抗期もちょっぴし取り入れてみました。 夫婦げんかもたまにはするかな〜って思って。 今回は高木さんとこのカップルが書いていて楽しかったです。 |