中学最後の夏休みまで後数日と迫った7月のある日、 学校帰りにちょうど、公園の前を通っていたときのこと 「あっ。」 雅斗の隣を歩いていた由佳がそう言葉を漏らした。 「どうかしたのか?」 「あれ。飛んじゃった。」 由佳は髪の毛を耳にかけると、木の根本を見据えた。 そこには、真っ白な風船が手からすり抜けて飛んでいくのを 寂しそうに見上げている男の子とその母親らしき女性がいる。 男の子はしばらくピクリとも動かなかったが、風船が大木の高い位置に引っかかるのを 見た途端、せきを切ったように泣き始めて・・・・。 母親は必死に息子をなだめるが男の子が泣きやむ兆しはなかった。 「雅斗?」 「このかばん、ちょっと持ってて。」 雅斗は黒の通学鞄を由佳に預けて、男の子とその母親がいる木の根本へと走り出した。 ◇キッカケ◇ 〜今から数年前・同所〜 夕方の蜩が鳴く時間帯、3歳くらいの男の子が手を握りしめて大木を見上げていた。 「雅斗、どうしたんだ。」 「ふうせん・・・。」 涙混じりのその声は、ひどく弱々しくて、新一は困ったように微笑む。 雅斗が無くしたのは、今日の買い物の時に貰った白い風船。 「手から逃げっていったのか?」 後ろから由佳を連れて歩いてきた快斗は涙目の雅斗の頭をポンポンと軽くたたいた。 雅斗は絶対泣かないとでも言うように涙をこらえて下唇をかみしめながらコクリと頷く。 「新一、これ持っててくれる?」 「いいけど・・大丈夫か?」 「俺に不可能なことはありません。」 ニヤリと笑って、快斗は買い物袋を新一へと手渡した。 そんな自信たっぷり快斗に“いつか足下すくわれるぞ”と悪態をついて、新一はそれを受け取る。 雅斗はまだ、気に引っかかった風船を諦めきれないように見入っていた。 「雅斗、目を閉じてごらん。」 「そしたら風船・・戻ってくる?」 「うん。逃げた風船はまた雅斗のところに戻ってきてくれるよ。」 「分かった!!」 雅斗は半信半疑と言ったふうに恐る恐る目を閉じた。 ギュッときつく目を瞑っている雅斗の姿に快斗は苦笑しながらパチンと指をはじく。 「目をあけてごらん。」 ゆっくりと目を開けた雅斗の視界を埋め尽くしたのは白。 驚いたように目を丸くしてその風船を持つ快斗を見上げれば、 ニッコリと真夏の太陽にも負けないほどの明るさで微笑んでいた。 「今度は離しちゃダメダよ。」 「うん。」 「よろしい。」 それは雅斗の手の中に白い風船が帰ってきた瞬間だった。 +++++++++++++++ 「目を閉じてごらん。」 「あなたは?」 突然やってきた少年に、母親は驚いたように雅斗を見た。 だが、雅斗は気にせず2人に目を閉じることを要求する。 「目を閉じて、ひらいたらあの風船は君の元へと戻るから。」 数年前のあの時と同じ場面が再び繰り返されている。 由佳はその様子を遠目で見ながらほそく微笑んだ。 ひとつ違っていると言えば雅斗が魔法を受ける側ではなく施す側に変わったことだけ。 男の子と母親はようやく信じてくれたのか、その瞳を閉じる。 雅斗はそれを確認すると、手を高くあげて、パチンっと指を鳴らした。 その音に母親と男の子は驚いたように目を開ける。 そして、次の瞬間、男の子の泣き顔は笑顔になっていた。 +++++++++++++++ 「暑い。なんで冷房入ってないの?」 「故障中。だから、修理してるんだよ。」 通学鞄を放り投げて、由佳はバタンとソファーの上へ倒れ込む。 ソファーはわりと冷たくて涼を取るにはぴったりなのだ。 スカートなのに足を広げて倒れ込んだ由佳の姿に快斗は深くため息をもらした。 「由佳。おまえさぁ、もう少し女らしくしたら?」 「こんなに可愛い娘に向かって。女らしさは内面からにじみ出る物なの。」 「ハイハイ。」 動く気などないのだろう。由佳はうつ伏せになって目を閉じる。 “冷たくて気持ち〜”と独り言を漏らしているから、かろうじて眠ってはいないようだ。 「どうしたんだ、雅斗。」 快斗はエアコンのネジを閉めながら、一向に部屋に入る兆しのない雅斗に声をかけた。 いつもこんな暑い日ならば、冷蔵庫から麦茶でも取り出して一気飲みするだろうのに。 「いや、ちょっと思い出して。」 「何を?」 「父さんが俺に風船をとってくれたこと。」 雅斗は少し言いづらそうにしながらもどうにか言葉を繋げると、キッチンの方へ向かった。 雅斗の言葉に快斗は“ふむ”と考える。 風船・・・・・・といえば 「良く覚えてたな。まだ、3歳くらいだっただろ?」 快斗は記憶の一番奥から数年前の出来事をようやく思い出して、感心したように呟いた。 雅斗はそれに頷くだけの仕草を示して、快斗の予想通り麦茶をグラスに注ぐことなく飲み干した。 緊張しているせいか、ひどく、のどが渇く 「あの日、母さんに教えて貰ったんだ。父さんは涙を笑顔にかえられる魔法を知っているんだって。」 「新一が?」 雅斗は再び頷く。 でも、目は見当はずれな場所を向いていて、何もうつしていないようだった。 おそらく、雅斗は数年前の記憶の中にいるのだろう。 「それで、俺・・・思ったんだ。マジシャンになろうって。」 当時、雅斗は新一の言う“涙を笑顔に返られる魔法”が何なのか分からなかった。 でも、今ならはっきりと分かる。 それは快斗の職業であるマジシャンにだけ為せる魔法なのだと。 「高校・・考えたけど。江古田にするよ。 そして、父さんや盗一さんを越えるマジシャンになる。」 きっかけを与えてくるのはいつも父さんだったけど・・ それを成し遂げ、越えるのは自分だから。 「・・・・。」 快斗は何も返事を返さない。 3者面談が目前に迫っていて、いつかは話さなきゃいけないと分かっていた。 今日、あの男の子を見て、自分が何をしたいのか気づかされたから。 自分は“涙を笑顔に返られる魔法”を使えるようになりたいのだと。 「じゃ、そう言うことだから。」 「雅斗。」 コンっ 部屋を出ようとした雅斗の頭に何かが当たる。 みるとそれはエアコンの小さな部品。 「俺をましてや父さんを越えるなんて、数十年、はえーよ。」 「すぐに越せるって。」 頭にあたった部品を一瞬で鳩に変えて、意地の悪い笑みと共に雅斗は立ち去る。 部品はきちんと快斗の胸ポケットに収まっていた。 ネジを全ての穴に止め終えて、快斗はクスッと笑みを漏らす。 遠くで蜩の声が聞こえる。もうすぐ本格的な夏がやってくるのだ。 涼しい風が髪を揺らしたその瞬間 「にやけ顔。」 グイッと後ろからほっぺたをつねられた。 「あれ、新一。いつからいたんだ?」 「雅斗の“マジシャンになります”宣言当たり。」 新一は快斗から手を離すと、冷蔵庫を開けた。 “麦茶ねーじゃん”そう呟きながら。 「で?もうそろそろ抜かれるんじゃないのか、現役マジシャンさん。」 新一は水をグラスに注いで、エアコンを設置している快斗の傍による。 「まだまだ。でも、嬉しかったんだよ。」 いくら風が吹くと言っても窓を開けているだけの部屋は蒸し暑く、 快斗の首元には汗がにじんでいた。 「雅斗に快斗の職業を認められたことか?」 「越えるって宣言したことにもね。それと、新一の言葉。」 「俺の?何か言ったっけ?いつ?」 「さぁ。」 快斗の返答に新一は首を傾げた。 快斗を喜ばせる言葉など最近言った覚えは全くない。 隣でう〜んと未だに考え込んでいる新一を見て、快斗は再び笑みを漏らす。 その言った言葉を教えれば、きっと新一は否定する。 顔を真っ赤にして、照れながらもそれを隠すために大声で否定するだろう。 そんな新一もたまらなく好きなのだけれど・・・ 「嘘でも否定されたくないし。」 「だから、何なんだよ。」 少し不機嫌顔の新一に“ナイショ”っと呟いて、その唇に軽いキス。 新一がこんな軽い日常的なスキンシップが好きだと言うことは分かっているから、 卑怯だけど、誤魔化すときにはこれが一番効果的だ。 「そうだ、新一。来週の雅斗の三者面談、俺が行っても良い?」 「ああ。だけど、マジックを使って教師イジメするなよな。」 「努力はするよ。」 END あとがき 手を放れたふうせんが書きたかったんです。 ちなみに、きちんと書いていなかったのでここで説明しますと、 高校時代の雅斗は快斗の母校“江古田高校”由佳は有希子の知人が経営する有名私立高校、 悠斗と由佳は新一の母校“帝丹高校”に通っています。 |