抱きついた新一、いや新一の姿をした人物を快斗はどうにか引き剥がして、近くの教室に連れ込んだ。 そこは一年生の教室らしく、後ろには“大好きなお母さんとお父さん”と題して たくさんの個性的な絵が貼ってある。 それでも、夜は不気味に見えるのか、和葉と白馬はなかなか教室に入ろうとはしなかった。 「ここには幽霊いませんよ。私以外。」 女性は怖がっている2人に微笑みながら中へはいるように誘導した。 彼らが席につかなくては、話がはじめられないとでも思ったのだろう。 その言葉に2人とも安心したのか、恐る恐る席へと着く。 こうして、女性を取り囲むようにして全員が一年生の小さないすにすわった。 一夏の奇跡 後編 「なんか、学級懇談会みたい。」 その人物の口調は女性らしく、少し話し方に幼さが感じられる。 女性は今の状況を楽しんでいるようだった。 「で、君は誰なの?」 「えっと、私は明美って言います。明るく美しいって書いて明美。」 にこっと微笑む新一はそれは殺人的な美しさだが、やはり中身が違うせいか魅力は感じられない。 快斗はそんな明美という女性に取り憑かれた新一を見ながら、 やっぱり自分は新一でないとダメなんだと再認識していた。 「それで、工藤君に取り憑いた理由は?」 哀はニコニコと始終微笑んでいる新一の姿に、話にくさを感じながら明美に問いかけた。 明美は一瞬、押し留まった表情となるが、軽く息を付いて口を開く。 「私、数ヶ月前にこの近くで交通事故にあって死んだんです。 それで、その時、黒羽様のマジックショーを見に行く途中で・・・。」 「あの事故ってあなただったんだ。」 由佳は身を乗り出して、驚きの声をあげる。 幽霊騒ぎの当本人に会えて嬉しいのだろう。 「で、どうすれば、お母さんから出ていくの?」 由佳とは反して、由梨はどちらかというと不機嫌な表情だった。 まぁ、大事な母親に幽霊が取り憑いていて喜ぶ娘の方が珍しいが。 「私、幽霊になって黒羽様の生活をはじめて知ったの。あっ別にストーカーじゃないわよ。 それで、奥さんがあまりにも黒羽様に冷たいから、私が変わろうと思って。」 良い案でしょ? そんな風に笑いかける明美にその場にいた全員の顔つきが険しいものとなる。 先程まで友好的だった由佳までもが押し黙って・・・・。 突然変わった場の雰囲気に明美はとまどいを隠せなかった。 何かまずいことを言ったのだろうかと必死に考えるが、思い当たる言葉はない。 「すごく綺麗よ、黒羽様の奥様は。でも、黒羽様への愛は私が上だから・・・。」 「思い違いもいいところだな。」 「ちょっと、黒羽君。彼女をあまり刺激しないで。仮にも工藤君の体の中にいるんだから。」 立ち上がって、冷ややかな声で告げる快斗に明美は身震いを覚えた。 必死に紅子がなだめるが、その声はもはや届いてはいない。 「黒羽様?」 ステージでは私に笑いかけてくれるのに・・・。 明美はステージ上の紳士な彼からは想像できない姿に、後ずさる。 何もかもが頭の中で壊れていきそうな気がした。きっと、外見は美人な奥様で、 愛情は深い私なら喜んで貰えるとずっと機会をうかがっていたというのに。 快斗は明美に一歩一歩近づく。 本当はその顔を一発叩いてしまいたいところだが、外見は新一。 彼を傷つけることは絶対に出来ない。 「新一の愛情より、おまえの方上だって?笑わせるなよ。」 「何で?私は黒羽様の為を思って。」 「マジシャンの表面しか知らないお前の愛情なんてミーハーな心と変わらないんだよ。 新一と比べる価値さえない。」 「黒羽君、言い過ぎよ。落ち着きなさい!!」 紅子には霊体である明美の心情の変化が手に取るように伝わってきた。 快斗への愛情と新一への嫉妬で、悪霊にもなりかねないほどの憎悪が増してきている。 このままでは、取り憑かれている工藤新一へ危害を及ぼすかも知れない。 顔つきの変わった紅子に哀や平次もこのままではやばいと悟り、快斗を止めにかかった。 「黒羽、落ち着くんや。工藤の体の中におるんやで。」 「そうよ。刺激しすぎたら、工藤君が危ないわ。」 「何よ。工藤、工藤って。私の心配なんて誰もしていないじゃない!!」 ガシャンっという音と共に教室の蛍光灯が一瞬で粉々に砕ける。 辺りにある机も宙に浮かび上がり、明美は般若のような顔つきとなった。 和葉はその恐ろしさに甲高い叫び声をあげる。白馬はもう意識を飛ばしていた。 「こいつを殺してやる!!」 明美は狂ったように言葉を発すると、 素早い身のこなしで教室から逃げ去った。 「あかん。黒羽が刺激しすぎるからやで。」 「新一の事、あんな風に言われて俺は黙ってられねーんだよ。」 平次は隣を走る快斗に呆れたように声をかけるが、 快斗はあの言葉を言ったことを後悔してはいないのか淡々とそう返事を返す。 まだ言い足りなかった平次だが、 自分自身も“工藤、工藤”と彼女の存在すら考えていなかった自覚がある。 だからこそこれ以上、彼を責めることは出来ず、口を噤み、ひたすら彼女を追った。 「それで、黒羽君。何か良い案でもあるの?」 “私は徐霊なんて出来ないわよ”そう付け加えて、紅子は快斗の顔色をうかがう。 平次や和葉は紅子の力を期待していたのか、一瞬とまどった表情となったが 快斗はさして気にしていないようだ。 「新一の意識を取り戻して、あいつを追い払う。」 「で、私たちは何をすればいいの?」 哀の言葉に快斗は軽く首を振った。 それは、黙ってみていればいいという合図。 哀はそれに反発の声を上げようとするが、真剣な彼の眼差しに二の句を繋げることは出来なかった。 「まぁ、ちっこい姉ちゃん。こいつが工藤の為にすることは間違いないんやし。 黙って見守るんが一番とちゃうか?」 「“ちっこい姉ちゃん”は止めてくれと言ったでしょ。」 平次としては励ましの言葉のつもりだったのだが、 哀の逆鱗に触れたらしくギロリと睨まれる。 それでも、哀の表情はほんの少し穏やかになっていた。 そんな時、前を走る明美が突然、胸を押さえて座り込む。 その様子にしばらく収まっていた発作が再発したのだと哀は確信した。 「黒羽君。はやく、けりを付けて。工藤君の体が持たないわ。」 「分かってる。」 「何、なんで苦しいの!!」 突然の激痛に明美はパニックを起こして肩で呼吸をする。 そんな彼女を見て、快斗は霊体であっても、 新一の痛みを共有できる明美を少し疎ましく思った。 自分はいくら傍にいても変わってあげることの出来ない痛み。 それを、明美は今、感じているのだから。 「俺、今、明美さんに嫉妬してるよ。」 「えっ?」 うずくまり胸の辺りの服を握りしめる彼女に近づいて、快斗はしゃがみ込んだ。 明美は快斗の言葉の意味が分からないらしく怪訝な顔つきとなる。 これだけ苦しんでいる自分に・・・嫉妬? 「意味、分からないみたいだな。」 明美の困惑した表情に苦笑して、快斗はそっと明美を、いや新一を引き寄せる。 優しい腕に包み込まれながらも、明美はそれが自分に対しての感情ではないと分かった。 「新一の痛みを感じているあんたが憎い。 俺はこの数十年、ずっと変わってやりたいと思っていたのに。」 「っつ、離して!!」 自分に向いていない感情で抱かれるのがこんなに苦しいことなんて、明美は知らなかった。 奥さんを通してでも愛されればいい、 抱きしめて貰えればそれでいいと思っていたはずなのに。 「なぁ、新一をかえせよ。」 「嫌よ。一緒に連れていくわ。一人だけ黒羽様に愛されて・・ずるい。」 最後の強がり。本当はすぐにでもこの体を離れたい。 暖かい彼の愛情は、自分ではなく奥さんに向けられた愛情は苦しいだけだから。 「これだけはしたくなかったんだけどね。」 「え?」 「最終手段。新一は俺のキスに弱い。」 ニヤリと笑う快斗の表情はとても楽しげで、明美は全身に緊張が走るのが分かった。 やっと念願のキスができるはずなのに、顔が近づいてくることに恐怖さえ覚える。 引き剥がそうとしても、力は遠く及ばない。 「もうっ、私の負けよっ。」 唇と唇が重なるその瞬間、2人を強烈な光が包んだ。 「出たわ・・・。」 「私、幽霊みたの、はじめて。」 光が消え去って、そこに現れたのは、大学生くらいの女性。 茶色の冬物のコートに、ブーツ、首もとにマフラーという格好は 彼女の時間が止まっていることを再認識させた。 『本当に羨ましい。』 「あんたが、俺の中にいたのか?」 新一は快斗にもたれかかった状態で、上に浮かんでいる明美を見上げた。 目にいっぱい涙を溜めている彼女だけれど、頷いたときに見えた表情に未練はない。 すべてを吹っ切ったそんな顔をしている。 「悪いけど、快斗は譲れない。」 『・・・誤解してた。あなたの中に入って分かったわ。 貴方がどれだけ黒羽様の事を想っているかって。お幸せに。』 こうして、交通事故死した大学生は静かにこの世を去った。 「ねぇ、新一。新一って俺にベタ惚れなんだね〜。やっぱ。」 「いちいち、幽霊の言葉を信じてるんじゃねーよ。」 「とか何とか言って、嫉妬してたとか?」 薬を飲んで落ち着いた新一に肩を貸しながら、 (本当はお姫様抱っこをしようとしたが、蹴りによって断念・・By快斗) 快斗はのびきった表情で新一を見る。 新一はそんな快斗に顔を見られないように下を向いていたが、耳まで真っ赤で・・・。 「・・・でも快斗の言葉は聞こえてた。それに、少しは・・その嫉妬した。」 「え?」 今回の件で、“素直にならなくては”と思った新一の精一杯の一言も 快斗には届いていなかったようで・・・。 「何でもねぇーよ。バカイト!!」 「ちょっ、もう一度言ってよ。新一。」 「ああ、よるな!!暑苦しい。」 「しんいち〜。」 「なぁ、今日は肝試しじゃなかったのか?」 「なんか、当てられてるだけじゃない?私たち。」 じゃれ合う両親を見て、悠斗と由佳がそう後ろで不満を漏らすのも無理もない。 雅斗と由佳もそれに大きく頷いて、軽くため息を付いた。 まぁ、いつものことなんだが 「ところで、紅里。あんたのお父さんは?」 「教室で失神したままだったわ。・・・どうする?」 紅里は由佳の一言に思い出したように手を叩いて後ろにいる紅子に問いかける。 「一晩、男を磨いて貰うのもいいかもしれないわね。」 ふふっとほくそ笑む紅子に誰も“向かいに行って来たら?”とは言えなかったとか。 END |