木目調の扉をくぐるのは何度目だろうか? 秋雨の中、快斗は100円均一で購入したビニール傘を入り口の傘立てに立てると 静かな店内へと入った。 〜君の名前〜 「遅かったやないか、黒羽。」 「今日は来ないかと思いましたよ。」 「バーカ。何でおまえら2人を野放しにできるんだよ。来るに決まってるじゃねーか。」 湿気を含んだ鞄を乱暴にイスの上に置くと、快斗は4人席の窓際に腰を下ろした。 目の前では、大の男2人が店内にいるある人物に熱い視線を送っている。 もう、彼とは、2、3会話を済ませたのだろうか? 快斗は目の前で湯気を立てているコーヒーにそんなことを考える。 窓越しに見えるのは穏やかな雨。 ここ数週間、秋とは思えないほどの残暑で、雨が降ったのは久しぶりのことだと思う。 この分だと来週当たり気温も下がり、制服も夏服から冬服に移行するだろう。 「にしても、また説教やったんか?」 「授業中に居眠りしてただけなのにさ。まったく、担任の頭の固さは異常だね。」 平次の声に再び店内に視線を戻すと、快斗は大げさにため息をついた。 「一日中寝ていたら、注意位しないと担任の面目もないでしょう。」 そんな快斗に白馬はコーヒーの香を楽しみながら、一言付け加える。 “教師という職業は何かと気を遣いますから。”と悟ったような口調はなんとも彼らしい。 「それにしても、店長さんのコーヒーは最高ですね。」 「アホ言うな。これは店長さんが煎れたコーヒーやないで。」 「君こそ冗談はよしてください。この味はまさしく彼の煎れたコーヒーです。」 「服部のは俺、白馬のは彼女が煎れたんだよ。」 水とオーダー表を手に持って、店長さんはクスクスと笑っていた。 2人のなんとも見当はずれな解答がさほど面白かったのだろう。 だが、言われた当人はただの笑い話ではすまないらしく、恥ずかしそうに顔を伏せる。 「悪かったな。オーダー取りに来るのが遅くなって。」 店長さんは水を快斗の前に置いて軽くわび、 快斗はそれに軽く頭をふって気にしていないことを示した。 「店長さんの特性パフェ、お願いしても良い?」 「いいけど、あれ、甘くないぜ。」 「いいのいいの。俺は店長さんの作った物が良いから。」 快斗が甘党であることを知っている店長さんは一応忠告するが、 快斗はにっこりと笑って“お願いします”と言葉を続けた。 店長さんの特性パフェとは、コーヒー仕立ての苦めのパフェで、 この店の人気メニューの一つだ。 「あの、店長さん。」 「なんだ、白馬。」 「どうして僕のコーヒーは貴方が煎れてくださらなかったんですか?」 白馬は失礼にならないようにと言葉を選びながら尋ねる。 それに、店長さんは少し苦笑しながら、レジうちをしているスタッフに視線を向けた。 「彼女がどうしても君に煎れてあげたかったんだ。代わって欲しいって頼まれて。」 「なんや、白馬。モテモテやないか。」 ショートカットのおとなしそうな女性スタッフ。 平次はそのスタッフを見ながら、“お似合いやで”と続ける。 そんな4人の視線に気がついたのか、彼女はこちらをみて気恥ずかしそうに微笑んだ。 「バイト早番にするから、あの子と出かけてやってくれないか?」 「え?」 「ダメか?」 すがるような店長さんの頼み事を無下にすることはもはや不可能であった。 ここで、もっと店長さんを見ていたいが・・・。 「分かりました。」 「ありがとな、白馬。」 店長さんは白馬の承諾を聞いて、嬉しそうに女性スタッフの元へと向かった。 その後ろ姿を名残惜しそうに見送って、白馬は平次と快斗を睨み付ける。 実に楽しそうに笑う平次と、手でシッシッと追いやる仕草をする快斗。 その態度が示すとおりライバルの減少に喜んでいることは明らかだった。 「は、白馬さん。」 「行きましょうか?」 「は、はいっ。」 頬を紅く染めた女性をエスコートして白馬は店を後にした。 根っからのフェミニストの白馬が女性を悲しませることをするはずはないのだから。 「あとは、黒羽がおらんくなってくれたらええのに。」 「はは。まぁ、そのご要望にはお応えできるよ。」 「そう言うと思ったわ。意地でも留まる・・・ん?今なんて言うたん。」 「何、平次君、もう難聴〜。」 「ちゃうわ、ボケ!!!それよか、帰るってほんまか?」 嬉しそうな顔をして詰め寄る平次に快斗は退きながらも軽く頷く。 「用事があるから。まぁ、変なことをしたときは即刻死刑だけどね♪」 「・・・肝に銘じとくわ。」 笑顔の単なる脅しでないことぐらい平次にも分かっていた。 まぁ、それでも2人きりになれるチャンスは少ないから。 「気をつけて帰るんやで。お代は支払っとくさかい。」 「ありがと。またな。」 快斗は数分前に通った扉を開けて、再び秋雨の中を歩き始める。 目的地は・・・・新一の家だ。 「あれ、黒羽は?」 「なんや、帰ってしもうた。あいつ、パフェのこと忘れとったんやな。」 実際に自分自身も忘れていたのだが、それはあえて口に出すことなく、 平次はあきれたようにそう言葉を漏らした。 「そっか、じゃあ、服部が喰うか?」 「わいが貰ってもええんか?」 「もちろん。」 喜ぶ平次に店長さんはパフェを手渡して、レジの方へと向かう。 そして、扉を開けて雨の降る道路を見渡した。 「最初から帰るつもりだったのか?」 そう考えれば、甘党の快斗があのパフェを注文した理由も容易に想像できる。 あまい物が苦手な平次が食べられるパフェは、これぐらいしかない。 自分に一言、声も掛けずに去っていってしまった快斗。 そう考えると、少し寂しい気持ちになった。 「雨、まだ降ってますね。」 「あ、ああ。」 後ろから女性スタッフの1人がひょっこりと顔を出す。 長雨は嫌いなのだと、彼女はよく漏らしていた。 「何かあったんですか?」 「え?」 「いえ、店長が誰かを捜しているように見えたので。」 彼女は少し心配げに店長さんを見上げる。 それに、軽く頭を振って店長さんは扉を閉めた。 「長雨の日に、彼はいなくなったんです。」 扉を閉めた瞬間に彼女は聞き取れぬほど小さな言葉を漏らす。 「私、彼を捜して傘もささずに外へ飛び出したんです。 結局、彼はどこにいたんだと思います?」 “店長の好きな推理ですよ”そう付け加えて彼女は笑った。 穏やかな笑顔には幸せが溢れていて、おそらくよほどステキな場所に彼はいたのだろう。 「初デートの場所とか?」 「ふふっ。私の部屋ですよ。出ていったくせに、すぐに戻ってきたんです。 おいしい夕飯作って待ってるんですよ。おかえりって。」 彼女はそう言って、薬指の指輪を見せた。 「でも長雨は好きじゃないんです。あの時の孤独と喪失感は忘れられないから。」 「・・・・。」 「もし、店長さんに捜し人がいるのなら、案外、部屋にいるかも知れませんよ。」 彼女は楽しそうにそう呟いて、持ち場へと帰っていった。 店長さんは彼女の言葉に、ふと、胸ポケットを探る。 「やられた・・・。」 確か、ここに家のカギを入れておいたはずだった。 つまりは、快斗に取られたのだろう。 「今日は、はやめに店を閉めるかな。」 多分、今頃、家の片づけでもしているであろう快斗の事を考えながら、 店長さんは人知れず微笑むのだった。 +++++++++++++++ 「今日は肌寒いからシチュー♪それに、サラダもそえて。」 快斗は鼻歌を歌いながら、自前のエプロンを巻いて野菜を刻む。 もうそろそろ、カギが胸元から無くなっていることに新一は気づいただろうか? 「はやく、名前で呼びたいな〜。」 夏祭りの夜に、彼の名前を教えては貰ったものの、快斗は未だにその名を呼べずにいた。 理由は至極簡単。周りに邪魔者が多いから。 絶対に、あの2人には彼の名前を知って欲しくないし呼んで欲しくもない。 快斗はそこまで考えて、ふと自分の独占欲の強さに苦笑する。 前々から母が、“あなたはお父さんに似て独占欲が強くなるかもね。”と漏らしていた。 そのたびに、“誰が入れ込むかよ”と否定してきたし、 その時はぶっちゃけ色恋沙汰には苦労していなかったから。 「さっすが、母さんだよな。」 今ではこんなにも入れ込んでいる。それも、マジック以外執着心のなかった俺がだ。 「そろそろ、帰ってくるかも。シチューもいい具合だし。」 外は雨、それでも快斗の心はこの上なく晴天だった。 「あっ、いい匂いじゃん。」 「新一!!お帰り!!!!」 扉の開く音と共に、静かな室内に外の雨音が鮮明に響き渡った。 先程よりも雨足が増したのか、傘をさしてやって来たはずの新一の肩も少し雨で濡れている。 快斗はそんな彼にタオルを手渡すと、早く早く、とせかした。 「今夜はシチューだよ♪」 「たっく、カギを盗んで何するかと思えば。・・・まぁ、でもありがとな。」 少し照れくさそうに笑う彼を見て、快斗も自然と笑顔になる。 そして、向かい合わせに席に着くと、早めの夕食も準備完了だ。 快斗が、準備したであろうワインを注いで、お疲れさまと乾杯をする。 よくあるそんな光景でも、ひどく心身が癒されていくようだった。 「初めてだな。俺の名前を呼んだの。」 「あっ、ゴメン。やっぱ、“さん”とかつけた方がよかった?」 シチューを口に運んだ後、新一はふと思い出したように口を開く。 快斗はそんな新一の言葉に、慌てたように返事を返した。 ずっと、言おう、言おうと思ってのどの奥に押しとどめてきた言葉だったから、 新一が帰ってきたのを見た瞬間、思わず口走ってしまったけれど・・・。 考えてみれば、新一は年上。呼びすてはやはりずうずうしかったのだろうか。 新一はどんどんと不安げになる快斗の様子に、思わず苦笑する。 カギを盗んで、おまけにかってに台所を使ったくせに、些細な事を気にする彼。 それを可笑しく思わないわけがない。 「何、笑ってんの?俺、真剣に気にしてるんですけど。」 「わりぃ。だって、キッチン使いまくって、それを気にするもんだからさ。」 次第に笑い声は大きくなって、新一は苦しそうにお腹を押さえた。 目尻にはうっすらと涙がたまっている。 「・・・。」 「横暴なのか謙遜なのかわかんねーな。とにかく、呼び捨てで良いから。」 “あーおかしい”そう、付け加えて、新一は目尻にたまった涙を拭う。 こんなに楽しそうに笑う彼を見たのは、正直、初めてだった。 「でも、ありがとな。」 「え?」 「名前、他のやつに黙ってれくれて。店でも“店長”って呼んでくれるし。」 「そんなの当たり前だよ。」 絶対にそんなへまはしない。 新一自身がそれを望んでいないことも分かっているし、 それ以上に自分のために黙っているのだから。 快斗は、2杯目のシチューを注ぐために席を立つ。 食の細い新一は、一杯で充分のようだ。 「ところで、なんで名前を教えないか、聞いても良い?」 「あ、ああ。」 突然の快斗の言葉に、 新一は一瞬、躊躇したような雰囲気だったが案外あっさり話してくれた。 拒絶も覚悟をしていたのに。 快斗は少し気抜けしながらも、新一を見据える。 もし、ほんの少しでも辛そうな様子になったら、 “もう話さなくて良い”と止めなきゃいけないから。 「人の記憶に残るのが嫌だったんだ。工藤新一という人間を誰も知らない。 そんな風になりたかった。」 「それって、ご両親が亡くなったのが原因?」 「正確には、両親と一緒に知り合いのほとんどが死んだことだな。 “俺”という人間を知っている人物の殆どが。その事情は詳しくはまだ話せないけど。 だから、俺に関わって欲しくない。本当は工藤新一という名は捨てた・・・はずだった。」 「はず?」 新一は軽く頷くと一呼吸置いて、快斗を見る。 「・・不思議だよな。黒羽には“俺”を知って欲しかった。忘れて欲しくなかったんだ。」 照れたようにうつむくと、“コーヒー煎れてくる”と新一は席を立った。 快斗はキッチンの奥に消えていく後ろ姿をジッと見つめる。 今の言葉がまるで夢のようで・・・。 「新一。」 「ん?」 「俺は忘れないよ。新一のこと。2人きりの時は何度もこの名を呼ぶから。」 何度も、声がかれても、喉を潰されたとしてもその“名”を呼ぶよ。 君がこの世に確かに存在している証を示すように。 「快斗。雨、止んだみたいだな。」 「ほんとだ。」 長雨が晴れていく。 そして薄暗い空に、夜が舞い降りた。 「新一。」 「何だ?」 「快斗って今、呼んでくれたでしょ。」 「気のせいじゃねーの?」 意地悪げに笑う新一の隣に立って、快斗は新一が持っているコーヒーを盗み取る。 「相変わらず手癖悪いな。」 「なぁ、これって間接キッスだよね。」 「・・・・馬鹿?」 ほろ苦いコーヒーを口に含んだまま 快斗はあきれ顔の新一の腕を引きよせ、 唇を重ねる。 「・・・甘い。」 「やっぱ、新一の煎れるコーヒーは最高だよ。」 END あとがき kanata kou様、遅くなってすみません。 そして、キリリク、本当にありがとうございました。 リクエスト通り、なっているかは不安ですが、改善のご希望がございましたら遠慮なくお申し付け下さい。 それでは、最後となりましたが、これからもAnubisuをよろしくお願いします。 |