「雅斗。」

後ろから聞こえた声に俺はゆっくりと振り返った。

 

〜ずっと心の奥に〜

 

中学3年になったばかりの4月。

この時期は新入生の歓迎会や、運動会の準備などで

学校全体はいつも以上の活気を見せる頃だ。

俺はそんな行事に心を弾ませながら、廊下に張り出されたクラス分けの一覧を見上げた。

 

 

「3組か・・。」

 

張り出された名簿の前半あたりに自分の名前を見つけて俺は軽くため息を付く。

クラス担任は大川、きっと相手もこの結果に肩を落としていることだろう。

周りでは同じクラスになれて喜ぶものや、

仲のいい友達が見あたらず不安げな表情をしているものなど様々だった。

 

「雅斗。同じクラスみたいね。」

「は?」

「ほら、女子の名簿。」

 

随分のびた髪の毛を掻き上げながらそう告げた由佳は、

同じ年であるにもかかわらずいつもより数段、大人に見えた。

これが進級というものなのだろうか。

そんなこと思いながら俺は女子の名簿一覧に視線を移す。

 

「黒羽・・・由佳。」

「何かの手違いかな〜?双子って普通、同じクラスにならないのにね。」

 

由佳はそう言って不思議そうに自分の名前の書かれた場所と、

俺の名前の書かれた場所とを見比べた。

 

確かに、名字や見た目、そして家族ということから学校側が考慮して

双子は同じクラスになることが少ない。

現に由佳と同じクラスになるのは初めての経験だ。

だが、手違いというのは考えにくいだろう。

 

「ひょっとしたら問題児規制の為かもね。」

「誰が問題児だよ。誰が。」

 

俺はそう言って軽く由佳の頭を持っていた鞄を振り下ろす。

由佳はソレをひょいっと避けながらベーッと舌を出した。

 

前言撤回。

やっぱりこいつはただのガキだ。

 

 

「由佳、机に早く座ろっ。場所、無くなっちゃうよ。」

 

教室からショートカットの女子が顔を出して由佳を呼ぶ。

見慣れた顔、よく由佳と一緒にいる友人だろう。

由佳は軽く頷いて、駆け足で教室の方へと向かった。

 

 

 

一人残された俺は、特にすることもなく廊下の窓から校庭を見下ろす。

すっかり散ってしまった桜、今は夏に向けて小さな緑色の葉を茂らせていた。

空は突き抜けるように蒼く、その色は大好きな人を連想させる。

春の青は俺の好きな色の一つでもあるのだ。

 

「「黒羽先輩っ。」」

 

春風にかき消されるほどか細く、

幼さを残す少女の声に俺は振り返った。

 

「何?」

 

2学年を示す緑色の名札をつけた少女2人。

手には綺麗にラッピングされた小物。

俺はそれがすぐに何なのか見当が付いたが、あえて分からない仕草を取る。

するとポニーテールの少女が言葉に詰まりながらも、口を開いた。

 

「せ、先輩の誕生日が4月って聞いていたので。」

「終わっちゃったかもしれないけど、プレゼントです。」

 

隣に立っていた長身の少女がそう続けた。

横から感じる妬ましそうな視線。

 

もてるって困るよな。

なんてちょっと自嘲気味なことばを呟いてみる。

もちろん心の中でだけで。

 

俺は「ありがとう」と満面の笑みを浮かべて少女達に御礼を言った。

後輩の2人はそれに会釈すると頬を真っ赤に染めながら階段の方へ消えていく。

先輩という響きはやはりどこか照れくさくも感じた。

 

「雅斗君っ。私のプレゼントは使ってくれてる?」

「私のは?」

 

傍で様子を見ていた女子数名がわらわらと集まる。

規則違反の化粧を施した顔には優越感をみなぎらせていて、

俺は嫌悪にも近い感情を彼女たちに抱いた。

近づいてくるとツンと鼻を突く、俺の大嫌いな香水の匂い。

それでも笑顔を絶やすことはなかった。

 

「ああ、使ってるよ。優ちゃんの時計に山辺がくれたCD。あと、鈴木の・・・。」

 

そこにいた女子の名前とプレゼントを一文一句間違えることなく声に出せば、

次第に笑顔で満ちあふれる彼女たち。

その表情でおれの機嫌が降下したなどと気づくのは

おそらく遠目で見ている由佳くらいだろう。

 

 

俺は彼女たちに気づかれないようチラリと腕時計に視線を落とした。

もちろん“優ちゃん”がくれたプレゼントではない。

自分で気に入って購入したデザインの時計だ。

 

もし、彼女に私のあげた時計は?

と聞かれたら、休日だけこっそりとつけたいと言えばいいのだし。

 

 

針は午後2時を示していた。

仲のいい友人達も、始業式などに学校に来るような連中じゃないし、

この後は大川の長い話を聞くだけ。

俺は軽く伸びをしてもらったプレゼントを鞄に詰め込む。

 

「じゃ、俺、そろそろ帰るから。大川ちゃんに上手く言っといて。」

「ええ〜帰っちゃうの?」

「分かった、美弥がうまく言っとくね♪」

「またね、雅斗君っ。」

 

振り返ることなく背中を向けたまま後ろ手を振って、俺は学校を後にする。

あれだけテンションの高かった気分も今じゃ地面を這うミミズ同然。

鞄を力無くぶら下げて、職員室の前を横切る。

部屋の中では、貧弱そうな教頭が黒板に“やる気”などと明記して熱弁している様子が見えた。

大川は後ろの座席の方で船をこいでいる。

まったく人に授業中眠るなと言える立場じゃない。

 

下駄箱からナイキのスニーカーを取り出し、コンクリートの上に投げ落とす。

白い砂埃が辺りに舞い、俺はそれを手で払いながら、簀の子の上に腰をおろして靴を履いた。

春の穏やかな風が昇降口に吹き込んでくる。

少しのびた前髪がその風に僅かに揺れた。

 

「さて、どうすっかな。」

 

今、家に帰れば母さんがいる。

今日は臨時休業などと朝から言っていたのだ。

もし、それだけなら俺は迷うことなく家に帰るだろう。

 

だけど・・・

 

「今日は父さんも居るんだよな。」

 

今頃は夫婦の時間を満喫しているはず。

ゆっくりと会話しながら、時々話の一端のような仕草でキスを交わす。

頬を染める母さんと満足そうな父さん。

こんな時に帰れば父さんの機嫌を損なわせることはまず間違いない。

それだけは本気で御免だ。

 

遠回りをするためにいつもとは違うルートで帰る。

 

 

 

 

こうして冒頭へと戻るのだ。

 

 

「平次おじさん。」

「なんや、今日は始業式とちゃうんか。」

「平次おじさんこそ、今日は休み?」

「まぁ、年休みたいなもんや。ちょこっと事件の調査も兼ねてるんやけどな。

 そうや、雅斗、暇してるんならわいに付きおうてくれ。サボりの一件は黙っとくさかい。」

 

なっ?と平次おじさんはいつもの人の良い笑顔を向けてきた。

夏用のシャツに黒の薄手のズボン。額には汗がにじんでいる。

 

「誰かと追いかけっこでもしたの?」

 

今日はそこまで暑くもないはず。

俺はそう思いながら平次おじさんを見上げた。

 

 

「あ?ああ、物取り1人を捕まえて、交番に連れていったんや。

 久々に交番にいったんやけど、やっぱ交番勤務のほうがええなぁ。

 市民の傍におれるって感じするし。」

 

「何言ってるんだよ、数年で警部まで上り詰めた人間が。」

 

「出世はもっと現場の刑事が動きやすくなるためにがんばってるんや。」

 

「ふ〜ん、じゃあ室井さんだね。おじさんは。青島さんはいんの?」

 

冗談めかしたように、昨シーズン話題だった映画になぞらえて俺は尋ねる。

それに平次おじさんはそんな凄いものじゃないって感じで苦笑した。

 

「アホか。ほら、ついたでここの喫茶店や。

 追ってる女がここの常連らしいいんやけど、どうも男1人では入りにくい。」

 

「男2人もどうかと思うけどね。」

 

アンティークないかにも女性が好みそうな喫茶店。

中ではなかなか渋めのおじさんがコーヒーを煎れていた。

日当たりの良い席は、昼休みのOLに埋め尽くされていて

俺と平次おじさんは店内が見渡せる一番奥の席につく。

数名の女性が物珍しそうにこちらを見ていた。

 

 

「で、その人、重要参考人?」

 

コーヒなどのオーダーが済むと俺は早速、平次おじさんに尋ねる。

平次おじさんは少しだけ苦い笑みを浮かべた。

 

「まぁ、ちょっと情報を聞き出したいだけなんや。雅斗は知らんでええ。」

「そう言うと思ったよ。母さんもいつもそうだ。」

「おまえを巻き込みたくないんや。

 工藤は、昔から大切な人が自分のせいで傷つくんを極端に嫌うさかい。」

「分かってる。」

 

 

言われなくても、分かってる。

 

母さんの性格、表情の変化が意味すること、その全てを俺は知っている。

ずっと、傍で見てきたから。

 

 

「それよか、鞄からはみ出てるプレゼント、どうしたん?」

「さすが刑事、めざといね。」

 

俺はクスクスと笑いながら、テーブルの上に先程もらったプレゼントを並べた。

明るい店内でその鮮やかなラッピングがキラキラと光る。

重さからして手作りお菓子の類だろう。

 

「誕生日プレゼントだって。」

「なんや、相変わらずモテモテやな。」

「気持ちは凄く嬉しいけど好きな相手以外からの贈り物は、

 なんていうかな、素直に喜べないけどね。」

 

俺はそう言って店内を眺める。

平次おじさんは何かもの言いたげな視線を俺に向けていた。

おそらく、俺が再びおじさんと視線を交えれば、

彼は間違いなく、今、喉の奥底に留めている言葉を吐露するだろう。

 

はやく平次おじさんが捜している人が来ればいいのに。

うっかりと付け足した言葉。

その真意におじさんはたぶん気づいている。

 

けっきょく俺が話を逸らすために哀願した人物は数分経っても現れなかった。

 

そろそろ限界か。これ以上視線を逸らすと不自然な動きに見えてしまう。

 

「雅斗。」

「何?」

 

視線を戻すと予想通り平次おじさんは口を開いた。

 

「その、好きなやつ、おるんか?」

「そりゃ、いるよ。15年目の片思いだけどね。」

 

さぁ、どんな反応をするだろう。

俺は好奇を含んだ瞳で平次おじさんを見つめた。

平次おじさんも昔は“西の服部”と評された探偵。

この言葉にどんな意味があるのくらい一発で見抜いたはずだ。

 

軽蔑・・困惑・・さぁ、どっちだ?

 

「15年?なるほど、工藤か。」

 

途端に嬉しそうにほほえむ平次おじさんの表情は

俺にとっては予想外のこと。

どうしてそんなにすんなりと納得できるのか、理解できなかった。

 

 

「分かるで、雅斗。俺も工藤にずっと片思い中やからな。」

「はぁ?平次おじさん、和葉おばさんに殺されるぜ。」

「あんなぁ、恋愛と結婚とは別物なんや。もちろん和葉の事は愛しとる。

 世界で一番や言うてもええ。けどな、工藤はもっと深い場所におんねん。」

 

そう言って平次おじさんはこめかみのあたりを掻きむしる。

どう表現すればええんやろ。そんな表情だった。

 

「とにかく、俺は片思い中や。おまえと一緒でな。」

 

「よく分かんねーけど。まぁ、その気持ちは捨てなくていいってこと?」

 

「もちろんや。心の奥に大事に閉まっておけばええ。取っておきたいのならなおさらな。」

 

そう言って運ばれてきたコーヒーを平次おじさんは一気に流し込んだ。

それはまるで、今、表面まで浮き上がった母さんへの気持ちを

再び心の奥にしまい込むための儀式のように俺には見えて・・・少しだけ切なくなる。

絶対に敵わぬ恋だから、特に俺の場合は平次おじさん以上に。

だけどその気持ちは絶対に捨てることはできない。

 

「さて、そろそろ行くか?女も現れそうにないしな。」

「あっ、うん。」

 

店を出れば突き抜けるような蒼が視界を埋め尽くす。

 

「あついなぁ、夏になるんとちゃうか?」

 

平次おじさんはそう言って苦笑した。

 

 

俺はずっと恋をする。

たぶん死ぬその瞬間まで。

世界で一番大好きな人ができて、結婚した後も。

ずっと、恋をしている。

 

この青空のような澄んだ瞳をもった、黒羽由希・・旧姓、工藤新一に。

 

 

あとがき

マザコン・・・じゃありません。

なんていうか、雅斗にとってのお母さん(新一)の位置づけみたいな感じで。