「くっそ。」

「どこ行きやがった。」

 

離れていく声に綱吉はホッと息を付き、母から誕生日に貰った時計を眺めた。

午前9時。一時間目の授業が始まる時間だ。

足元に転がっている鞄を拾い、軽く砂埃を落として綱吉は路地裏を進む。

 

今日は確か数学だったっけ。

 

ぶらぶらと後ろ手に鞄を持って歩きながら

抜き打ちテスト好きで嫌味の多い教師を思い浮かべると

まぁ、いっか。と綱吉は何事も無かったかのように軽くあくびをするのだった。

 

 

〜共犯者〜

 

 

「ねぇ。なんで相手しないの?」

 

あと一歩で表通りに出る瞬間、後ろから響いた声に綱吉はピタリと足をとめた。

ここでこの声を聞かなかったことにするにはあまりにも分が悪い相手。

恐る恐る振り返ると、予想通りの人物が学ランを靡かせて立っている。

綱吉の中学時代の先輩であり、今はこうやって時折、街で遭遇する人物。

その名も雲雀恭弥。彼の容貌と名前を知らない人間はこの街には居ないだろう。

 

雲雀は薄暗い中から靴音を響かせて綱吉へと近づいた。

縮まる距離感に昔、植えつけられた恐怖がそう簡単に無くなる筈も無く

思わず一歩、後ろに退いてしまう。

雲雀はそんな綱吉に若干、目を細めながら、『ねぇ』と再度、質問の回答を求めた。

 

「俺、平和主義なんですよ。」

「聞き飽きたよ。その回答。」

「なら、毎回同じ質問を繰り返さないでください。」

 

こうやって言い返せるようになったことが、

中学を卒業して3年目の自分にとって一番の成長じゃないかと綱吉は思う。

おそらく5年前の自分が今の自分の言葉を聞いたなら、白目をむいて倒れたはずだ。

 

雲雀は綱吉の言葉に、面白そうに口元を緩める。

それと同時に振り下ろされるトンファーを綱吉は最低限の動きで避けた。

 

「また、腕上げたね。」

「毎日、避ける練習をしてますから。」

 

口調はお互いに穏やかなものの、雲雀の攻撃は止むことを知らない。

だが綱吉とて、登校前に怪我をする趣味は無く

(というより、傷のひとつでも作って帰ろうものなら、

家に居る鬼の家庭教師に鉛弾を打ち込まれるのがオチだ。)

身体を軽く動かす程度で上手く避けていった。

 

「あんなチンピラ風情。君なら数秒もかからないだろう。」

「そんなチンピラ風情を並盛にのさばらせて良いんですか?元並盛中学風紀委員長様。」

「ワオ。君も生意気になったじゃない。」

 

最後に向けられた渾身の一撃は避けられないと判断し、

ダメージが少ないよう鞄で上手く受け流すと、綱吉は表通りになんとか身体を滑り込ませる。

彼の攻撃を流しはしたものの、鞄の中で嫌な音がしたから、

最悪今日は、筆箱は使い物にならないかもしれない。

 

まぁ、極寺君あたりに借りればいっか。

 

そんなことを考えながら綱吉はいつの間にか隣に来ていた雲雀を見上げた。

人の往来の激しいこの場所で、さすがの雲雀も無用な争いはしない。

並盛の秩序を、平穏を自ら壊すことなど絶対にしない人だから。

 

「そういえば、君の高校の進路希望調査。今日が提出日じゃなかったっけ?」

 

チラリと視線を落とす彼との身長差は年々開いていき、今では頭ひとつぶんになった。

上から見下ろされるたびに、ちょっと悔しさを覚えるが、

彼の話題のほうがどちらかというと気になるため、

綱吉は自分のなけなしのプライドを放棄すると、軽く頷いてみせる。

 

どうして貴方が知っているんですか?

なんてツッコミをしても無駄だということは2年前に学んだ。

 

 

「で、なんて書いたの?父親と同じ土木業?」

「雲雀さんのうちの親父の認識って何なんですか・・・。」

 

あらかた間違ってはいないが。

綱吉はメット姿でタンクトップの家光の姿を思い浮かべながら

大げさにため息をついてみせると、がさごそと鞄の中から紙切れを取り出した。

 

予想通り変形しているアルミ製の筆箱が見えたが、今はもう視界から排除しよう。

 

綱吉に渡された紙に視線を走らせ、雲雀は眉間にシワを寄せる。

 

「何?フリーターって。」

 

「昔の言葉で言うとぷー太郎ですかね?バイトとかして定職を持たない・・。」

「君、馬鹿にしてる?」

 

フリーターについて説明を始めた綱吉の喉元にトンファーがあてられる。

どうやら今日の風紀委員長様には冗談は通じないらしい。いや、正確には今日もだが。

綱吉は降参の意味で両手をあげると、トンファーの下を潜った。

 

「すみません。だって正直に書けないじゃないですか。」

「・・・・そういうことか。」

 

紙を返しながら、雲雀が少し驚いていることに気づき、綱吉は内心でほくそ笑む。

こんなに感情豊かな雲雀をみれるのは、たぶん数年に一度くらいだろう。

 

「まさか、君がボスにね。いつ決めたの?」

「半年くらい前です。どうなるか分かりませんが、やれるだけのことはやるつもりですよ。」

 

自分の最終目的はボンゴレを壊すこと。

それを知ったら、数日に一度やってくる敵対組織のアサシン集団に加え

ボンゴレのアサシンまでやってくるだろう。

 

そんな事態だけは絶対に避けたいため、口外することは無い。

だが、雲雀は綱吉の思惑に気づいているらしく、少し嬉しそうに口元を緩めた。

 

「ねぇ、雲雀さん。」

「ん?」

「共犯者になりません?きっと退屈しないですよ。」

 

最終の敵はイタリア最大のマフィア、ボンゴレですし。

 

スッと2人の間を夏の気配を含んだ風が通り過ぎていく。

彼が言葉を発するまでの時間が、異様に長く、それでいて短く感じられた。

 

雲雀は一度目を伏せ、黒い切れ長の目で綱吉を捉える。

 

「悪くないかもね。」

 

告げられたその一言に、綱吉は全身の緊張が一気にとけるのを感じた。

案外、緊張していたらしい。まぁ、当たり前といえば当たり前だが。

 

返されたプリントを乱暴に鞄に突っ込んで、曲がり角で雲雀と別れる。

雲雀がこれからどこに向かうかは綱吉も知らない。

というより、彼が高校卒業後に何をしているのかも。

 

「沢田。」

 

背中に掛かる声に、綱吉はゆっくり振り返る。

今更『やっぱり止めた』なんて言わないでくださいよと思いながら。

 

「進路のとこ、もうちょっとマシなこと書いたら?」

 

相変わらずココは弱いよね。

そう頭を指して告げる雲雀に、綱吉は軽く笑みを浮かべた。  

 

End