青葉香る5月。 黒羽雅斗は高校生となったにも関わらず、いつものごとく通学路を凄い速さで駆け抜けていた。 すっかりなじみとなった向かいの家の庭を通り、犬に吠えられながらも塀をかるく片手で飛び越え、 その先に続く階段の手すりを器用に滑り降りると今度は歩道橋を駆け上る。 降りて、登って、又下ってとおきまりの近道コースをグングンと進んでいく。 裏の職業柄か、その動きに無駄などひとつもない。 ◇恐怖の三者面談◇ 「今日は最高タイムがでそうだぜ。」 見えてきた校門と聞こえるチャイムの音。雅斗は生徒指導の先生が 入り口を閉鎖する前ギリギリに校庭へと滑り込んで、校舎に掛かる時計を見た。 「やっりー!!17分30秒。最高記録だ!!」 「黒羽!!!」 この黒羽雅斗の最新記録はもちろん雅斗自信の自己満足であって、 彼を迎え入れる高校としては、特に生徒指導であり雅斗の担任である 大川俊二(おおかわ しゅんじ・35歳)にとってはたまったものではない。 そして、何より遅刻ギリギリの日々を続けながらも遅刻をしていないという理由から 説教できないのが又くせ者といえるだろう。 「何?大川ちゃん。」 「大川先生だ!!そう呼べと言ってるだろう。」 「で?何のよう?ちゃんと、学校間に合いましたよね?」 これが、江古田高校始まって以来の秀才というのだから世も末だ。 そしてその成績ゆえにどの先生達も彼には厳しく指導できなかった。 だが、大川先生はそんな雅斗を放っておくのは自称富士山より高いプライドが許さないようで、 何かとからんでくる。まあ、もちろん雅斗も自分のことを優等生とか、 学校の名前売りとかで見ない“良い先生”には認識しているのだ。 「黒羽、頼むからギリギリの登校は止めてくれ。」 「何で?間に合えばいいじゃん。大ちゃん♪」 「意味の分からないあだ名を付けるな!!!」 雅斗と一緒に教室まで向かうのが日課となってしまったのに 大川は己の指導力に情けなさを感じながらも、とりあえず問題児に頼み込んでみることにした。 だが、そんなことが雅斗に通じるはずもなく、いつものようにかるく流されてしまう。 「大川ちゃん荒れてるね。また、幸恵(さちえ)さんとうまくいかなかったの?」 「そうなんだ、幸恵が昨日・・・・ってそんな話をしているんじゃない。 ていうか、何で名前を知っているんだ。おい、黒羽!!!」 「春だね〜♪」 頭の後ろで腕を組んで、のんきに教室へと入っていく雅斗に慌ててついていきながらも、 大川は必死にこの問題児を更生させる方法を案じるのであった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「はい、黒羽ですが。」 『すみません。黒羽雅斗君の担任の大川ですが。』 「雅斗がどうかしたんですか?」 新一が久々の余暇を楽しんでいたときに、電話のベルが鳴った。 事件の要請や仕事関係なら携帯電話にかかってくるはずだからと丁寧語で電話に出ると、 相手はなんと高校の先生。それも、雅斗の。 又、何か問題をしでかしたのだろうかと新一は黙って耳を傾けていた。 「はい。分かりました。ご迷惑をかけてすみません。今すぐお伺いいたします。」 『休暇だったのにすみませんでした。』 チンと電話を切って新一は大きくため息をひとつつくと、着替えをすませるために2階へと向かう。実のところ雅斗が入学して以来、高校へ赴くのは初めてだった。 快斗が通っていたときは、自分も子どもの姿で時々待っていたものだが。 「たっく、どう説明すりゃいいんだ?」 大川先生が話したのは、雅斗の学校での様子、まあこれは特に問題はない。 新一自身、高校時代まともに授業を受けていた記憶などないに等しいし、 真面目にしろと息子に強制するつもりも毛頭ない。 一番の問題は、下調べし過ぎる雅斗の癖だ。 担任のことを事細かに調べてお付き合いしている女性の名まで 何で知っているんだと聞かれて、新一は正直返答に困った。 見えてきた校門はあの頃と全く変わっていない。 目をつぶれば、コナンの姿でここに立っていたことや、元の姿に戻って ここまで快斗を迎えに来たことが昨日のように思い出される。 「やべっ。思い出に浸ってる暇なんて無かったんだ。」 ザッと吹き抜ける風によって現実へと引き戻された新一は、 少し緊張しながらも門をくぐるのだった。 「以上、連絡は終わりだ。明日は全校朝礼があるから早めに来るんだぞ。それと、黒羽。 おまえは特例で今日、三者面談を行うことになった。だから残っておけよ。」 「は!?」 大川の話も聞かずに、隣の友人と話をしていた雅斗だったが急に己の名前を呼ばれて やっと反応を示した。 それに、大川は頭痛を感じながらも“残っておけ”と再度言葉を続ける。 「ちょ、先生。親父はいないはずだけど?」 「ああ、だからお母様をお呼びした。」 ガターン!!!! すさまじい勢いでイスが倒れて教室中がシーンと一瞬静まりかえる。 ここまで動揺した雅斗の姿を誰が見たことがあっただろうか? 「黒羽?珍しいな。おまえがそこまで動揺するなんて。」 “やっと、黒羽の弱点を発見した!!”と 内心ガッツポーズをしながらも大川はきわめて冷静な態度をとる。 「おい、雅斗?」 「黒羽君、どうしたの?」 過剰な反応の後の雅斗は何かを恐れるような表情をしていた。 ボソボソと何かを口ずさんでいる気もする。 そんな雅斗に周りの友人達は恐る恐る声をかけた。 さすがのこれには大川も動揺してしまい、まさか家庭内暴力でもおこっているのか? 日頃の元気の良さは空元気なのか?と余計な考えまでしてしまう始末。 「黒羽のお母さんってそんなに怖い人なのか?」 「さあ。黒羽君、あんまり家族の話しませんから。」 前列の生徒にこそっと大川は尋ねるが、返ってくる答えは誰もが一緒だった。 これは、本当に家庭内暴力の可能性があり得るかも知れない。 大川は独りで勝手にそう思いこみ、 今までの彼の辛さを感じ取ることが出来なかった自分を恥じ始めた。 担任が教卓でブツブツと言いながら落ち込んでいき、 クラスのリーダ格の雅斗が後ろの席でこれまた同じようにブツブツとなにかを言っている。 この時ほど、クラスメイトが早くここから去りたいと思ったことなど無かったであろう。 「ねえ、教室の外、騒がしくない?」 「そういえば。」 静まりかえったせいか教室の外の音がダイレクトに響いてきた。 聞こえるのは、生徒達の歓声。 “綺麗”だの“誰のお姉さんだろう”だの 誰かが来たと言うことだけしかここからは分からない。 だが、その言葉を聞いた雅斗はすぐに合点がいったようで 今度はきびすを返したように教室から飛び出した。 「お、おい。黒羽!!はやまるなーーーーー。」 「はっ?何だよ?抱きつくな気色悪い。」 「落ち着け。黒羽。先生が悪かった。」 「意味がわかんねーって。それより、行くところがあるんだよ。」 「逝く!!いかん、逝ってはいかん。例え継母のイジメが辛くとも。」 「マジで意味がわかんねーって。」 もはや、ここまでこれば漫才の域に達するのではないかと生徒一同は彼らを冷めた目で見つめていた。 そして、そんな時遠慮がちに扉が開かれる。 「あの?まだ授業中でしたか?」 暴れる雅斗を押さえていた大川は声の発信元を見て固まってしまった。 「母さん。何で、今日居るんだよ。」 固まって動かない大川をかるく蹴飛ばして、雅斗は新一に駆け寄る。 「休みだったんだよ。それより、又問題を起こしてたんじゃないだろうな? 先生があんなに必死に取り押さえるなんて。」 「ち、違うって。あいつが急に抱きついてきたんだ。」 腕を組んでギロリと新一から睨まれてはさすがの雅斗も声をうわずらせてしまう。 必死に弁解するのも、なぜか言い訳じみてしまい、いつもお得意の弁論術も使うことなど出来なかった。 「これが、継母か?黒羽。」 「は?おい、雅斗。おまえ何か言ったのか先生に。」 「だ〜か〜ら。大川ちゃんの頭が壊れたんだって。」 ようやく動き出した大川が最初に発した言葉によってさらに新一の機嫌が急降下していくのを、 肌でヒシヒシと感じている雅斗は弁解に勤しむしかなかった。 「先生。オレ達帰っても良いんですか?」 「あ、ああ。みんな教室を出てくれ。三者面談だからな。」 完全に背景と化していたクラスメイト達もようやく解放された。 みんな、雅斗の背中を軽く叩くとゾロゾロと帰っていく。 おそらく、三者面談にこんな先生と行う不幸に対して、がんばれといった意味であろう。 こうして、3人だけが教室に残り、ようやく三者面談ははじまるのだった。 「・・・・つまり家庭内暴力など無いんですね?」 「はい。いたって普通の家庭ですけど。」 「じゃあ、なぜ雅斗君はあんなに怯え・・・・うっ。」 大川はガツンと足を誰かに踏まれて思わず言葉を詰まらせた。 足下から視界を戻せば、雅斗が凄い勢いで睨み付けている。 「センセイ。そんなことより本題に入らない?母さんも時間無いし。」 「あ、ああ。それで、雅斗君の生活態度のことなんですが・・。」 「授業中は寝ている。学校は遅刻すれすれ。言葉遣いが悪い。まあ、こんなところですか?」 「えっ、あ、はぁ。」 新一は大きくため息をつきながらもスラスラと予想される雅斗の生活態度を口に出した。 まあ、後付け加えるとしたら“掃除を真面目にしない”など他にもありそうだが。 「ご迷惑をかけてすみません。家でしっかり指導しておきます。」 「え、あ、お願いいたします。」 軽く頭を下げてそう言われてしまっては、大川も二の句を繋ぐことなど出来なかった。 まあ、それ以上に、絶世の美女のなめらかな動きに見とれてしまったというのもあるのだが。 「あと、雅斗君がわたくしの事を、その、詳しいというか・・・。」 「近所の方から聞いたんじゃないですか?幸恵さんと先生のことを。」 「そ、そうですよね。あはははは。」 にっこりと微笑んで話す新一とその顔を見るたびに顔を紅く染める担任を見ながら、 雅斗はこれから起こるであろう出来事を思って身震いする。 独占欲の強い快斗に別の意味で散々説教されるだろうし、休日は検診日と決まっているのに それを阻害したとして哀から毒の1つを盛られても文句は言えない。 そう、雅斗が恐ろしがったのは母親がくることではない。 その後に、母親溺愛の家族から受ける仕打ちの事だ。 何故かすっかりうち解けて会話をする2人を横目で見ながら、 雅斗はもう二度と学校で問題を起こさないと心に誓うのだった。 |
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