とある世界にテイタンという小さな小さな国がございました。
その国の主産業は農業であり、決して豊かとはいえませんが、
平和で穏やかな国のため、人々の笑顔が尽きることはありません。

そして、テイタンを治める国王ユウサクは全国民から信頼を得ており、
王妃ユキコは全国民の母と評され、
なにより彼らのたった一人の子供である姫君は皆から愛されておりました。

時折、城を抜け出しては、民とともに遊び、

位だけは名ばかりといっても過言ではないほどに
王の一族と民はとても仲が良かったのです。

そしてその姫君の傍らには、忠実な騎士が常に控えておりました。


今日も今日とて、小さな国に騎士の声が響き渡り、
その声に男達はそろそろお昼時かと畑仕事の手を休め、

女達は昼食の仕上げにかかります。

小さなあぜ道を駆け抜ける騎士の服装は
白地に金糸をあしらったとても見事なものですが、
彼の背後を流れていく景色と見比べるととても不釣合いで面白く、人々は笑みを浮かべるのです。

「騎士様。今日も姫様は脱走かい?」
「これで何度目だろうね。」
「姫様なら、リーさんの畑でみたよ。」
「頑張って探し出しな〜。」
「帰りに姫様と寄っていくといい。おいしい木苺のジャムができたんだよ。」

「今日は奇術を見せてね、騎士のお兄ちゃん。」
「もちろん姫様も一緒にだよ。」

かけられる声に騎士は律儀に頷いたり拗ねて見せたりしながらも
主である姫君を探し、騎士は足を早めました。

午前中は大人しく、志保の科学の授業
蘭の踊りと歌の授業、紅子の家庭科の授業
(最後のひとつは妖しげな料理を作っているような気がしてなりませんが・・)
を受けていると思ったのですが、

どうやら彼女達には3人でお茶会の席を用意し、その間に城下町に遊びに出たようなのです。

午後から大事な客人があるのにと姫の爺やである寺井は首をつりそうな勢いで・・・。
庭師兼発明家の阿笠が慌ててそれを止めるのを後目に、

彼はこうして城下町を走り回っていたのでした。

「姫、姫。どちらにいらっしゃるのですか!?」

騎士、カイトは城下町を抜け、その周りに広がる田畑を抜け、ついには国境近くの森まで来ました。

森の気配はとても穏やかで
まるで姫が森に居ることを喜んでいるようだとカイトは思います。

そう、間違いなくこの付近に彼の探し人はいるのです。

「いい加減に出てこないと、今日作ったとびっきりの暗号は見せませんよ。」

ボソリと小さく呟いた瞬間でした。
ガサっと盛大な音と共に上から誰かが落ちてきました。

カイトはその音に慌てて手を伸ばします。

トサッ

ほとんど音も無く手の中に収まったのは探し人であった姫君。
姫という言葉にはどこか不釣合いな男装をしていますが、
結い上げられた髪は絹のように美しく瞳は誰をも魅了する蒼。

そう、彼女は間違いなく・・・

「姫・・怪我をしたらいけないからと、幼きころより木に登るなと言いませんでしたっけ?」

「カイトなら絶対に受け止めてくれるからその心配は無いのでやめる気も無いと

返事したはずだけが、もう忘れたのか?これだから、年というのは困る。」

「年といっても、5つも変わりません。」

はぁ、とため息をつくカイトの腕の中からスルリと抜け出すと、姫君こと、シンイチは

手に持っていた本についた葉っぱを払い、小さくあくびをもらしました。

そして、満面の笑みを浮かべて手を差し出します。

「カイト。さっき言っていた暗号を出せ。」
「我侭な姫君には何も差し上げられません。」
「命令だ。わが騎士。」

「・・・・城に戻りましたら。」

騎士という言葉にカイトは跪き、シンイチの手をとってその甲に口付けを落としました。
これは昔から、カイトが自分で決めている一種の儀式のようなもので
シンイチが未だになれないものでもあります。

シンイチは顔を赤く染めつつも、慌てて手を抜き取り、森の中を歩き始めました。

「今日は爺やが探していたのか?」

「ええ。午後からのお客様が見えるのにお召しかえをなさっていないと。」

「ナニワ国の王子か・・・。」

テイタン国に隣接する巨大な国。
ナニワ国の王子から求婚を申し込まれもうすぐ1年が過ぎようとしていました。
テイタンのような小さな国がその申し出を棄却することなどできません。
それはシンイチもよくよく分かっておりました。

けれど

「平次王子は素晴らしいお人です。きっと姫を幸せにしてくれましょう。」

「・・・分かっている。」

少し後ろを歩く騎士。
シンイチが物心ついたときから常に傍にひかえ、守ってくれていた騎士。

シンイチは彼のことをずっと思っているのです。
ただの姫と騎士ではなく、1人の人間として。

「カイト、おまえはずっと傍にいてくれるよな。」

「私の身も心も、幼きときより貴方様だけにささげております。」


本当は

 

愛しています、誰にも渡したくない。

そう叫びたかったカイトですが、彼に出来たのはその誓いの言葉だけでした。