「若旦那が居ない!?」

 

その言葉と同時に宙に舞った屏風の付喪神である白馬は

己の処遇にほろりと涙がこぼれた。

 

 

〜名前を呼んで〜

 

 

「毎回思うのじゃが、なぜ探君は殴られるんじゃ?」

「ノリよ。博士。」

 

博士と呼ばれたのは野寺坊という僧の格好をした妖怪で、薄汚い衣を着ている。

大事な若旦那が行方不明ということでこうして妖したちが集められたのだ。

 

そしてそんな彼の最もな疑問にさらりと答えたのは、

殴った本人である快斗ではなく

博士とつねに行動を共にしている哀という名のカワウソの妖怪だ。

こちらは博士とは違い、小奇麗な着物を着た美童の妖しで、2人が並ぶと

なんとも不思議な取り合わせになるのだが、彼らはなかなかの名コンビである。

 

「そんなことより、博士、哀ちゃん、それに集まったみんなも。

 なんとしても無傷で!!我らが若旦那を探してくれ。」

 

「分かってるわ。毎回、じっとしいられないなんて、本当にしょうがないわね。」

 

 

フフッと小さく笑みを漏らすと、

月夜に照らされた美しい女は一瞬で白いネコに様変わりした。

 

いつの間にか、博士や哀の姿も、鳴家たちの姿もみえなくなっている。

 

快斗は屏風にもどりイジケル白馬を一瞥すると、軽くため息をついて部屋を出た。

ちなみにもう1人の手代である平次は、すでにも抜けの空だ。

 

「旦那様方が気づく前に見つけ出さないと。まったく、今夜は冷えるというのに。」

 

快斗はそういうと、一足飛びで高い垣根を越え、音も無く夜の路地に降り立つ。

自分は闇雲になど探すつもりは無い。まずは・・・

 

「情報集めかな。俺の目を逃れようなんて甘いですよ。若旦那。」

 

 

ニッと笑う彼の口元は人のものとは思えぬほどに妖艶であった。

 

 

 

 

 

 

「っくしゅ。」

「風邪ですか?若旦那。」

「いや。誰か噂してるみたいだ。」

 

家へと向かう道すがら、クシャミを漏らす新一に宙に浮いた少女が声をかける。

いくら化学が徐々に入ってきている江戸時代末期といえど、

空を人が飛ぶ技術などありはしない。

 

そう彼女もまた、人ではないモノ。稲荷神社の鈴の付喪神、歩美であった。

 

「そうですか?それなら良いですけど。風邪をこじらせたとなったら、快斗さん怖いし。」

「はは。大丈夫。歩美ちゃんが怒られることはないよ。」

「やっぱり分かってないです。若旦那。」

 

え?と小首を傾げる彼は新米付喪神である己から見ても充分に可愛らしい。

日頃はあれだけ名推理を披露するというのに、どうしてこんなにも鈍いのか。

 

 

――きっと、快斗さんと平次さんが甘やかして育てたせいだ

 

 

「歩美ちゃん?」

「い、いえ。なんでもないです。で、今日は会えたのですか?」

 

 

黙ってしまった歩美を気遣う新一に、歩美は慌てて話題を変えた。

思い出したように尋ねられた言葉に新一は軽く頷く。

 

「うん。遠目だったけどな。元気そうで良かった。」

「跡取りは若旦那と決まっているのに。」

「俺じゃだめだよ。やっぱ、兄さんじゃないと。」

 

そう微笑む表情があまりにも儚くて。

歩美はこれが人という生き物なのかと思った。

 

 

 

一方その頃、快斗は新一の幼馴染の家を訪ねていた。

こんな夜分にと彼女の父親は目くじらを立てていたが、

世話になっている大店の手代と分かると、とたんに低い物腰になる。

相手によって態度を変えるものはあまり好きではないが、

身をわきまえない馬鹿よりはマシかと思いつつ

快斗は夜分に訪ねたことを軽くわびて、蘭を呼んでもらうよう言付けた。

 

 

「はい。あら?快斗君。」

「こんばんは、蘭ちゃん。遅くにごめんね。」

 

珍しいわね。と蘭は驚いて見せてはいるが、それが本心ではないことはすぐに分かる。

彼女はきっと分かっていたのだ。自分がここに来ることも。

 

そして

 

「新一、知らない?」

「いえ、今日は会ってないわよ。」

「ほんとに?」

「ええ。新一がどうかしたの?」

 

これが、新一に頼まれて返している言葉ということも。

 

 

 

 

「か・・いと・・くん?」

 

「ねぇ。俺、あんまり気が長いほうじゃないんだよね。

 蘭ちゃんは新一のたった一人の親友だから、あんまり無茶なことはしたくないけど。」

 

 

その目が異様に光っているのは気のせいだろうか。

蘭は一歩後ずさり軽く身体を震わせる。

これがよく見知った、人が良くて、人望が厚く、いつも袂に恋文を溜めている・・彼?

 

 

「知ってること、話してよ。」

「わ、わたしは。」

 

「黒羽くん。それ以上は無粋よ。」

 

 

蘭の細い首に手が掛かろうとしたとき、パシっと彼の手がはじかれる。

慌ててそちらに視線を移せば、呆れ顔の女性が暗闇に立っていた。

いつの間に来たのだろうか。快斗はチッと小さく舌打ちしてその女性を睨みつける。

 

 

「‘お白’がなんの用だよ。」

 

「あら、その名前で呼ばないでよ。その名は捨てたわ。

それに私は彼から貰った‘志保’という名があるのだから。」

 

 

少しだけ視線をきつくすると、女性は『それより』と彼へ体ごとむきかえた。

 

「日本橋を渡った武家屋敷の近くで人が殺されたわ。

年のころ10代後半から20代の若草色の質の良い着物を着た青年らしいわよ。」

 

「っつ。」

 

「まだ、彼と決まったわけじゃない・・けどね。」

 

 

女性、志保の言葉に蘭はその場にカクンと腰が抜けたように座り込む。

今頃怯えが来たのだろうかと志保は思ったが、どうにも様子が変だった。

 

「どうかしたの?」

 

そっとしゃがみ込んで顔を覗き込むと、彼女は血の気を失っている。

まさか何かしたのか?と快斗を睨み挙げたが、彼は無罪だとばかりに両手をあげてみせた。

 

 

「し、新一も・・日本橋の先に行ったの。」

「「え?」」

 

「兄さんに。渉兄さんに会いに行くって!!」

 

 

どうしよう。その場で泣き崩れた蘭を志保に押し付けて、快斗は走り出す。

遺体が見つかったというその場所へ。

 

 

 

 

 

 

 

「おや、快斗君。どうしたんだね?」

 

 

 

血の匂いと人の動きを駆使して、快斗は遺体が運び込まれた納屋を見つけ出した。

 

とりあえず往来のある路に置いたままでは、と近所の納屋を借りたようだ。

藁のムシロでくるまれた遺体は足だけしか見えていない。

けれど、快斗にはすぐにそれが新一の足で無いと分かってホッと息をついた。

 

「快斗くん?」

 

「いや。うちの若旦那がこちらに一人で来ていて。遺体が見つかったと聞いたものだから。」

 

「若旦那がかい?こんな夜更けに。」

 

岡っ引きである目暮の親分は、ずんぐりとした胴体を大きく揺らす。

新一には度々世話になっているし、親交も深い間柄。

そんな息子同然である彼がこのあたりに来ているとは。

 

「分かった。部下を使って今から探させるよ。

まだこの仏さんを殺した下手人は捕まっていないからね。」

 

 

 

「いえ・・・もう見つかりました。」

「え?」

 

納屋に吹き込んできた一陣の風。

その風とともに感じたのは、愛しい存在の香りで。

 

驚く目暮を後目に快斗はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

「若旦那。大丈夫ですか?」

「ちょっと疲れたみたいで。まったく、体力の無さに嫌気が差すよ。」

 

 

日本橋の少し先の茂み。

そこに座り込んだふたつの影をみつけて、快斗は今度こそ深く安堵の息をつく。

 

 

カサリと草履が草を踏みつけた音に、歩美はシャンと鈴の音を立てて消えた。

 

 

 

 

「おまえが怖い気を発してるせいで、歩美ちゃんが逃げたじゃないか。」

 

 

新一は近づいてくる彼にそう告げると小さくため息を漏らす。

ここに彼が来たということは、おそらくばれてしまったのだろう。

 

 

「若旦那、俺は猛烈に怒ってる。」

「うん。だろうな。口調が昔に戻ってるし。」

 

 

俺はタメ口も好きだぞ。と笑って誤魔化してはみたが、

殺気ばった空気が変わるはずもなく、快斗は黙って新一の隣に腰を下ろした。

 

 

 

「本気で心配したんだ。」

「へぇ。俺が抜け出すなんていつものことだろ。」

 

 

「新一。」

 

 

 

久しぶりに呼ばれた名前。

 

彼が自分の名を呼ぶことは滅多に無い。

幼いときはそれでも、新一坊ちゃんと呼んでくれた。

けれど、いつの日からか、彼も平次も自分を若旦那という代名詞でしか呼ばなくなった。

 

 

だからこそ、彼が名を呼ぶときは、本気で怒っているときだ。

 

 

――でもなぁ。怒られてても、名前を呼ばれるの好きなんだよな。

 

 

彼の声で、ちゃんと名前を呼んでもらえる。

それが嬉しいと言ったら、この妖しはどんな顔をするだろうか。

 

 

 

「近くで殺しがあったんだ。」

「は?マジ!?」

 

新一はようやく快斗がここまで取り乱している理由を察知した。

 

快斗の指示や新一の指示で情報を集めてくれる妖しは多い。

だからこそ、様々な情報をいち早く彼らは知ることが出来る。

そのおかげで今までの難事件解決があったといっても過言ではないのだ。

 

 

 

居なくなたった新一。

殺されたという若い男。

 

 

それを聞いて冷静で居られる手代ではない。

 

 

 

「きっと平次も今頃、血相変えて来てるよ。」

「ごめん。」

 

新一の言葉に快斗はようやく緊迫した空気を崩す。

そして、優しく新一の頭を撫ぜた。

 

 

「いろいろと聞きたいこともあります。だから帰りましょうか。若旦那。」

「・・・ああ。」

 

 

伸ばされた手を掴んで、新一は頭ひとつ分上にある彼を見上げた。

幼いころから越すことのできない身長。

 

そして、縮まらない・・距離。

 

 

「どうかしました?」

「いや、なんでもねぇよ。」

 

 

おまえが俺の名を普通に呼んでくれる日が来るのかなって思っただけだ。

その言葉を飲み込んで、新一は月夜を彼と2人歩くのだった。