願い事はありますか? 1年に1度のこの日に、星に願いたいことはなんですか? 願いがかなうなら 「新ちゃん、ほら、立派な笹でしょ?」 朝、騒がしい音に目を開けた瞬間、視界一面を覆い尽くしたのは、緑の笹の葉。 あぁ、まだ夢の中だっけ、と再び眠りの誘いに逃避行する寸前 矢継ぎ早に呆れた声が響いた。 「奥様、若旦那が驚かれます。それに笹に虫でもついていたら。」 「あ、そうね。ごめんごめん。じゃあ、快ちゃん、これ縁側につけておいてね。」 ようやく視界がいつもと変わらぬ天井になり、新一はゆっくりと上体をおこす。 するとすぐさま母である有希子が彼に掻巻をかけた。 過保護なのは手代の二人といい勝負なのだ。彼の親も。 「母さん、おはよう。」 「おはよう、新ちゃん。相変わらずわが子ながら可愛いわね〜、寝てる顔は天使かと思ったわ。」 「それは心から同意いたします、奥様。」 快斗はそう言いながら、縁側の柱に笹を結びつける。 立派な笹は、近くの林からでもとってきたのだろうか。 「同意するな、快斗・・・。それで、その笹は七夕か?」 「そうよ。お店で働いてる皆にも短冊配ったの。新ちゃんにも、はい。これ。」 「ありがと。願い事かぁ。」 渡された和紙を眺めながら新一はぼんやりと考える。 毎年、工藤屋で恒例の七夕祭り。 おそらく台所では、全員分のチラシ寿司でも作っているころだろう。 一人1枚と決めて有希子はいつも店中の者に配る。 奥様のいつまでも可愛らしい姿に、店の者は頬を緩ませ、その亭主は、自慢げに微笑む。 有希子はこの工藤屋の一人娘でもあるため、多くの者が彼女の成長を見守ってきていた。 だからこそ、幼いころからの風習を、こうやって受け入れてくれているのだ。 「母さんは、書いたのか?」 「もちろん。店の者に書いてもらったのは快ちゃんに渡してあるわ。」 目の前に差し出された有希子の短冊を新一は手に取った。 そこには、いつもと変わらない願い。 新一が元気で長生きしますように 「たまには自分のこと願えばいいのに。」 「私にはこれ以上の願いなんてないのよ。」 そういって有希子はギュッと新一を抱きしめる。 暖かな母の温もりに、その手の優しさに、新一はいつも心配をかけていることを悔やんだ。 生まれてからずっと体の弱い己は、どれだけ母や父を苦しませてきたのだろうと。 現に今日も、体調がすぐれず昼過ぎまで寝ていたのだ。 「快ちゃんもそうよね。」 「はい。若旦那がお元気であれば、世界が滅んでも構いませんよ。」 「もう、相変わらず大げさなんだから。」 ふふっと笑う有希子に快斗も柔らかな笑みを浮かべる。 だが、新一は知っている。快斗のそれが決して大げさなどではないことを。 「さて、じゃあ私は他の者の短冊も回収してくるわ。それまでに書いておいてね。」 有希子は立ち上がると急ぐように縁側を戻っていく。 その後ろ姿を見送り、新一は再び手の中に残った己の短冊を見つめた。 「願い事・・・どうしよう。」 「参考に他の者の短冊でも見ますか?」 そういって快斗は傍に腰を下ろすと、結びつけていない短冊を新一へと差し出す。 店の者たちの願いとは、どのようなものなのか。 若旦那としての自分に叶えられることがあるなら、ぜひ叶えてやりたい。 そう思いながら、一枚一枚眺めるが・・・ 「去年と変わり映えしないな。」 「だから言ったでしょう。みな、思いは一つなのです。」 若旦那が元気で居てくれますように 若旦那が苦しむことがありませんように 若旦那が・・・ 色とりどりの短冊に書かれたのは、皆、新一を思ってのもの。 その好意が嬉しくもあり、同時に情けない思いにもさせる。 工藤屋の七夕飾りはいつも若旦那の健康を祈っている。 そう日本橋界隈で言われていることも新一は知っているのだ。 「快斗は?」 「気になりますか?」 見上げると彼は少し意地の悪い笑みを浮かべた。 「どうせ似たようなことだろ?」 「いえ、若旦那が生き続けることは私の責務。星に願うことではありません。」 「じゃあ、なんだよ。」 そういって覗き込めば、そこには 「新一の願いがかないますように。」 ただ、一文、そう書かれた短冊に、新一は目頭が熱くなる。 内容にもだけれど、その『新一』と今では呼ばれなくなったフレーズが酷く嬉しかった。 「快斗・・・。あのさ。」 「なんですか?」 「その・・たまにで、いいんだ。快斗が気になるなら二人の時でもいい・・だから。」 ギュッと快斗の着物の袖を握りしめて新一は彼を見上げた。 震える声、震える指先。 こんなこと言ってもいいのかといつも迷っていた。 よく遊びに来る猫又の志保は笑って『直接頼めばいいのに。』と言っていたが。 拒絶されたらきっと自分は立ち直れないから。 「若旦那?具合でも・・。」 「だから、その若旦那ってやめろ!!なんで、昔みたいに名前で呼んでくれないんだよ。」 張りつめた気持ちが一気に心の奥底から溢れ出す。 なんで、彼に名前で呼んでほしいと思うのか。 新一だって分からない。 でも、若旦那と俗称で呼ばれるたびに、心がギシギシと痛むのは事実で。 「二人だけの時だけで良いから、頼むから。名前で呼んで欲しいんだ、快斗。」 すがりつくように彼の腕に顔をうずめて、新一は必死に言葉をつづった。 あぁ、皆は自分のことを願ってくれているのに。 自分だけはなんて浅ましい我儘を言っているのだろう。 何も返事をしない快斗に、新一はどんどんと自分がみじめになっていくのを感じる。 これから店を背負っていかなければいけない立場の自分が、なんて幼いのか。 きっと快斗も呆れているのだろう。 そう思って顔を上げようとした瞬間、新一は快斗に頭ごと抱きしめられた。 「快斗?」 「今は顔を上げないで。俺、すっげぇ、情けない顔してるから。」 ゆっくりと頭を撫でられて新一は彼の腕の中でおとなしくする。 その声が、昔と変わらない声だから。 新一が望む、距離のない言葉だから。 「新一がそこまで悩んでるなんて思わなくてさ。ごめんね。」 「いや、俺こそ我儘言ってごめん。」 「でもね、俺、新一にそんなこと言われたら歯止め効かなくなりそうでさ。 俺はね、すごく欲深い奴なんだよ。新一が知らない俺がいっぱい心の中に居る。 そんな俺を新一に知られたくない。きっと、新一を苦しめてしまうから。」 さらさらと指通りの良い髪をなでながら快斗はそっと、新一の旋毛にキスを落とす。 あぁ、腕の中の愛しい彼をこうしてずっと抱きしめていたい。 いっそ、誰の目にも映らないようにどこかに閉じ込めてしまいたい。 死神だって来れないような場所に。 「そんなの分からないだろ。俺は、快斗に傍に居てほしい。 快斗のすることならなんでも受け止める自信はある。」 「だめだよ、新一。人と妖は違うんだから、簡単にそんなこと言っちゃだめだよ。」 「んなこと!!」 「でも、ありがとう。その気持ちだけで十分だから。」 「わけわかんねぇ。とにかく、快斗。二人の時は昔みたいにしろよ!」 「うん。約束。」 腕の中から逃れて見上げてくる新一の額に誓いのキスを落とす。 そんな快斗の動作に新一は無防備にも首を傾げた。 大事に囲われて育てられた彼は、きっと快斗の行動の意味を知らないのだ。 「今のは約束の証。でも、俺と新一だけの合図だから他の人にはしちゃだめだよ。」 「そうなのか?なら、俺も、約束な。」 言葉と共に額にされたのは、不意打ちのキス。 あぁ、もしも願いがかなうなら。 「「ずっと一緒に居たい。」」 |