快斗の思いつきはいつもの事ながら突拍子がない。 新一は目の前で鼻歌を交えながら、 旅行の準備をしている旦那を見て、そんなことを思っていた。 【黒羽家・湯けむり紀行】 数時間前の夕食時、それは何の前触れもなく発表された。 「じゃじゃーん!!!」 気の抜ける効果音とともに手元に振ってきたのは、 温泉旅館の写真がでかでかと掲載された旅行パンフレット。 それを見た瞬間の家族の様子は様々だった。 奇声を上げて喜ぶのは他でもない由佳、雅斗にいたっては軽いため息。 「私行かないからね。」 「俺も。」 そう素っ気なく返事をするのは由梨と悠斗。 ここまではおそらく、提案者の快斗も予想範囲なのだろう。 彼はそんな言い分を気にすることなく話を進めた。 「一泊二日の温泉旅行しようよ。新年会ってことで。」 「さんせ〜い。」 「てか、もう予約してるんだろ。」 雅斗は呆れたように茶碗をテーブルにおき、快斗を見る。 彼の場合はいつも提案と言うよりは決定事項なのだ。 「うんっ♪」 「うん、じゃねーよ!!このお気楽バカイトがっ。」 「え〜。行こうよ。」 「あのなぁ、勝手に決めて予定だってそれぞれ入ってるんだぞ・・・・何だよその目は。」 「・・・・ダメ?」 無言の攻防が暫く続いた。 その間に悠斗や由梨はせっせと夕食をすすめる。 この状態になったら、新一が断り切れないことぐらい分かっていた。 なんやかんや言っても、お互いに甘い両親だから。 「新一。あっちは寒いから、下着も多めに入れておいた方が良いよ。」 「ああ。ところで、どこに行くんだ?」 先程のパンフレットは、よくよく見れば快斗お手製の物で、 温泉地の写真はある物の、詳しい地域まで書かれていなかった。 「今、噂の温泉スポット。知り合いが自家用飛行機を飛ばしてくれるから。」 ウインクひとつ返して、快斗は又、旅支度へと意識を集中させる。 新一はそんな快斗に軽く首を捻りながらも、立ち上がって荷造りを始めるのだった。 快斗のスポンサーである某企業の自家用飛行機を飛ばすこと2時間。 快斗達はとある噂のK温泉にやって来ていた。 手つかずの自然に包まれた温泉郷は、連休とあってか人出も多く、 山の中とは思えないほどにぎわっている。 「一度来てみたかったのよね〜。」 「由佳姉、知ってるの?ここ。」 う〜んと背伸びしながら、嬉しそうに話す由佳に由梨は少し驚いたような顔をした。 そんな由梨の態度に由佳はやれやれと呆れた仕草をとる。 「ちゃんとテレビ見てる?」 「見てるけど。事件物とか科学物とか。」 「それは中学生がみるテレビじゃないわね。」 「悪かったわね・・・。」 由梨は拗ねたようにそっぽを向いて山林の方へと視線を移した。 都会では見られない、深い山。澄んだ空気。小鳥のさえずり。小川のせせらぎ。 その全てが五感から感じ取れて、由梨は先程のイライラも忘れて目を閉じる。 たまにはこんな場所にくるのもいいかもしれない。 由梨はほんの少しだけ、旅行を計画した快斗に感謝した。 「ねぇ、由梨。聞いてる?」 「なんの話?」 「だ〜か〜ら、この温泉郷の話しっ。」 「その話ならゆっくりお風呂に浸かってすればいいよ。ほら、これ。」 横からわって入ってきた声のほうを見れば、丸い木札がずずいっと差し出された。 年輪がはっきりと見える木目に、 温泉に浸かっているおじさんのイラストが焼き付けられている木札。 そしてそのイラストの上には、“入浴手形”と銘打ってある。 「どこに行ったかと思えば、父さん、それ何なんだ?」 「見ての通り、好きな温泉に3つまで入れる入浴手形。4人で行っておいでよ。 夕食まで暫くあるし、兄弟水入らずで積もる話しもあるだろうから。」 「そうやって体よく追い出そうって作戦ね。」 入浴手形を受け取りながら、由梨が妬ましそうに快斗を見上げる。 快斗はそれに乾いた笑みしか返せなかった。 「まぁ、いいじゃん。由梨。父さん達もたまにはそう言うときが必要だと思うし。」 「悠斗!!お前も大人になったな。オレに協力してくれるなんて。」 「本当、悠斗がそんな事言うなんて、珍しい。」 「分かったわ。明日、観光できるくらいにしておいてよ。」 「仰せの通りに。王女様。」 快斗は優雅に一礼すると、 リズムカルな足取りで奥のお土産屋で品定めしている新一と雅斗のところに向かう。 そして暫くして、雅斗も入浴手形を持たされて由佳達のところに戻ってきた。 その表情は少し納得がいっていないと言った感じだ。 「こんなところまで来て、親父も何考えてるんだか。」 「そういう父親じゃない。まぁ、仲良きことは美しきかなって。」 「とにかく荷物をおいて、はやく風呂に行こうぜ。」 値段分、入ってやる!!と 雅斗は妙なところに熱意を燃やしながら、着替えなどの入った荷物を持ち上げる。 それに由佳達も引き続いた。 「それにしても、なんであんなにあきらめが良かったの?」 「助っ人を呼んであるからだよ。」 「助っ人?」 「後で分かるさ。」 前を歩きながら微笑する悠斗に由佳は首を傾げたのだった。 「なぁ、蘭達にはこれでいいかな?あと、園子の家にもいるし・・・。」 「新一〜。土産なんていいからお風呂に行こうよ〜。」 2人きりになって数十分、快斗達は未だに土産物屋にいた。 新一は母親となって、人付き合いにも感心を持つようになったせいか、 最近は出かけると、お土産についてかなり時間をとる。 それは、それで今後の社会生活においては重要なのだが、 快斗にとっては新一以外の他人との付き合いなどぶっちゃけどうでも良かった。 そして、今、彼の頭を占めるのは、新一とのお風呂のみ。 「明日、市街にも行くし。ねっ。」 「う〜ん。分かった。じゃあ、これだけ買ってくるな。」 快斗がこれだけ言ってくるとゆっくり買い物はできるはずもなく、 新一は諦めてレジへと商品を持っていった。 こうして快斗の説得で連れてこられたのは、今夜宿泊する宿だった。 とは言っても、離れを二棟借りているので、他のお客とは接触も少ない場所だ。 この時期によくこんな人気の宿を取れたなと、 隣でニコニコ笑っている快斗を見て、新一はそう思った。 2,3度テレビに登場した宿は、さすがそれ相当の造りになっている。 草庵のような古びた雰囲気ながらも、露天風呂つき、囲炉裏付き。 壁には高そうな掛け軸がかかり、木材も黒光りするほど艶やかだ。 新一は荷物をおくと、畳の上に寝ころぶ。 囲炉裏があっても、それは夕食用らしく、 変わりに暖房がちょうどいい温度で入っていた。 囲炉裏の周りの木材の下には、床暖房が備えてあるらしく、なんとも暖かい。 「このまま寝そう。」 「寝ても良いけど?」 寝ころんだ新一の隣に座って快斗が優しく耳元でささやく。 新一はそんな快斗を不思議そうに見上げた。 「風呂?いいのか?」 「疲れてるかなと思って。」 「・・・。」 いつもは、積極的な快斗の正反対の態度に新一は戸惑いを隠せなかった。 押せ押せムードの彼がこうも謙虚だと、どうも落ち着かない。 「どうしたの?」 「・・風呂、一緒に入ろうぜ。」 「へ?」 「俺は疲れてないから。」 たまには引くのも良いかも知れないなぁ。 起きあがって風呂の準備を始めた新一に、快斗は人知れず微笑んでそう思うのだった。 快斗よりも先に湯船に浸かって、新一は空を見上げた。 周りは外から見えないように高い植え込み、その先は川が流れていて断崖絶壁。 まさに、安全性には富んだ場所だ。白い濁り湯に頭まで沈める。 そして顔を上げたときカラカラとドアを開ける音がした。 「湯加減はどう?」 「ん、ちょうどいい。」 快斗は新一を自分の腕の中に引き寄せて、その細い腰に腕を回す。 そして、そっと首もとにキスを落とした。 んっ、と新一はこそぐったそうに身をよじるが、逃げるような仕草は見せない。 「なぁ。」 「何?」 「雅斗達は帰ってくるの遅いのか?」 「3つは廻るから夕食時まで帰ってこないよ。」 クスクスと耳元で笑うと、新一も同じように笑い始める。 そして、新一は首を捻って快斗を見上げた。 「なら・・・好きにして良いぜ。」 挑戦的な蒼い瞳と強きの口調。 これに落ちない男はいないよな。 快斗は新一に深いキスを仕掛けながら、そんな事を思った。 湯気の立ち上る中に身を投じながら、由梨はのぼせ気味の由佳を見た。 お風呂も3つ目。 確かに気持ちの良い温泉ではあるけれど、さすがにこれだけはいると逆に疲れてくる。 2回目の洞窟風呂は、その通路をたどって結構動いたため、頭がくらくらした。 ちなみに今は言っているのは、噂の美人湯。 由佳は由梨以上に、きつそうなのだが、 このネーミングに惹かれたのか、必死になってお湯に浸かっている。 「そろそろ上がる?」 「もうちょっと。それに、今帰ったら、邪魔しちゃうわよ。」 岩場に腕をおき、その上に顎をのせる体型で、由佳はお風呂に浸かっていた。 由梨は由佳の顔色を見て上がるように促すが、 頑固者の姉はなかなか上がる気配を見せない。 これでは、完全にのぼせてしまう。 「由佳姉、上がるよ。」 「え〜、1人で上がって良いよ。」 「だめ。今すぐ上がらないと・・・・。」 「わ、分かったわよ。そんな顔しないでよ、由梨ちゃん。美人が台無し。」 「無駄口叩かないで。ほら、行こうっ。」 由梨はこれじゃあどちらが姉か分からないと思いつつも、 そんな姉を引っ張って脱衣所に戻る。 由佳は引きずられながらも、名残惜しそうに湯船を見ていた。 「午後7時。こっちについたのが3時だったから、さすがに終わってるよな?」 「てか、ずっとやってたら、2人ともタフだぜ。相当。」 「雅兄、下品な表現しないでくれる?」 風呂に入り終わった後、2時間弱、近くの売店などを廻っていたが、 いい加減お腹も空いたと言うことで、4人は両親の泊まる棟の前にいた。 部屋は夜、別々だが、食事は一緒にとると快斗が言っていたのだ。 「入るよ〜。」 由佳は大きな声を出して、玄関を上がった。 自分たちの部屋と全く同じ造りの部屋だったけれど、どこか薄暗い。 ひょっとして、まだお風呂なのだろうか? 「お父さん?」 「あ、由佳。お帰り。」 電気を消した部屋に快斗はいた。 囲炉裏の火がパチパチと燃えている。 「お母さんは?」 「1人でお風呂に入ってる。ゆっくりとね。」 「そっか、じゃあそろそろご飯、お願いしても良いよね?」 快斗が頷くのを見て、由佳は傍にある内線をとる。 「あっ、“萩”に泊まっている黒羽ですけど。そろそろ夕食をお願いできますか? ・・・人数は、えっと8人です。・・・お願いします。」 「ちょっと、待て。由佳・・・今、8人分頼まなかった?」 「うん。悠斗がお客様を呼んだのよ。もうすぐ来るわ。」 快斗は背中を冷や汗が流れるのを感じた。 程なくして部屋のチャイムが音を立てる。 もちろん今し方注文した夕食が届くことは無いのだから、訪問客ということになるだろう。 “は〜い”と出ていく由佳の声に、訪問客は返事を返した。 それはすごく聞き覚えのある声・・・・・。 「こんばんは〜。快斗君♪」 「いや〜、わざわざ僕らまでお呼ばれして悪かったね。」 悪いと言いながらもそんな雰囲気のない2人。 その顔はあからさまに今の状況を楽しんでいる顔だ。 「快ちゃん、ひょっとして私たちお邪魔だった?」 「いえ、そんなことありませんよ。むしろ大歓迎です。」 鍛え抜かれたポーカーフェイス。 だけれど相手はあの工藤新一の両親。 おそらく快斗の内心なんて分かった上での行動だろう。 洗面所の扉が開いて、風呂上がりの新一がタオルを頭にかけたまま出てきた。 旅館から支給されている白地に紺の模様が施された浴衣を着て、頬は少し赤みを帯び、 いつもながら殺人的な魅力を醸しだしている。 だけれどそんな妖艶な一場面も、新一自身の一言で一気に現実に引き戻された。 「なんか、騒がしいと思ったら。来てたのか・・・。」 「あら、新ちゃん。久しぶりにあった両親にそんな言い方はないでしょ。」 そんな新一の態度に、有希子は頬をふくらませた。 新一は前髪を掻き上げ、囲炉裏の傍に腰をおろすと両親に呆れたような視線を向ける 「拗ねたって無駄だ。」 「拗ねてなんて無いわよ。ただ、新ちゃんの首もとに紅い・・・。」 有希子の声に新一は反射的に首もとを抑えた。 少し、はだけた浴衣の間だからキスマークが見えたのだろうか。 今日はあんまり付けるなって言ったはずだったけど。 「うっそ♪何もついてないわよ。」 「新一もお馬鹿さんだねぇ。快斗君がそんなへまをするはずないじゃないか。」 「そうそう。もう、素直でかわいいんだから。」 優作と有希子はまるで新婚夫婦のように顔を見合わせて笑う。 これが別の場面なら、なんとも暖かな一面かもしれない。 由佳は2人の祖父母の様子を見ながらそんなことを思った。 快斗は相変わらず困ったような笑みを浮かべ、新一はうつむいている。 なんとも笑えない空気が室内に立ちこめていた時、 チャイム音がその空気を一層するように鳴り響いた。 どうやら、夕食を届けに着たらしい。 一番入り口の近くにいた雅斗と悠斗は助かったとばかりに玄関へと向かう。 「黒羽様。料理をお持ちいたしました。」 甚平姿の男が深々と頭を下げると、続いて数名の同じ格好をした従業員が 8人分の料理を持ってぞろぞろと入ってくる。 「お料理はこちらに並べさせていただきますね。」 先頭に立った男がそう言いながら、頬を紅く染めた。 そんな男に快斗はコホンと咳払いをして新一を隠すような位置に座り直す。 男は暫く見とれていたようだが、 後ろからきた年配の仲居さんに背中を叩かれて慌てたように仕事に戻った。 「お飲物はこちらで結構でしたよね。」 「はい。」 並べられたのは定番の山の幸フルコース。 鮎やヤマメの川魚はもちろん、茸やワラビなど少し時季はずれの品も入っていた。 「こちらは味噌田楽、こちらは桜鍋でございます。 今日は人数が多いので、囲炉裏は明日の朝使いますね。」 仲居さんはそう言うと、ガスコンロに火を入れる。 桜鍋とはこの地方独特の料理のようで桜肉つまり馬肉の鍋であった。 一見すればすき焼きに近い料理なのかも知れない。 「あとは、地元で放牧して育てました赤牛、それに鴨の肉もございます。 それでは、ご用がありましたら遠慮なくお申し付け下さい。」 深々と手を畳につけて頭を下げると、仲居は障子を閉めて出ていく。 「じゃっ、食べよう。」 「そうだな。」 先程までの嫌な空気はもう存在せず、食卓は何だかんだいっても楽しく過ぎていった。 そのあと夜遅くまで卓球大会を行い、見事、快斗の勝利でそれも終わる。 まぁ、優作と快斗の対決はかなり長引いて、凄まじかったが。 そして夜は優作達も別の部屋をとり、静かにふけていった。 さっきまで大騒ぎの食事をした部屋で、快斗と新一は静かな天井を見上げる。 「急に静かになると寂しくなるな。」 「そうだね。」 年季の入った振り子式の壁掛け時計がカチカチと規則的に音を立て それにあわせるようにユラユラと電気をつける紐が揺れる。 「たまには、旅行も良いかもな。」 「俺のプラン気に入ってくれた?」 「明日も楽しみにしてる。」 「ラージャー。」 新一はゆっくりと瞳を閉じる。 月明かりだけの静かな空間は心を穏やかにしてくれた。 明日のことを楽しみに、今は一時の夢へと入る。 END |