二度と動かなければいいと思った。 だけど、動かなくなったそれを捨てることはできなかった。 壊れたオルゴール 手のひらに乗るサイズの小さなオルゴール。 カギを差し込んで回せば曲名は分からないが懐かしい音が響く。 昔は大好きだったそれを、今はかたくなに封印している。 というより、そうしなくてもそのオルゴールが音を奏でることは二度とない。 こちらに引っ越してから荷物を整理しているときに 偶然みつけたそれに新一は目を細めた。 茶色の古びたオルゴール。そして、備え付けてある金色の小さなカギ。 まだ、あったのかとそれを複雑な気持ちで見つめる。 忘れていたはずの記憶が少しだけ浮遊して、新一はたまらず目頭を押さえた。 「工藤、今夜の・・・。」 その瞬間ガチャリと扉が無遠慮に開かれて、 新一は慌ててそれを近くにあった鞄に押し込む。 「ノックぐらいしろよ。」 後ろ手で隠しながら新一は不機嫌気味の声を発した。 「すまん。で、今夜の夕食、何かリクエストあるんか?」 「今日は服部か・・。そうだな、おまえのお好み焼きが食いたい。」 「おう、まかしときー。」 ニカッと微笑む平次の瞳には先程のオルゴールは映っていないらしい。 ちょっくら買い物してくるわ。 それだけを告げてさっさと部屋を出ていった。 お好み焼きか〜久々に良い提案だったかもな。 新一はそう思いながらポフッとベットの上に寝ころぶ。 平次のつくるお好み焼きは関西風で、それでいてボリュームもある。 だけど素材の味が存分に生かされている為、新一のお気に入りのメニューでもあった。 まぁ、それと一緒にご飯を食べるのは未だになれない光景だが・・・。 そんなことを考えながらベットに横たわっていた新一の脳裏から、 幸か不幸か先程のオルゴールの存在は忘れ去られていたのだった。 黒羽快斗が、偶然落とした新一のオルゴールを拾うまで。 「工藤、これ、落ちたよ。」 教科書を鞄から机のなかに移していたときに 落ちてしまったそれを快斗は見逃さなかった。 随分と古いものだなぁ〜と思いながらそれを神妙に眺める。 「あ、サンキュ。」 「なぁ、これ壊れてるな。」 新一が受け取ろうと手を伸ばせば、その手は虚しく空を切る。 快斗としてはちょっとした興味本位なのだろうが、 新一にとってそれはあまり公に出したくない代物だった。 できればすぐに鞄の奥に詰め込みたい。 そんな願いも虚しく、傍にいた彼の友人がわらわらと集まり出す。 「カギを差し込むタイプって珍しいわね。」 「それにこのデザイン。どこかで見たこと有るような。」 志保と会話しながら紅子はひょいっと快斗の手の中からそれを奪い取る。 「小泉さん、それ、返して貰えるか?」 ガタンと立ち上がって新一は手を突き出す。 その声は少しだけトーンが下がり、僅かだが威圧感を感じさせる。 「え、ええ。ごめんなさい。」 紅子は新一の態度に驚きながらもそれを手のひらに置こうとするが またもや、その動きは第三者の手によって憚られた。 そう、もっとも知られたくなかった人物の手に。 「工藤、おまえまだ持っとんたんか?」 呆れというよりも怒りを含んだ口調に、一同が視線を集める。 だが平次はそれを気にかけた様子はない。 「おまえには、関係ねーだろ。」 「これは捨てろって、言ったはずやで。」 「返せ。」 乱暴に掴んで新一はオルゴールを取り返す。 いつもは穏やかなはずの新一が声を張り上げたことに驚いたのか クラス全体は静まりかえっていた。 人々の視線が痛い・・・まるであの時のように。 「ちょ、どこに行く気やっ。」 オルゴールを持ったまま教室を出ようとする新一に平次は慌てた声を発する。 聞く耳を持たないとはまさにこんな態度。 新一は振り返ることなく教室を出て廊下を走った。 「授業が始まるで。おい、工藤。」 「俺が行くよ。」 それを平次は追いかけようとしたが、その動きは快斗によって阻まれる。 邪魔すんなっ。と文句を付けようとしたが、快斗はすでに廊下に出てしまっていた。 「おいっ。」 「黒羽君に任せなさい。彼のことは。」 「なっ。」 そっと平次に近づいて耳元で志保ははっきりと告げる。 “彼のことは”と。 平次が驚いた表情で彼女を見れば、志保はいつも通りのポーカーフェイス。 そしてそちらに気がむいていたうちに、快斗も新一も視界から消えていた。 何者なんや。小泉といい宮野といい。 平次はどうすることもできず、ガリガリと頭を掻く。 そして、無情に響くチャイムの音。 担任が教室に入ってきて平次はしかたなく席に着いた。 その頃新一は取り返したオルゴールを持ったまま屋上に立っていた。 授業の開始を告げるチャイムが聞こえるが教室に戻るつもりはない。 何で捨てない? 両親にも幼なじみにも言われた言葉。 壊れたオルゴールはオルゴールとしての機能を果たさない。 だが、それが新一にとって大切なものならば周囲も捨てろとは言わないだろう。 つまりは・・・このオルゴールはいわくつきなのだ。 新一は目を瞑って短く深呼吸をした。 そして再び目を開ければ、突き抜けるような青空が広がっている。 校舎の東側は校庭が広がっているが、反対の西には小さな雑木林。 そこに向かって投げればきっと見つからないだろう。 新一はそう思いながら大きく手を振ってそれを投げようとする。 捨ててしまえばオルゴールは消える。もちろん、その思い出までもとはいかないけれど。 「ストップ!!」 「えっ。」 あと少しで手を放れようとしたのに、ふり下げた手の中には忽然とオルゴールは存在した。 せっかく決心が付いたのに。 と忌まわしそうな視線を手を掴んだ当本人に向ける。 彼はそれに困ったように苦笑した。 「工藤、涙目で睨み付けられても迫力無いよ。」 むしろ誘ってるように見えます。という言葉は飲み込んで 快斗はポリポリとこめかみを掻く。 「うるせー。だいたいどうしてここにいるんだよ。」 彼に文句を言うのが間違っているということは分かっていた。 完璧な八つ当たりだということも。 それでも、それでもようやくついた決心を見事に叩きつぶされた憎しみは大きい。 「工藤こそ、どうして捨てようとしたんだよ。大切なものなんでしょ?」 でないとこんなに綺麗な状態で、壊れたオルゴールを持っている人はいないよ。 そっと掴んだままであった新一の手首を開放して、 今度はその手に持ったままの小さなオルゴールを一瞬で消してみせる。 ポンッと小さな煙と共に消えたそれに、ズキンと新一の心は痛んだ。 「ほら、そんな顔して。捨てたくないなら捨てなくても良いんだぜ。」 「黒羽は何もしらねーからそんなことが言えるんだ。」 「ああ、俺は何も知らない。だけど、一つだけこんな俺でも分かることはある。」 「何が分かるんだよ。」 部外者のおまえに。そう言いたげな視線を向けられて困ったねと快斗は思う。 挑戦的な瞳、拒絶的な瞳、どんな色彩を放っても魅力的に見えてしまうから。 これでも快斗も健全な男子高校生。理性との戦いは必須だ。 一息ついて、気持ちを落ち着かせると快斗はジッと新一を見据える。 「工藤が・・これを大切にしているって事。」 その言葉と同時に流れる音・・・。 新一は信じられないと快斗の手の中に現れたオルゴールに凝視する。 確かにあのオルゴールは壊れていたというのに。 「いつの間に・・・。」 「マジシャンだからねこれでも。それに修理は十八番なんだ。」 ゆっくりと流れる音楽に新一の瞳から涙が落ちた。 それに気がついた新一は慌てて目頭を押さえる。 数年振りに聞く音楽はあの頃と同じように優しく響いた。 だけど・・・と新一は思う。 だけどこれ以上この音楽は聴いていてはいけない。 この曲を全て聴くものは数週間後に死ぬという、曰わくつきのオルゴールなのだから。 新一は反射的にオルゴールを快斗の手から奪い取り、強引に曲を止める。 針が廻らなくなって、ギギっと不明瞭な音が響いた。 「工藤、そんなことするから壊れるんじゃ・・・。」 「これは、全て聞くと死ぬ音なんだ。」 「は?」 「レクイエムのひとつなんだ。」 レクイエムとはいわゆる死者の魂にささげるミサの曲。 だけど、いつからかは、分からないがこのレクイエムは 死者の魂を呼び寄せる効果をもってしまった。 それも人間を恨む、魂を。 「昔、知らずに友達と聞いていたんだ。この曲を。」 あれはまだ小学生くらいの年齢で、 当時新一には唯一の村人の友達がいた。 服部達でなくて、いわゆる親戚でもない“外の人間” 彼は新一の力を知りながらも臆することなく遊びに来てくれた無二の親友。 あの日もいつものように、探検遊びをして偶然に手に入れたオルゴール。 その引きつける音楽を夢中に2人で聴いた。 あまりにも綺麗なその曲は心を惑わせる力を持っていたと思う。 だからこそ、気配に敏感な新一でさえ悪霊の接近に気がつかなかった。 「信用できねーかもしれねーけど。そいつは取り殺された。」 新一は話の流れを端折って、当たり障りのない部分だけを彼に話す。 もちろん、傍にいた新一はその強い力のお陰で影響はなかったのだ。 「俺の不注意で、大事な友人が消えた。だけど、これを壊すことはできなかった。」 友人は聞きながら泣いていたのだ。 ああ、この曲はこの世に存在すべき音楽だと。 博識な彼は、いろいろな音楽を聴いていて、将来はこの村にも音楽を流行らせると 幼いながらもしっかりとした夢を持っていた。 そんな彼が好んだ曲を、この世から消すことはできなかった。 「死んだ友人の両親は激怒して、そりゃ大変だったぜ。 どうして俺だけが生き残ったのかって。」 先程の教室での視線のように、村中の人間が新一を見た。 敬意を払う視線に憎悪を紛れ込ませて。 「てわけだから、それは壊す。」 「で?工藤は責任を感じてるの?」 「当たり前だろ。」 「じゃあ、なおさら最後まで聞かないと。」 新一の手によって無理矢理止められているオルゴールを取り返し、 もう一度金色のカギで曲を流す。 止めろ!!と新一は反対したが、快斗が曲を止めることはなかった。 「俺の話を信用しろとはいわねーから。はやく。」 「嫌だね。もし工藤にその友人が恨みを持ってるなら この曲を聴いて来るかも知れないだろ?」 「ばっ。」 何を考えてるんだと驚く新一に快斗はクスッと微笑む。 その表情にはまったく不安や恐れも存在しなかった。 「俺さ、幼いときから幽霊の類は見えるんだ。なんでか知らないけど。」 閉口したままの新一に快斗はポツリと言葉を漏らす。 新一はそれを聞いて黙って頷いた。 彼自身は知らないだろうけど黒羽家の血を引くならば見えて当然のことだ。 「いろんな思いをもった幽霊がいると思う。だけど、レクイエムは死者を労う曲だ。 悪霊なんかあつまるはずはないんだよ。だろ?」 快斗はそう言って見当違いの場所を見据える。 位置的にはちょうど新一の後ろあたり。 まさか!!と思いながら新一はゆっくりと振り返った。 麻のシャツに短パンをはいた小学5年生ほどの少年が 屋上の貯水タンクの上に座って足をぶらぶらと揺らしている。 当時と変わらない笑みと日焼けした肌が印象的だった。 「嘘だろ・・・。」 「あっ、工藤も見えるんだ。やっぱり。」 大切だった親友がそこにはいた。 快斗はそんな少年に臆することなくおいでおいでと手招きをする。 まるで、生きている少年に接するかのように。 少年は嬉しそうにほほえんで貯水タンクからひょいっと新一の傍に飛び降りた。 『時間がないからさ、単刀直入に言うね。僕が死んだのはおまえのせいじゃないよ。』 「何を・・言ってるんだ。」 『僕はおまえと遊ぶ前日に、墓をひとつ壊してしまったんだ。近所の悪ガキと。 たぶん、その仕返しをされたんだと思う。オルゴールは偶然だったんだ。』 少しだけ、ばつの悪そうな顔をして少年は、はにかんだ。 新一はその言葉をうまく飲み込むことができない。 話している日本語をきちんと聞くことはできているはずなのに。 『そのオルゴール。よかったら僕にくれない?』 「え?」 『好きな曲だし。二度とおまえが気にせずに済むように。』 そう言って少年はそっと新一の持っているオルゴールに手を触れる。 すると実体のあったそれは、見る見るうちに半透明になっていく。 『じゃあな。これから大変だけどがんばれよ。応援しているから。』 そう言って微笑んで消えた少年の瞳に嘘偽りはないように思えた。 「これで工藤の悔やみは消えた。って、もっと早くに聞いていれば良かったのに。」 「なんで、分かったんだ?」 「へ?」 「だから、このオルゴールにあいつが未練を持ってこの世に残ってること。」 もし未練もなければ、彼はとっくに天に召されているはずだし いくらオルゴールの音を聞いたからといっても地上に戻ってこれることはない。 そこから総合して考えれば、答えは一つ。 それは彼がこの世に残っていたと言うこと。 自分でさえ気がつかないほどの弱い気配。 少年という霊体のもつ気配は本当に僅かなものだから。 不思議そうに視線を向ける新一に快斗はよく分からないと答える。 はぐらかすような言い方ではなくて、本当に分かっていないという感じの彼に 新一もそれ以上、追求しようとはしなかった。 それよりも、と新一は彼へと向き直る。 先程八つ当たりしたこと、そして少しだけ心が開放されたこと。 それについて礼を言いたかったから。 「ありがと。黒羽。」 「落ち込んでる工藤が苦手なだけだよ。俺も、そしてクラスの連中も。」 快斗はそう言うと、優しい手つきで新一の頭をクシャクシャっと撫でた。 「教室に戻ろう?担任もきっとしびれを切らしてるだろうし。」 「そうだな。」 気持ちの良い風が屋上を吹き抜ける。 あのオルゴールの曲は聴けなくなったけど・・・ いつまでも新一の心には鳴り響いていた。 |