〜幼い日の約束〜 空が高くなり、葉が色づき始めたころ。 江戸では紅葉狩りの話題も盛んになってきていた。 だが、長崎屋の若旦那こと工藤新一は、紅葉狩りなどついぞ行った事がない。 別段、風流を楽しむ性質でないというわけではなく、寒くなるこの時期に さらに寒い山奥へ行くなど死にに行くようなものだと周囲の者が許さないせいだ。 それでもやはり行きたいと、幼い時分に駄々をこねたためだろう。 若旦那の寝室からみえる庭先には、 京都の嵐山にも負けないほどの見事な木々が庭師によって植え付けられており、 年中、木々の色の移ろいを眺めることができるようになっていた。 この状態で、まだ紅葉狩りにとでも言えば、山一つを動かしてきそうな両親や手代を思い、 新一はそのようなことを言うことも無くなったのである。 「若旦那、手が止まってますよ。」 「あ、悪い。」 「もう降参ですか?」 「まさか。」 屏風から抜け出た色男、白馬の言葉に碁を打っていたことを思い出し新一は次の一手を打った。 それに白馬は形のいい柳眉を潜ませると、うむ、と考え始める。 これでまた、紅葉を眺める時間が出来ただろう。 そう思って庭に再び視線を戻すと、茂みの中から白いネコが顔を出した。 「あら、今日は手代さんたちが居ないのね。」 ネコは音も無く縁側に飛び乗ると、スッと姿を人の形へと変える。 そして2人の戦局を眺めて、クスッと笑みを漏らした。 「志保さん、なんですか?今の笑い。」 「いいえ。もう負けてると思っただけよ。」 白馬と週4日は碁を打っているが、彼が勝った事はただの一度も無い。 新一と碁で張り合えるのは、彼の手代の1人、快斗くらいであろう。 現に今日も、白馬に勝ち目があるようには志保には思えなかった。 「まだ、勝負は分かりません。」 「ふふ、まぁ、いいわ。せいぜい悩んでて。」 そう言って新一の隣に志保は腰を下ろし、共に美しい庭を眺め始める。 彼女が来るのは気まぐれで、 毎日顔を出すこともあれば一ヶ月も音沙汰がないこともあった。 「相変わらず見事な庭ね。」 「まぁ、な。けど俺は・・・。」 「山に行って見たい。でしょ?」 「ああ。」 縁側に落ちていた一枚の葉を拾い、クルクルと指で回す。 先月家族で嵐山まで行った蘭から、その見事な光景を聞き やはり一度、実際に見てみたいものだと思ったのは記憶に新しい。 「志保は見たことがあるのか?嵐山とか・・。」 「嵐山?嵐山までは行った事は無いけど、近場なら、ね。」 「そうか。」 新一は薄く微笑み、傍にある急須と湯のみをとり茶を注ぐと、志保に渡した。 少し冷めたそれに、手代達がずいぶんと来ていないのだと志保は察する。 本当に珍しい。 こうして手代達のいずれかが彼の傍に居ないのも。新一が甚く感傷的なのも。 「服部君と黒羽君は?」 「荷が大量に届いたみたいでな。 平次は力仕事として、快斗は品物の確認として忙しいみたいだ。」 「それでご機嫌斜めなんですよ。若旦那は。仕事を何も回してもらっていませんしね。」 軽く肩をすくめて見せる白馬に新一の視線がきつくなった。 「分かってるよ、んなこと。それにもし、渉兄さんだったら、もっと・・・。」 「彼はもうこの店には関係の無い人間と旦那様も言っていたんでしょ。」 志保は慰めるように新一の手に優しく触れる。 「跡取りは誰がなんと言おうと工藤君。あなたなの。」 「たとえ病弱でも、ね。」 「屏風のぞき。それ以上言うと紙を千切りにしてやるわよ。」 キッと睨みつける志保に白馬は顔を引きつらせて、慌てて屏風に戻った。 本当にさっさと風呂の焚き付けにでもすれば良いのにと志保は思う。 「志保、怒るなよ。あいつも悪気があって言ってるわけじゃねぇし。」 「それでも嫌いなのよ。」 「はは。白馬は本当に相性が悪いな、おまえらと。」 妖同士だからか?と首を傾げると新一は囲碁を部屋の隅に片付けた。 「ねぇ、工藤君。屏風のぞきとの付き合いは長いのよね?」 「ん?そうだな。一緒に居る時間は一番長いかもな。 でも、話しをしたのは快斗達が来てからだ。鳴家たちとも。」 「そうだったの。それで、黒羽君たちっていつ来たの?」 湯のみを傍に置いて、志保は探るように見上げてくる。 こういう仕草をすると、本当に彼女はネコなのだと新一は思った。 「快斗達が来たのは・・・たぶん今日みたいな日だったかな。」 「新一。」 風邪が治り縁側でひとり、外で遊ぶ子供達の声を聞いていたときだった。 白髪の優しげな顔が庭にあるお稲荷様の社傍にみえる。 仕事を新一の父であり入り婿である優作に任せてから、彼は新一の良き話し相手だ。 知識も幅広く頭の回転も速い祖父の話は面白く、今の新一の基礎を作ったといってもいい。 新一は嬉しさのあまり、庭に下りようとしたが、 ふと祖父が1人で無いことに気付き足を止めた。 祖父に従うように立っているのは、自分よりも5つくらい年上の少年たち。 新一と視線が合うと、彼らは優しさの色をたたえた表情で軽く会釈する。 そんな2人を紹介するために祖父は彼らの背中を押した。 「新一、彼らは快斗と平次だ。 体の弱い新一を守るためにお稲荷様にお願いしたところ、 お稲荷様が2人をお与えくださったんだよ。」 「快斗です。もとは白沢という妖でございます。」 「平次や。犬神っちゅう妖で、これから坊ちゃんのお世話をさせてもらいます。」 膝を突いて挨拶する二人に新一は目を丸くする。 家の中をこそこそと動く小鬼は見かけたことがあり、 部屋の屏風の絵が動くことも知ってはいたけれど、 こうして妖と呼ばれるものと話すのは初めてだ。 それに。 「2人とも人みたいだ。」 「はは。そうだね。人は珍しいものを怖がるから、こうして人の姿をしてるんだよ。」 「でも、どんな姿でも、快斗は快斗、平次は平次、僕は僕だよね?」 そう言って微笑むと新一は縁側からゲタをはいて二人のそばに近寄る。 幼い子供の純粋な言葉は、 すうっと乾いた和紙に水が吸い込まれるように妖2人の心に染み入った。 「快斗、平次。これから一緒に居てくれる?僕と遊んでくれる?」 「もちろんや。それに坊ちゃんのこと気に入ってしもうたし。」 「ずっと、お傍にいますよ。俺も新一坊ちゃんが大好きになりました。」 それから十年近く、2人は周囲に違和感をもたれることなく成長し 今では立派な青年の姿をしている。 新一も彼らの本来の姿を見たことはあるが、ほとんどは人の姿で。 気付けば彼らが人でないことを忘れているほうが多いくらいだ。 「それからだったかな、鳴家や白馬と話すようになったのは。」 「あら、じゃあ一緒にいる時間は長くても、付き合いは手代さんたちより短いのね。」 お茶を飲みほし、コトリと縁側におくと、志保はちらりと視線を奥にうつす。 それにピキッと白馬の表情がこわばった。 「ふん。確かに話してはいません。けど若旦那の赤ちゃんのころから 初めて歩いた時なんかは私しか知りませんよ。」 「我も知ってる。屏風のぞきだけじゃないやい。」 「われも。」 「われは、産声だって覚えてる。」 「われは・・・。」 「われは・・。」 途端に始まった自慢合戦に新一は苦笑を漏らす。 ずっと部屋で寝込んでいた自分をみたところで自慢にならないだろうと。 だが、そう思っているのは本人だけで。 「ずるいわね。若返りの薬とかないのかしら。」 ムッとする志保に白馬たちの表情はますます得意げになる。 志保と知り合ったのは数年前のことで、幼い新一を志保は知らなかった。 「大げさだな志保は。」 「あら、私は本気よ。河童の手とか混ぜたら作れそうじゃない。人魚でも良いわね。」 「ぜってぇ飲まねぇからな。」 げんなりとする新一の周りでは、薬を想像したのだろう。 鳴家たちが気持ち悪そうに転げまわっていた。彼らの想像力はいつもすさまじい。 お菓子の話をすればヨダレを垂らし、怖い話しには気絶してしまうほどに。 そんな鳴家たちを宥め、新一は少し気だるさを感じたのか布団へと移動した。 「手代さんたちは来ないわね。大丈夫?」 寝付くのがきらいな彼が自ら布団に行くなど、珍しい。 志保は座っていた縁側から立ち上がると、枕元に腰を下ろす。 「そこまでひどいわけじゃないから。」 「いいから、ゆっくり眠って。目を覚ませば彼らが居るわ。」 スッと暖かい手が新一の瞼を覆った。 やはり元は猫のため体温が高いのだなと新一はぼんやりとした頭で思う。 「わるい、ちょっと・・・・寝る。」 暫くすると新一の穏やかな吐息が部屋中に響き始めた。 「若旦那、遅くなって・・・っと、寝てるのか。」 髪を撫でる志保をみて少々視線がきつくなる手代の1人、快斗に彼女は苦笑を漏らす。 白沢という妖の心の狭さをきっと眠る彼は知らないだろうと。 「ずいぶん忙しいみたいじゃない。お茶が冷めていたわ。」 「すぐに用意する。けど、また眠ってるなんてどこか具合が悪いのか? こんなことなら、店の仕事なんて他の奴に押し付けてこればよかった。」 そうチッと舌打ちすると快斗は新一の顔を覗き込んだ。 顔色を見ているのだろう。 それにしても今にもキスでもしそうなほどに近いと志保は思う。 「仕事をないがしろにしたら、工藤君怒るわよ。それに商売にも影響が出るわ。」 「それは困るよ。儲かってもらわないと、新一の穏やかな時間が害される。」 「少しは他の基準で考えられないのかしら。」 ふぅっとため息をつく志保を快斗は気にする様子も無く、 熱が無いことを確認して、布団を一枚奥の部屋から出してきた。 今日は比較的暖かいというのに。心配性もここまでくれば病気だろう。 と、思って、志保はそんな病気がもう1人いたことを思い出す。 聞こえてくる足音と、何かが壊れた音。 おそらく猪突猛進に走って、柱の一つでも壊したのかもしれない。 「坊ちゃんが寝込んだんやって!?」 おもいっきり開かれた障子は、庭のすみまで飛んだ。 風が入らないようにと志保が今しがた閉めたばかりだというのに・・・。 冷たい視線が一気にもう1人の手代、平次に突き刺さった。 「あなたの察知能力はさすがだと思うけど。」 「常識をわきまえろ。って言わなかったか?俺。」 そうこうしているうちに、今の物音で目が覚めたのか、新一の瞼がピクリと動く。 そしてゆるゆると彼の綺麗な蒼が瞼の隙間から現れた。 「んっ・・・快斗・・・平次・・。」 夢うつつなのだろう。 新一は子供のように2人にその手を懸命に伸ばす。 「これからも・・ずっと・・一緒。」 その稚い声に、志保は新一が眠る前に話したことを思い出した。 おそらく夢で見たのだろう。彼らとであった日のことを。 そのまま再び眠りに落ちた新一をポカンとした表情で見つめていた彼らだが すぐに新一の下ろされた手をそれぞれ優しく握った。 「もちろん・・傍にいるよ。」 「離れることなんてできるわけないやろ。」 「若返りの薬なんて必要なかったみたいね。」 志保はそっとその場を離れ、小さく笑みをもらす。 あんなに幼く無防備な新一を見れたのだから。 「起きた時は、きっと忘れてるのでしょうけど。」 この後、 仕事を放り出した手代達に加え そんな彼らの行動に新一が重病に掛かったのだと勘違いした彼の両親が騒ぎ出したため 商売に影響が出たのはまた別の話。 |