01:遠山桜

 

「コホッ、コホッ。」

 

江戸の通り町にある大店、工藤屋の離れでは今日も今日とて若旦那が寝込んでいた。

3歩歩けば棒にあたるがごとく、器用に病気を拾ってくるとはもっぱらこの界隈では有名な話だ。

当の本人にとっては不愉快極まりない話なのだが、それが事実であり強くも否定できない。

現に小春日和の真っただ中というのに、彼は布団の中で寝込んでいた。

 

「花冷えしてもいなかったんですがね。」

 

彼の枕もとで薬湯を作るのは、手代の一人である快斗だ。

遠まわしになぜこの時期にと不思議がる彼に布団の中の若旦那

もとい工藤新一はギロリと彼をにらみあげる。

 

だが、熱のせいで上気した頬に、潤んだ目元で睨みあげられたとて、

恐怖をするどころか、理性との戦いになることは言うまでもない。

 

快斗はそんな妖艶な彼の姿に、慌てて視線を外した。

 

年々、美しくなっているような気がするのはなぜだろうか。

快斗は嫌がる新一に差し出すと、戻るまでに飲んでいてくださいと席を離れる。

これ以上、一緒に居ると理性の箍が外れる気がした。

 

 

春先の冷たい風を避けるために締め切られた障子を開け、

縁側に出ると美しい桜が視界いっぱいに広がった。

 

病弱な息子のためにと新一の父、優作が植えさせた桜は今年も見事に咲いている。

それでも、庭に植えられた人工の物ではなく、山で逞しく桜が見たいのだと

新一も幼いころは毎年のように駄々をこねていた。

そのたびに快斗は妖の姿になり彼を背負って桜を見せに行ってやりたいと思ったものだ。

 

だが、毎年季節の変わり目に体調を崩す彼を連れて行ったことは一度もない。

むしろ花見でさえこの軒先でしたほどだ。

 

「桜はすぐに散ってしまうから美しいとはよく言ったものよね。」

 

ふと桜吹雪とともに聞こえた声に視線をうつすと、桜の木の根元に美しい猫が1匹。

だが次の瞬間にそれは艶やかな着物を纏った女へと変化する。

顔なじみの妖に快斗はフッと小さく笑みを浮かべた。

 

「見まいか?志保ちゃん。」

 

「ええ。若旦那が風邪を引いたと聞いたから。また遠山桜を見れずに落ち込んでいるかと思って。」

 

快斗の横を通り過ぎ、志保が締め切られた障子を再びあける。

と、それに合わせたように強い風が吹き、桜吹雪が彼の部屋へと流れ込んだ。

 

薬を飲んで眠ったのだろう。

横たわる新一の上にピンクの淡い桜の花びらが舞い落ちる。

その光景はまるでこの世の物とは思えないほどで・・・・。

 

淡い桜と共に新一が消えてしまいそうだ・・・。

 

 

と、感じた瞬間、快斗は慌てて志保を押しのけ、横たわった彼の腕を引き強引に腕の中に閉じ込めた。

 

「黒羽君?」

 

突然の行動に驚いて彼を見ると、快斗自身も戸惑った表情をみせる。

腕の中に強引に抱き込まれた新一は、よっぽど眠り込んでいるのか起きることはない。

快斗は無意識に彼の脈と呼吸を確認すると、ようやくその腕の力を少しだけゆるめた。

 

「志保ちゃんが、桜はすぐに散ってしまうから美しいとか言うからさ・・・。」

 

「散る桜、残る桜も、散る桜。・・・・人はいつか死ぬものよ。

特に妖とは違う時間を生きているから、その生涯は私たちと比べれば儚いわ。」

 

「良寛の句だね。分かっちゃいるんだけどさ・・・。年々、新一がきれいになって。」

 

だから桜を見ると怖くなるんだ。

 

新一の頬を愛おしそうに撫で、その唇にそっとキスを落とす。

これほどに彼を愛しているというのに、

快斗はその思いを新一の前ではすべて隠してしまう。

 

親心のような愛情で真の愛を覆ってしまう。

 

志保は短くため息をつくと、そっと彼らの傍へとしゃがみ込んだ。

 

「不器用ね、あなたも工藤君も。」

 

 

 

 

『なぁ、志保。西行は、願わくは花の下にて春死なんって詠んだけど、

俺はさ、死ぬなら快斗の腕の中が良いなって思うんだ。』

 

『あなたらしくないわね。早く元気になって山に桜を見に行くんでしょう?』

 

『自分の体のことくらいわかるよ。あと何度春を迎えられるか・・・。

きっと片手で足りるくらいだ。だからさ、志保。

俺が死にかけて、傍に快斗が居なかったらさ、連れてきてくれよ。』

 

 

そんな言葉を交わしたのは何年前だっただろうか。

 

 

 

「きっと、今死ねたら彼は幸せなんでしょうね。」

 

快斗の腕の中で気持ちよさそうに眠る彼の髪についた花びらを志保はそっと手に取る。

 

「志保ちゃん、縁起でもないこと言うと、君でも許さないよ。」

「ふふ。そうなる前に素直になるべきなのよ。あなたたちは。」

 

快斗がさらに何か言おうとしたが、すでに志保は猫の姿に戻り、縁側へと出た後で。

彼女の背後に見えた空は、日は長くなったとはいえ、茜色へと染まり始めていた。

 

 

―――――― 入日さす 遠山桜ひとむらは 暮るるともなき 花の蔭かな 〜今川義元〜

 

「ここから、せめて遠山桜が見えたらいいのにね。」

 

今は静かに眠る彼に伝えられるのは先人が残した詩くらいだ。