02:姿の桜

 

毎年、春になると思うことがある。

あの時計台の近くで咲いていた狂い桜は、また今年も花をつけているのだろうかと。

 

南フランスの片田舎を拠点とするようになって何度目かの春を迎えた。

 

快斗や近所の人が季節にあわせた花を、と手入れをしてくれているため

家の周囲にある丘には、今は春を告げる花が少しずつ芽吹き始めている。

 

東京とさほど変わらないといえど、花冷えのする時期であることには変わりなく

新一は一枚多めに上着を羽織って丘の上をゆっくりと歩いた。

 

家の中から快斗作る昼食の良い香りがする。

せっかくの天気だから外で食べようと、朝から張り切っているのだ。

残念ながらこちらの桜は日本と違い早めに咲いてしまったため花見はできないが。

 

今は葉桜となった桜の木を見上げると、いつくか小さな実がなっていることに気づく。

こちらの桜はアメリカンチェリーのような大ぶりのサクランボができるのだ。と

自慢げに話していた桜の送り主の顔がふと頭に浮かんだ。

 

「レーネ!!」

 

春風に乗って、丘の下から聞こえてきた声に視線を移せば、

側近を一人連れた少年が駆け上がってくるのが見えた。

もう、少年とは呼べないほどに成長した彼をみると時間の流れを実感してしまう。

 

ここにある桜の木も、彼が植えさせたものだ。

日本人は桜が好きだろう?と。

日本へは二度と戻れない新一への彼なりの気遣いだった。

 

 

「ルース。どうしたんだ?」

「花見をするって聞いたから、急いで飛んできたんだ。」

「は?」

 

さすがは彼のおひざ元のフランス、という言葉だけでは納得できないほどの情報網に新一は目を丸くする。

ひょっとして盗聴器がいくつか仕込まれているのかもしれないなと

新一は後で快斗に確認させることを心に決めた。(あくまで自分ではやらないらしい。)

 

「日本の桜がさ、昨日届いたしね。」

 

彼の側近が何か重そうに持っていると思ったが、まさか桜の苗木だったとは。

 

日本の桜。

ソメイヨシノ。

 

江戸時代に人工的に作られたそれは、山にある古来の桜に比べてひどく弱い。

 

 

「少しだけ花もつけてるし、僕がレーネに送った桜の傍にでも植えて、花見をしよっ。」

「ルース。気持ちは嬉しいけど、おまえ職権乱用しすぎだぞ。」

 

「良いの。良いの。それにさ、僕はこの桜が好きなんだ。

儚くそれでいて気高くて。まるでレーネみたいだから。」

 

傍に下ろされた苗木にキスをルースが送っていると、タイミングよく家の扉が開いた。

 

「なんか嫌な声が聞こえると思ったら、てめぇか。」

 

「うわっ、フランス国土で僕をそんなお出迎えするのなんて君くらいだよ。

まぁ、今日だけは、喧嘩はしないであげる。せっかくの花見にご招待いただいたんだからね。」

 

「誰がいつ招待したんだ・・。たっく。新一、悪いけどレジャーシートお願いしていい?」

 

「あぁ。ルース、ワインは持ってきてるんだろ?なら、ワイングラスもいるな。」

 

「もちろん、最高級のものをね。まぁ、花見は日本酒かとも思ったけど、

ここはフランス流でいきたいし。それに黒羽の料理もサンドイッチとチーズだろ?」

 

「本気で引っ越しを考えたくなるな・・・。」

 

快斗は手に持ったバスケットの中身を一瞥して、ついで新一と過ごす我が家を振り返る。

 

「世界のどこに行ったって無駄だって。むしろここより安全な場所はないよ。」

「知ってるよ。たっく、おいデカイの。新一の手伝いを頼む。」

「そうだよ、木みたいに突っ立ってないの。」

 

側近の男は驚いたように二人を交互に見た。

自分なんぞが、あの高貴な王妃の手伝いなどしてもいいのかとその眼は言いたげだ。

 

「あのさ、信用してるってことだぜ。少なくとも俺と新一はね。」

「僕は誰も信用しないけど。まぁ、花見の席には混ぜてやるから手伝いくらいしなよ。」

 

ここ数年、ルースとともに来る大男とも彼らは顔なじみになっていて。

言葉数は少ないが真面目で愚直なこの男を少なからず快斗と新一は信用していた。

ルースも素直ではないが、もっとも大切にしている場所に連れてくる男が

彼だけという事実をみても、十分にどう思っているかはわかる。

 

男は目元にたまりそうになった涙を慌てて拭うと急いで家の中へとかけていった。

 

「しかし、ソメイヨシノを持ってくるとはね。」

 

「黒羽は知ってる?レーネにとってこの花は思い入れがあるみたいなんだ。

 黒羽と再開する前はさ、春になるとさ、何かを求めるようにいつも桜を探してたよ。」

 

「狂い咲きの桜・・か。」

 

「なに?やっぱり黒羽がらみなのかよ。それなら持ってこなきゃよかったな。」

 

「分かってたくせによく言うよ。」

 

快斗はバスケットを草の上に下ろすと、ルースの持ってきたワインを眺める。

こうして彼と一緒に花見をする関係になるなんて、思いもしなかったが。

 

「しかし、未成年がよくこんなワインを知ってるな。」

「誰に物を言ってるのさ。あ、レーネ!」

 

家から出てきた新一はワイングラスを、

重そうなレジャーシートなどは側近の男が持っている。

そして彼がシートをひくと、小さな苗木を愛でながらの花見が始まった。

 

快斗が作ったサンドイッチにチーズをつまみに美味しいワインを飲む。

側近の男を誘いはしたものの、彼は一つだけサンドイッチを口にしただけで

あとは、少し離れて葉桜となったフランスの桜の木の下で護衛を続けていた。

やはり急にこの輪に入ることは難しいのだろうと、

快斗も新一も無理に誘うことはしなかった。

 

 

「悔しいけど、黒羽の料理は一流だね。」

「ルースのワインもさすがだけどな。」

 

「ククっ。おまえら、本当に仲良くなったよな。」

 

二人の姿を見ながら新一は嬉しそうに顔を綻ばせる。

まるで兄弟みたいだと付け加えれば、同時に心底嫌そうな顔をするから。

余計におかしくなってしまうのだ。

 

「新一、笑いすぎだって。」

「まぁ、レーネがうれしいなら、不本意だけど黒羽と仲良くするけど?」

「うわっ。相変わらず嫌な奴。」

 

再び口論を始めた快斗とルースを横目に、新一は植えられた小さな桜を見る。

 

快斗と別れたあの日、少しだけ早く咲いた狂い桜。

それから毎年、隠れるように咲く桜を見つければ、快斗が見つかる気がしていた。

きっとルースにもそれが分かっていたのだろう。

 

「・・・レーネ、黒羽を思ってその桜を見ないでよ。」

「ばっ、誰が!?」

「新一は、本当にかわいいなぁ。」

 

慌てて振り返った瞬間、新一は快斗の腕の中に閉じ込められる。

嬉しくてギューギューと出し決める彼に『うぬぼれんな』と押し返してみるが

その力はさほど強くなく、照れ隠しなのは傍目で見れば明らかだった。

 

「あーあ。結局当て馬かぁ。桜を持ってこれば、レーネの気をひけると思ったのに。」

 

「馬鹿だなぁ。それにさ、桜がなくとも俺は年中花見してるんだぜ。」

 

「え?」

 

「姿の桜。日本では美しい人をそう呼ぶんだ。」

 

だから、俺の桜は新ちゃんなわけ。とチュっとキスをすれば

さらに彼の頬は薄い桜色に染まる。

確かに、その色も儚さも桜にそっくりだ。

 

「たっく。レーネにとっても、桜は思い人の面影だったみだいだし。

・・・・桜が必要なのは僕だったのかもなぁ。」

 

「なんなら、持って帰るか?」

 

「冗談。手元にすんなり納まるものなんて、僕は欲しくないからね。」

 

グラスに残ったワインを飲みほしてルースは立ち上がる。

 

「さて、会合の途中で抜け出したからさ、そろそろ戻らないと。」

「「は!?」」

「じゃあ、またね。レーネ。今度はちゃんとご招待よろしく♪」

 

驚く二人に満足げに笑いながら、彼は丘を来た時のように静かに下っていく。

その後ろ姿は、もう、青年の域に届きそうなほどで、年々魅力を増していた。

 

「新一、他の男に見ほれないの。」

 

ギュッと強まる腕の力に、新一はクスクスと笑みを漏らす。

本当に独占欲の塊みたいだと。

 

「ちげぇよ。なんか弟みたいだからさ、あいつ。」

「あぁ、ちょっと分かるかも。けど、新一はあげないよ。」

「ばーろ。俺の場所はここだけだって、お前も知ってるだろ?」

 

そういって見上げてくる新一に快斗の頬がサッと赤く染まる。

日頃素直じゃない新一の言葉は快斗にとっては酒よりも強く酔わせるのだ。

 

「最強の桜だよ、新一は。」

「はは。大事にしろよ。」

「もちろん。」

 

ワインを飲みながら眺める異国での花見。

もう、日本で桜を愛でることはできないけれど。

傍に彼が居るのなら。

その思いが二人とも同じであったことは言うまでもない。