03:夢見草

 

今年の桜の開花は例年に比べ早く、東都の町も花盛りを迎えていた。

さすがに夜は寒いのか、金曜というのに夜桜見物の客は少なく

快斗はその光景を上空から眺める。

上空・・・・そう、彼は今、仕事を終え、

父の代からの相棒である寺井と落ち合うためとあるビルの屋上を目指していた。

 

 

音もなく降り立った白い鳥を迎えるものは寺井以外にはいない。

煩い警察どもはすでに見当違いの方向へと向かっているだろう。

そういえば、隣に住んでいる少女が今日は家族で夜桜だったのにと

今日、予告場を出したKIDに怒っていたっけ。

さらに帰りも遅くなるとは申し訳ないと一瞬思ったが、

それもすぐに月に獲物をかざしているうちに忘れてしまっていた。

 

「ぼっちゃま・・・。」

「はずれだ。」

 

今日は結構期待していたのにと言外に含めて寺井を見ると、

寺井は目を伏せ、ついで、次がありますと柔和な笑みを浮かべる。

その笑顔に快斗もまた曖昧な笑みを浮かべて、獲物を彼へと手渡した。

 

「悪いけど、また返却よろしく。寺井ちゃん。」

「はい。かしこまりました。して、快斗ぼっちゃま。」

「ん?」

「今日、仕事前に眺めていたのは何かのお守りでしょうか?」

 

ぼっちゃんはやめろってと笑いながら、変装を解くと、快斗は寺井の述べの物が何か寸の間考える。

彼が聞きたいものとは、ひょっとして。

ごそごそとズボンの中を探ると、小さな学ランのボタンがひとつ出てきた。

 

「これのこと?」

 

「はい。珍しく今日はそれを眺めてから飛び立っておいででしたので、気になりまして。」

「深い意味はないけどさ、今日はこれを持って行きたかったんだよね。季節的に。」

「季節・・・春?桜?いや、卒業式でございますか?となるとそれは・・・。」

 

寺井の頭に思うかんだのは、快斗が必死にKIDを続ける理由のひとつとなっている青年。

今は、違う高校に通ってはいるものの、中学は確か学ランだったはずだ。

 

「さすが、寺井ちゃん。そ、これは俺の新一コレクションNo.1592の第2ボタンね。」

「快斗様、番号まで把握されているんですね。」

 

無駄に良い頭を使うポイントが間違っているとは、よく彼の母千影が言っていたが。

確かにその通りだと寺井も思ってしまう。

 

「卒業式に新一様がくれたのですか・・・。」

「う〜ん。正確には、奪っちゃった、かな。」

 

 

そう。あのときも、今年のように早咲きの桜の日だった。

中学の卒業式、体育館の裏の桜の木の下で。

 

「俺は証が欲しかったんだ。」

 

 

 

 

 

「黒羽〜。卒業おめでとう。」

「おう、水田。おめでとう。っていっても、また高校一緒だけどな。」

「だな。それより、おまえの嫁がまた呼び出されてたぞ。」

 

小学校から付き合いのある同級生が、卒業証書の円筒で背中を小突く。

黒羽と工藤。この二人の関係を茶化すのは、彼くらいで。

ほとんどはもう一人の幼馴染である隣家の中森青子のことを

よく冗談で『嫁』と呼んでいた。

 

「マジで!?相手は、女?男?」

 

「それが男。たっく、卒業式になると思いきる奴もいるからなぁ。

って、黒羽。場所は体育館の裏側だからな!!」

 

慌てて走り出した黒羽の背中に水田は大声で場所を告げる。

それにサンキュと片手をあげて返す彼に、

どうしてクラスの連中は気づかないのかねぇと他人事のように水田は苦笑を漏らした。

 

「あー。くっそ、見かけないと思ったら、油断した。」

 

幼なじみの工藤新一はそれはそれは男女問わずもてる。

それでも、女子からは高値の花であって、ファンクラブがこそこそ応援している程度だ。

むしろ、バレンタインデーは愛嬌のある快斗のほうが近づきやすさもあってか

彼よりも女子からチョコレートをもらっていた。

 

が、問題は男の場合だ。彼らは思春期まっさかりとあって節操がない。

特にこのようなイベントの時期になると、本気で思いを告げる輩もでてきてしまう始末。

いつもなら警戒して予防線をはる快斗も今回はもろもろの事情もあって油断していた。

冷静に考えてみれば、最後だからこそ思いきる奴もいるというのに。

 

「それほど、高校が違うのがショックだったんかなぁ。俺。」

 

走りながら思い出すのは昨晩聞かされた真実。

いつも通り快斗の家に遊びに来ていた新一から告げられたのは信じられない一言だった。

 

 

*********

 

『俺は帝丹に行くから。』

 

『は?うそだろ!?』

 

『まぁ、おまえには黙ってたの悪かったと思うけどさ、俺が帝丹にするって言ったら

 志望校変えそうだったからさ。それに江古田に行くなんて一言も言ってねぇし。』

 

江古田高校に一緒に受験したから、新一ももちろんそこに行くと思っていた。

その期待を大きく裏切られ快斗は手に持ったままのトランプを落とす。

それに何やってるんだ、マジシャンが。と新一が呆れたように拾い始めた。

視界の隅にそんな彼の姿をとどめつつも快斗は事実が受け入れられなくて。

 

『なんで、俺と一緒が嫌だったわけ?』

 

『はぁ?うぬぼれるな、バカイト。俺はサッカーをしたいんだよ。帝丹の方がサッカーは盛んだし。

それに快斗だって、優作さんと同じ江古田高校に行くって張り切ってただろ。

別に高校が違ったって関係性が変わるわけじゃないし・・・って快斗?聞いてんのか?』

 

『新一の馬鹿野郎!!』

 

 

そのまま飛び出して戻ってみれば、新一は帰った後で。

 

今朝の卒業式も気まずくて碌に挨拶すらできなかった。

放課後にこそ話そうと思っていたのに。

 

「と、新一発見!」

 

話途中に邪魔するとまた嫌な顔をされるだろうと

快斗はそっと彼らの近くにある桜の木へと身を隠したのだった。

 

 

 

 

 

 

「工藤先輩。ずっと好きでした!」

 

お話がありますと呼び出された後輩からの告白は何とも予想外のものだった。

と言っても、男からの告白は初めてではなく、新一は困ったように頬をかく。

行事ごととはセンチメンタルな気分になるのだろうか。

せめてそれならば女子に思いを告げればいいのにとどこか他人事のように考えつつ

新一は相手を傷つけない言葉を頭の中で探した。

 

「えっと、気持ちは嬉しいんだけどさ。俺は・・。」

「分かってます。毛利先輩とお付き合いされてるんですよね。」

「は!?」

「それでも、このまま何もなくお別れなんて僕には無理で!だから、せめて。」

 

「お、おい、落ち着けって。」

 

肩をつかまれて思いっきり桜の木へと押し付けられた。

その衝撃にツッと新一は顔をゆがめる。

まさか同じ男なのにこれほどの力の差があるのか・・・。

押し返そうにもピクリともしない事実に新一の中で焦りが生まれた。

 

近づいてくる後輩の唇に、新一は必死に顔をそむける。

 

―――くっそ、昨日、千影さんに宣言したばっかりっていうのによ。

 

 

そう。これからは一人で頑張っていくと、決意したのに。

 

 

 

昨晩、高校が別のところになると快斗に告げると、

彼は『馬鹿野郎』と叫んだかと思えば次の瞬間には窓から外へと飛び出していた。

マジシャンって身のこなしが軽いのかと感心しつつ、

新一はある程度予想できた結果に深くため息をつく。

 

ここで待っていても意味はないかと

飲みかけのお茶とお菓子をお盆に乗せて下の階へと持って行くと

苦笑した千影と目があった。

 

『ごめんね、新一君。』 

『いや、黙ってたのは俺ですし。』

『時間ある?少しお話しない?』

 

新一からお盆を受け取りつつ、千影はダイニングテーブルを視線で示す。

それにニッコリと新一は微笑むと、促されるがまま席に着いた。

 

『女性の誘いを無下に断るなとは母の教えですから。』

『本当に、良い男になったわね。新一君も。』

 

ドリップ式のコーヒーを注ぎ、カップを二つ持つと新一の正面へと腰を下ろす。

少し緊張した面持ちの新一に、千影は少しいじめている気分になった。

 

『新一君が快斗と違う高校を選んだのは、サッカーだけのためとは思えないんだけど。』

『正直なところ少し怖くなったんです。』

『怖く?』

 

『快斗とはガキのころからずっと一緒で。俺にとっての世界にはいつも中心にアイツがいた。

それはうぬぼれじゃなく快斗も同じで。だから、このままだと快斗を俺に縛り付けてしまう。

それが怖くて・・・それに、快斗は自由が似合うから。』

 

新一にとって快斗は空を自由に飛ぶ鳥だ。

だからこそ、自分だけの傍に納まってほしくない。

これはただのエゴだけれど。

 

『自由にできるのは、帰る場所があるからよ。鳥だって止まり木がないと疲れてしんでしまうわ。』

 

『その止まり木になる選択肢を少なくしたくないんです。

それに、俺自身も快斗が居なくてどれだけやれるのか、試してみたいんです。』

 

小さい時からそれこそ守ってくれた快斗。

悲しい時も苦しい時もすべてを分け合ってくれた。

 

『俺にとっての挑戦なんです。千影さん。』

 

『本当に逞しくなっちゃって。快斗が寂しがるのもわかるわ。でもね、新一君。

 これだけは忘れないで。快斗の世界はあなたのせいで狭くはなってないわ。

 あの子はいろんなものを見て、いろんな選択肢の中からあなたを選んでる。

 これはずっと変わらないわ。っと、もう外も薄暗くなってきたわね。』

 

『遅くまですみません。夕飯の用意もあるのに。』

『いいのよ。それじゃあ、また明日。卒業式でね。』

『はい。』

 

 

 

頭の中で昨日の千影とのやりとりが繰り返される。

挑戦だと言ったのに、それなのに、自分の身ひとつ守れない。

 

このままでは逃げられない。

 

そう思った瞬間、

 

「っつ、快斗!!」

「はーい。お待たせ。」

 

桜の木の中から、桜吹雪と共に降りてきたのは、新一が待ち望んだ彼だった。

 

 

 

 

目前まで迫っていた顔は地にふせ、気づけば快斗の腕の中に納まっていた。

優しく包み込む快斗からは、少しだけ甘い桜の香りがする。

 

「てめぇ、見てやがったな。」

 

桜の香りが移るほどに居たということが分かり睨みつけると

快斗はどこ吹く風でニッコリと笑みを浮かべるだけ。

 

「見てたけど?」

「なら、なんで・・・。」

「もっと早く助けなかったのか?って言うのか。その口で。」

「っつ。」

 

顔を真っ赤に染めた新一に少し意地悪だったかなと思う。

昨日、家に戻った時に母親から聞いたのは、新一の決意。

だからこそ、快斗もまた今日は新一としっかり話そうと思えたのだ。

 

「新一が一人で頑張っていくって聞いて、しばらく距離も必要かなって思った。

 俺も新一に依存してる自覚あるし。けどさ、こんなところ見たら心配になる。」

 

高校が違えば、すぐに助けに行けなくなる。

そうしたら、身の危険さえあるかもしれない。

 

年々きれいになっていく幼馴染を見ていると、それは杞憂ではないことも分かっているから。

 

「蘭に空手とか教わるし。

それに、快斗なら本当にやばくなったら世界の裏側からでも来てくれそうだ。」

 

違うか?と上目づかいで見られたら、降参するしかないということを

新一は知っているのだろうか。

 

「言ってることめちゃくちゃ矛盾してるし。・・・けど、俺の負けだなぁ。」

 

「快斗?」

 

「分かったよ。俺がどんだけ必要か、離れて自覚すればいいさ。新一は。」

 

「ばーろー。んなこたねぇよ。」

 

クスクスとお互いに笑いあい、快斗は新一から離れる。

その手には、第2ボタンを持って。

 

「てめ、いつのまに。」

 

「いいじゃん。桜の木が承人ね。俺と新一は高校3年間離れて

互いにやっぱり必要だと思ったら、同棲します。その証にこれはもらっとくから。」

 

「は?ふざけんな。なんで、同棲にまでなるんだよ。」

 

「お付き合いの次はこれでしょ。んで、あとは結婚かぁ。」

 

「人の話を聞け!!バカイト!!」

 

 

*************

 

 

「そうして、俺たちは別々の高校に行ったってわけ。

まさかそれから1年くらいで新一が行方不明になるなんて思ってもなかったけど。」

 

「そうでしたか。」

 

「やっぱり離れるべきじゃなかったって思った。で、その証がこの学ランのボタンんなんだ。

このボタンには俺の後悔がいっぱい詰まってる。

 俺が新一を傍においとけば、新一が今みたいに毒薬に苦しむことだってなかったって。

 だからさ、俺は絶対に新一が普通に生きられるように、パンドラを見つけ出すんだ。」

 

「快斗ぼっちゃま。」

 

「さて、そろそろ帰らないと新一が心配して夜更かししたら大変だからね。」

 

再びポケットにボタンをしまうと、

快斗は寺井の隣を通り過ぎ、下へと降りる階段へと足を向ける。

 

桜は別名、夢見草とも言う。

夢のように美しくも儚い様からその名をつけられたそうだ。

 

その木を証人として誓った言葉が、儚く消えてしまわねばいいが。

寺井は屋上から東都に広がる夢見草を眺めながら、人知れず願うのだった。