「雨、降ってきちゃった。」

 

花曇りの空を見上げながら5歳の娘、由佳は泣きそうな表情になった。

その言葉に新一は繋いでいた由佳の手を一度離し、折畳みの傘をバックから出す。

ポツポツと落ちてくる雨は彼らの頬に当たり、わずかながらに体温を奪った。

天気予報では曇りとは言っていたが・・・。

 

「この程度ならすぐ止むさ。」

「そうだよ、それにお父さんが魔法でなんとかしてくれるし。」

 

由佳の隣を歩いていた兄、雅斗はそういって妹の冷え切った手を握りしめる。

ギュッと握られたその温度に少し安心したのか、彼女も自然と笑みを浮かべた。

 

「うん、パパにならできるよね。」

「ほら、二人ともちゃんと傘に入って。」

 

「「は〜い」」

 

差し出された新一の傘に子供たちはすっぽりと収まる。

そんな双子に微笑みながら、新一もまた、彼らと同じように雨が止むのを祈るのだった。

 

 

― 桜雨 ―

 

 

4月も半ばに差し掛かり、関東の桜が新緑へと変化するころ。

東都から3時間ほど電車に揺られた地方へと新一、雅斗、由佳の3人は来ていた。

ちなみに悠斗と由梨は遠出も体力的にきついだろうと、快斗の母、

千影の家にあずかってもらっている。

久しぶりに孫と遊べると千影は喜んでその役を引き受けてくれて。

こうして3人で出かけるのは初めてだなと新一は思う。

 

山深いその町は、遅い春がようやく訪れたらしく、

電車から降りてすぐに見事に咲き誇った桜が視界を埋め尽くした。

今回、駆け出しマジシャンである快斗が地方都市の桜祭りにゲストとして呼ばれ

それを見にこうして3人でこの町へと来た次第である。

 

ちょっとした小旅行に電車では、はしゃいでいた雅斗と由佳。

だだ、この天気の悪さにテンションが落ちるのは無理もないことだ。

会場となる神社に続く参道には、出店の準備が始まっているが

お国ことばの混じるかれらの話ももっぱら天気の話題だった。

 

これでは客足が減るなと売り上げを心配するもの。

寒いくらいが焼き団子は売れるなとほくそ笑むもの。

さまざまな表情が彼らの視界の隅をすり抜けていく。

 

出店開始まであと30分、快斗のショーまであと1時間ほどだが、

それにしては客は少ないなというのが、正直なところだ。

 

「せっかくお父さんのすごい魔法がみれるのに。」

「みんな損してるよね!」

 

前を歩く子供たちの会話に新一は柔らかな笑みを向ける。

家で毎日のように快斗が繰り出してくれる魔法がどれだけすごいものなのか。

それを多くの人に知ってほしいという気持ちは新一もまた同じだ。

 

「大丈夫。時間になれば人もくるさ。それより、雅斗、由佳。

お前たちも少し冷えてきただろ?どこかで雨宿りでもするか。」

 

予定では早めに来て花見でもと思ったが、この雨だ。

このままここに居ても仕方がない。

適当に暖を取れるところはないだろうかと、脇道へと足を踏み入れた時だった。

 

 

「お姉さん、お困りなの?」

 

ふと背後から聞こえた声に振り返ると

傘を持っていない腕を急につかまれ、新一は半ば強引に引っ張られる。

と、同時に傘が大きく揺れ、傘にたまった雨水がそばに居た声の主にかかった。

 

「っつ、冷てぇ。」

「悪い。」

 

若い男二人組に新一は嫌な予感を抱くが、子どもたちを連れている今は

騒ぎを大きくするわけにもいかず、とりあえず謝罪を口にする。

彼らの異様な雰囲気を察したのか、

双子は怯えるように新一の背後へと隠れ、

由佳に至っては足にぴったりとくっついていた。

 

冷え切った幼い少女の手から伝わるのは恐怖に似た小刻みな震えで。

新一は脇道に入った自分を悔やむしかない。

 

「悪いですむなら警察はいらないってぇーの。」

「せっかく親切に声かけてあげたのにさ。」

 

気づけばもう一人の男の手は新一の肩へと回っている。

できることならその手を思いっきり捻りたいところだが、

つかまれた左手と、傘を持った右手が邪魔してうまく身動きが取れなかった。

 

「弟と妹は親戚にでも預けて、遊ぼうよお姉さん。」

「そうそう。謝罪の気持ちがあるならね。」

 

脇道ということに加え彼らの傘が死角となり、

出店の人たちからは自分たちの様子が見えない。

さらにこの悪天候と祭り30分前とあって、観光客がそばを通る気配もなかった。

 

さて、どうするか。

新一が状況判断を行っていると、フッと足につかまっていた手が離れた。

 

「お母さんから手を離せ!!」

「ママはパパのだもん!!」

 

そう叫ぶと、雅斗と由佳は小さいながらも懸命に男たちの足へとそれぞれ飛びついた。

ドンっと思ったより強い衝撃に彼らはその表情を一気に怒りの色に染める。

 

「このくそガキ!!」

「離しやがれ。」

 

だが小さな体で男たちを止めることなど敵うはずもなく、

すぐに首根っこを持たれ持ち上げられてしまう。

男たちの手が子供たちへと向けられたため

新一の腕と肩への拘束は解かれたが、今の状況の方が最悪だ。

 

自分への攻撃はどんなものでも受け入れられる。

だが、まだ幼い子どもたちを危険にさらすわけにはいかない。

それも、こんな考えなしの大人が、何をするかなんて想像もつかなくて。

その瞬間、新一は感じたことのない恐怖に初めて足が震えた。

 

「おまえら、うちの子を離せ!」

「子?そういや、さっきママとか言ってたな。」

「マジ!?こんな美人なのに子もちかよ。」

 

「いいから、すぐに離さねぇと・・・。」

 

傘を振り捨て、滲みよる新一の剣幕に男たちは一歩後退する。

だが、手の中で暴れる雅斗と由佳を開放するそぶりは一切見せなかった。

 

「おいおい、状況分かってるのかよ。」

「どうみたって、俺たちが優勢だろ。」

「ガキを投げ捨てられたくなかったら。」

 

「投げ捨てられなかったら、何かな?」

 

背後から聞こえたその声に男たちが振り返ると、

そこには背筋まで凍るような冷たい笑みを浮かべた男が経っていた。

 

 

 

「たっく、もっと蹴り飛ばしとけばよかった。」

「まぁ、それは同感だな。」

 

わんわんと泣く由佳を快斗が、震える雅斗を新一がそれぞれ胸に抱き参道を歩く。

いつのまにか快斗の空いた手には大きめの傘が握られており

それは、4人で入るには十分な大きさだった。

 

泣きやむ気配のない娘をトントンとあやしつつ、快斗の怒りは収まっていないようで。

新一もまた、その気持ちは同じだ。

 

「灰原にあいつらの個人情報は伝えたんだろ?」

「当然。ついでに優作さんたちやお袋にもね。あ、それと佐藤さんと紅子にも。」

「容赦ねぇな・・・。」

「それでも少ないくらいだよ。俺たちの天使をこんなに泣かせてるんだから。」

 

そういって、チュッと額にキスを落とすと由佳がようやく顔を上げる。

 

「天使?」

「そ。パパとママたちにとって、雅斗も由佳も、もちろん悠斗と由梨も

可愛くて世界一大切な天使だよ。」

 

「由佳、天使!かわいい白い羽のやつ。」

「うん。そうだね。」

 

絵本で見た天使を思い出したのか、途端に由佳は笑顔になる。

だが、一方の雅斗は、横目に由佳の様子を見て少しホッとしているようだが

未だに涙を我慢しているようにも新一には見えた。

 

「雅斗?ごめんな、ちゃんと守ってやれなくて。」

「違う。僕が弱いから、悔しいだけ。」

「え?」

「お父さんが居ないときはお母さんを守るって約束してたから。」

 

驚いて快斗を見れば、彼は小さくウィンクを返す。

 

「立派に約束守ってたぞ、雅斗。な、新一?」

「もちろん。頼もしいナイトだった。」

「ほんとに?」

「ああ。立派なナイト様にもご褒美上げないとな。」

 

そういって、新一は快斗が由佳にしたように、

チュっと彼の柔らかな頬にキスを落とす。

 

「あー。ずりぃぞ、雅斗!!」

「息子にやきもちやくな。」

「だって、俺だって助けに来たのにさ。」

 

ブーブーと頬を膨らませる快斗に、雅斗と由佳はクスクスと笑う。

その笑顔に新一も自然と笑みを漏らし、しょうがねぇなと肩をすくめた。

 

「雅斗、由佳。5秒だけ目を閉じてくれ。」

「「うん。」」

 

新一の珍しい頼みに子供たちは素直に目を閉じる。

それに快斗が驚いたように新一を見ると・・・。

 

少し冷えた唇が快斗の唇へと重なった。

 

「守ってくれたパパにご褒美だ。」

「っつ・・・反則だよ////

 

「あー、パパのほっぺ桜色だ。」

「マジシャンはポーカーフェイスだよ、お父さん。」

 

子どもたちにそろって指摘され、快斗は少し視線をそらす。

そんな快斗の姿に新一が不意打ちもいいかもしんねぇなと

内心思ったことはここだけの秘密だ。