パサリ

 

本を捲る音が静かな部屋に響く。

快斗はその音を聞きながら、卓上に広げられた課題をこなした。

 

元々車どおりが多い場所ではないことに加え、道から少し外れている為

彼の本を捲る音がより一層心地よく耳に届く。

チラリとその姿を盗み見れば、窓辺の柔らかな春の日差しを浴びる場所にいる彼は

どこか幻想的で、一枚の絵画のようにも思えた。

 

「終わったのか?」

 

視線を感じたのか、彼、工藤新一が本から顔を上げる。

それに軽く苦笑を漏らすと、新一もまた似たような笑みを浮かべた。

 

 

〜スロー・ライフ〜

 

 

彼に知り合ってもうすぐ季節は一巡りする。

その間に快斗と新一の関係はゆっくりと、だが着実に近づいてきた。

 

今日もそんな彼と共に時間をすごそうと、良い天気に託けて花見に誘いに来たのだけど。

『明日から新学期だろう。宿題は終わったのか?』と聞かれ、

次の瞬間にはどこから入手したのか春休みの課題がダイニングのテーブルの上に広げられた。

 

聞けば昨日、快斗の母親が店に持ち込んだらしい。

どこまでも息子の性格を把握している彼女に流石だといいたい反面

余計なことをと悪態を吐きたかったが

両親を亡くした新一に『母親の愛情だぞ、これも』と微笑まれたら

さすがの快斗も従うしかなかった。

 

 

「普通、春休みって課題とかないのにさ。」

「高3になるんだから、あるだろ。受験生。」

 

ククッと喉の奥で笑みを押し殺し、新一が空になったカップに紅茶を注ぐ。

琥珀色に輝くそれは、彼が最近手に入れたお気に入りとかで。

砂糖を入れなくても仄かな甘みを感じられる味に、

自分の好みも考慮してくれたのだと気付き、快斗はちょっと嬉しくなった。

 

あからさまに愛情表現する快斗と違い

新一の愛情表現は少し婉曲で分かりづらい。

 

けれど、快斗はそんな部分も含めて新一が好きだった。

 

「受験だからって、来るなとか言わないでよ。」

「言わねぇよ。だっておまえ、受験勉強とか必要無いだろ?」

 

普通の学生が2週間の休みでやっとこなす量の課題を1時間弱でほぼ終えている快斗。

それならさっさとすれば良いのにと思ったものの、

新一も同じアナの狢のためか、あえてそのことを口にすることは無かった。

 

「良かった。俺、新一に会えなくなったら死んじゃうし。」

「大げさだ、バカイト。ほら、さっさと終わらないと花見もいけなくなるぜ。」

 

テーブルに置きっぱなしの本を本棚になおすと新一はそのままキッチンへと向かう。

先ほどまで聞こえていた本を捲る音が料理を作る音へと変わった。

その音に後押しされるように快斗の手も早くなっていく。

 

新一がお弁当まで作ってくれているのに、

こんな課題に時間を取られている暇は無いのだ。

 

外を見れば、日はだいぶ高く上がっていた。

日中の時間が長くなってきたとはいえ、昼の暖かな時間は限られている。

 

花見に行くならば、どこがいいだろう。

ちょっと足を伸ばして川べりの桜もいいかもしれない。

 

だけど川べりは風も冷たいし・・・。

 

「快斗。手、止まってるぞ。」

「は〜い。」

 

軽く頭を振って課題へと意識を集中させると、再び響く包丁の心地よい音。

快斗はそれをBGMに、最後の課題を仕上げたのだった。

 

 

新一の希望もあり、花見の場所は近所の公園の一角となった。

快斗としては平次たちが通りかかる心配もあるため、できれば遠出したかったが

明日の仕込みもあるからと言われれば首を横に振るわけにも行かない。

 

それに、快斗にとっては場所など二の次で、重要なのは新一という存在なのだ。

 

思わずスキップで家を出れば、呆れたような笑みが背中から聞こえる。

 

「おまえって本当に正直だよな。」

「新一の前だけだよ。」

「・・・タラシ。」

「ひどいな、ほら、早く。」

 

快斗は照れる新一の手をとって、茂みを抜け、公園を目指す。

 

近所、とは言っても、20分ほど歩かなければならない場所だ。

少しの時間も惜しむような快斗に新一は再び笑みを漏らした。

 

 

時間が昼過ぎのためか、花見をしている人はまばらだった。

公園をぐるりと囲むように植えられた桜のうち、

少しはずれた場所にある桜を選び快斗はレジャーシートを広げる。

 

その傍でお重を取り出した新一は、順番に上からあけていった。

 

喫茶店を営む新一の手料理は、どこかホッとさせる温かみがあると快斗は思う。

丁寧に作られた卵焼きにポテトサラダ。綺麗に整えられたおにぎり。

その中に魚が無いのもまた、彼なりの気遣いだ。

 

「俺って本当に幸せ者だよね。」

 

少し前に『宝石箱や〜』と料理を表現するグルメリポーターがいたが

まさにその言葉がぴったり当てはまる色合い。

新一は弁当箱を覗き込む快斗にブンブンと揺れる尻尾を見たような気がした。

 

「弁当ひとつで大げさだな。なんならもっとサービスしてやろっか?」

「え?」

 

そう言って目の前に差し出されたのは、箸につままれた卵焼き。

 

「ほら、あ〜ん。」

 

思わず口を開ければ、その卵焼きはお約束のように新一の口の中へ。

パクリと空を切った快斗の口の動きに、新一はクスクスと笑った。

 

「しんいち〜。」

「わりぃ、わりぃ。今度はマジにやるって。」

 

ほい、と口に放り込まれた卵焼きは柔らかく甘みも程よい。

快斗はその味をかみ締めるように目を閉じた。

 

遠くで子供の声が聞こえる。

傍には満開の桜、そして何より大切な人が居て。

 

ゆっくりと過ぎていく時間の中で、

快斗は誰ともなしに感謝の言葉を口にしたくなったのだった。