「あ、雨。」 車窓に水滴が付いたのを見て、新一はおもわず呟いた。 車に揺られて2時間。 今は高速道路を降りて山間部の道を走っている。 〜初夏の贈り物〜 「お父さん。どこに行ってるのかいいかげん教えてよ。」 「だから良いところだって。」 助手席から身を乗り出して尋ねてくる由佳に 快斗はウインクひとつ返して上機嫌に鼻歌を歌っていた。 新一はそんな会話を聞きながらふと静かになった後ろを振り返る。 悠斗と由梨はぐっすり眠っていて、その姿に柔らかな表情となりながらも 今度は隣へと視線を移せば窓の外を眺めている雅斗が見えた。 久しぶりのゆっくりとした時間。 学校帰りの子ども達を直接拾って来たので、皆、制服を着込んだ状態だ。 この中で唯一元気なのは、由佳だけか・・・。 前でまだ快斗を質問責めにしている由佳を見て新一は苦笑した。 真新しい中学の制服は、車窓の外に見える雨に濡れた葉と同様の若々しさを感じさせる。 「・・雅斗。」 「何?母さん。」 由佳とは違って雅斗は大きめの制服をきっちりと着こなしていた。 呼ばれた声にうつろになっていた瞳もいまはしっかりとこちらを見据えている。 「いや、何でもない。」 ただ制服姿を真正面から見たかったなんて言えるはずもなく新一は曖昧な返答を返す。 入学式も行けず、朝の時間帯もバラバラなのでもう入学して数カ月がたつというのに、 息子の制服姿をきちんと見るのは今日が初めてで。 「?」 雅斗は不思議そうな表情でしばらく新一を見ていたが、すぐにまた窓の外へと視線を戻した。 “お母さん”と呼んでいた雅斗が“母さん”と言うようになったのは中学に上がったと同時だっただろうか。 「あれ?由佳?」 「寝ちゃったみたい。」 聞こえなくなった声に後ろの席から助手席をのぞき込めば、安心して眠る娘の姿。 いつの間にか、隣の雅斗も窓に頭をもたれかけるかんじで眠っている。 「新一も眠っていいよ。もうしばらくかかるから。」 「だけど、雨・・。大丈夫なのか?」 「つく頃には止むよ。それに、湿気のあった方があいつらはいっぱい見れるんだ。」 「そっか。」 その返答に安心したのか、急に襲ってくる睡魔。 新一はそれに逆らうことなくゆっくりと目を閉じた。 雨音が遠くで響くのを聞きながら。 「よく、来たな。黒羽。」 「はい、お久しぶりです。先生。」 どれくらいそれから時間がたったのだろうか。車特有の振動もエンジン音もいつの間にか止まっていて、 外から聞こえる快斗と男の声に新一は目を覚ました。 「あっ、新一。起きた?」 「ここは?」 「俺の高校の時の担任の先生の家。」 ウーンと背伸びをして車の外へと出ると、夕闇に染まった日本家屋が視界に広がる。 「黒羽にはもったいないくらい美人の奥さんだな。」 「あ、こんにちは。」 隣から聞こえた声に、新一は慌てて頭を下げる。 先程はまだ寝ぼけていたために彼の存在を忘れていたようだ。 「ほら、昔はなしたことあっただろ?俺が高校3年の時にお世話になった。」 「ああ、なんかチョーク投げがすっげーうまいっていうあの?」 「おい、黒羽。おまえはどういう紹介の仕方をしているんだ。」 白髪交じりの頭に黄土色のポロシャツを着込んだ快斗の高校時代の恩師は、 新一の言葉に苦笑しながら快斗の頭をパシンと叩く。 快斗はそれを避けることなく“いってー”と文句を言いながらも その表情は昔のことを思い出し楽しんでいるように見えた。 「そうそう、先生。今日は見えそう?あいつら。」 「ああ、バッチリだろう。だけどまだ明るいから子ども達を起こして 家の中で暗くなるまでまっていたほうがいい。ちょうど、地元のスイカも食べ頃だしな。」 彼はそう告げるとゆっくりと自宅の方へと歩き出す。 快斗と新一はお互いに顔を見合わせて苦笑すると、 まだ夢の中にいる寝起きの悪い子ども達を起こすのだった。 「ここのスイカはおいしいのよ。沢山食べてくださいね。」 子ども達を連れて家の中にはいると、氷の入った桶にスイカが切り分けられて入れてあった。 出迎えてくれたのは先程の先生ではなく、奥さん。 こちらも、品のいい優しそうな女性である。 庭に面する縁側まで快斗達を案内すると“あっお塩もいるわね”と慌てたように奥の台所まで戻っていった。 「・・・凄い天井。」 縁側に横一列に座ってスイカを頬張りながら、雅斗はふと上を見上げて感嘆の声を上げた。 太い柱に、黒ずんだ屋根。ずっしりとした重みのそれは長い年月を感じさせる。 「伝統的な日本建築を見るのは初めてかい?」 「はい。」 隣で彼らに混ざってスイカを頬張っていた先生は雅斗の言葉にニコニコと笑った。 「雅斗、先生はこの家のこと話し出したら止まらなくなるからそれ以上聞くなよ。」 「おいっ、黒羽。せっかくこれから日本建築について話そうと。」 「ほらほらあなた。外もだいぶん良い頃合いになってきましたから、 そろそろ行った方が良いんじゃありません?懐中電灯ももってきましたし。」 「うっ・・そうだな。」 絶妙なタイミングで彼の話を上手くかわす奥さんは、彼の扱いに手慣れているようで。 うまく、流された先生は渋々と言ったかんじで懐中電灯を受け取る。 「そうだ!?今日、何でここに来たの。」 由佳は立ち上がる彼を見て思い出したように隣にいる快斗に詰め寄った。 美味しいすいかに流されて、すっかり忘れていた疑問。 「ホタルを見せようと思ってさ。」 由佳の頭をぽんっと軽く叩いて快斗はおだやかな表情で笑った。 恩師の家を出てきたときはまだ明るかった道も、数十分ほどで夕闇に包まれた。 近づいてくる川のせせらぎ、田んぼから聞こえるのはウシガエルの鳴き声だろうか。 途中から舗装されていた道路もあぜ道となって、その先には細い川がみえた。 ぽわっ 「あっ、見えた。」 「え?どこ?」 由梨は草むらの中に弱い光を見つけて、言葉を漏らす。 その言葉に、由佳は由梨の見つめている方へと視線を向け目を凝らした。 だが、なかなか光る物体は見えない。 「そうあせるな。暫くすれば出てくるから。8時30分くらいが一番多いんだよ。」 「へぇ〜。あっ、俺も見えた。」 「うっそ。雅斗ズルイ!!」 「由佳、人の話をきちんと聞いてたか。」 「もちろん。でも、早くみたいじゃん。」 興奮する由佳に新一は苦笑しか出てこなかった。 まだ、出てきてもいない状態でこのはしゃぎようなのだから、 おそらくこれから目の前で繰り広げられる輝きを見たら、黙っていられないだろう。 「あっ、見えた。」 ぽわっ ぽわっ ぽわっ 気が付けば、辺り一面は淡い光の海だった。 一瞬の輝きが至る場所で同時に行われるその光景は神秘的以外言い表しようがない。 その感動を言葉にするのさえもったいなくて、由佳は口をつぐんだ。 草むらの中から浮かび上がる光に新一はそっと手を伸ばす。 草の上にいたホタルが自分の手の上へと移動して、手のひらで輝いた。 それをしばらく見つめて、その手を高く高く天へとのばせば・・・・ ぽわっ 光は空へと舞い上がる。 「どんなマジックのイルミネーションも、この光景には敵わないよ。」 快斗も新一の傍により、手の中にいるホタルを夜空へ開放する。 「この飛び立つ瞬間が一番好きだな。」 真っ暗な夜空へ飛んでいくホタル。 淡く哀しいその色は暗闇によく際だって・・・。 自然界の光のショーが終わるまで、それぞれあまり言葉を発することなく見入っていた。 「じゃあ、また来年もいらっしゃいね。」 「今度こそ、日本家屋の話を・・・。」 「それは、遠慮しとくよ、先生。」 見送りに出てくれた彼らにかるく会釈をして、帰路へと付く。 車内は、つかれきった子ども達の寝息が行きと同様に響いていた。 「・・・本当に綺麗だったな。」 「また、行こうね。」 助手席からホタルのいた川を見つめて呟けば、快斗が穏やかな声で返事を返す。 それに、軽く頷いて、新一もまたダッシュボードに身を沈めるのだった。 あとがき なんか、快新小説というよりも、家族ほのぼの話っぽいですね(苦笑) ホタル本当に綺麗でした♪ |