あの日も夕日がきれいだった。 無数のトンボがススキの中を舞い、カイはその一本を手にとってゆっくりと秋空にかざす。 夕焼けが引いていって、家に付いたときはだいぶ薄暗くなっていたと思う。 「ねぇ、今の時間を世間の人はなんて言うと思う?」 カイは振り向きながら俺に問う。 漆黒の体を持ちながらも決して闇に埋もれることのない 二匹の式神がカイと同じように金色の双眼でこちらを見つめる。 世間とは、俺にとって死ぬまで、いや死んでも行けない世界。 カイはそんな俺に時々、世間の話をしてくれる。 彼の式神はカイを外へと連れ出すことができるから。 「さぁ。分からないな。」 素っ気なく、答えて俺は今まで来た道を振り返った。 長く伸びる影はずいぶんと薄くなっている。 「たそがれって言うんだぜ。」 「たそがれ?」 「そう。本来は世間人が“たれぞ、かれ?”つまり“あれは誰?”って 聞かないといけないくらい暗くなって顔が見えない時間帯って意味で名付けたんだ。」 得意そうにいうあいつに俺は「ふ〜ん」と気のない返事を返した。 「だけどさ。俺はいつでも分かるよ。シンがどこにいても光のない場所でも。 たとえば、生まれ変わっても。“あれは誰?”なんて言わないから。」 息が止まりそうだった。 カイがあまりにもおだやかな表情で俺を見つめるから。 俺はカイに近づく。 カイも俺に近づく。 自然と抱きしめられて、抱きしめて、どちらからともなくキスを交わす。 「俺も・・。」 「ん?」 「俺も分かるよ。カイなら。」 今でも覚えている。 俺のそんな言葉に幸せそうに笑ったあいつを。 【たそがれ・前編】 「おばさん、シンいる?」 「あら、カイちゃん。いらっしゃい。いるけど、まだ寝てるわよ。」 山はすっかり色づいて、冬支度を迎えている十月。 着物姿で村から少し離れた場所に立つ小さなかやぶき屋根の家を訪れたのは 由緒ある黒羽家の世継ぎ黒羽カイ。 きれいな黒い髪に群青色の瞳をした少年で、この村では一目置かれた存在だった。 まだ、世間は平安末期という貴族社会であったが、 世間と切り離された村は村独自の発展を遂げていた。 世間の様子を知るには、式神使いと呼ばれる者たちの式を使う手段しかなく、 そのためその様子を知っているのはごくわずかな者たち。 そして、その式神使いのなかで、今、もっとも秀でた力を持っているのが 黒羽カイなのである。 彼が使役するのは、二匹の獣。 これまで、二匹も式を使役していた強者など、おらず、 その力は人々から畏敬の念を集めるほどのものだった。 だが、当の本人は、最強の式と謳われる二匹を友達にしか思っておらず 彼らの力を存分に発揮させたことはない。 まぁ、それ故に未知数の力を秘めていると言っても良いのだろう。 そして、底抜けの明るさと、様々な奇術ができる彼は村一番の人気者でもあった。 カイは小さな古い家の一番奥の部屋にいるシンを見つけて口元を綻ばせた。 シンは薄い布のような布団に丸まるようにして眠っている。 カイはそんな彼の長く伸びた髪を一房取り、そっと口づけた。 村から追放された者。 それがシンとシンの母親だった。 創始様に見初められて結婚したものの、シンを生んでからは 正室の奥方たちに煙たがられて村を追い立てられた。 次期村の長となりえる創始様のお世継ぎ候補は少ない方がいい。 もともと身分の低かったシンの母親はそんな権力争いに巻き込まれてしまった。 加えてシンの素晴らしく整った容姿と、その切れある聡明さが さらに周囲から嫉妬という名の反感をもたれ、 さらには言葉を使い他人を操るという杞憂な力を授かっている為に “悪の子”と罵倒され、村から完全に切り離されたのだ。 だけど、カイにとってシンほど魅力的な人間はいなかった。 母親にいくら反対されても、幼い頃から通い続けてきたこの家。 成長すればするほど美しくなっていくシンのその神々しい容貌に カイは溺れていった。 「シン。起きて。」 「ん。」 眠たそうな彼の顔全体に唇を落とせば、彼はくすぐったそうに身をよじる。 もう、17を迎えるというのに、その姿はひどくあどけなかった。 『見飽きませんね。シン様は。』 『ほんと。毎日、きれいになるんだもんな。』 「フォルス、アヌビス。なんで出てくるんだよ。」 いつの間にか新一の側で彼の寝顔を堪能している式神にカイは形のいい眉を歪ませる。 『カイが独り占めするからですよ。』 『そうそう。寝込みをおそわないようにな。』 「・・・カイ?それに、フォルスとアヌビスか。」 2人の会話に目が覚めたのか、シンはコシコシと目をこすった。 そして周りを見渡して、大好きな人たちが居ることを知ると 嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべる。 「おはよ。」 「シン、かわいすぎ!!」 「おい、朝から盛るなっ。」 せっかく起きあがったのにそれを押し倒されて シンはゲシっと容赦なくカイのおなかを蹴った。 アヌビスとフォルスはその様子に嬉しそうに笑い声をあげる。 『さすが、シン。良い蹴りだ。』 アヌビスはそう言うと、シンに顔を近づけペロリと頬を舐めた。 「アヌビス。くすぐったいって。」 『ん〜。玉のような肌だな。』 「おい、アヌビス。俺のシンにさわるな。」 『いつから、おまえのになったんだ。自己解釈しすぎだぜ。』 アヌビスはそう言うとサッと庭のほうへ飛び出し挑発的な視線を送る。 そんな挑発にのってカイも負けじと後を追った。 毎朝繰り返されるおいかけっこに 『飽きないですね。』とフォルスはため息を付く。 シンはそんな彼らにクスクスと声を出して笑った。 『シン様。ところで最近は大丈夫なのですか?』 2人のおいかけっこが遠くで行われるのを見計らって フォルスは心配そうにシンを見上げる。 カイはこの村のシステムをあまり理解していないから 決まってフォルスがこの話題を口にするのは2人きりになってときだけ。 もちろん、それがシンの望みでもあるからなのだが。 「正室の兄上も世継ぎには適齢期だ。カイもそのうち呼ばれるだろうな。」 シンはそう寂しそうに告げる。 一番強い式神を持つ者が、次期創始様にお仕えする。 それは、この村が始まってから変わること無い仕組み。 「カイが居なくなるのは寂しいけど。しょうがないさ。 俺と今まで居てくれただけでも嬉しいし、感謝してるんだぜ。 もちろんアヌビスとフォルスにも。兄上は気性の激しい人だから カイと仲良くなるまで時間がかかるかもしれないけど、これからも支えてやってくれ。」 『私としてはシン様の為に我が身を役立てたいと思うのですが。』 このきれいな魂を携え、体内からあふれ出しそうなほど莫大な生気を持ち 誰よりも澄んだ瞳で暖かく見つめてくれるこの人を守りたい。 フォルスはそう思いながらシンを見上げる。 シンはそんなフォルスの柔らかな羽をそっと撫でた。 「カイを説得してくれよ。フォルス。」 『シン様の頼みなら。』 「それじゃあ、朝飯にするか。母さんの料理もできたみたいだし。 あいつらを呼んできてくれ。」 ゆっくりと立ち上がって土間のほうに向かうシンをフォルスは複雑な心境で眺める。 『貴方が世継ぎ人にもっとも相応しいと思うのは私だけではないのですよ。』 第一、自分たちの主は納得しないだろう。 護神という立場を理解してはいるものの、カイはシンを世継ぎ人として見ている。 つまりは、彼の護衛をこれからも続けていきたいと切に願っているのだ。 そして、なによりも、カイはシンを愛しているのだから。 『無理難題を最後の最後に仰るのですね。シン様。』 フォルスはふわりと飛び上がり、遠くで走っているであろうカイとアヌビスを呼びに行く。 ひょっとしたら今日が最後のシンとの食事なのかもしれない。 そんな懸念を抱きながら。 ■□■□■ 彼らの予想が現実となったのは、それから数日後のことであった。 いつものようにシンの家に遊びに来ていたカイの元へ 村の中でも創始様のいる“内”という仕切られた領域で暮らす名家(式神使いの家)の 主たちがやってきたのだ。 「カイ殿。」 通された奥の小さな居間に座ると、服部家の主は口を開いた。 「創始様のご長男、ジン様が世継ぎ人と決定いたしました。 つきましては今後、ジン様のおそばにお控えしていただきたい。」 「貴方様も17。我が村の掟は重々承知のはず。 母君もお話になっていることでしょうし。」 カイの側に座り、そう真剣な表情で告げたのは毛利家の主。 その隣で遠山家の主も軽く頷いていた。 「俺はジン様を守るつもりはありません。」 「まさか、ここの悪魔に心でも奪われたのではあるまいか?」 遠慮がちに事を進めようとする名家を押しやって、 ジンの母君が薄ら笑いを浮かべる。 「疫病女の子供は、疫病神だわ。 髪は力を蓄えると言うがその髪をずるずる伸ばすのはどういうことか? 我が子に力で勝るとでも言いたいのだろう。答えてみよ。」 スッと、隅に遠慮がちに座っているシンの顎をとり正室の奥方はシンを睨み付けた。 だが、シンは無機質な表情のまま奥方を見上げる。 「奥方様の希望どおり、俺はここで母君と暮らしていきます。 誰もあなたの邪魔立てなど致しません。」 「相も変わらず愛想のない子供じゃ。いっそのことこの場で その細い首をひねりつぶして見せようぞ。」 「奥方どの。その汚い手を離していただけませんか?」 ぐっと力を込めた彼女の手をカイは反射的に掴んでいた。 奥方は彼のすさまじい力と、その言葉にヒッと声をうわずらせる。 「カイ!!」 「とにかく今日は各々方、お引き取り願います。」 咎めようとするシンの声を遮って、カイはやってきた大人たちを睨み付けた。 もちろん彼の側には二匹の式神も待機しており、 今にも飛びかからんばかりに目を光らせている。 「後日、後日、必ず来てもらうから、覚えておいで。カイ殿。」 最強の式神とその使い主。 そんな3組の双眼から放たれる殺気に耐えきれず 奥方は腰を抜かしながら出口のほうへと向かった。 「シン殿。貴方もおわかりとは思いますが、奥方様にはお気をつけ下さい。 それに、カイ殿も、お気持ちは分かりますが これ以上シン殿の待遇を悪くするような行動は慎んだ方がよろしいですよ。」 遠山家の頭首は部屋の隅に寄りそう2人にそっと耳打ちすると 深々と頭を下げて先に出ていった者たちに引き続くのだった。 ■□■□■ カイが来なくなって5日がたった。 シンはそんなことを思いながら庭に遊びに来ているリスやウサギの頭を撫でる。 風の噂によると、世継ぎ人である異母兄弟のジンの護神に就任したらしい。 「これで、いいんだ。」 想像していた以上の寂しさが心をむしばんでいく。 それでも、側には木々があり生き物がいて、母が居る。 シンはここに居場所があるだけでも幸せだと弱る自分に言い聞かせた。 「シン。大丈夫?」 そっと顔に触れた優しい手にシンは柔らかな笑みを漏らす。 母の手は冷たい炊事場に立つためかひどく荒れていた。 「大丈夫です。それより、母上。俺にもそろそろ炊事場の手伝いくらいさせて下さい。」 「何を言ってるの。男が炊事場に立つものではありません。 シンは見守っているだけで良いよ。この村を。貴方の力で。」 母はそう言うと、そっとシンの額にキスを落とす。 「ごめんなさいねシン。私がふがいないばかりに。 地位などあれば、カイちゃんとも共に居れたのに。」 ゆっくりと首を振ってシンは母の手を握りしめる。 はやく元気にならないと、彼女を苦しめてしまう。 シンはそう思い、とびっきりの笑顔を見せた。 「母上とカイが好きなこの村を護っていきます。」 その言葉に母は哀しそうな笑みを浮かべただけだった。 「シン・・・。」 同じ頃、カイもまたシンを思って、豪華な一室で軽くため息を付いた。 シンの立場のため、そうフォルスから説得されて護神となったものの カイにはその必要性が分からなかった。 この村は古来伝わる“パンドラ”と言う名の貴石によって結界が張られ さらに創始様の手によって強化されているため、悪霊など入る隙もない。 では、いったい何から彼を護れと言うのか。 『カイ、また考え事か。』 縁側からヒョイッと顔を出したのはアヌビス。 きれいに整えられた庭に寝ころんで大きなあくびをする。 『何から護るなんて、考えずに、あの坊ちゃんから好きなだけ生気をもらえば良いんだよ。 俺たちはそれがないと生きていけないんだからな。』 「だって、不味いんだ。シンの生気はあんなに俺を満たしてくれるのに。」 『カイ。あまり我が儘を仰らないでください。誰かに聞かれたらどうするんですか。』 アヌビスが寝転がっている側にある松の木から フォルスはゆっくりと弧を描いてカイの側に降りる。 「分かってるよ。どうせ、奴隷と同じだろ。 護神なんて。あいつらの保険だよ。」 俺の力はシンを守るためにあるんだ。 カイは最後にそう告げると、ドサッと青臭い畳の上に寝ころんだ。 あとがき 以前から書きたかった、過去話。 少し暗めになると思われます。 |