紅葉の葉が色づいて、いよいよ冬も近づいたある日、 シンは居心地の悪さに目を覚ました。 【たそがれ・後編】 いつもより、1時間も早く起きた息子に母は軽く首を傾げる。 「シン?」 起きあがったシンはひどく蒼い顔をして、外を睨み付けていた。 母は尋常でない彼の様子に慌てて駆け寄り、彼の体を揺する。 「シン、どうしたの!!」 「母上。村が・・・。結界が切れかけています。」 「うそ。」 シンが見据えた先に居たのは、数百もの怨霊。 結界の薄くなっている部分から入り込もうと、何度も霊体をぶつけていた。 「どうして、パンドラになにかあったのかしら。」 「今は父上の力でどうにか押さえているようですが・・。 このままでは父も力つきてしまう。母上。」 立ち上がった息子の顔はすべてを決意していた。 もう、彼女に彼を止めることはできない。 「いってらっしゃい。シン。父上、それに村を助けてあげて。 あの人は今でも貴方を愛してくれているし、村も貴方を愛しているわ。」 母の言葉に、シンは深々と頭を下げ家を後にする。 ここから500メートルほど離れた村へ向かうために。 同じ頃、村はすごい騒ぎとなっていた。 鬼門の結界が破れたらしく、村には若干ながら怨霊が見受けられる。 村の人々はおそれるように彼らから逃げ、そんな彼らを式神使いは必死に護った。 だけれど、カイはその助けに加わることを許されなかった。 村のはずれのシンの家は結界にほど近いはず。 心配でたまらなくはあったが、 カイは奥方たちの命令でジンの護衛を任されてしまったのだ。 「シンが気になるのか?」 男の声が暗闇から聞こえる。 その声にカイは目を細めた。 「ジン殿。父君が必死に結界を張り直そうとしているのを手伝わないのですか?」 「ふっ。私にそんな力はない。」 『おかしな事を言いますね。ジン殿。』 フォルスは鋭い眼光を彼へと向ける。 創始様直属の子供に力が授かっていないことなどありはしないのだ。 とある、例外を除いて・・・ 『・・・まさか。』 『おい、フォルス。どうしたんだ。』 「ようやく気が付いたか。最強の式と言われるおまえらも 俺の前ではまだまだのようだな。 もっとも俺の正体に気づいていたのはシンだけだったが。」 男はゆっくりと闇の中から現れる。 体が弱いという理由で、暗い部屋で育てられた彼の顔を見るのは今回が初めてだったが、 その異様な冷気にカイは身を硬直させた。 側で見ればはっきりと分かる。 目の前の男が、生気を持つ創始様の世継ぎ人どころか、 生気に反する力、死気を持つ男だと。 『そういや、極まれにあるんだったな。こういうガキが生まれることが。』 『ええ。たいていは、生まれてすぐに殺すのでしょうけど。 奥方が護ったのでしょうね。己の欲のために。』 ずるずるとのばした髪が金色であることが何よりの証拠。 そして、驚くべき事に、パンドラは彼の手中にあり、粉々に崩れていた。 「この村は終わる。俺が呼び寄せた死神たちによってな。」 「黙って指加えて俺が見てるとでも?」 カイは二匹の式神を呼び寄せて、ジンに向かい合う。 その瞬間ニヤリとジンが嬉しそうに笑った。 村に入って、シンは絶句した。 いつもなら感じるパンドラの気配はもう無い。 「ジン。やっぱり動いたか。」 屋敷に居た頃から気が付いていた。 もちろん父親も薄々とは感じていたらしい。 ジンがこの村を破壊する吉凶の子供であることを。 だが、それでも愛する女の産んだ子供に変わりはなく、黙っていたのだ。 そんな点でははっきり言って創始という資格には不適当な判断と言えよう。 それでも、シンは父親をふがいないと思わなかった。 彼は今までの創始のなかで、もっとも人間らしく父親らしかったのだから。 彼はシンにこの先の未来を預けた。 ジンがその力を示したときに為に、すぐに彼を止めるようにと。 そして、ジンの死気に悪影響を及ぼさないようにと村から離れるのを容認した。 「父上・・。」 シンは逃げまどう人々の間をぬって、中心部のお屋敷へと向かう。 普段ならシンを見れば石を投げつける子供たちも、 シンの存在に気が付かないほど慌てていた。 『シン。パンドラは再び作り直さなくていけない次期に来ている。 パンドラはもともと、村を作るときに祖先がすべての命を注ぎ込んでできたもの。 だが、祖先の力は人並みであったため、 命をすべて使い切っても、完成品は不可能だった。 シン。おまえの力なら命を果たさぬとも、りっぱなパンドラを作ることができるだろう。 時期が来たら、頼む。こんな待遇しかおまえに用意できない父を許せ。』 村を追放される時に言われた言葉。 息子を頼ることしかできない父親の悔しそうな表情は今でも瞼の裏に焼き付いている。 「ジン。俺のパンドラでおまえを破滅させる。」 パンドラとは澄んだ生気を凝縮させて作る貴石。 その力が強ければ強いほど透き通った蒼い貴石となる。 シンは屋敷の門の側までくると、父に教えられた言葉を喚んだ。 ジンの力を滅するために。パンドラを再生するために。 神を見た。 人々は屋敷の前から放たれる蒼く神々しい光にその言葉を叫ばずにいられなかった。 光が広がると同時に消えていく怨霊。 それは朝日を浴びて砂のように崩れ落ちていくヴァンパイアの姿と同じ。 人々はその光の中心にジンがいると思って疑わない。 ただただ、その神秘的な光景にひれ伏すしかなかった。 人々の出払った屋敷内で続けられていた攻防の中にも同様に光が射し込み始める。 ジンはその光に初めて冷淡で余裕めいた表情を崩した。 『この光は・・・。』 「くっそ。あいつから殺すか!!」 ジンはアヌビスの攻撃を紙一重で避け、門のほうへと向かう。 途中、危ないからと必死に止めようとした母親を一瞬で殺して。 母親の返り血を黒い着物に滴らせて、ジンは光の収まり始めた中心を睨み付けた。 そこにいるのは黒い髪をなびかせる、一人の男。 美しい白い肌、それを際だたせる蒼の着物。 そしてしなやかに伸びた二本の腕の先には ジン自身、ふれることを恐縮してしまうほど見事なパンドラがあった。 男はジンの気配を感じ、妖艶な笑みを浮かべる。 「死神のご登場だな。」 「村の人間も馬鹿だな。護るべき者を間違え、その結果がこれだ。」 ジンは殺した母をドサッと民衆の前に投げ出す。 人々は今まで信じ、讃えてきた男の真の姿に絶句した。 悪として排除してきた者が、善であり、善として護ってきた者が、悪であった。 「シン!!」 ジンに遅れて出てきたカイは数カ月ぶりに見るシンに顔をほころばせる。 シンもまた元気そうなカイの姿を再び見れたことに安心したのか、 先ほどまでの冷め切った表情に暖かみを含めた。 だが、それもつかの間。 力を、その身に余る生気をすべてパンドラを作るために注いだため、 もはやシンに残された力は微量であった。 ゆっくりと重力に従い傾く体。 カイはそれに気が付いて、慌てて彼を抱き留める。 彼の体は恐ろしいほど冷たく、また彼の手の中にあるパンドラは 彼の熱を奪ったかのように熱かった。 「カイ。・・これを、父上に。」 「シン。」 「そんな心配そうな顔をするな、すぐに戻る。今は力を使いすぎただけだ。」 泣きそうな表情の彼へそっと手を伸ばす。 ようやくふれた体温の心地よさにシンは嬉しそうに口元を綻ばせた。 「寂しかった。」 「俺もだよ。シンが居ないと俺の心は凍り付いてしまうんだ。」 人々の目があることも気にせず、カイはシンの顔中にキスを落とす。 自分が今までに温存してきた生気を彼へ渡すかのように。 だが、幸せな時間はそう長く続くことはない。 それは例えるならロミオとジュリエットのつかの間の包容。 シンの手の中にある貴石は、一瞬にしてジンの式神に奪われる。 ヒョウのような体つきに紅い燃えるような毛色をし、 頭には金剛石のような角、そしてゆらりと長い5本の尾が風になびくように動く。 牙にしっかりと挟まれたパンドラを式神はジンへと渡した。 『“ソウ”か。』 アヌビスは紅い式神を睨み付ける。 “ソウ”とは古来中国の文献に登場する伝説の生き物。 その力も格式も一般の式神とは異なった位置に属している。 『アヌビスにフォルス。エジプトの歴史に紡がれた獣。 我は三千年の歴史の覇者。そなたたちには及ばぬが、 次期会うときは、その喉食いつぶしてくれよう。』 ソウはニヤリと口元を動かして2匹の式を舐めるような視線で見つめた。 昔からどういうわけか、四大文明で生まれた式神は仲が悪い。 そして、それは彼らも例外ではなかった。 「今回はこれだけ頂いていく。 最初の目的は村の破壊だったが、これだけの力を持てば俺に敵う者は居ない。」 シンは奪われた事への不甲斐なさを感じながらも、体を起こしてジンを睨み付けた。 「パンドラは確かに力の源。だが、悪に染まったおまえにそれが扱えるとは思えない。」 「確かにおまえが言うとおり、俺とパンドラは水と油の関係だが、 様々な手だてを講ずればいつかは結びつく。人間の欲望と血で汚せばいいだけの話だ。 神聖なものでなくなれば、俺の体も受け付けられるからな。今は毒でしかなくとも。」 カイは横目でジンの後ろに控える二匹の式に行動を命じた。 シンが己の力を極限にまで削ってなし得た産物を、 そうそう簡単に奪われてはたまらないと。 「アヌビス、フォルス!!」 カイの言葉で彼らは風になる。 一陣の鋭い風に。 だが、それはソウを吹き飛ばしジンの体を突き通したが、ジンを殺すことはできなかった。 そう、彼の手中に収まったパンドラの効力によって。 ジンはその力に満足げに頷いて、ソウを従えると姿を消す。 パンドラを手にした彼に敵うはずなど無かった。 「シン、ごめん。」 「カイが謝る事じゃない。俺が気を抜いたせいだ。 馬鹿だな、俺。カイにあえて嬉しくて。」 「・・・・シン。」 「カイ、父上に結界を張り直す力は残っていない。 それに、ここを護るパンドラもない。 だけどさ、もう一つだけ手段はあるんだ。」 シンはカイの腕の中で体をよじり、村人たちを見る。 シンの蒼い瞳にとらえられて彼らはビクッと体を硬直させた。 「カイ、俺を殺せ。」 シンはまるで飲み物を頼むかの要領でカイに残酷な言葉を告げる。 カイはその言葉を受け入れることを拒むかのように、 シンを黙って見つめることしかできなかった。 パンドラも創始様の力もない今、 方法は生気をふんだんに含むと言われる血液を固めて新たなパンドラを作ること。 だが、それを結晶化させるためには、同等の力を持つ式神使いに己を殺させるしかない。 そんな恐ろしい方法を、シンは幼いころから知っていた。 カイと遊びながら、時々父親に聞いたその話を思い出したこともあった。 そして、そのたびに思った。 カイになら殺されてもかまわないと。 「カイ。俺はおまえに“命令”したくない。 だけど、拒むのなら俺は俺の力を使い、カイを誘導する。」 シンが続けざまに言う言葉は、まさにカイを追い込むものでしかない。 シンの言霊の力を持ってすれば、カイに自分を殺させることなど容易いのだ。 「ひどいよ・・・シン。」 「分かってる。だけど、俺はもう一つパンドラを作ることはできない。命を使う以外には。」 一個を作り出すだけでも、やっとだった。 いくら力が回復しても、もはやパンドラを作ることは不可能なのは 自分自身が一番よく分かっている。 『カイ・・どうする。』 「楽に逝かせてやって。おまえらならできるだろ。」 そばに寄ってきたアヌビスの首に手を当てて、カイは必死に言葉をつづる。 アヌビスはそんなカイの頬を舐めることしかできない。 『シン様。それでよろしいのですか?』 「ああ。最後にこんな頼み事はしたくないけどな。」 『カイ、おまえはここに居なくても良い。辛いだろ。命令だけで良いから。』 アヌビスはゆっくりとカイを気遣うように告げるが カイは黙って頭をふった。 「シンの側にいる。だって、寂しいだろ?」 「・・・ありがとう、カイ。」 それが、シンの最後の言葉だった。 できあがったパンドラは、シンの血を吸ったせいか、 蒼いながらも月にすかせば赤い液体が見えた。 すべての事情を聞いたシンの父は黙って頷き、それを所定の位置に置く。 そして、暫く思案したように力の抜けきったカイとアヌビスそれにフォルスを見渡した。 「カイ、残念だが、君は禁忌を犯した。分かっているね。」 「創始様。しかし、あれは!!」 傍にいた毛利家の頭首が彼が言おうとしている言葉を悟って慌てて声をかける。 だが、それを規制したのは紛れもないカイ自身だった。 「分かっています。黒羽家は追放ですね。両親にも先ほど話をしてきました。 今回の事態は俺のミスでもありますし、ジンを探し出してもう一つのパンドラを 取り返す義務も俺にはある。だから、村を出ることに依存はありません。」 カイの瞳は澄んでいて迷いはない。 シンの父はそんな彼に一種のおそれさえ感じた。 「しかし、カイ殿。生気は。」 「心配ないですよ。式神さえ使わなければ必要ない。 アヌビスにフォルス。おまえたちも罰を受ける覚悟はできてるんだろ。」 『殺した時点で数百年の眠りにつくよう、俺たちの世界でも決定した。 まぁ、数百年後に目覚めれば、生気は必要になるだろうけど。』 アヌビスはそう言ってチラリとシンの父を見る。 それに、シンの父は重々しく頷いた。 「数百年後、黒羽家の子孫が生気を欲し始めたら、私の子孫が与えに向かう。 そして、再びシンの生まれ変わりである言霊使いが生まれれば、 カイ、君と再び会うことは可能だ。生まれ変わった姿で。」 創始様の言葉に、カイは零れんばかりの笑みを浮かべた。 こうして時代は移り変わっていき、 パンドラは人々の抗争によってジンの望みどおり汚れていく。 だが、ジンもまた、パンドラを長らく持っていたために、 死気を失い、永い眠りへと入った。 黒羽家は、村人たちから惜しまれながらも平安の世にでていく。 そして、彼らの努力もまた時代に飲み込まれ、“追放された者”としての レッテルだけが残っていった。 時は移り変わり、21世紀。 再び運命は混じり合う。 式神最強の力と言われるカイの魂を受け継いだ快斗。 言霊を駆使し、多大な生気を持つシンの魂を受け継いだ新一。 2人の物語はまだ始まったばかりだ。 |