視界を埋め尽くした色は紅と黄色と黒。

なんとも不釣り合いな組み合わせの色だとKIDは思う。

紅は己の血の色、黄色は中天に輝く満月、黒は夜空。

重力に従って倒れていく体。夜風にとばされるシルクハット。

 

死ぬのか・・・俺。

 

最後に視野の端に移り込んだのは、

少しだけ驚いた表情をした小さな茶色い髪の少女だった。

 

 

しい

 

 

冷たくごつごつした感触にKIDは、いや黒羽快斗はゆっくりと瞼を開いた。

目に飛び込んできたのは、先ほどの意識を失う前に見つめた

煌びやかなコントラストと対照的な茶色一色。

それが木目調の天井だとわかったのはそれから数秒たってのことだった。

 

「あれ・・俺は。」

 

ゆっくりと体を起こして、現状を把握する。

場所はどこか古い図書館のようで、ずらりと本棚が並んでいた。

そばの大きな窓ガラスに備え付けられた真っ白なカーテンが風にそよぎ、

その度に快斗の顔に、春の陽光のような柔らかな光が当たる。

青々とした木々から聞こえてくるのは蝉と小鳥の鳴き声。

後ろを振り返れば、小さな階段があり、それは中二階へと続いていて、

そこにもまた本棚が並び、小さなテーブルが備え付けてある。

 

どうやら快斗のいる場所は図書館の受付のようで、

返却箱とかかれた木製の箱と管理用のコンピュータがカウンターの上に置かれてあった。

 

危険な場所ではないらしい。快斗はそう思って気を少しだけ緩める。

どうしてここにいるかはわからないがどこかの私立図書館であるのは確かなようだ。

 

「俺もしぶといね。って、あれ?」

 

立ち上がってくるりと体を見渡せば

父親から受け継いだ衣装はいつの間にか、KIDになるまえの学生服へと戻っていた。

着替えた覚えはない。いや、それ以前に、痛みがない。

 

 

快斗はそう思いながらそっと、撃たれたはずの腹部に手を当てる。

 

「傷が・・・ない?」

 

「そりゃ、そうだろ。あったらそれこそ問題だ。」

 

あきれたような口調が頭の上から降ってきて快斗は瞬時にその出所へと視線を移す。

警戒と疑念の色を瞳に含めて。

だが、いろいろな意志を含めて睨み付けたところで、

中二階の手すりに座っている男は気にもしないような表情で見下ろしていた。

それどころか、足を組み直すとニヤリと嬉しそうに口元をゆがめる。

そして、その男はあろう事か、次の瞬間、

信じられないようなことをひどく明るい声でいってのけたのだ。

 

「地獄へようこそ。黒羽快斗君。」

 

できることなら意識をもう一度とばしたい。

そう思うのはいくら世間を騒がす大怪盗といえども無理もなかった。

 

「じ、地獄?」

残念ながら意識をとばすことは不可能だったので、快斗はあきらめて男に尋ねる。

相手の頭がおかしいのか、はたまた自分が本当に死んだのか。

様々な疑問符が頭の中を飛び回ったが、一番気にかかるのは目の前の男が

実に楽しそうな表情をしていること。

そんなに人の死が嬉しいか!!と怒鳴りたくなるほどに。

快斗はそこまで考えて、いけない、いけない。と頭を振る。

これでは、地獄だと認めたことになってしまうと。

 

「おい、葛藤中に悪いんだけどさ。質問に答えてやってもいいか?」

「あ、お願いします。」

逆光で顔は伺えないが声色から、彼があきれているのはよくわかって

快斗はばつが悪そうに頭を下げる。

そんな快斗の様子に、軽くため息をつくのが聞こえた。

「ここは地獄の図書館、ヘルライブ。俺はここで司書をしている。」

「まぁ、百歩譲ってここが地獄だとしよう。なら、なんでこんなにきれいなんだ?」

地獄とは、西洋でも東洋でも、罪人が行く場所と信じられている。

それは、生きてきたときに犯した罪を償うための場所だと。

だからこそ、針山や釜ゆでなどひどい刑罰が待ちかまえていて・・・。

 

「まぁ、生前のイメージはそうだろうな。だけど、地獄っていうのは、

 転生できない場所。って意味なんだよ。」

「転生?」

 

「ああ。俺たちは死んだら閻魔大王の前に行く。

 あっ、ちなみに閻魔大王は鬼みたいな野郎じゃねーぞ?あれも役職なんだ。

 まぁ、ほとんどが年の喰ったおっさんだけど。で、そこで聞かれるんだ。

 “Hell or Heavenってな。それまでに俺たちは天国と地獄の違いについて

 説明を受けているから、“Hell”というものも多い。

 それでも、天国にいくものよりは少ないが。ここまではわかったな?」

 

流れるような口調で男は一気に要点良く説明した。

もちろん説明でわからないことはない。だが、理解と納得はあくまで別物で、

快斗はポカンと相手を見上げることしかできなかった。

 

「あ、あのさ。」

「ん〜?」

「俺にはどうして選択権がなかったんだ?」

誰もが聞かれるというその言葉を確実に自分は尋ねられていない。

「それは、あれだ。おまえが・・・。」

 

「快斗がまだ死んだわけではないからだよ。」

 

窓から風が吹き込んできたような、そんな自然な流れで後ろから声が割って入った。

その声に快斗は全身がしびれるのを感じる。

懐かしくおおらかでそれでいて暖かい声。

誰よりも大好きな声を耳にして

快斗は柄にもなく手足が振るえながらも、おそるおそる振り返った。

 

「ポーカーフェイスを忘れるな。とは伝えなかったかな?」

「無理なこと言うなよ・・・父さん。」

 

茶色のスーツを身にまとい、にっこりとほほえんで立つ姿は生前とまったく変わりない。

ずっとあいたくて、ずっとあこがれていて。

白い戦闘服を着るたびに思い出して、感じていたぬくもり。

 

「大きくなったな。快斗。」

 

わき上がりそうな涙を押しとどめて、快斗はありったけの笑顔を浮かべた。

 

 

「盗一さん。感動の再会のついでに、あとの説明は頼んでいいか?」

「相変わらず、本の虫だね。新一君は。」

本をひらひらと示しながら告げる男、新一に盗一は苦笑しながら返事を返す。

それに、新一は形のいい眉を歪めた。

「だって、ホームズの新作を明日、届けてくれるんだぜ。

 今日中に読んで感想をいわねーと、ドイル先生、困るじゃねーか。」

「確かに、新一君の読書のじゃまをすると、ドイルは怒るからな。

 わかったよ。読み終わって下に降りてきてくれるなら、許可しよう。」

「サンキュ、館長。」

新一はそう言って嬉しそうにほほえむと、本棚の奥へと消えていった。

 

そんな二人の会話中、快斗は目を白黒させるしかなかった。

彼らの言うドイルとはあの名探偵ホームズを書いた

コナン・ドイルのことであろう。

もちろんそれは至極当たり前のことなのかもしれないが、未だにその感覚に慣れない。

そう、死者が生きているという言葉として出してみても奇妙な感覚に。

 

「なぁ、父さん。今のって、工藤新一だよね?」

「ああ。下界ではやはり有名なのか?」

「たぶん、今年一番の有名人じゃないかな。」

 

快斗はそう言いながら、半年前のニュースを思い出す。

巨大な組織が一人の高校生によってつぶされて世界が守られたと銘打たれた

今世紀最大のニュース。

それによって、命を落としたのがあの工藤新一だったのだ。

亡くなった後も、特番がくまれ、世界的な賞が次々に彼へと送られた。

彼のための記念館や記念碑が作られ、墓を訪ねてくる人が耐えないとも聞いている。

そんな彼が今は、のんびりと地獄でホームズに嵌っていると知ったら

人々はどう思うだろうか。

そう考えると少しだけおかしくなった。

 

KIDとしてはライバルの、黒羽としては会ったこともない相手。

それでも彼の死を聞いたときショックを受けたのは確かだった。

 

 

盗一は窓際にある近くの席に座ると、快斗にイスを勧め、

そして下界でのことを話すように促した。

はじめは母親のことや学校のこと、幼なじみにKIDのことを話す。

特に母親やKIDについては、事細かに説明した。

 

 

「がんばってるようだね。」

「まだまだだ。パンドラはまだ見つからないし。

 今回だって無様に組織の連中に撃たれたし。父さんには追いつけないよ。」

「それでも、快斗。まだおまえは生きている。希望を捨てるな。」

大きな手がゆっくりと快斗の頭をなでる。

その慣れない感触に快斗は少し気恥ずかしくなって目を伏せた。

 

「そのことなんだけど、死んでいないってどういうことなんだ。」

手が離れると同時に、視線をあげて尋ねる。

それに盗一は困ったようにぽりぽりとこめかみのあたりを掻いた。

 

「たまにそんな特例があるんだよ。死にかけの状態でここにとばされることがね。

 まぁ、そのまま死ぬ人間もいるが、快斗は大丈夫だ。」

 

「俺も当分は死ぬ気ないし。そうでなきゃ、困るけど。」

 

母さんを一人にはできないから。

 

そんな意志を込めて見つめると、盗一はすべてを察したようにほほえむ。

「だけど、帰る前に、少しだけここでアルバイトを頼みたいんだ。

 まぁ、特例の原因の一つはこれなんだよ。」

「アルバイト?」

 

「ああ。といってもほとんどボランティアになるけどね。

 実のところ私はこっちの世界でずっとマジシャンとして活動しているが、

 この図書館の館長も兼任しているんだ。ほかにもいろいろと役職をもっている。

 まぁ、その話は後々しよう。とにかく、急用でここをあける間、

 快斗には私の代理をお願いしたい。仕事内容は新一君に聞けば教えてくれるから。」

 

「黒羽。準備はできたか?」

 

盗一が説明を終えた瞬間、タイミングを見計らったように

がちゃりと重厚な木製の扉が開いて、初老の男が顔を出す。

見たことのある背格好に快斗ははて?と首を傾げた。

 

「おや、新一に似ているが・・・。ひょっとしてこれが君の自慢の息子か。」

 

ゆっくりとした歩調で男は歩み寄ると、興味深そうに快斗を見上げる。

そして、柔らかな笑みを浮かべて、右手を差し出した。

「初めまして、黒羽快斗君。噂はかねがね聞いているよ。私はコナン・ドイルだ。」

「貴方が。」

「今回、黒羽を私の取材旅行に同行させたくてね。」

握手をしながら快斗はマジマジとドイルを見つめる。

自分のライバル(あくまで、紙上だけでのことだが)とも言えるホームズの作者。

そして、あの工藤新一が尊敬してやまない人物。

「ドイル。新一君に一言言った方が良くないかい?」

「なに?君からは伝えてないのか?」

「ああ。新一君の不機嫌顔は苦手でね。」

「はぁ〜。いつもそうなんだよな。君は。」

私だって新一からは嫌われたくないのだよ。

そう付け加えながらドイルはぽりぽりと首のあたりを掻く。

そして、あきらめたように二階へと上がっていった。

 

それから数分後、苦笑した表情のドイルと不機嫌顔の新一が降りてくる。

一応納得はしたようだが、機嫌までは調整できないようであった。

「気をつけてくださいよ。もう、年ですし。」

「なに、ここでは死ぬことはないよ。」

「そうじゃなくて、手をけがしたら書けなくなるからですよ。」

「新一君はあくまで、ホームズの心配をしてるんだよ。ドイル。」

玄関まで荷物を運ぶと、盗一はドイルにそう告げる。

その言葉に彼は渋った表情を浮かべた。

「わかっているよ。じゃあ、あとはお任せするね。快斗君。」

「仲良く頼むよ。」

パタンと閉められた扉。

残されたのは快斗と新一。

二人は何ともなしに視線を交えてお互いに微妙な笑顔を浮かべた。

 

「じゃあ、まずは仕事の説明だな。こう見えても図書館は結構忙しい場所だ。

 俺はとりあえず、カウンターで本の整理があるから、

 黒羽はここに積まれた本をそれぞれの棚に戻してくれ。」

そう言いながら新一はさっそくカウンターのパソコンの電源を入れる。

借りられた本と返された本のデーターの確認作業や、

新刊の情報などの入力を行うのだろう。

快斗は渡された本を眺めながらそんなことを考えた。

 

本の背表紙に書かれた番号と同じ番号のかかれた棚を探す。

一般的な文学史から伝記に専門書までと幅広い。

「そう言えば、言葉ってみんな共通なのかな。」

見た目には日本語のように感じる本のタイトル。

それに、先ほどドイルとの会話も日本語で行っていた。

だが、考えてみれば彼は当然日本人ではない。

 

「まぁ、あの世まで言葉の問題はないんだろうな。」

 

かつて神がこの世の言葉をバラバラにしたという昔話が真実ならば

逆に共通した言葉をしゃべることが自然の通りなのかもしれない。

快斗は文学のジャンルに本を詰めながらそんなことを思った。

 

 

本をようやく並べ終えたとき、ふと周りを見ると結構な人数が図書館にはいた。

幅広い年齢の人、様々な国籍の人、誰もが明るい表情で本を選び借りていく。

中二階の日当たりのいいテーブルには、隙間なく本を読む人であふれていた。

 

「おい、黒羽。終わったならこっち手伝ってくれ。」

「あ、OK。」

 

疲れたような声が響き、快斗は慌ててカウンターの方へと向かう。

そこで、快斗は思わず目を見開いてしまった。

どうして気がつかなかったのだろうと思うほどの人の列。

バーコード式とは言っても、一人ではとてもさばききれる量ではない。

「やり方はわかるな?」

「もちろん。すみません、お客様。こちらもどうぞ。」

快斗は新一の横に立つと適度な音量で声をかける。

ここはまかり間違っても図書館だ。大音量はタブーに決まっている。

ぞろぞろと半分ほどが列を移ったが、それでも人数はかなりのものだった。

「あら、見慣れない顔ね。ひょっとして館長さんの息子さん?」

「え、あ、はい。」

館長という言葉に、最初はなんのことかわからなかったが、

自分の父親を示しているとわかると、快斗は笑顔で答える。

「てことは、お亡くなりになったのかしら。」

「いえ、こいつは特例なんですよ。ジェミーさん。」

「工藤君、またきれいになったんじゃない。もう、おばさん妬いちゃうわ。」

本を借り終わっても話し続ける老女に快斗は後ろのお客さんが怒っているのではと

心配げに様子を見る。

だが、おのおので会話をしていたり、こちらの話を楽しそうに聞いていたりと

とくに気にとめた様子はなかった。

 

「それじゃあ、地獄を楽しんでいってね。黒羽君。」

「はい。どうも。」

ジェミーは本を受け取ると、オホホと笑いながら図書館を出ていく。

地獄を楽しむ・・その異様な単語の組み合わせに快斗は苦笑を漏らしてしまうのだった。

 

ようやく一区切り突いたのは、午後を回った頃。

新一にどうしてかと聞けば、午後から仕事のある人が多いのだとか。

「こっちで便利なのは寝なくても健康でいられることだな。

 もちろん、体重や身長の変化はあるけど、病気がないから。」

「じゃあ、医者がいないってこと?」

快斗はカウンターの奥にある小さな簡易用のキッチンでコーヒーをわかすと

それを新一に手渡しながら尋ねた。

新一はサンキュウと言いながらそれを受け取る。

「医者はいるな。だってけがはあるだろ?

 まぁ、死ぬことは無いけど、障害を持つ場合はある。」

「へぇ〜。ここで一生生きていくのに、障害って大変じゃない?」

「いや、年に一度、リセットの日があるからそうでもないぜ。」

「リセットの日?」

快斗は新しい単語に目を丸くする。

すると新一はそんな表情に苦笑しながら軽く頷いた。

「年齢をリセットしたり、けがをリセットしたり、希望すればできるんだ。

 大晦日の日にな。」

「なるほど。それなら、一生ここで暮らしても年齢をそのままで保てるのか。」

「おう、永遠の17歳だって可能だぜ。」

新一はそう言うと楽しそうに笑った。

だが、快斗にとってその笑顔はどこか卑屈な感じがする。

永遠の17歳それは時を刻めないのも同じ。

 

「さて、黒羽にはもう一つ仕事があるぜこれから。」

コーヒーカップを快斗の分まで手にとって、キッチンへ片付けに向かうと

新一は意地の悪い笑顔を向けた。

「まだあるの?」

とたんにいやそうな表情になった彼に新一は強く頷く。

「館長が毎日、学校帰りの子供たちのためにやってるんだよ。

 まぁ、今は仕事帰りの大人も来るけど。」

「ひょっとして・・・。」

「ああ、マジックショーだ。

 お客は館長のマジックを見続けている人たちばかりだから、目は確かだぜ。」

「はは。そうだね。」

世界一だった、いや快斗の心の中ではいつまでも世界一に輝いている

父親のマジックを見慣れた観客相手のマジックショー。

久々の大仕事だ。快斗はそう思って身震いする。

「なんなら、これから4時くらいまで練習すれば?暇な時間帯にはいるし。

 俺も本を読みたいしな。」

「うん、そうするよ。」

快斗の緊張を感じてか、新一はそう言うと鍵を手渡す。

「二階のおめーの部屋。そこなら誰も来ないから。安心して練習しろ。」

新一はそう言うと、スタスタと人気の無くなった中二階のテーブルへと向かう。

二階と言うことはおそらく、その上に続く階段を上れということなのだろうか。

快斗は新一の後に付いていきながら、関係者以外立入禁止の札が揺れる階段を見上げた。

 

 

 

夢を与えるマジシャンに。

そして父親を越えて世界一のマジシャンに。

それが、快斗の人生の一番の目標だった。

 

最後にカードマジックの確認をしていると、遠慮がちにノックの音が聞こえた。

「黒羽?」

「どうぞ、工藤。」

ゆっくりと開かれる扉。

その間からひょっこりと顔を出す新一に快斗は軽く笑って見せた。

「なんだ、少しは緊張してるかと思ったのにな。」

そんな快斗の表情に新一はつまらなそうな顔を作ると、後ろ手で扉を閉める。

 

「緊張してるんだけど。」

「ん。知ってる。顔見ればわかるぜ。本当に盗一さんの息子だよな。

 いっつもポーカーフェイスでさらに笑顔の面までつけてやがる。」

閉め切られたカーテンと窓を開けて空気を入れると、くるりと振り返って

新一はあきれたようにそう告げた。

その言葉に快斗は呆然と彼を見つめる。

「何だよ。」

「いや、初めてそんなこと言われたから。さすがは名探偵だね。」

「ほう。俺を知ってるのか。」

「当たり前だろ。今、世界で一番の有名人だよ。」

「死んでから有名になってもなぁ。」

新一はポリポリとこめかみを掻いて、苦笑する。

だけどその表情に悲観的な様子は感じられなかった。

「で、何しに?」

「そうそう。出番だぜって言おうと思ってさ。

 今日は結構な人手だぜ。それと、盗一さんの友達も連れてきたんだ。」

「父さんの?」

「ああ、おまえの肩と足下にいる。こいつらをな。」

新一がそう言って手を叩くと、ポンッと小さな音を立てて、

数羽の鳩とウサギ、それにアライグマが現れる。

「おまえと手品をしたいってさ。」

「工藤。わざわざ直前に渡すなよ。」

 

「アクシデントにも耐えられるマジシャンにならないと、世界は厳しいぜ。

 それじゃあ、5分後。下に来いよ。前座は盛り上げとく。」

 

クスクスと笑いながら出ていく彼を恨めしそうに快斗は見つめる。

その足下ではアライグマがちょこちょこと小さな足を動かして歩き回っていた。

 

新一の言葉通り、階段を下って貸し出しカウンターの前に行けば、

この上なく盛り上がった会場になっていた。

会場とはいっても、カウンターの前に小さなステージが設けられた簡要なものだが、

お客となる人々はぎっしりと詰まっている。

ステージ袖でロッキングチェアーに座って、

本の読み聞かせをしていた新一は快斗の姿が目にはいると本を閉じて一礼した。

「ここからは、我が図書館の誇る館長のご子息である黒羽快斗さんに

 マジックショーをお願いいたしたいと思います。皆様、盛大な拍手でお迎え下さい。」

 

新一の言葉にお客たちは立ち上がって、惜しみなく拍手を送る。

その雰囲気に圧倒される快斗に新一は目配せしてステージに上がるように示唆した。

快斗は軽く頷いて、一呼吸おき目を閉じる。

そして、再び目を開けば、

そこには高校生でもなく、夜を駆ける怪盗でもない一人のマジシャンが現れた。

変わった気配、瞳の狡猾さ、その圧倒的な存在感に誰もが息をのむ。

快斗は悠然とステージ中央まで進み出ると、ゆっくりと優雅に一礼した。

 

Readys and Jentluman.今日は我が肢体が繰り出す夢の世界をお楽しみ下さい。」

 

始まった演技に、新一はそっと観客の一番後ろへと進んだ。

 

快斗のショーは、手元でカードを当てるマジックでも、

スリルを味わえる脱出マジックでもなかった。

基本的にはいろいろな場所から、予想外なものが登場する出現タイプのものが主だ。

新一はそんな彼の選択にあたりだなと思う。

今回は、大人よりも子供のほうが多い。

こんな場合は、はっきりと目に見えるマジックのほうが受けがいいのだ。

だからといって、大人にも飽きさせないように要所に工夫が凝らしてあって、

集まった誰もが一喜一憂しながらその幻想的な世界を楽しんでいる。

 

「それじゃあ、会場の子供たちに協力してもらおう。

 私が合図したら一斉にズボンのポケットを叩いてごらん。

 ポケットがない子は、手を叩いてね。」

快斗の言葉に子供たちは大きく頷いた。

「よし、じゃあ、3,2,1。ハイ。」

 

パン

と一斉に音が鳴る。

すると、子供たちの手やポケットには袋入りのビスケットが現れる。

一気にざわめく会場。そして歓声。

一人の手の中に出現させるマジックはこれまで多く存在したが

これだけの人数の手の中やポケットに出現させるトリックは初めてで

さすがの新一も驚愕の表情を隠せなかった。

 

「まだまだ驚いちゃはやい。さぁ、良い子のみんな。もう一度叩いてごらん。

 3,2,1。ハイ。」

 

パン

 

「あれ〜。何にもないよ。」

期待していた子供たちの顔が曇る。

それに、マジシャンは困ったように頭を掻いた。

「おかしいな〜。どこにいったのかな?・・・あれ、後ろを見てごらん。」

快斗の言葉は魔法のように、会場の皆をうまく誘導する。

そして、振り返った先。そう大人たちのポケットや手の中に小さな花があった。

 

「間違って、大人の人たちのところにいっちゃたみたいだ。

 ああ、怒らないでね。もう一度魔法をかけるから。」

興奮する大人たち、少し残念そうな子供たち。

もちろん子供たちの機嫌を低下させたままではいられない。

「たくさんのお菓子は、ここの司書さんに預けてあるんだ本当は。」

「俺?」

突然話題を降られて新一が驚いたように快斗を見る。

すると快斗は黙って頷いた。

「だって彼の手の中には。」

スッと右手を大きくあげて、ビシッとその場所を快斗は示す。

「お菓子がこぼれんばかりにある。」

「うわっ。」

突然あふれ出すように出現したお菓子に、子供たちは駆け寄った。

新一はそんな子供たちをなれたように、諭して順番に均等に配る。

大人たちも珍しく慌てた新一の様子を見て、楽しそうに笑った。

 

お菓子を配り終わった後は、小さな劇のようにアライグマやウサギが活躍した。

そして、約30分のマジックショーは、スタンディングオペレーションという

最高の賛美の形で終わったのだった。

 

 

「どうだった?」

お客さんが帰って閉館時間となり、図書館は再び新一と快斗だけになる。

本の整理を終えた快斗は早速、名探偵の感想を伺った。

「すごいとしか言いようがない。もちろん盗一さんの技術や観客の引き込み方には

 及ばないけど、おまえには独創性があるんだ。人を引きつける大事な魅力が。」

新一は一言一言確かめるように、じっくりとそう告げる。

言い間違えの無いように、そして快斗に少しでも気持ちが伝わるように

そんな気持ちが伝わってくる言い方だった。

 

ただ絶賛するわけでなく、そして逆に避難するだけでなく

誉めながらも悪いポイントはきちんと押さえていてくれて

マジシャンでもないのに、遠慮無く彼はトリックが分かりそうな部分について

その後もじっくりと指摘してくれた。

 

「まぁ、素人の俺がこんなこと言うのもなんだけどな。」

「そんなことないよ。すっげー、助かった。」

「それならいいけど。とにかく、明日もよろしく。」

「は!?」

「言ってなかったか?これは毎日行われるんだぜ。

 ここからは、どれだけ持ち技があるかが重要になってくるんだ。

 良い訓練だろう?絶対、現実に戻ってからも役立つぜ。」

新一はそう言うと、楽しそうにクツクツと笑う。

まるで、快斗が苦労するのがおもしろいかのように。

 

だけど、その言葉の中に現実に戻ってという一言に

快斗はどうしても取っ掛かりを感じずにいられなかった。

 

翌日からは、本当に大変な日々を過ごしたと快斗は思う。

午前中に書庫の整理をして、その合間を縫って新しい技を考え

昼休みには新一にも相談し、毎日オリジナルの技を披露し続けた。

決して飽きさせない、そして前日よりも高度なものを。

その作業は本当にきついとしか言いようがなかったけれど、

快斗に多大な功績を残してくれた。

 

そんな日々が約1週間続いたある日

ショーが終わりを迎えたときいつもより盛大な拍手が起こった。

それもその拍手の出所は、扉付近からだ。

ショーはまだ途中だというのに。

皆は驚いたように入り口付近に視線を集めた。

 

「見事だ。一週間でここまで成長するなんて、私も驚きだよ。」

「「「館長!!」」」」

少しだけ汚れた服装ながら、そこには満面の笑みを浮かべた黒羽盗一がいて

その横に苦笑を浮かべるドイルも立っていた。

新一はドイルを見つけて嬉しそうに駆け寄り、手に持った荷物を受け取ると

深々と頭を下げる。

 

「取材、ご苦労様でした。先生。」

「うむ。」

「新一君のおかげで、快斗の悪い癖も無くなったようだね。」

盗一はクスッと笑いながら新一にそう耳打ちをする。

それに新一はとんでもないと頭を降った。

「あれは彼自身の努力の賜ですよ。

 俺は盗一さんの言葉と俺が思ったことを彼に少しずつ伝えただけです。」

「どういうこと?」

「盗一さんはおまえのショーをずっと見ていたんだ。天界から。

 おまえがクラスで友達に見せる時とか、KIDの時とか、すべて含めてな。」

そう言って新一は胸元のポケットから

ステージのマジシャンに向けて古びたメモ帳を投げ渡す。

茶色の小汚いメモ帳は、所々黄ばんですす切れていた。

 

快斗は慎重に震える手でそれをめくる。

 

4月某日:クラスで友人に新聞を使ったマジックを見せる。まだまだ手元が甘い。

4月吉日:KIDとして中森警部に見せたあのトリックは、手首の返しがいまいちだ。

 ・

 ・

 ・

 

びっしりと隙間無く書かれた改善点に快斗は目を見開く。

そして、その視線をそのまま父親へと向けた。

「俺のこと、見ててくれたんだ・・・。」

「快斗。お客様をお待たせしてはいけないよ。

 どうだい、お詫びに一緒にショーをしようじゃないか。皆様、いかがですかな?」

盗一は快斗の言葉に返事を返すことなく、ウインクするとステージへとあがる。

そんな彼の言葉に客席ではすさまじい拍手が始まった。

 

快斗が夢にまで見た父親との共演。

絶対に不可能だと思っていたことが、今ここで実現される。

ゆるみそうになる涙腺を押さえて快斗は真剣な顔つきを再び取り戻した。

 

ポーカーフェイス

 

父が大事にしてきたことを実証したいから。

 

 

2人の息はまさに阿吽の呼吸と言えるほど素晴らしく、

ショーが終わっても拍手が途絶えることはなかった。

すべての人々は惜しみなく彼らに拍手を送り、中には涙をこぼす者まで居た。

 

新一はそんなショーを見ながら、これが実際に生きて行われたなら

どれほどのものだっただろうかと思う。

きっと、世界のTOPニュースになるほどの輝かしい功績を残しただろう。

だが、そこまで考えて新一はブルブルと頭を振った。

仮定はいくら進んでも仮定なのだ。それよりは今を楽しもう。悔やむよりも。

そう自分に言い聞かせて。

 

「新一。そろそろじゃないかね?」

「あ、そうですね。」

ドイルに背中を叩かれて、新一は思いだしたように側に隠していた花束を取り出す。

そして、観客の間をすり抜けて、絶賛の拍手をあびる親子の前にたった。

 

「工藤?」

「お疲れさま。黒羽。今日でバイト期間も終了だ。」

「え?」

驚いたように新一の顔を見て、そして盗一を見る。

盗一は少しだけ哀しそうに微笑んでいた。

「おまえは生きた人間だ。ここにはずっとはいられない。そうだろ?」

「もちろん。俺はすべきことがある。」

「分かってるならいい。みなさん、黒羽快斗は今日をもって現実世界へと戻ります。

 どうか、彼の残りの人生が輝かしい者であることを祈って、もう一度盛大な拍手を。」

 

新一はくるりと向き直って、観衆に告げた。

そして、再びドッと拍手の波が起こった。

 

「それじゃあな。黒羽。これは餞別だ。がんばれよ。」

はにかんだ笑顔を浮かべて新一はひまわりの花束を渡す。

その瞬間、快斗の頭の中をここで過ごした日々が走馬燈のように流れた。

 

新一と料理をしたり、学生同士のようなふつうの会話もした。

地獄という環境の中、毎日のプレッシャーの中、がんばれてきたのは

ひとえに彼のおかげだった。

 

そして、いつからか・・・新一は欠かせない者となっていて

 

自然と涙がこぼれる。

あれほど早く帰りたいと思ったのに。

彼と別れることが辛いと、初めて生きていたくないと思ってしまう。

 

「黒羽?」

「なぁ、新一。最後に快斗って呼んでくれる?俺が消える瞬間に。」

 

少しずつ薄くなるからだ。

自分自身、消えていくのがよく分かった。

快斗の思いを知ってか知らずか、新一は少しだけ驚いたような表情をしたが

すぐに笑顔で頷いてくれる。

 

「快斗。がんばりなさい。」

「ありがとう、父さん。」

 

薄れていく意識。はっきりとしない視界。

白いもやが広がっていく。

 

「快斗。・・・KIDの時から好きだったぜ。」

 

フッと意識が切れようとした瞬間、

届いた声はとてつもなく残酷な台詞を付け加えてくれた。

 

 

「・・ちゃま・・快斗ぼっちゃま。」

「んっ。」

「快斗ぼっちゃま!!奥様、お目覚めになられました。」

「わ、わかったわ。哀さんに知らせてくるわね。」

 

俺が目覚めたのは、工藤邸の新一の部屋だった。

どうやら俺を看病してくれたのは、新一の主治医となのる灰原哀という少女。

蒼くなったお袋の顔、げっそりとした寺井ちゃんの顔。

そのすべてが、俺を現実へと引き戻してくれて、今までのことが夢のように感じられる。

 

俺はそれから暫く、混沌とした意識で数日過ごした。

意識がはっきりしたのは一ヶ月もたってのことだ。

 

「哀ちゃん。どうしてあの日、あそこに?」

「工藤君に頼まれたのよ。あなたを助けてほしいって。夢枕でね。」

 

そう言って彼女は、俺の枕元に大輪のひまわりを生けてくれた。