この生き物は、なんだろうか? ソファーの上にちょこんと座っている見慣れない生き物にアヌビスは目を細めた。 村に関する問題も万事解決して、再び東都に戻って早半月。 一応の主人である快斗は新一の家に居候することになり、 蘭たちもまた各々の家族とともに家をもち、新たな人生を歩み始めている。 特に服部、遠山家にいたっては、自分たちのルーツである関西地区での生活を決め すっかり馴染んでいるらしいと聞いたのは昨晩のことだった。 そう昨晩。 快斗と新一、そしてフォルスとこのリビングで雑談をしていた時 目の前の生き物は存在しなかったはずだ。 では、これはいったい何者なのか。 クンっと鼻を近づけると、黄金色の小さな生き物は“にゃあ”と鳴いた。 この鳴き声から察するにネコに違いないのだろう。 だいいち、そのようなことはさすがのアヌビスも分かっている。 問題は、なぜこの子猫がここに居るかだ。 アヌビスがそう思い再び鼻先を近づけようとした時だった。 「アヌビス、食うなよ。」 ガチャリと開いた扉とともに、買い物に出ていた二人が帰ってきた。 『食うなとは失礼だな。バカイト。』 「ご主人にむかってひでぇな。第一、おまえ雑食だから、危ないかとおもって。」 新一が消えた時は、役に立たぬほどの腑抜けになっていたと聞いていた主も 今は始終、幸せオーラを周囲に振り撒いている。 それも2人がともに在ることに反対だった快斗の母を呆れさせるほどに。 そのためか、多少の小ばかにした言葉にも思った以上に反応は薄かった。 「志保のネコだよ。今日は留守にするから預かってくれって。」 のってこない快斗につまらなそうな態度を示したアヌビスをみて 新一が苦笑とともに彼が欲しがっているであろう情報を与える。 するとアヌビスはピンっと耳を立て驚いたように新一を見上げた。 『科学者馬鹿がネコをか?まさかこんな子猫を実験に?』 『アヌビス、あなた殺されますよ。』 いつの間に来たのだろう。 ソファーの背もたれ部分にフワリとフォルスが羽音をたてることなく舞いおりる。 『これは天狐がこちらで暮せるように姿を変えたものです。 まぁ、にゃぁとしかしゃべれませんがね。』 『へぇ、あれほど高貴な式神が子猫ちゃんか。』 クンっと小ばかにしたようにアヌビスが鼻を近づけると、 子猫はピッとすばやく爪で彼の鼻先を引き裂いた。 あまりもの痛みに驚いて飛びのくアヌビスに快斗はケラケラと笑い声をあげる。 「言ってなかったけど、言葉は通じるからな。」 『くっそ。わざとだろ。』 「ほらほら喧嘩するなって。けど、天狐も戻ってきたなら、 そのうち蘭や和葉の式神も戻ってくるかもな。」 冷蔵庫に買ってきた食材をつめながら、新一は今は居ない式神たちに思いをはせる。 憑依型の平次の式神は難しいかもしれないが、蘭や和葉の式ならば、 そのうちひょっこり顔を出すかもしれない。 もちろん、こちらで生きるためには、力を全て封印し、 こちらの生き物の形を成さねばならないけれど。 『白夜が来てもうるさいだけだろ。ところで、新一。それは何だ?』 天孤をイジルのに飽きたのか、足に顔をすりよせてアヌビスが甘えてくる。 そんな姿はエジプトの守り神というより、大型犬だ。 新一はアヌビスの頭を撫でてやると手に持っている袋から包みを取り出した。 「今日の買い物の目的だよ。ほら、ホワイトデーだから。」 「志保ちゃんたちにね。けど、クラスの女子にまではいらないだろ。」 そう不満そうに声をあげると、快斗は新一の腰に手を回し、彼の肩にあごをのせる。 もちろん、同時に足元のアヌビスを蹴るのも忘れない。 『快斗、てめぇ、何するんだ。』 「俺の新一に慣れなれしいんだよ。あー今日も新一補給♪」 『補給って、ちょっと学校が違うくらいじゃないですか。』 フォルスの言葉に、ちょっとじゃない!と快斗は声を荒げた。 そう、今、新一と快斗は別々の学校に通っている。 というのも、あの一件以来、新一は女の姿を保つ必要もなくなり、 さらに博士も式神使いでは無くなったため表向き女性に見せることは出来なくなったのだ。 まぁ、新一ならば女装してもバレることはないというのが、周囲の意見だったが、 新一は本当の名前をもって、男として生活するため転校を決めたのであった。 快斗は蘭たちと違い、式神使いであるままのため、 生気を新一から貰わないといけないのだが、 快斗のいう新一補給とは、それとは違う意味であることは言うまでもないだろう。 『しっかし、人間も面倒だな。あんな大量のチョコにお返しなんて。』 「あら、義理チョコは日本くらいよ。全人類共通ではないわ。」 アヌビスの言葉を拾ったのは、帰宅した志保だった。 志保の姿を見つけた天孤は嬉しそうに彼女に駆け寄る。 すると、志保も滅多に見せない柔らかな笑みを浮かべ、猫を抱き上げた。 「アヌビス、うちの天孤を苛めたみたいね。」 『い、いや。』 「それに失礼なことも言ったみたいじゃない。 そうね・・・黒羽君。あなた、式神は1匹いれば充分でしょう。」 ニッと先ほどとは違い妖しげな笑みを浮かべる志保に、 アヌビスはビンっと尻尾をたてて緊張する。 快斗の方へちらりと視線を向けたが、主が助けてくれるとは思えなかった。 「ああ。優秀なフォルスがいれば充分だな。」 『アヌビス、今日までいろいろとお世話になりました。』 『おまえら、う、裏切りものっ。』 騒がしい部屋を眺めながら、新一はコーヒーを煎れる。 3人分の茶菓子、天孤にはミルクでいいだろうか。 それに 「志保。ちょっとだけど。」 「あら、嬉しいわ。」 「ああー。なんか良い雰囲気じゃん。志保ちゃん、新一は・・。」 「“俺の”でしょ。分かってるから。」 上品な包みのプレゼントを受け取ると、志保はクスクスと笑った。 この独占欲がいつまで続くのかと思うと同時に、ずっとだろう、とも思う。 「それで、黒羽君からはないの?」 少し冗談めかして言ってみると、快斗はスッと一礼した。 今は見なくなった某怪盗と同じ仕草で。 「もちろん、美しい姫君のために用意してありますよ。」 パチンと指を鳴らし降ってきたのは薔薇の花。 腕の中の天孤がそれを取ろうと小さな前足をしきりに動かしている。 そして、もう一度指を鳴らすと、それは一瞬にして花束になった。 「おまえな、普通に出来ないのか?」 「え〜。新ちゃん、ヤキモチ?」 「・・・本当にご馳走様。天孤。」 志保は出されたコーヒーを飲むことなく、天孤をつれて出て行く。 今日は、この貰ったクッキーよりも、薔薇の香りよりも 甘い夜になるのだろうから。 |