おまえはあと1週間で死ぬ。 そう言われて平常心でいられる人間がこの世にはいるだろうか。 ―予言・前編― 「工藤君、元気がないわね。」 ぼんやりと教室の窓から校庭を眺めていたら、良く知った声が聞こえた。 その声に新一はゆっくりと振り返る。 「どこがだ?」 何でもないと装うとして、笑顔でいるけれど、目の前に立つ彼女 宮野志保にはそれは全くの無益であった。 「また、見えてしまったの?」 志保はそう言うと、新一が今まで眺めていた校庭を見つめる。 ハードルのタイムを計る陸上部、キャッチボールをする野球部、 そして発声練習をしている演劇部。 「雨が・・降りそうだな。」 新一は志保の問いかけを気に留めることなくぼんやりと雲に覆われた空をみあげた。 それから予想通り、バケツをひっくり返したような雨が降る。 砂埃の舞っていたグラウンドも今は泥沼のようだ。 志保は水色の傘を差し新一の隣を歩いている。 チラリと横目でその表情を伺うが、 肩まで伸びた髪が邪魔で彼女の真意を測り知ることは不可能だった。 本当に変わった力だと思う。 あと1週間で死ぬ人間が分かるというのは。 それは、無意識的に条件にあった人間に会うと、映像として脳裏に映し出されるのだ。 元気良く公園で走り回る子供が、トラックに引かれる映像。 幸せそうに赤ん坊を抱く母親が強盗に殺される映像。 スーツ姿のサラリーマンが自殺をする映像。 だけど、その未来を変える力を新一は知らない。 そして、なにより極めつけは・・・両親が死ぬ映像だった。 海外へ旅立つという彼らを、新一は必死に止めたが、 冗談だと思って信じては貰えなかった。 あの頃は新一もまだ小学生で、自分の力をあまり分かっていなかったから。 もし、今ぐらい知識もあり弁論術や行動力があったなら、きっと両親は生きていたはずだ。 だが、あくまでもそれは“もし”という過程でしかないこともまた分かっている。 そんな彼が、宮野家に引き取られたのは10歳の頃。 そこの一人娘である志保だけが、今は新一の良き理解者でもあり、 新一の力を知る唯一の人出もあった。 だからといって、それ以上の関係でもそれ以下の関係でもない。 一般的な言葉を借りるなら、“家族”という絆で結ばれた関係だと新一は思っている。 それはまた志保も同じだった。 家へと続く道。 新一はたまらず後ろを振り返った。 グラウンドで練習していた陸上部の男子生徒が、鞍馬で落下し死ぬ映像が見えたから。 一言でも忠告しようか・・・ そう思って踵を返し、歩き出そうとしたけれど、それは志保の手によって阻まれる。 「宮野・・。」 「工藤君、何度言ったら分かるの? 哀しいけど、あなたの言葉を受け入れられる人間はないの。」 「だけど。気をつけろ・・・くらい。」 例え、死ぬと表現しなくても、注意を払って貰えれば未来は変わるかも知れない。 新一のそんな意図を含んだ瞳に志保はため息をつく。 本当に優しい人。だけど、それによっていくら傷ついても倒れない強い人。 それが彼の良さでもあり、また欠点でもあると志保は思う。 「工藤君。未来は変わらない。お願い、貴方が中学の時のように “死神”扱いされるのは嫌なのよ。貴方はもう傷つかなくていいのだから。」 志保はすがるように新一の腕を抱きしめた。 以前、同じような状況で、新一はある女子生徒に“注意して帰って下さい”と 声をかけたことがある。 彼女の死が迫っていると気づいたのは、その当日で、 その女子生徒は初めて話した相手にそんなことを言われたのを疑問に思いながら “お気遣いありがとうございます”と頭を下げて帰っていった。 そして・・・彼女は交通事故でなくなった。 新一の事は周りにいた彼女の友人から広まり、新一は“死神”のレッテルを貼られる。 彼自身、さして気にもしていなかったし、 それどころか彼女が死んでしまったことに力の無さを悔いていたのだが、 志保にはそれが耐えきれなかった。 優しい彼を侮辱する言葉。 志保はそんな言葉を耳にする度に、口にした人間を殺したくなって・・・。 『工藤君、転校しましょう。貴方の為じゃないわ、私のため。』 ねぇ、私に殺人犯にはなって欲しくないでしょ?もちろん完全犯罪は可能だけど。 そんな脅しまがいの言葉をかけて、無理矢理転校したのだ。 自宅に戻って、養父の阿笠博士に挨拶をする。 彼は志保を引き取り、孤児となった新一も引き取ってくれた人物であり、 かけがえのない家族の1人でもある。 新一も志保も阿笠のお陰で今の自分たちはあるのだと感謝している。 「雨がひどかったじゃろ。」 博士はコーヒーを持って、新一と志保の正面い座った。 人の良さそうな笑顔は2人の心を穏やかにさせる。 「ええ。もうすぐ、梅雨に入るのかしら。」 「嫌だな。俺、苦手なんだよ。」 「あら、工藤君は夏の暑さも冬の寒さも苦手でしょ。」 「冷暖房があるから良い。」 そう言うと新一はグテッとソファーに全身を預ける。 「そうじゃ、新一。一つ、頼まれごとをしては貰えんか?」 「はぁ〜。俺はいま、猛烈にダルイ。それに、外、雨じゃん。」 「志保君は今日、料理当番じゃし。御礼に帰り、レモンパイを買ってきても良いから。」 な?頼まれてくれんか?そう言って博士は軽く頭を下げた。 「工藤君。」 志保が牽制的な視線を向ける。 それは、黙って従えとのこと。 もちろん新一も頼み事を言われた時点で従うしかないことは分かっていた。 ただ、どうしても反抗してみたかっただけ。 「分かったよ。博士。で、何をすればいいんだ?」 「これを、江古田高校の黒羽快斗君に渡して欲しいんじゃ。 顔は、君と似ているからわかるはずじゃよ。」 そう言って博士は緑色の紙袋を手渡す。 渡されたそれはずしりと確かな重みがあった。 「顔って?」 「百聞は一見に如かず。まぁ、分からなかったら生徒に聞けばいいじゃろ。 じゃあ、よろしく頼むな。新一。」 簡単に書かれた地図を受け取って、新一は再び土砂降りの雨の下に立つ。 「隣り駅か・・・。」 地図の場所を頭にたたき込んで、駆け出す。 雨の下は嫌いだったから。 学校を出て、むさ苦しい雨に快斗は表情をゆがめた。 その隣を幼なじみは楽しそうに歩いている。 何がそんなに楽しいんだ?と快斗が聞けば、彼女はフフッと笑っただけだった。 「ねぇ、快斗。あれって、高校生探偵の工藤君じゃない?」 校門近くまで来たとき、幼なじみこと、中森青子はグイッと快斗の腕を引っ張る。 快斗はその声に驚きながら、前を見れば、確かに新聞で見たことのある探偵だった。 幼いときに両親を亡くしながらも、その逆境を克服し 正義感をふるって事件に取り組む名探偵。 そんなタイトルで特集を組まれていたこともあったはずだ。 快斗にとって、工藤新一の印象は悪い。 まるで、過去の悲劇を使って名を売りだしているように感じられたから。 そんな不幸をもった人間はいっぱいいる。現に快斗自身、父親を亡くしているのだし。 「サインとか貰えないかな?」 「雨だし、むりなんじゃねーの。」 女子生徒の輪の中で、やんわりと断っている彼。 読心術がある快斗は、彼が何を言っているのか分かっていた。 「ぶー。にしても、なんでここにいるんだろう。」 青子はそう言って足を止める。 少しでも近くで見たいのだろう。 名探偵でありながら絶世の容姿をもつ有名人を。 「あっ、黒羽君。工藤君、彼が黒羽君よ。」 クラスメイトの1人が青子の横に快斗を見つけて新一に教える。 「快斗に用事みたいだよ。」 「はぁ?俺に?」 青子は快斗の腕をひっぱって、強引に輪の中心部まで進んだ。 何?おれがKIDだってばれた? いや、でも俺はこの探偵と顔なんて会わせたことはねーぞ。 快斗の頭の中で、急速に過去の情報が処理される。 その中に、工藤新一との接点は無い。 とりあえず呼ばれて無視するわけにもいかず、快斗は新一の正面に立った。 「初めまして。えっと、工藤新一君だよね。」 「ああ。おまえが、黒羽?」 テレビや新聞で見るときよりもずっと幼い面影を残す彼。 口調も探偵の時とは違い柔らかで、俺の中の彼に対しての嫌悪感は少しだけ弱まる。 「で、早速だけど何の用事?」 「これを阿笠博士から渡すように・・・。」 「ああ、工藤って博士の知り合い?」 差し出された物を受け取って、 快斗はそう聞き返すが新一は唖然とした表情で快斗を見つめていた。 「工藤?」 「あ、わりぃ。俺の養父が博士で。」 「そうなんだ。わざわざ、ありがと。」 「それより、おまえ。白いマントとシルクハットを着る人物知ってるか?」 「へ?」 腕を捕まれて突然の問いかけに、快斗は“正体がばれたのか”と焦る。 もちろん、ポーカーフェイスでその感情は押し隠されているが・・。 「それって、KIDじゃない?」 「KID?誰だ。それ。」 「ええーー!!工藤君、KIDしらないの?」 近くにいた女子生徒は、驚きながらもKIDの説明を新一にはじめた。 新一と話すことができ、それも自分の好きなKIDの話題と、彼女は嬉しそうに話す。 青子は訂正を加えたさそうであったが、 あまりにもその生徒が熱心のため口を挟めないでいた。 「そっか。そんなレトロな泥棒がいたんだな。」 「にしても、珍しいね。工藤君。KIDを知らないなんて。」 「あんまり、興味ないからな。」 新一はそう言って困ったようにこめかみを掻く。 そして、しばらく何かを思案すると、決心したように顔を上げた。 「なぁ、KIDに忠告しといてくんない? ビルの屋上・・・来週の今日、ビルの屋上では気をつけろって。」 「来週の今日?それって、KIDの予告日じゃない?工藤君、捜査に協力するの?」 青子はどうやら新一の言葉を、“捜査協力して捕まえるから気をつけろ”という 挑戦的発言と受け取ったらしい。 もちろん周りの生徒も同様で、夢の対決だと騒ぎ立てる。 その中で快斗は1人、冷めたようにため息をついた。 だれがおまえなんかにつかまるかよ。そう毒づいて。 「良かった。私のお父さんの仕事が楽になるな。これで。」 工藤君がいたら百人力だもの。そう言って微笑む彼女に新一はゆっくりと首を振る。 「違うよ。俺は捜査協力なんてしない。言ったろ。興味ないって。」 「えっ、じゃあ、今の言葉の意味は?」 「純粋な警告だ。もちろん忘れてくれても構わない。」 チラリと快斗に一瞬、意味ありげな視線を向けて、新一は雨の中に消えていった。 雨の音が弱まり、その場にいた生徒達も目的の人物がいなくなったためか、 ちりぢりに帰路に就く。 だけど、快斗だけはその場から動くことができずにいた。 「快斗。帰ろ?」 「あ、ああ。」 青子に促されるままいつもの帰り道を歩く。 見慣れた街路樹に商店、横断歩道に近所の猫。 それらが、視界の端をゆっくりと流れていく。 隣で興奮するように新一について話す青子に快斗は適当に合図地を打った。 青子は快斗が上の空であることには気づいていないらしく、なおも話を続ける。 そして、いつの間にか、家の前についていた。 「じゃあ、明日ね。」 「またな。」 軽く片手を上げてそれぞれの家に向かう。 おかえりと母親の声が聞こえたが、それはBGMのように耳を素通りしただけだった。 『来週の今日。ビルの屋上では気をつけろ。』 意味ありげな発言。 そして、最後に向けられた視線。 その全てが気になってしょうがない。 もちろん、予言まがいの経験は、クラスメイトに自称魔女がいるためか幾度か有る。 加えて、それらが頻繁に当たるということもまた事実。 無意識のうちに快斗は電話を手に取っていた。 相手はもちろん・・・父の友人である博士の家。 志保が夕食の準備をしていると、電話がなった。 博士。と呼ぼうとしたが彼が家を空けていることを思い出し、 手を洗ってエプロンで拭くと急いで電話をとる。 「はい、阿笠。」 『あの、黒羽ですが。』 「黒羽さん?」 志保はその名前に、一時間ほど前に交わして会話を思い起こした。 新一がお使いに向かった相手の名は・・・そう黒羽。 「ひょっとして、お届け物が無事に届かなかったのですか?」 志保はまさか新一の身になにかあったのではないかと、少しだけ声の音量を上げて尋ねる。 考えてみれば、帰宅が少し、遅い気もした。 『いえ、きちんと受け取りました。ただ、ちょっと興味深いことを言われて、 博士にお尋ねしようかと思ったのですが・・・。』 相手の口調はどう話を切り出そうかと、思案しているように志保には感じられた。 そして、彼が言いたい言葉に見当がつき、気づかれない程度にため息をつく。 まただわ・・・志保はそう思った。 「それって、“気をつけろ”とかじゃありませんか?」 『あ、はい。』 「気にしないで。彼は少し変わっているの。」 新一の忠告を無駄にする発言だと分かっても、志保にはそう返事することしかできない。 別にちょっとした知り合いが死ぬ事なんて志保にとっては構わないことだから。 何よりも怖いのは、新一が傷つくことだから。 これで用件は終わりよね。 そう思って“他に用件がないなら”と切り出そうとしたが 先に相手が話し、その言葉はかき消される。 『変わってるってどういうこと?』 いつの間にか、相手の口調は砕けた物になっていた。 会話しながら、年齢が近いことが分かったのだろう。 「だから、気にしないでと。」 「宮野、電話か?」 志保は後ろから突発にかけられた声にびくりと反応する。 そして慌てて電話の口に当てる部分を手で覆った。 雨に濡れたのだろうか、タオルで頭をふきながら新一が不思議そうに見ている。 「何でもないわ。」 「ん。そっか。俺、シャワー浴びてくる。」 「そうしなさい。びしょ濡れよ。」 新一が部屋を出ていくのを確認して、志保は再び電話を耳元に当てた。 「ごめんなさい。とにかく、彼の発言はなかったことにして。」 『そう言われても、こちらとしては一大事なんだよな〜。じゃあ、博士に代わって貰える?』 「博士は今、いないわ。それに、博士に聞いたとしても・・。」 そう口にして志保は思わず口を塞ぐ。 相手がクスリと電話越しに笑ったのが聞こえた。 『説明してくれない?宮野さん。』 「・・・分かったわ。そうね、1時間後に駅前の“ルアナ”ってカフェでいいかしら?」 志保は隣り駅のベーシックなカフェを思い出しながら、尋ねる。 あそこは静かで雰囲気も良かったと記憶しているから、話すにはもってこいの場所だろう。 『良いけど、遠くない?』 「なるべく家から離れた場所がいいのよ。」 志保はそう告げて、電話を切った。 記憶操作の為のクスリがあったわよね。 そう思いながら。 |