分厚い雲に覆われた空の下、新一は携帯電話を見つめながらため息をつく。 「これで4人目か。」 大通りの巨大な液晶テレビには、3人目の被害者についての報道が流れ 通る人々はみな、その画面を複雑な表情で見上げていた。 +もう1人のユダ+ 最初の犠牲者が出たのはちょうど2週間ほど前。 五月雨の降る、季節的には肌寒い週末だった。 朝帰りの女性がオレンジ色の傘をさしながら小さな脇道を歩いていた。 そして対カラス用に駆けられた緑色のネットをかけられたゴミ捨て場の前を通り ついでにと手に持っていた缶コーヒーの空き缶をポイッと習慣的にそこに投げる。 いや、投げようとした。 だが、その動作はゴミ捨て場から異様に突き出た足らしき破片を見て止まってしまったのだ。 初めはただのレプリカだと思ったらしい。 それもそうだろう。まさか都心のゴミ捨て場に足などとは考えずらいのだから。 だが、学生時代、模型や図表などで見た人の構造にそれはあまりにもよく似ていて 彼女は呆然と“人の体って本当にこうなってるんだ”と思ったそうだ。 おそらくは、ちょっとした現実逃避の発想だった。 次の瞬間にはそれが実際の物だと徐々に浸透してきて、大声を上げ 気がつけば周りに警察が来ていたという。 『それにしてもバラバラ殺人事件が、3件も続くのは恐ろしいですね。』 『はい、未だに遺体の身元も確認できていませんし。』 『警察も証拠をつかめず、事件は暗礁に乗り上げたと言っても 差し支えない状況かも知れません。』 『え?あ。新しい情報が入りました。4人目の遺体が一時間ほど前に見つかったそうです。』 『またですか。まったく、警察は何をしてるんでしょうか。』 評論家の男らしき人物がブラウン管の中で呆れた表情を作れば その場にいたキャスターは困ったように愛想笑いを浮かべた。 もう、報道機関に伝わったのか。 新一は再び液晶画面を一瞥すると、手を挙げて公道を走るタクシーを止める。 目暮に呼び出された現場にむかうために。 「工藤君。悪かったね。」 「いえ。それより今回は?」 「腕だったよ。DNA鑑定から今までの被害者とは別人らしい。」 見慣れたいつもの茶色い帽子を被りなおしながら、目暮は悔しそうに吐き捨てた。 新一は高架橋下に転がっている手をジッと見つめる。 これまでも様々な遺体を目にしてきた彼だが、さすがに一部分のパーツだけを 見るのは、少し気が引けた。 「それで、またなんらかのメッセージがあったんですか?」 「ああ。」 目暮は軽く頷くと傍にいた高木刑事を呼びつける。 その声に急いでやって来た高木は軽く挨拶すると、 透明な袋に入れられたメッセージカードを新一へと手渡した。 報道機関に知られていない唯一の情報。 それはこのメッセージカードの存在。 もし、これがばれてしまったら、模倣事件が起こるかも知れない。 だからこそ、この事はTOPシークレットだった。 ――――4人目のユダの始末は終わった。我は13人目の使徒。 「まったく、このメッセージから分かるのは、 殺された人はユダ。つまり裏切り者ということくらいだよ。」 高木は新一の手元にあるメッセージを見つめる。 「そうですね。13人目の使徒とは、 ユダが死んだ後に弟子に加わった男のことでしょう。」 「ということは、犯人はある組織の裏切り者を殺していると言うことか。 それも、彼らが裏切りを行った後に組織に入った可能性の高い。」 「ええ。」 組織 裏切り その言葉に新一は目を細める。 もちろん“黒の組織”は完全に潰したから関わりはないだろう。 だけど・・・と新一は思う。 だけど、これが灰原の耳に入ったら。 それだけは避けたいな。 又何か分かったら連絡下さい。 そう告げて、新一は現場を後にした。 家に入った瞬間、バケツをひっくり返したように雨は降り出した。 「ギリギリだったね。」 玄関まで出てきた由佳は片手に紺色のタオルを持ってきていた。 濡れていたらと用意していたのだろう。 新一がそれに軽く礼を言うと、 由佳は軽く頷いて役目を失ったタオルを洗面所に持っていった。 今日はやけに家の中が静かだな。 新一はリビングに入り、リモコンを取るとテレビをつける。 そうでもしないと、あまりにも静かすぎて雨音が耳につくからだ。 新一は雨音があまり好きではなかった。 屋根を打ち付ける単調な音は耳にこびりついて離れない。 それはひどく心を乱す音だと新一は常々思っている。 「事件、また起きたみたいだね。」 片手にコーヒーを持って由佳が新一の隣りに立った。 偶然つけたテレビでもまた、バラバラ殺人事件についての特報が流れていた。 「はい、コーヒー。それで行って来たんでしょ。現場。」 「サンキュ。現場には顔を出しただけ。相変わらずなにもなかった。」 渡されたコーヒーを一口飲んでソファーに腰をおろす。 現場帰りの新一にはコーヒー。それはもはや黒羽家の暗黙の了解。 もちろん、未だ新一は気づいていないが。 「今日はやけに静かだな。」 「そっか。お母さんは朝から家を出てたからしらないか。」 「てことは、どこか出掛けたのか?」 “チャンネル変えても良い?” そう尋ねる由佳に軽く頷いて新一は壁に掛かった空色のカレンダーを見る。 特に予定のある日にちではない。普通の日曜日だ。 由佳はいくつかチャンネルを回して、結局は元のニュース番組に決める。 他にこれといっておもしろいテレビはなかったのだ。 もちろん消しても良かったのだが、新一がテレビをつける理由をしっているためか それをすることはなかった。 「雅斗は由梨と悠斗を連れて隣り。なんでも博士にお呼ばれしたみたい。 お父さんは仕事の呼び出しみたいね。散々渋ってたけど、どうにか行かせました。」 「ククッ。ご苦労様。」 新一との休日が!!とわがままを言う快斗を追い出すのはそれは一苦労だったと 由佳は雄弁に語った。 表現力豊かな彼女はまるで小さな演劇をしているようで、 新一は由佳の語り口調にクスクスと笑みを漏らす。 「で、由佳は?行かなかったのか隣り。」 「あ、うん。宿題があったのよ。これでも受験生だし。」 突然話題が変わったことに由佳は一瞬たじろいだが、いつも通りニコッと微笑む。 そして、続きがあるから。と言って不自然なく二階へと上がっていった。 そう、一般人が見れば不自然ない姿で。 「まったく。気を遣いすぎだな。」 事件の後は自分が落ち込むことを子供達は知っている。 だからこそ、由佳は家に残ったのだろう。 タオルもコーヒーも、前々から準備されていたかのように素早く出てきたのだし。 その暖かさが嬉しいのは確か。 新一は再び由佳の煎れてくれたコーヒーを口元へと運んだ。 時計が午後2時を廻った頃、新一はふと、 今日の夕飯を作るのが自分であったと思い出した。 テレビはいつの間にか消され、部屋を包むのはクラッシク音楽。 先日、買っていただけで読んでいなかった若手小説家の作品を読んでいたが 新一としてはあまり興味をそそられる作品ではなかった。 「初めっから犯人分かるし、おまけにひっかけかと思ったら予想通りの結末だしな。」 俺の時間を返せ。 と訳の分からない愚痴を言いながらもその本をテーブルに置いたまま冷蔵庫の方へとむかう。 冷蔵庫にペタペタと貼られたメモ用紙には、誰々に電話があったとか、 明日の弁当は不要とか、それぞれの連絡事項が書かれている。 これは快斗がここに来るときに一緒に持ち込んだ習慣で、 冷蔵庫は今や連絡掲示板とかしていた。 「明日悠斗達は試験か。あいつら勉強してたっけ?」 試験のため弁当不要と書かれた紙を見つめながら新一は軽く首を傾げる。 だが、こちらがどうこういうことでもない(少なくとも新一はそう思っている)ので 特に気に留めることなく冷蔵庫を開いた。 「予想通り、買い足ししねーとやべーな。」 スカスカの冷蔵庫を見て、最近、買い出しに行っていないことを思い出す。 雨の中外に出るのは気が引けるが・・・ 「しゃーねーか。」 新一はパタンと冷蔵庫を閉めると、 家のカギと財布をポケットに突っ込んで上着を一枚羽織った。 「由佳。買い物行ってくる。」 「あ、私が行こうか?」 二階に向けて声をかければ、由佳が慌てたように顔を出す。 それに新一は軽く首を振って“勉強しとけ”とちょっと親らしい科白を口にしてみた。 先程の“悠斗達のテスト”が記憶に新しかったせいだろう。 由佳はめったに聞かない内容の新一の発言に一瞬、目を大きく見開く。 そしてクスクスと笑い出した。 「そんなこと言うから、雨がひどくなったじゃない。」 「・・・ホントだ。」 屋根を打ち付ける雨音が音量を増す。 日頃言い慣れないことは言うべきでなかったと新一は落胆的なため息をつく。 それを、雨の為に外に出たくなくなったのかと判断した由佳は再度自分が行こうかと 提案したが、新一は軽く手を振って外へとむかった。 扉が開いた瞬間、雨音が室内まで一気に響き渡る。 「お母さん。」 外に出ようとする新一の後ろ姿に由佳は無意識的に声をかけた。 ん?と不思議そうに振り返る新一。 「なんだ、何か食べたいものあるのか?」 「いや、ちょっと・・・。」 一瞬、お母さんが帰ってこない気がした。雨に飲み込まれて。 由佳は心に浮かんだ言葉を飲み込む。 そして、笑顔を作って“気をつけてね”と告げれば 新一は穏やかな笑顔を浮かべて頷くと、雨音の中に消えていった。 扉が閉ざされて再び雨音が遠くなる。 由佳はしばらくしめられた扉を見つめていたが、 気のせいだと言い聞かせて再び自室へと戻った。 右手には青色の傘を差して、左手には買い物袋を持って新一は帰り道を歩いていた。 雨のお陰で足下は随分と濡れてしまった。それが新一の機嫌を降下させる。 「由佳に頼むべきだったか?いや、それは親として・・・。」 ブツブツと独り言を言いながら、新一は大通りを進む。 そして、ちょうど自分の探偵事務所のある建物の近くに差しかかった時だった。 1人の少年が雨に濡れながら自分の探偵事務所を見つめているのが視界に入ったのは。 薄い茶色の髪をずぶ濡れにして、黒のTシャツとジーパン姿。 年齢は雅斗達とほぼ同年代で、その姿は雨の中に同化していると思えた。 傍を通る人々は気づいたとしても変だなと首を傾げるだけ。 誰も彼に声をかけることはない。 新一はそんな少年を見過ごすこともできず、そっと冷え切った肩を叩いた。 驚いたように少年は振り返って目を見開いた。 深い、緑色と青色の混ざったような不思議な色をした瞳。 まるでこの世の中の闇という闇が凝縮されているような。 「事務所になにかご用ですか?」 新一は少年を落ち着かせるためにそう尋ねて、ニコリと微笑んだ。 「あんたが、ここの?」 「そうですが。」 「・・・・女なのか。」 いかにも落胆しましたといった表情で頭を垂れる少年に 新一はヒクッと眉をつり上がらせる。 「女では不満か?」 「いや、悪い。いいよ、他を当たるから。ここが評判だって聞いてさ。 でも、それってあんたの表面上の魅力のことだったのかもな。 まぁ、社長やおっさんには評判にもなるか。」 新一の顔を見上げながら見下したように言うその口調に新一の頭の中で何かがキレる。 初対面の少年にどうしてここまで言われなくてはならないのか。 気がついたら乱暴に少年の手を掴んで事務所への階段をのぼりはじめていた。 少年はその新一の突然の行動に唖然としていたが、直ぐさま手を離そうと乱暴に降る。 これが普通の女性なら振り払われて階段からこけていたところだろう。 だが、あいにく新一とて組織相手に戦ってきた人間だ。 簡単にとれない手に少年は余裕の色を失い初めて困惑の色を伺わせる。 「見た目で判断するな。くそガキ。」 その言葉に黙り込んだ少年は抵抗をするのを止め、 新一はフーッとため息をつくと事務所のカギを開けた。 「で、何をしにここへ?」 事務所の奥からバスタオルを取り出して投げ渡す。 本来ならシャワーでも浴びたほうがいいのだろうがあいにくここにその類はなかった。 「今、おきている殺人事件。知ってるだろ。」 「あ?ああ。」 少年の言葉に新一は目を細める。 まさか少年からそんな話を切り出されるとは予想もしていなかったことだ。 だけど、その言葉はストンと体よく新一の心に収まった。 「・・・ひょっとして次は自分とか言うのか?」 コーヒーを手渡しながらそう尋ねると少年は眉をしかめる。 そして、それを受け取って一口飲むと苦そうに舌を出した。 「あ、砂糖が必要か。」 「ガキじゃねーし。ブラックが好きなんだよ。」 そう言ってグイッと飲み干す少年に新一は苦笑する。 まぁ、あれくらいの年代の少年には良くある反応だ。 子供と大人の境界線。そのどちらにもなれるのだから。 「それより、あんた。俺が殺された人の親族とか思わなかったのか?」 「身元も割れていないのにどうして親族が来るんだよ。 それに普通なら警察に行くだろう。なのにわざわざ探偵事務所を選んだ。 その理由は一つ。おまえにも警察に知られては困る身の上だから・・だろ?」 新一は細い腕を伸ばして少年のTシャツをめくり上げる。 そこには予想通り、着弾した傷跡が生々しく残っていた。 |
→