「今日は慌ただしい1日だったよねぇ。」

「アホコは何にもしてないだろ。」

「アホコって言わないでよっ。」

 

多くの生徒達に混ざって、快斗達もまた帰路に就いていた。

そしていつものように正門近くで始まる口論はもはや日常の一場面と化していて、

それに特に関心を持つ友達はいない。

白馬は手帳を片手に今日のスケジュールと時計を見比べしているし、

志保は無表情で淡々と隣を歩く。

紅子にいたっては、今日一日考え事をしているようで、常に眉間にしわを寄せていた。

こんなバラバラの5人がいつも一緒に帰るのはどこか不思議な気もするが、

たまたま帰る方向が同じというだけの理由からではないらしい。

この5人にはこの5人なりの交友関係が確実に成り立っているのだから。

 

 

―あかつき―

 

 

「志保ちゃんっ。」

 

突然後ろから声がかかる。

それは聞き覚えのある声。

振り返れば腕がもぎ取れそうな勢いで手を振っている少女の姿があった。

青子と同じくらいの髪をなびかせて、夕焼けの中を駆けてくる彼女に、

志保の表情が“無”から、少しだけ暖かさをもったものになる。

 

「吉田さん。」

「今日、部活がないんだ。一緒に帰っても良い?」

「良いけど、円谷君達はいいのかしら?」

 

貴方をとったら僻まれるわ。

志保は冗談めいたようにそう尋ねる。

歩美はその言葉に軽く小首を傾げた。

「どうして、光彦君達がそこで出てくるの?」

「何でもないわ。一緒に帰りましょう。良いわよね?」

 

疑問ながらの肯定。

志保の言葉にはそんな重みがあった。

紅子が軽く頷いて、白馬も“もちろん”とフェミニストな笑みを浮かべる。

青子や快斗の返事は聞かずとも分かったのだろう。

2人に志保が視線を向けることはなかった。

 

「ねぇ、転入生ってどんな人だった?」

「おもしろそうな人種だったわ。」

「ふ〜ん。私もお友達になりたいな。」

「いいわよ、今度、貴方のことを話してみるわ。」

「ほんとっ!?ありがとう。」

 

日頃なら面倒なことは視線一つで断る志保も歩美の頼み事にはめっぽう弱かった。

その理由はもちろん2人の関係がかかわっているのだろうが、

それを他の4人に知る術はない。

結局、先頭を白馬、そして紅子が歩き、青子と快斗が口論を交えながらそれに続き、

最後を歩美と志保が歩くような形態になった。

 

角を過ぎるたびに、1人、また1人と減っていく。

青子とはお隣さん同士なのだが、今は何かの習い事をやっているらしく、

一緒に家まで帰ることはない。

 

「ねぇ、黒羽君。ちょっと、いいかしら?」

2人きりになった分かれ道、志保がポツリと言葉を落とした。

気をつけていなければ聞こえないほどの小さな声。

 

鞄を気だるそうに肩にかけて歩いていた快斗はゆっくりと振り返る。

 

「どうかした?」

 

志保の家はここからこの坂を下って右へと曲がった先。

一方の快斗は左の脇道にそれて大通りに一度向かい、

そこから道沿いに数分歩いてまた脇道に進むルート。

つまり、ここでいつもお互いに「さよなら」を口にするのだ。

だけど、今日の志保は違う。

 

「遠回りだけど、私の家の方を通っても帰れるわよね。」

「あ、まぁ。」

 

志保はそれだけいうと、坂を下りはじめる。

坂は西側に面しているためか夕日を浴びて真っ赤に染まっていた。

志保の影は長く道に横たわり一定のリズムを刻みながら進んでいく。

その後に快斗も続いた。

 

歩くこと数分。

志保は何も口にしなかった。

なぜこちらに向かわせたのか快斗にはとうてい理解ができない。

もし、これが他の女子などだったら”告白”なんてこともあるのだろうが

志保がそんなことを口にする可能性は、

今この瞬間に地球が天変地異を起こすことよりも低い。

 

「志保ちゃん?俺ってどうして呼ばれたの?」

「聞きたいことがあったから。」

「それってここじゃできないこと?」

 

快斗は足を止めて後ろを振り返る。

今、下ってきた坂がそこには重々しく広がっていた。

下るにはなだらかな坂ではあるけれど、登るには少々気合いが必要な斜度。

それでもここで引き返せるのならその方が家へは近いのだ。

志保は快斗の動きに合わせるように同じように坂を見上げた。

 

「“フェミニストの黒羽君”って噂は嘘?」

「何、その噂。」

「女子が騒いでいるのよ。まぁ、見せかけの優しさでしょうけど。」

「志保ちゃん、今日は機嫌が悪いの?」

 

快斗は志保の言葉をながすと困ったように微笑む。

どうやらあからさまに帰りたいと意思表示したのがいけなかったらしい。

志保ならそのくらいのことならちょっと嫌みな笑顔で許すだろうと思ったのに。

「まぁ、いいわ。今日はここで帰してあげる。私の質問にきちんと答えたら。」

「できれば坂を下る前がよかったなぁ・・なんて。」

「家まで送ってくれるの?」

「・・・冗談を言い過ぎました。」

夕焼けをバックに微笑む志保はこの上もなく恐ろしかった。

 

 

 

 

「で、質問って?」

道の脇に移動して快斗は隣に立つ志保を見る。

志保はすこしうつむいて地面を眺めていた。

こうして見ると彼女もわりと美人の部類に入るのだと思う。

長いマツゲに透き通るような白い肌、そして親から受け継いだ髪の色。

 

「工藤・・新さんって知り合い?」

「は?」

 

随分と間を溜めていたので、よほどの質問かと思ったら

それはまったく予想もしない言葉だった。

志保は目を閉じて何かを考えているようで、こちらに意識を向けることはない。

ただ、質問の答えを待っている。そんな感じだ。

 

「いや、初対面だけど。」

「そう。それじゃあ、これからがおもしろくなりそうね。」

「何が?」

「女の勘よ。女の。紅子もそんなこと言っていなかった?」

「紅子はいつもそう言うことしか言わないだろ・・・。」

 

訳が分からない。そんな表情で快斗はため息を付く。

志保はクスクスと目を瞑ったまま笑っていた。

 

「楽しみだわ。これから予想もしない出来事が貴方に降りかかりそうで。」

「それって人の不幸を喜んでるようにしか聞こえないんだけど・・・。」

「幸か不幸かは貴方次第よ。」

「なんか、3人目だな。意味深な言いかたされたの。」

 

それでどれも意味が分からない。

快斗は肩をすくめると薄暗くなり始めた空を見上げる。

 

「3人・・・・1人は紅子だとして、3人目は私。もう1人は?」

「毛利さん、工藤と転校してきた人だよ。」

「ああ、彼女ね。雰囲気が中森さんとそっくりの。」

 

志保は昨日に会った女性を思い出す。

チラリとしか顔は確認しなかったけれど、

同じクラスの青子にとてもよく似た顔立ちだった。

 

「あっ、それは俺も思った。でも、毛利さんの方がちょっと影があるかな。」

 

教室で会話したときに感じた、自分との共通点。

彼女もまた、もっと奥底に内なる自分を持っている。そう思った。

 

「中森さんは純粋無垢だものね。なんの打算もない、そこに惚れたの?」

「いや、俺にとって青子は妹みたいなものだけど?」

「彼女が貴方を好きだとしても?」

 

快斗が視線を再び志保に戻すと彼女は目をあけてこちらを見ていた。

冷たい風が2人の間を吹き抜ける。

 

「いつまで彼女を偽るつもりなの。

 嘘は時に最大の優しさとなるけど、殆どの場合が相手を傷つけるわ。」

「俺は一言も青子をそう言う意味で好きだとはいってないぜ。」

 

快斗の声色が少しだけ異質のものに変わる。

まるでその話題には触れるなと言いたげな。

だけど志保が口を閉じることは無かった。

 

「私が言っているのは、好き嫌いの感情以前の問題。もう1人の貴方についてのこと。」

「志保ちゃん、はっきり言ってくれない?遠回しな言い方じゃなくてさ。」

「私は簡潔に言っているつもりよ。」

 

志保は鞄を右手に持ち直して前髪を空いた左手を使ってはらった。

全ての用件は終わり。そう言いたげに視線は帰る道を示している。

 

こうして用事のあるときにだけ呼びつけてこちらの都合は聞かない。

だけど快斗は志保を身勝手と思ったことはなかった。

志保が呼びつけるのは本当に必要なときだけ、

それは必ずいつか自分の利益になることだから。

 

 

「じゃあ、そろそろ俺は。」

「ストップ。」

 

快斗がそう言って踵を返し帰ろうとした瞬間、腕を強い力で捕まれた。

あまりにも突然のことでバランスを失いそうになる。

 

「志保ちゃん?」

「猫。」

唖然と見つめる志保の視線の先には一匹のシャム猫がいた。