通された家はいたってごく普通の一般家庭だった

通された家はいたってごく普通の一般家庭だった。

床がタイル張りの玄関には靴が数足並び、その4分の1のスペースほどに

胸のあたりの高さの靴箱がある。

その上には、母親が生けたらしい生け花が飾られ、猫の置物が並んでいた。

 

 

―あかつき―

 

玄関から南側に、キッチンとダイニングルームがあり、

快斗はそこのソファーに新一をおろす。

 

そして、神妙な面もちで傷口を眺めた。

 

 

「カッターか何かで?」

 

「あ、えっと。転んだ位置にガラスが割れててさ。」

 

「それで、手のひらと甲もけがするんだ。工藤は。」

 

即席で突いた嘘は完全にバレているようで、快斗はふ〜んと疑わしそうな視線を向ける。

そして、もう一度丹念に傷口の具合を眺めながら、側に置いてあった消毒液をふきかけた。

 

「まるで誰かに切りつけ・・。いでっ。」

 

「快斗。口を動かさないで手を動かしなさい!!

 聞かれたくないけがだっていろいろあるんだから。

 えっと、工藤さんだったかしら。ごめんなさいね。デリカシーのない息子で。」

 

持ってきた救急箱(木製)の角で思いっきり打たれて、快斗は頭を押さえてうなる。

だが、母親はそんなことは気にしていないとばかりに、

追い打ちをかけるように息子の頭をペンペンと叩いた。

 

「母さん。加減ってものを知らないのかよ。」

「文句を言わない。血は止まったの。」

「・・・この深さだからなぁ。縫合する必要があるかも。」

「そう。工藤さんは病院に行っても大丈夫?」

 

血は足りているかしら。そう言って彼女は新一の顔色を確認する。

そして少しだけ青ざめていると分かって、眉間にしわを寄せた。

 

「病院が大丈夫なら今すぐ連れて行きたいけど。」

「この傷のことはあんまり知れ渡ると困るんです。」

「でしょうね。そんな風に見えるわ。」

 

快斗の母親は、遠い昔を懐かしむように目を細める。

まだ、旦那が生きていたときに、彼もたくさんのけがを負っていたから。

 

「母さん?」

 

「あ、ごめんなさい。手が止まっていたわね。

 あら、手の甲の傷は血が止まっているからどうにかなりそうだわ。」

 

「手のひらは、志保ちゃんがどうにかしてくれるよ。きっと。」

 

「宮野さんが来るなら大丈夫ね。そっか、工藤さん、宮野さんとお友達になれたの。」

 

それならいい人なのね。快斗の母はそう付け加えて柔らかく笑った。

 

それから数分後、慌てたようにやってきた志保は、てきぱきと縫合を始める。

麻酔や点滴までもが用意されていて、驚いたような表情の新一に

快斗は彼女がアメリカで医師免許をとっていることを説明した。

 

「とりあえず2週間は動かさないで。おばさま、お湯、ありがとうございます。」

 

「いいのよ。はい、コーヒー。疲れたでしょう。

 快斗、私は夕食の買い物に行くから後はよろしくね。」

 

「ん〜。任せといて。」

 

「じゃあ、志保ちゃん、工藤さん。快斗を使ってくつろいでちょうだい。」

 

「おいっ。」

 

「「わかりました。」」

 

志保と新一は顔を見合わせてクスクスと笑った。

 

 

 

 

++++++++++++

 

 

「どうして現れるの・・・どうして。

 私たちに平安はないのかしら。ねぇ盗一さん。」

 

家を出た快斗の母は、悲痛な表情で空を見上げた。

 

 

今は偽りの姿をしていたが、言われなくとも一目見てわかった。

あの蒼い瞳は幼かった頃と少しも変わっていなかったから。

 

 

 

彼女が彼らにあったのは今から16年も前の話。

本当に突発な出来事だった。

 

今のように買い物を済ませて家に帰れば、見知らぬ人の靴が二足。

お客さんかしら、と彼女はそんな軽い気持ちで部屋にあがった。

 

だが、部屋に入って見れば、そこにいたのは見ず知らずの夫婦と赤ん坊で。

彼らに囲まれるようにして旦那はぐったりとソファーの上に横たわっていた。

 

「あ、あの。」

 

おそるおそる声をかける。

ひょっとしたら体調を悪くした主人を助けてくれた人かもしれない。

そう判断して、きわめて冷静な声を出した。

旦那が日頃から大事にしてきているポーカーフェイス。

彼女もまたそれを着実に拾得しているのだ。

 

「奥様ですか?」

「そうですけど。主人は・・。」

 

「大丈夫ですよ。気分を悪くなされたそうで、ここまで運んだんです。

 貧血か何かでしょう。大変ですね。有名なマジシャンは。」

 

紳士的な背格好をした男性がそう言ってにこりと柔らかな笑みを浮かべる。

そして、“貴方が帰ってきたなら”と隣に座っている妻と子供に“帰ろうか”と

声をかけた。

 

「すみません。いろいろと。あの、お名前を。」

「名乗るほどの者ではありませんよ。」

「奥様もお体には気を付けて下さいね。」

 

隣に立っていたきれいな女性はそう言って、赤ん坊の手を取りバイバイとふらせる。

それに快斗の母も軽く笑みを浮かべて手を振り替えした。

 

きれいな・・・蒼い瞳?

 

赤ん坊の瞳に彼女が凝視していると、女性は苦笑する。

 

「きれいな瞳でしょう。でも生粋の日本人ですの。」

「あ、すみません。凝視してしまって。」

「いえ、お子さまもきれいな群青色ですよね。」

 

女性はそう言って、ベビーベットのほうへ視線を移す。

 

そこでようやく思い出した。盗一が快斗と散歩に出かけると言っていたことを。

そのときに彼らと遭遇したのだろう。

 

「それじゃあ、失礼します。」

「本当にありがとうございました。」

 

深々と頭を下げて彼らを見送った。

本当にそのときは彼らに感謝していたと思う。

倒れた盗一を助けてもらっていなかったら、

赤ん坊の快斗も事故に巻き込まれたかもしれないから。

 

 

だが、いつしかその感謝は憎悪へと変わっていく。

この日を境に、平穏が消えていったから。

 

急速に度を増したKIDの仕事。

今まではのんびりとまではいかないが、体調を考えてしていたというのに。

盗一は時間がないと口走っては、海外まで手を広げ始めた。

睡眠もままならない状況で昼はショーに夜はKIDに駆け回る日々。

彼女は旦那が日々、やせこけていくのをやるせない気持ちで見守るしかなかった。

 

 

あのあと、目を覚ました盗一さんが不思議な村の話をしてくれたわ。

そして快斗がこれからあの蒼い瞳の赤ん坊に縛られてしまうことも。

加えて、怪盗をしている理由が彼らと関係のあることまで。

盗一さんは黒羽家の由緒ある誇りだと言うけれど、私はそうは思わない。

快斗には自由に生きてほしい・・・。

 

パンドラに縛られて死んでしまった貴方の二の舞はもう嫌よ。

 

 

 

「快斗を引き離さなきゃ。」

 

 

どれだけ恨まれてもいい。

快斗の自由は私が守るわ。

たとえそれが誤りだとしても。

 

 

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