「湖の審判よ。水鏡の精よ。我とジン,そして式神たちを裁きたまえ。

 居るべき場所へ、全てを還したまえ。これは言霊使いの命である!」

 

パンドラと己の作った宝石を抱きしめて叫んだ。

全ての世界に響くようにと、湖の審判に届くようにと。

 

遠くで快斗の叫び声が聞こえる。

だが、すぐにそれさえも薄れていって。

 

 

新一は意識を手放した。

 

 

―あかつき―

 

 

 

始めてあの湖に行ったのはいつだっただろうか。

前世の記憶を辿ればきっと、母と共に村を追い出される少し前くらいだろう。

 

あの時が最初で最後の家族水入らずの時間だったかもしれない。

ジンと俺、俺の母さんとジンの母さん、そして父さん。

ジンの母親はどこか気配の薄い人だった。

けれど目はいつも獣みたいに鋭くて。

正直昔から苦手だったのかもしれない。

 

当時、俺は4歳くらいで、ジンは10歳くらいだったと思う。

湖が近づくにつれてジンの顔色は悪くなり、ジンの母親は息子を連れて先に帰るといった。

 

きっとあの時、父さんはジンを湖の審判にかけるつもりだったんだろう。

帰ろうとする2人を無理に連れて行こうとしたが、それを宥めたのは他ならぬ俺の母さんで。

 

父さんは母さんに根負けして、2人を家へと帰した。

 

 

湖について、母さんの作った弁当を食べた。

静かな湖で薄気味悪い雰囲気なのは、昔から変わらなかったけれど

俺は3人で居れるだけで嬉しかった。

 

父さんと母さんが難しい顔で何か話している間に俺は湖の周囲で遊んだ。

そのとき青龍と朱雀が俺に宿ったのかもしれない。

あそこは式神の世に一番近い場所だから。

 

いつのまにか眠っていた俺は、父さんに言われて目を覚ました。

父さんは俺の瞳を見て、嬉しそうに微笑んでくれた。

 

『おまえは、選ばれたんだね。きっと、父さんが居なくとも彼らが護ってくれる。』

 

『彼ら?』

 

『ああ。けれどジンは違う。彼は誰も護ってはくれない存在だ。

だから、父さんが護ってやらないといけない。分かるね?』

 

父さんの大きな手が俺の頭を撫でる。

優しい手つきなのにどこか寂しくて。

 

混乱して思わず父さんの背後に居る母さんを見れば

母さんも寂しそうな笑顔を向けて小さく頷いていた。

 

『今日から母さんとシン。おまえたちは2人で暮すんだ。

 父さんとは今日でお別れだ。もう、会うこともないだろう。』

 

『・・・・。』

 

『シン。母さんと行きましょう。大丈夫、あなたは全てに愛されているわ。』

 

ただ泣くことしかできない俺を母さんは抱きしめて。

最後に父さんは俺の耳元で告げた。

 

『いつかは全て元の場所に還るときが来るから。希望を捨てるな。』と。

 

 

 

 

 

 

 

目の前で水が弾き、新一もパンドラもそしてベルモットも消えた。

隣に居たアヌビスとフォルスでさえ姿かたちがなく、

快斗は唖然としてベルモットの家を飛び出す。

 

湖に向かおうとも思ったが、まずは現状を知らなくてはならないと

優作の元へと身体は動いていた。

 

 

 

 

「優作さん!これはどういうことなんですか!!」

 

バンっと乱暴に扉を開け放てば、

3家の面々と優作、そして有希子が円になって座っていた。

 

誰もが苦しそうに表情を歪め、優作だけが無表情で快斗に視線を向ける。

そのどこか達観した様子に、快斗は憎悪が心の奥底で芽生えるのを感じた。

 

「新一は、あいつはどこに?」

 

「湖の審判だ。あの湖は別名水鏡とも言ってね。全てを還すことができる。

彼らは言霊使いの命にのみ従うんだ。」

 

「還すって・・・それなら、新一は。」

 

今にも飛び掛らんばかりの雰囲気にコゴロウが優作と快斗の間に分け入り

ゆっくりと首を振る。

ここで彼に怒鳴っても何も変わらないと。

それが分かっているだけに快斗は悔しくて、ギリッと奥歯をかみ締めた。

 

「今は審判の時。我々には待つことしか出来ないんだ。」

 

「快斗君、大丈夫よ。新一の居場所はただひとつ。あなただって知ってるはずよ。

 快斗君の居場所が新一の隣であるように、ね。」

 

愛は偉大なんだから。

そう微笑む有希子に、快斗は握り締めた拳を少し緩めたのだった。

 

 

 

 

その頃、揺れが収まった阿笠邸で、蘭と和葉はゆっくり目を開いた。

白夜、ヤタガラスに平次、そしてソウが最後の一撃とばかりに

全力でぶつかった衝撃はすさまじく、家の中は嵐が着たかのように無残な状態で。

舞い散る粉塵が風で流されるとようやく視界が少しクリアになってきた。

 

 

「平次!」

 

足元にある壊れた家財をどけながら、

和葉は倒れこんでいる彼を見つけ慌てて駆け寄る。

蘭も和葉の声に導かれるように、危なげな足取りで和葉の隣まで近づいた。

 

「和葉ちゃん。服部君は?」

「大丈夫や。傷もたいしたことあらへん。けど・・・。」

「けど?」

 

「白夜もヤタガラスもソウも消えてるんや。

それに、何やろ。涙が止まらんわ。」

 

平次を膝の上に寝かせて、和葉は蘭を見上げながらボロボロと涙を流す。

蘭は和葉に視線を合わせるようにしゃがみ込むとそっと彼女を抱きしめた。

 

「私も、何かが抜け落ちたみたいで・・・寂しいわ。」

「白夜もヤタガラスも消えてしもたんやろか?」

 

「違うわ。還ったの。」

 

ギシッと床が軋む音がして振り返ると、

同じように涙をこぼした志保が優しげな表情で微笑んでいた。

 

 

 

 

 

それから何日が経っただろうか。

村に蘭と和葉、平次と志保、

そして狸が抜け落ち、記憶があやふやな状態の阿笠が戻ってきたのは昨日。

 

それならば、まだ2日くらいかと、快斗はぼんやりと考える。

 

ジンの身体は研究室から消えた。

きっと彼も審判とやらの判断を待っているのだろう。

 

戻ってきた平次たちの式神の審判は終わったのか、

彼らは一様に、自分達の式は還ったのだと言っていた。

 

博士に至っては、記憶そのものまで消えていて、志保が甲斐甲斐しく世話をしているらしい。

 

長い間2人を見てきた快斗にはそれが当然の姿に見え、博士の裏切りなど夢のようにも思えた。

 

 

 

「黒羽、少しはメシ食えや。」

 

縁側に座っていた快斗の頭に小さな衝撃がはしる。

その痛みの主犯を睨みつければ、彼は新聞紙を丸めてニカッと笑った。

 

「何だよ。帰って来たときは腑抜けだったくせに。」

 

「兄貴が中からおらんくなったんや。わいかて落ち込みもする。」

 

「そうかよ。」

 

「けど、おまえはちゃう。アヌビスもフォルスの存在をまだ感じてるんやろ?」

 

どかりと隣に座り込むと、平次は丸めた新聞紙を自分の左手に軽く打ちつけて

ぼんやりと大きな松ノ木を眺める。

快斗はその問いかけを肯定も否定もすることなく、黙って同じように外を眺めた。

 

「工藤が帰ってきたとき、おまえが元気でおらんと。あいつを哀しませる気か?」

「何を食べても同じだ。新一の生気がなきゃ、俺は満たされない。」

 

「そないなこと言うても・・・。自分丸2日、何も食べとらんやないか。」

 

ポンポンと手を打っていた音が止まり平次は重々しくため息をつく。

彼を説得しなくてはと意気込んできたものの、どうやら自分の言葉は彼に届かないらしい。

昨日は和葉がトライし、この後は蘭がトライする予定だが、

同じ結果だろうことが平次にも容易に想像できた。

 

「村の人たちは、納得してくれたのか?」

 

「ああ。創始様の意に逆らう奴はおらんからな。

 それに、生活自体変わることはない。年寄り連中は不安がっているのもおるけど。

 この50年。怨霊を見たことがある村人なんてほとんどおらん。

 みんなうすうす気づいてはいたんやろ。結界とかそういうのの無意味さに。」

 

式神が居なくなった式神使いは生気を補充する必要はなくなった。

だからこそ、新一の言う呪いから解き放たれたのだろう。

それでも、と平次は言葉を続ける。

 

「俺らも何にも変わらん。心の中で式神とは繋がっとるし、

 親父達が創始様と共に生きると決めたように、俺らも工藤と生きるんや。」

 

「え〜マジで?それなら、新一と、2人っきりにはなれないってこと?」

 

げんなりと表情を崩すと、快斗はその後、小さく笑った。

 

平次や和葉、蘭に志保。

彼らとともに再び学校へ行く日のことを思って。

もちろん隣には新一が居る。これは絶対条件だ。

 

きっと騒がしい平次と俺に新一は怒るだろう。

それを和葉や蘭、志保は呆れて笑うに違いない。

時々、新一は事件に借り出されていて。

俺はそのたびに警察に文句を言いたくなるんだ。

 

そういえば新一は男として高校には通いなおすのだろうか。

そうなったら、高校は別のところかな・・・。

ま、俺も同じ高校に転入すればいいし。そしたら2人っきり?

 

 

「なんや、腑抜けた顔して。

少しは元気が出たみたいやな、そんなら、食事を・・・。」

 

そう平次が言いかけた瞬間だった。

快斗が何かを感じたように立ち上がったのは。

 

「黒羽!?」

 

 

 

呼びかける声を振り切るように、快斗は一点を目指し走り続ける。

履物なんて気にしない。たとえ足の裏が切れてもどうでも良かった。

 

身体が風になったように感じる。

そうだ、自分は風を使う。

アヌビスとフォルスの力を借りて。

 

大切な、大切な、たった一人のためだけに。

 

 

「新一!!!」

 

 

湖の中央に佇んだ彼は、長い髪に水を滴らせながら振り返った。

傍らに、アヌビスとフォルスをつれて。

 

END