帰っていく彼の母親の背中を見送りながら新一は軽くため息をつく。 あの場では彼女を安心させようと大見得を切ったが、実のところこれといった得策は無い。 もちろん快斗を巻き込みたくないと言う気持ちも、 解放したいという気持ちも偽りなどあるはずもなかった。 だけど・・・ 「あいつと離れたくないと願っているなんて、矛盾してるな。」 ポツリとつぶやいた声は吹き付ける風の中に消える。 彼のぬくもりを知る前であったら、一線を引いてつきあえただろうか? そう問いかけて新一は軽く首を振った。 どんな状況であっても、出会ってしまった瞬間から、もう自分の心は彼にとらわれている。 ―あかつき― 「工藤君。」 「悪いな、宮野。おまえたちの家なのに。」 「それはいいのよ。そんなことより・・。」 扉に手を添えてそのまま言葉を続けようとした志保だが、 目の前にいる新一の表情に言いたい言葉のかけらは消えてしまった。 今にも泣いてしまいそうな儚い表情に。 見ているこちらの方が苦しくなってしまうほどの。 「何でもないわ。どうするお茶でも飲んでいく?」 「いや、戻るよ。あいつらに昨日の説明しねーとうるさそうだからな。」 苦笑して告げる新一からは先ほどの表情は消え失せていた。 そのことに志保は安心し、“そう”とつぶやく。 「いつでも頼って良いから。」 「宮野もな。」 前だけを見つめて歩いていく新一の後ろ姿を、志保はただ見送った。 そして、博士に呼ばれるまでなぜかずっとその場から動けなかった。 □■□■□■□■□■□ 「新一、毎度のことだけどあのメールは何なの?心配したのよ。」 疲れた体をソファーに沈み込ませると 蘭はその傍に立ち憤然とした様子で彼を見下ろした。 「おまけにどうして男になってるのよ。 全く、こっちには顔を出さずに博士の家にいたの?」 怒っているのか呆れているのか分からない声。 新一は返事を返そうと思ったが、何を言っても言い訳になりそうで黙って目をつぶる。 「聞いてる?とにかく明日学校なんだから性別だけでも・・・新一?」 「どうしたん?」 「寝てる。」 目をつぶったまま寝てしまったのだろうと蘭は考え、軽くため息をつくとその場から離れた。 和葉は蘭と入れ替わりにその整った表情を近寄って眺める。 白い肌に長いまつげ。その寝顔は神の作り上げた最高作品だと和葉は思う。 規則正しい呼吸が和葉の耳に響いていた。 暫くしてタオルケットを持った蘭がやってくる。 蒼い薄地のそれは肌触りも良く、村にいた頃から新一が愛用していたもの。 起こさないようにそっと掛けて、蘭も和葉のとなりに腰を下ろした。 「服部君が帰って来てれば部屋に運んで貰うのだけど。」 「なんや、警部さんに呼ばれたみたいやな。工藤君の代わりにって。」 「前回KIDの事件に関わったし、服部君もなかなかの推理力を持っているからね。」 依頼内容は難しい暗号かなにかの解読だっただろうか。 蘭はそんなことを考えながらそっと新一の頬に手をふれる。 相変わらず冷たい頬は、まるで彼が生きていないようにも感じられた。 「黒羽君にすべて持って行かれるんだろうな。いつか。」 「・・・蘭ちゃん。」 「そんな顔しないで和葉ちゃん。私は別にこいつに恋してるわけじゃないんだから。」 気遣うような悲痛な表情を浮かべた和葉に蘭は努めて明るく話す。 「最近分かったのよ。私は新一を時に頼れる兄として、 時にどうしようもなく守ってあげたくなる弟として感じてるって。 それはきっと新一も同じなの。 いつか心変わりするかも知れない恋愛より、ずっと深くて確かでしょ?」 「そやね。でも、うちは本気。平次への想いは家族愛やない。」 蘭の顔を見つめながら和葉はきっぱりと告げる。 昔から恋の相談もいっぱいした間柄。 そのとき話していた蘭の恋は別の形で終わりを向かえたけれど。 「想いが届けばいいね。」 蘭はそう言って微笑む。和葉の恋を応援していこうと心に誓って。 それから数時間後、帰ってきた平次は新一を寝室まで運ぶと遅めの夕食をとった。 3人は食卓を囲みながら、新一の状況やKIDの話などで盛り上がる。 「それで、平次。また現場行くん?」 「ああ。そのつもりや。前回は生意気な面さえ拝めんかったし。 それにしてもKIDに関わったことを工藤が止める理由はなんなんやろ。」 平次はスパゲッティーを口に運び、咀嚼しながら以前その話をしようとして 新一に止められたことを思い出す。 「それは男として現場に向かってるからじゃないかしら。新一って用心深いから。」 「ほんならうちらも学校でKIDについては話さんほうがええかもしれんね。」 和葉ほそう言って食べ終えた皿を片づけ始めた。 □■□■□■□■□■□ コツコツ 窓を叩く音に新一はゆっくりと目を開ける。 暖かな布団の感触。 ここはどこなのか、新一は覚醒していく意識の中で考える。 『工藤様。工藤様。』 「ん?」 『私です。KID様の鳩です。』 窓の外にいたのは真っ白な鳩。 足には小さな筒をつけている。 新一は起きあがって窓を開けその鳩を招き入れた。 鳩と共に入ってきた冷たい夜の気配に軽く体を震わせながら。 傍でおとなしくしている鳩の足からペンのふたほどの大きさの筒をとると クルクルと丸められた紙を引き出す。 するとどんなマジックなのか、 それはポンッと音を立てて一枚の立派な予告状に様変わりした。 最初に出すのが遅れたことをわびた文面と、 いつもの通りの丁寧な口調で始まる暗号文。 今し方まで寝ていたとしても、それを解読するとなるとやはり一気に頭は覚醒した。 『それでは、私はこれで。』 予告状を受け渡したことを確認した鳩は任務終了とばかり窓辺へと近づき 軽く羽根を羽ばたかせる。離陸前の飛行機がエンジンを点検するように。 「そうだ。鳩さん。名前は?」 『私ですか。私の名はペド。ペリドットという宝石の名から頂いたそうです。 ご主人はすべての鳩に宝石の名を使っているんですよ。』 「ペリドットか・・。奇遇だな。俺の誕生石も同じだ。」 ペドにそっと手をさしのべながら新一は微笑む。 『5月4日生まれなんですね。』 「へぇ〜。詳しいな。」 『いえ、私もご主人と出会った日がその日ですから。 それにしてもペリドットとは本当に工藤様にはお似合いですよ。 なんせ、ペリドットの宝石言葉は“偉大な力”ですから。』 ペドは新一の手にちょこんと座るとその手を暖めるように羽を広げる。 新一はその手をそっと窓からつきだした。 ペドは2,3度羽ばたきをして夜空へと舞う。 自分を送り出した主人の元を目指して。 |
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