翌朝、新一は少しだけ緊張して自分の席に座っていた。 隣では志保が小難しそうな分厚い研究書を読み、 後ろからは意味ありげな紅子の視線を感じる。 平次は友人と騒ぎ、白馬はまだ教室には現れてはいなかった。 ―あかつき― 昨日の事を思い出さないように努めるが、 その記憶はあまりにも鮮明に脳裏に焼き付いていて 新一は正直、彼とふつうに接することができるか不安でもあった。 もちろん顔に出さない自信はあるし、会話だってスムーズに行えるだろう。 だが、心中が穏やかでないのはあまり経験のないことなので慣れないのだ。 扉が開くたびに視線はそこへと移る。 おおかた気配で快斗ではないことは分かるのだが、やはり視覚で確認してしまう。 そんな新一の行動に、紅子と志保は彼にばれない程度にほくそ笑んだ。 「かわいいわね、工藤さんって。」 「え?」 「紅子。あんまりからかわないの。」 「あら、志保もそう思っていたでしょ。」 言葉を掛けずに入られなくなったのか、紅子が後ろから告げる。 それに驚いたように振り返った新一を見て、 志保は研究書を机の上に置くと紅子を軽く窘めた。 もちろん、志保も同じ事を思っていたのだから人には言えないのだが。 だが、その本人は何も分かっていないらしく目を白黒させる。 「どういう意味だ?」 「気づいてないの?」 「工藤さん、さっきから扉の音に反応してるわ。 いったい誰を待ってるのかしらね。」 フフッと笑う紅子にサッと新一の顔が染まって、 ポーカーフェイスが得意なはずなのにと新一はあまりにも正直な自分の表情にとまどう。 そんな新一に紅子と志保もここまで過敏な反応を示すとは思いもしなかったのか、 2人とも閉口してしまった。 「紅子、志保ちゃん。あんまり俺の工藤を虐めないでくれない?」 突然聞こえた声に気づけば新一は後ろから快斗に抱きすくめられていた。 途端に静まる教室。 誰もが狐にでもつままれたかのような顔をしていた。 「何だ、ついに告白したのか?」 最初に声を上げたのはクラスでも快斗とよく悪ふざけをするクラスメイト。 その声を皮切りにして一気に彼らは各々と騒ぎ始める。 クラスで一番容姿端麗な黒羽快斗と工藤新。 その2人がつきあうとなればクラスメイトとして応援するしかないだろう。 そんな雰囲気さえできあがっていた。 「まさか。今はお試し期間中。」 「お試し?」 「まぁ、名前で呼び合える仲になったときでも祝福してくれよな。」 ニッと笑う快斗にクラスメイトは大きく頷いて、 顔を紅く染めている新一に声をかけていく。 “はやく親密になってね”とか“俺も好きでした”などなど。 まぁ、後者の言葉を発した相手は快斗から首を絞められ掛けていたが。 「相変わらず独占力が強いんだから。」 「でもこれで、工藤さんの身の安全は保証されたのね。」 志保は未だに抱きしめられたままの新一を見ながら軽くため息をつくと 再び研究書を開く。 今はまだおめでとうとは言えない。 志保は活字を追いながら思った。 昨日の快斗の母と新一との関係が気にかかっていたから。 □■□■□■□■□■□ 言い出したのは誰だったか。 放課後、一昨日の花火を見に行ったメンバーで美術館を訪れていた。 そう、KIDの予告状が出された作品を見るために。 KIDの噂が広まっているのか、 いつもは閑古鳥でも鳴いていそうな美術館も異様な人の出入りであった。 美術館側としては入場者数が増えると喜ぶ一方、 KIDに盗まれるかも知れないと言う不安もあって、複雑な心境であっただろう。 今、開催されているのは“大エジプト展〜ファラオの神秘〜”というネーミングの ちょっとした展示会であった。 エジプト文明という世界最古の歴史にふれられるという大事な機会も 世の人々にとっては過去より未来なのか、当初予想した人手は見込めていなかったらしい。 「KIDのおかげで美術館も大盛況だな。」 「黒羽君がそこまで見込んでいたとは驚きですね。」 「だから、俺じゃないってーの。」 人々の合間を縫って歩きながら一番奥にある噂の作品を見に行く。 手にした者は必ず不幸になるといういわれを持つ呪われた宝石。 次々に持ち主を変えたそれは、人の生き血を吸うとも言われていた。 「これが“ブラッド”。名前の通りやな。」 正直、きれいとは形容しがたい宝石。 人々がそれを目にすれば思わず身震いしてしまうほどその宝石は浅黒い色をしていた。 「KIDもなんでこんな宝石が欲しいんだろう。」 蘭はどうもその手の話は苦手らしく軽く震いしながら怪訝そうな顔つきをする。 和葉も同意見らしくうんうんと大きく頷いた。 「それなら本人に聞いてみますか?ねぇ、黒羽君。」 「だ〜か〜ら、俺は。」 「何、白馬君は黒羽君のこと疑ってるの?」 きょとんとした表情で蘭は白馬を見る。 それに白馬が自信ありげに証拠を提示しようとしたときだった ガターンと何かが倒れる音が展示場一体に響く。 それに白馬たちを含めた人々が驚いたように音源へと視線を移した。 「工藤っ。」 見れば新一がバランスを失ったようにその場に跪き、 展示品のまえに置いてあるポールが倒れている。 新一は顔を両の手で覆い、目眩を取り去ろうと軽く頭を振った。 「ちょっと、大丈夫?」 蘭は新一の前に座り込み顔色をうかがう。 そして指の隙間から見えたひどく蒼い顔に目を細めた。 「しん・・。」 「蘭ちゃん。」 “いち”と続こうとした言葉に重なるように和葉が展示品を指す。 それはずいぶんとボロボロになった剣だった。 手元には様々な装飾が施されていたのだろうが、風化によってその面影はもはや無い。 ただあるのは、宝石などあったと思われるくぼみだけ。 それでも、刃先だけは磨かれたようにしっかりしていて鈍い光沢を呈していた。 「これ・・・。」 妖刀。と言いかけて蘭は口を噤む。 「この鞘の部分に“ブラッド”がついていたみたいやな。」 平次は傍にあった復元写真を見て、ポツリと言葉を落とす。 血を吸うと言われる宝石と、すさまじい妖力を示す妖刀。 そのなんとも意味ありげな組み合わせに 霊気を感じられる平次だけでなく、青子たちまでも少しだけ表情を曇らせた。 「KIDはとんでもないもんを盗むつもりなんやな。」 「それより工藤さん。もう大丈夫?」 快斗に手を借りて立ち上がっていた新一の顔色は やはり良いとは形容しがたい状態だった。 青子は心配そうに新一を見上げる。 「ちょっと目眩がしただけだから。ありがとう。」 「この場所はあんまり工藤さんには良くないわ。もう、帰りましょう。」 紅子の助言に誰も異議を唱えることなく、 わずかな取っ掛かりを残したまま、彼らは展示会場を後にする。 その後、この妖刀を巡って世間を騒がせる事件が起きるとは このときは予想だにしなかったのだが。 |
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