38,7度。完全にオーバーワークね。」

体温計を眺めながら蘭は重々しくため息を付く。

ベットの中で苦しそうな呼吸を繰り返す新一は、すまなさそうに枕に顔を埋めた。

 

 

―あかつき―

 

 

警察に呼ばれて遅く帰ってきた彼は、足下がおぼつかない状態だった。

そこで急いで自室のベットに寝かせて体温を測れば、案の定、ひどい状態。

平次や和葉は体力が落ちているときだから、

まわりの怨霊につけ込まれやすいと警戒して今は館の外に結界を貼っている最中だ。

 

 

『すみません。私がついていながら。』

「ヤタガラスは悪くないわよ。」

 

洗面器の水でタオルを冷やしながら軽く絞ると、新一のおでこに乗せる。

ひんやりと冷たいそれに、少しだけ彼の苦痛がぬぐい取れた気がした。

 

「それで、どうするの?」

 

何も話さない新一の変わりに、ヤタガラスが逐一報告してくれた今回の事件の全貌。

まさか“黒羽快斗”が介入してくるなんて思っても見なかったけれど、

それがさらに厄介な事態を引き起こしている。

 

加えて一番の問題は、一連の事件の犯人をどうするか。

ヤタガラスと新一の力でブラッドは撃退できたが、

取り憑かれていた実行犯にその記憶はない。いわば彼女は被害者なのだ。

 

 

「・・・・分からない。」

 

 

苦渋の表情の新一に蘭は急かしすぎたと自分の放った言葉に後悔する。

そしてどうにか元気づけようと口を開いた瞬間、後ろから穏やかな声が響いた。

 

「それでも1人は救えたんやし、とりあえずしっかり休んだらどうや?」

「・・・服部君。結界は?」

「完璧や。」

「蘭ちゃんも疲れたんちゃう?ここは平次に任せて少し休憩しない?」

 

まだ、大丈夫。そう言うために和葉を見上げた瞬間

蘭は彼女の瞳が雄弁に何かを語っている気がした。

困ったような表情で軽くウインクをし、一瞬、平次へと視線を向けた和葉。

 

その行動の意味が分からないはずもなく蘭はゆっくりと立ち上がった。

 

 

「それじゃあお願いするね。」

「ほんなら平次。工藤君のことよろしゅう。」

 

 

長い髪を掻きあげて蘭は名残惜しそうに和葉の後に続く。

平次はそんな彼女に何も言わぬまま、軽く右手を挙げた。

あとは自分に任せろ。そう告げるように。

 

 

 

ヤタガラスにも席を外して貰い、

ようやく2人きりになった部屋で平次は重々しくため息を付いた。

熱の高い新一は荒い呼吸を繰り返しているが、

意識はしっかりとしているようで、だまって平次が口を開くのを待っている。

平次は傍にイスを持ってきて座ると、新一の額に乗せられたタオルをとって

冷たい洗面器へと浸した。

 

「工藤。選択肢は2つや。」

 

「分かってる。彼女に俺が暗示して殺人事件の犯人に仕立てるか、

 この事件を迷宮入りさせるか・・・だろ?」

 

「そうや。俺としては後者を支持するわ。彼女は被害者なんやし。」

 

ギュッとタオルを絞ってゆっくりと新一の額へと置く。

すぐに熱くなってしまうであろうが、気休めにはなるだろう。

平次は新一の表情を伺いながらそんなことをぼんやりと思った。

 

 

「迷宮入りが妥当だな。遺族にはすまないけど。けど・・・・。」

 

「工藤。あんまり自分を責めるな。悪い癖やで。

 短剣と宝石に憑いたブラッドは追い払われたんや。

 それにさっきも言ったけど、おまえは1人、確実に救った。

 あと重ね重ね言うのも気が引けるんやけど、しばらく警察から離れたほうがええな。

 工藤自身のためにも・・・それに警察のためにも。」

 

 

「分かった。携帯電話の番号は変える。こうして事件に関わったせいで、

 こんな事件が起こった。軽率だったよ。」

 

「気を遣いすぎやで。しっかり休みや。」

 

平次は穏やかな笑顔を浮かべて電気を消すと部屋を後にした。

バタンと閉じた扉には月明かりがほんのりと影を落としている。

 

新一はその光から目をそらすようにゆっくりと手を瞼の上にかぶせ

そしてブラッドの言葉を頭の中で反芻した。

 

『こんなのはあなたをおびき出す為の余興よ。』

 

ブラッドは確かにそう告げた。

世間の事件に関わる自分の特性につけ込むために無関係の人間を殺したのだと。

 

興味本意で動いた自分自身のせいで・・・・。

 

 

 

 

 

 

『快斗を彼を貴方の言う呪縛に巻き込まないでください。』

 

ふと快斗の母が告げた言葉が脳裏で響いた気がした。

 

 

「快斗だけじゃない。俺は無関係な人間をどんどん巻き込んでいるんだ。

 平次達も。今回の犠牲者も。」

 

新一の呟きはゆっくりと白い天井へと吸い込まれる。

その言葉を肯定する者も否定する者も傍にはいない。

あるのは、ただ、彼の言霊のみなのだから。

 

 

 

 

++++++++

 

 

 

どんどんと遠ざかる蒼い光。

そしてその光を追い求める俺。

どこまでも逃げてしまうそれを諦める事なんてできなくて。

足がボロボロになっても俺は走り続けた。

 

だけど、走り疲れて足が絡まり・・・

 

もうダメだ。

 

そう思った瞬間に2つの光が俺の傍を過ぎ去った。

 

『こんなところでへこたれるのか?』

『私たちはそんな弱い主に付き従っているつもりはありませんよ。』

 

光が俺に挑発的な口調で告げる。

その声はひどく懐かしい感じがして俺は負けるものかと再び走り出した。

 

 

 

 

「快斗。快斗!!」

「んー・・・諦めるかよ。」

「快斗。諦めて起きなさい。このバカ息子!!!」

 

 

盛大な彼女の叫び声に、“今日も平和だな〜”と和むご近所の皆様がいることを

この似たもの親子は知らない。

殴られた頭を押さえて快斗は飛び起きると涙目で母親を睨み付けた。

 

「毎回毎回、もう少しは丁寧に起こせないのかよ!?」

 

「それはこっちのせ・り・ふ!高校生にもなって毎朝寝坊しないで欲しいわ。」

 

「優秀な俺の頭を殴って。バカになったらお袋のせいだからな。」

 

「もうすでにバカじゃない。ああ。優秀な盗一さんの遺伝子が

 このバカ息子に受け継がれていないことが不憫でならない・・・。」

 

ウウッと鳴き真似をする母親に快斗は諦めてベットからおりる。

そして着替えるからと鳴き真似をする母親を強引に部屋から追い出した。

母親はギャンギャンと文句を言っているが、毎朝のことなので気に留めることはない。

 

 

それよりも・・・

パタンと閉めた扉を見ながら思う。

 

 

「なんでこんなに苦しいんだ?俺。」

 

 

切ない夢を見た。

そして、何かに出会った。

 

「わけ、分かんねーし。」

 

 

ポツリと呟いた声は扉越しに立っていた快斗の母の耳へと届く。

その声に快斗の母が表情を濁したことを、快斗は知るはずもなかった。

 

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