「若。若君。どうかお考え直しを。」

「だから真は着いて来なくて良いって行ってるだろう。」

 

「なりません。次期将軍が花魁に会うなど。

それに若君はご婚約を控えられている御身。

どうしてもと言うなら、将軍様の大奥にも見目美しい女は・・・。」

 

「うるさい!!俺は新一に会いたいんだよっ。」

 

腕を掴む真の腕を払うと快斗は大きな建物の前に立つ。

快斗自身、真の主張が正しい事も分かっている。

それでも、彼が、新一が花魁と聞いた瞬間、何かが壊れたのだ。頭の中で。

 

 

 

〜蝶乃華〜

後編

 

 

 

冬の寒いあの日。数十分会話をしただけなのに、彼のことを忘れられなくなった。

それから平次の下へ行くときは会えるのではないかと期待したものだ。

城下へ遊びに来るといっても、自分の身分をわきまえていない訳ではない。

だからこそ、月に2度ほどしか行けなくて、会えないのも仕方ないとは思っていた。

 

でも、でも。

新一が花魁として誰かに抱かれている。そう考えるだけで・・・。

こんなにも醜い感情が自分の中に眠っていた事実に驚いているのは他でも無い自分。

そして、なにより、この感情を以前にも抱いていた気がするのだ。

 

全ての疑問が解ける。きっと、彼に会えば。彼の瞳を見れば。

 

 

 

 

「これは、随分と珍しいお客様がいらした。」

 

 

黒い着物に金の髪を長く伸ばした男は、

快斗を見て面白い玩具を見つけた子供のように口元を緩めた。

その隣りに立つ異国の花魁は険しい表情で快斗と真を見つめる。

およそ客に対しては、それもお世継ぎには失礼な態度で。

 

 

「このような場所に来られるとは。色に溺れられたか?若君。」

「俺は聞きたい事があって来たんだ。工藤新一に会わせてもらおうか。」

 

小馬鹿にした言い草を軽く流すと快斗は薄暗い廊下の奥に目を凝らす。

 

「そのようなもの、ここには居なういわよ。坊や。」

 

ジンの変わりに答えたのは金髪の異国花魁。

言葉と共に快斗の頬を撫でようと手を伸ばしたが、それは真によって振り払われた。

 

「無礼者。こちらの方をどなたと思われる!?」

「礼儀のなっていない坊や。それで充分じゃない。」

「なにっ!?」

 

「真、黙れ。確かに彼女の言う通り不躾だった。」

 

 

カッと目を見開く真を宥めて快斗は深々と頭を下げる。

もう、身分も面子もどうだっていい。ただ、彼に会いたいから。

 

「工藤新一殿にお目通り願いたい。」

「・・・若のお頼みを無下にはできまい。」

 

「ジン!?ダメよっ。」

「落ち着け、ベルモット。ただし、彼に会う前に会って欲しい人が居る。」

 

取り乱す女を片手で制し、ジンは薄暗い廊下に向けて声を発した。

その暗闇から音もたてずに1人の花魁が出てくる。

 

紺碧の着物、赤みがかった茶色の御髪。

 

「・・・志保殿。」

 

彼女の姿に声を発したのは、快斗ではなく傍に仕える真だった。

 

 

 

 

唖然とする真を従えた快斗が案内されたのは店の一番奥にある一室だった。

志保はお茶を丁寧に点てると、2人にそれぞれ差し出す。

 

だが真は茶器に手を伸ばすことなく小刻みに震えていた。

 

「真?彼女と知り合いなのか?さっきだって名前を・・・。」

 

ひょっとして入れ込んでいた花魁が彼にもいたのか?

そう考えて快斗は自らの推測を打ち捨てる。

彼とずっと共にいたからこそ、そんな関係でない事は明白だった。

 

「志保殿・・・もしかして工藤新一とは蒼姫?」

 

「懐かしい名ね。そう。蒼姫の本名を知るのは当時私と彼の母君と

彼に簪をくれた男の3人だけだったから。驚くのも無理は無いわ。」

 

「ちょっと待て。真。おまえ、俺に何を隠してるんだ?おまえは何を・・。」

 

知っているんだ?

 

 

「お、お許しください!!」

 

快斗の問いかけに真は平伏する。

これ以上、自分の口からはいえないと。

こんなにもおびえる彼を見たのは生まれて初めてかもしれない。

 

快斗はただ呆然とするしかなく、志保はそんな彼にフッと小さく笑った。

 

「若君。工藤君に生きて欲しいなら帰ってくださいませんか?

 あなたが求める真実は、とても残酷でそれでいて甘美なもの。

 ですが、彼にとっては全て過去なのです。もう・・・彼からなにも奪わないで。」

 

「快斗様。今生の願いです。どうか私めと共にここを辞してください。」

 

真は顔を上げることなく、快斗に頼み込む。

めったに頼みごとをしない彼がここまで必死になっている。

その理由がわからない。なぜ、なぜ。自分は彼に会って聴きたいだけなのに。

 

 

「俺と新一が会う事で新一の命が危険にさらされるなら、俺が守る。だから・・。」

 

「ふざけないでっ!!」

 

部屋に響く鋭い音。気づけば志保は快斗の頬を平手で打っていた。

とんでもない暴挙。死罪は免れぬ行為。

 

けれどそこにおびえは無い。あるのはただ・・・怒りだ。

 

「なにが守るよ。3年前、何も守れなかった貴方が?

 あなたにできるのはあの女と結婚して安泰に暮らすこと。

もう、彼の前には現れないで!!」

 

「ちょっと待て。3年前って何なんだ?俺には分からない。

理由がわからず辞することはできねぇよ。」

 

快斗は頬の痛みを気にすることなく志保に詰め寄り肩に手を置いて問い掛ける。

けれど志保は涙を流してただ首を横にふった。

 

「快斗様。落ち着いてくださいませ。」

 

「落ち着いてられねぇ。俺には分かるんだ。なにか大切な事を俺は忘れてる。

 なぁ、宮野さん。俺はあんたも知ってる気がするんだよ。教えてくれよ!!」

 

 

俺は何を忘れてるんだ?

 

 

「全てを思い出させてあげますわ。若君。」

 

傍の障子が静かに開いた。赤い蝶の笑みとともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・わかっ。若君。・・ったく、快斗!!」

 

ようやく呼ばれた名前に快斗はゆっくりと目を開いた。

起きてすぐに視界を染める彼の蒼い瞳の輝き。それが何より好きだった。

快斗は新一の腕を引き寄せて桜色の唇に己のそれを重ねる。

 

毎朝の日課。あの日も、幸せに満ちていた。

 

「おはよ。新一♪」

 

「おはようじゃねぇよ。今、何時だと思ってんだ?

将来の将軍殿が、きいてあきれるぜ。」

 

長い髪をゆるりと瑠璃色の着物に散らした彼はそう言って小さくため息をつく。

蒼姫と呼ばれる若君の正室。その事実を知るものは数名しか居ない。

 

新一は快斗の乳母の息子だった。

快斗と兄弟のように育った彼は生まれつき身体も弱く、

そんな彼を快斗は愛していた。

 

綺麗で誰よりも優しくて、奇跡のような存在で。

宝物を隠すように、快斗は彼を誰の目にも晒さないように努めた。

将軍である父も、子供の独占欲と飽きるまで好きなようにさせていたし、

とうの新一も快斗と共に居る事に不満は無く、

南蛮から贈られる推理本さえあれば良いようで、本を片手にいつも彼のそばにいた。

 

志保はそんな彼らの関係に呆れてはいたものの、

新一が幸せそうなので特に苦言は呈すことはなかった。

 

快斗が幼馴染の平次や白馬と遊ぶときは、推理本を読むか、志保や母と過ごす。

快斗が帰ってこれば、快斗と話したり変装したりして城下町に繰り出す事もあった。

 

家臣達は若君の道楽と人の居ないところでは笑っていたが、

彼の身分のせいもあり、その声が届く事は無い。

ただ、若君の愛する唯一の存在として蒼姫の存在は暗黙の了解として知られていた。

 

 

が、快斗が立志を迎えた3年前。それは大きく崩れたのだ。

 

「快斗。そちの妻が決まった。

将軍家安泰のため、朝廷陛下の近縁である青子姫と添い遂げよ。」

 

もちろん快斗は反対した。妻などいらぬ、新一だけがいればいいと。

もし、世継ぎが居るなら、不本意ながら他の女と一度くらい寝てもいい。

将軍なんぞ今の世ではただの虚像。

ならば、自分の子でなくても世継ぎはいるではないかと。

 

まだ14の彼は言い放ったのだ。幼いエゴだけの我侭。到底許されない暴挙。

彼の言葉に怒った将軍は術者の女に命じて快斗の記憶を封じ・・そして。

 

 

「蒼姫と蒼姫の母、そして志保を殺そうとしたのよ。

ちなみにその時あなたに暗示をかけたのはこの私よ。」

 

 

記憶が戻った快斗は固まっていた。

今は帝王学も学び、様々な世を見、この城下を守っていきたいと思っている。

今日、ここに来たのも、迷いを一切なくし、新たな一歩を踏むためだった。

 

孤独な将軍として、治世に関わっていくために。

 

なのに。

 

 

「蒼姫は素直に死を受け入れた。それがこの国のためならばと。

 貴方が自分のせいでまともな判断もつかなくなっていたのも己の責任だとも言ったわ。

 けど、志保と母だけは助けてくれと、将軍に慈悲を願い出たのよ。」

 

そんな彼を将軍は笑ったのだ。そして、手始めに彼の目の前で母を切った。

 

「恨みをもって仕返しに来るとでも思ったのか、

世継ぎの不祥事を公にする事を恐れたのか。

蒼姫の関係者を生かす気は無かったみたい。

私はその非道な方法に耐え切れず、彼と志保をここへ導いたわ。

馬鹿な若君に振り回されて死ぬなんて、あんまりだものね。」

 

 

紅子の黒い髪が月明かりを浴びて、綺麗な深紅となる。

 

 

「ねぇ、若。教えてくださらない?

 成長した貴方は、蒼姫だけの世界から飛び出した貴方は、何を求めるの?」

 

 

そっと頬に手を沿えて、彼の耳元で紅子は呟いた。

呪文をかけるように、残酷な響きを含ませて。

 

 

「俺は、俺はここが好きだ。この国を守りたいとも民の笑顔を守りたいとも思う。

 親父のように虚像ではなく、自分の足で立って。駆けずり回って・・・。」

 

「そう、それでいいんだ。」

 

「・・・し・・んいち。」

 

 

部屋の暗がりから出てきた彼は、ひどく痩せていた。

顔色も悪く、快斗は思わず彼に手を伸ばす。

 

だが、彼は蝶のように、ひらりとその手をかわした。

 

 

「俺はおまえを恨んではいない。そして、この現状も。

 むしろ良かったと思ってるんだよ。俺にとっても世界は大きく広がったから。」

 

 

城の囲いを出て、実際の謎に出会って、様々な人と様々な話をして。

快斗が成長したように、新一もまた成長していた。

 

狭い、狭い、二人だけの世界ではなく。

 

 

「もう、後ろを振り返るな。俺は過去なんだ。快斗。」

 

 

机の置くから何かを取り出した新一は、それで髪を結う。

綺麗な蒼い蝶が・・・御髪に舞った。

 

「俺はこの蒼い蝶の簪さえあれば良いから。だからもう・・・。」

「新一、確かに俺は変わった。けど、おまえを諦める気などさらさら無い。」

「若君!!」

 

真の叫びを覆い隠すように快斗は言葉を続ける。

 

 

「国の安定のため、青子とは結婚するよ。でも、俺の正室はずっとおまえだ。

 俺が将軍になったら迎えに来るから。大老として、おまえを招き入れるから。

だから、もう少し・・・待っていてくれ。」

 

 

目を見開き固まった新一の唇にそっと口付けると、

快斗は何も言わずに部屋を出て行った。

 

その威厳はまさに将軍にふさわしく、

真は一寸気押され、遅れて慌てて彼の後を追う。

 

 

そんな若君に紅子は満足げに笑った。

 

 

「立派な将軍になるわね。彼。」

「紅子・・・。これからのこと、あなた分かってるのよね?」

 

けれど志保は未だに均衡の表情を崩さずに、呆れたように彼女を見据える。

快斗がいくら迎えに来るといっても、どんなに影響力をもったとしても、

大老に何の身分も無い新一をつかせるなど不可能なのだ。

 

 

きっと、彼は今後、そんな窮屈な世の中を己の身をもって味わうだろう。

 

「彼なら大丈夫よ。そうでしょう?蒼姫。」

 

「さぁ。どうだろうな。

俺は、また謎解きして暮らすよ。今度は暖かい南がいいかもな。」

 

「貴方の療養には良いかもしれないわね。ここには留まれないし。」

 

志保はそういうとまとめた荷物を呼びつけた籠屋に渡す。

最初から、彼が訪れた時点で、ここに留まれない事は確定したのだ。

将軍の手が入ると思うが、店主であるジンの機転なら、

自分達の形跡さえ消せばいくらでも誤魔化しは利くだろう。

 

「私も行くわ。こんどは3人で何をしようかしら?」

「お茶屋なんてのも良いわね。ジンとベルモットは泣くでしょうけど。」

 

 

 

その日、高級花魁の店から3人の花魁が消えた。

けれど、店は何の動揺もなく、翌日から相変わらずの賑わいを見せている。

 

「たまには手紙を寄越せばいいけど。」

 

ベルモットは綺麗に物の無くなった部屋を見て、一人ほくそえむのだった。

 

 

 

 

 

この数年後、将軍に就任した若君が、小さな日の本を大国へと成長させる。

その傍らには常に、卓越した頭脳と美貌をもつ大老が控えていたとか。

 

END