煌びやかな着物を着崩し、女たちが媚びるような甘い声を出している。

客引きはそれぞれの店が独自の方法を用いており

個性や違いこそはあるが、どこも必死なことに変わりは無かった。

 

華やかな街であるからこそ、常に体と金のやりとりはつきない。

買われる女。売られる女。身請けされるもの。追い出されてのたれ死ぬ者。

実力社会だと新一は通りを歩きながら思う。

 

彼女たちは世間から卑しいと言われるが、それは事実ではない。

卑しいと言われることを行わないと生きていけない社会なのだ。

きっと一般人よりも必死に生きたいと願っている。

 

 

街の一番奥に、どこよりも格式があり、

店の構えも一流料亭のような雰囲気の店がある。

周りはきちんと整備された高い塀に囲まれ

入り口には藍染めののれんが掛かり、その両側に体格のいい門番がいる。

 

 

ふつうの者は入ることすらできない高級花魁の店。

その名も『蝶乃華』

 

女のレベルは高くどんな大物であっても簡単に春を買うことはできない。

そこの女が承諾しなければ触ることさえ許されないのだ。

そうであっても、ここはこの街で一番の人気を誇る。

この街を知らない人間であっても、

この店の名を聞けば誰もが感嘆の息をもらすほどに。

 

 

 

 

 

〜蝶乃華〜

中編

 

 

 

 

 

「蒼乃様。お帰りなさいませ。」

「支配人たちがお待ちですよ。」

 

門番の男たちは新一を認めると、スッと入り口を開けて深々と頭を下げる。

 

「ただいま。これ、おまえたちで食べてくれないか。

 今日は冷えるし、こんなところで働いて貰ってるからな。

 佐藤さんのお薦め品だから、うまいと思う。」

 

新一はそう言って包みを手渡す。

男たち2人は新一の些細な気遣いに再び深々と頭を下げるのだった。

 

 

 

 

 

 

「遅かったな。俺は朝方、おまえに用を頼んだはずだが?

かなり長い道のりだったんだな。」

 

「・・・奉行所に呼ばれていたんですよ。」

「男でも拐かしたのか。」

「冗談でも蹴り殺しますよ?」

 

こっちは疲れているのに。と非難がましく新一は支配人を睨む。

 

 

ちなみに彼の手は話しながらもこの店で働く女の着物の中を絶えず動いていた。

 

 

「蒼乃。顔色悪いわね。大丈夫なの?」

「気持ちよさそうな顔しながら心配されても・・・。」

 

支配人に抱かれている女。ベルモットは新一の言葉にクスクスと笑う。

 

「そうね。蒼乃の言うとおり。」

「それじゃあ、俺は仕事がありますのでこれで。ごゆっくり。」

 

引き戸を閉めて新一はゆっくりと奥の自分の部屋へと向かう。

廊下で会う花魁たちはすっかりきれいに顔や髪型を整えていた。

そして新一に会うと微笑みながら頭を下げる。

 

ここでの新一の存在は一種の神と言っても良いと彼女たちは言う。

もちろん本人は全く気づいていないが。

 

どんなに売れてもおごることなく、常に周りに気を配り、どこまでもお人好し。

そして何よりもその雰囲気といえばいいのだろうか。

彼には人を引きつけて放さない魅力があるのだ。

 

だからこそ男でこの仕事をしているからといって

誰かが偏見を持つなどということはいっさいなかった。

 

部屋に戻って新一は月明かりの中に照らされる着物を見る。

濃紺に黄色の帯。そして・・・・。

桐の箱に入れてある薄手の下地の上には蒼い蝶の簪。

それを手にとって新一は眺める。

 

「珍しいわね。それをみて物思いに耽るなんて。」

「・・・志保。入るときは気配を示せよな。」

「あら、気配なんて隠してないわよ。あなたがそれに集中しすぎていたんじゃない。」

 

志保はすっかり準備を整えて、いつもの碧色の着物を身に纏っていた。

日本人にしては珍しい赤みがかった茶色の髪は高い位置で結われている。

 

そう。志保は今、蝶乃華で蒼乃蝶に続く人気を誇る『哀』の姿となっていた。

哀しみを現すその一字に、多くの男が彼女を身請けしたいと申し出るが

それでも彼女が首を縦に振る事は一度も無い。

だからこそ、彼女を慕う男達はいつかその名を『哀』から『愛』へと

変えてやると意気込んでいるのだとか。

 

本人にまったくその気がないということも知らないで・・・。

なぜなら彼女には、誰よりも大切ない人が、離れたくない相手が居るのだから。

 

 

 

 

 

「私は嫌いよ。彼のこと。」

「志保。」

「彼のために貴方が苦しむのを見るのは辛いわ。」

 

志保はそっと新一の持つ簪を手に取る。

これは新一が愛する人に貰い、そして手元に残った唯一のもの。

新一は志保の手の中にあるそれをいつまでも見つめていた。

 

 

「今日、会ったんですって?」

 

敢えて名前を出すことなく志保は新一に簪を返しながら尋ねる。

 

 

「相変わらず情報が早いな。」

「今後会わない方がいいわ。」

 

「今回はちょっとしたミスだ。服部があいつと繋がりがあるなんてな。

 これからは、もう火消しにも出入りはしないよ。」

 

 

どこか泣き笑いにも近い表情を作って、

新一はそっと壊れない程度に簪を握り締めた。

 

志保はそんな彼に唇を軽くかみ締める。

彼が外で自由に話をできる場所。

その数少ない1つがまたあの男のせいで無くなってしまうなんて。

 

「なぜ、あなたからばかり奪われなければならないのよ・・・。」

 

「志保。おれはこの場所さえあれば充分だ。

おまえたちが居てくれる。それだけでさ。」

 

「ずるいわね。もう、何もいえないじゃない。」

 

ゆるりと立ち上がり、そっと額にキスを落とすと

彼女は来たときと同じように音も立てずに彼の部屋を去った。

 

 

 

 

平次と知り合ったのは、2年半ほど前。まだ、平次と和葉が幼馴染だったころ。

お得意様となった奉行所の白馬に店へ連れてこられたのが彼だった。

白馬としては幼馴染への恋に煮えたぎれない彼への発破剤のつもりだったらしい。

それを事前に聞いていた新一は、うまく彼を説得し、見事結婚まで導いたのだ。

 

もともと小物屋をしていた和葉とは仲が良かったというのも

上手くいった理由の一つであるかもしれない。

 

 

結婚後も平次は白馬とともに店にやってきては

事件や謎が好きだと言うことで3人交えて花魁街には似合わない

血なまぐさい話しで夜通し盛り上がった。

 

和葉は新一の所ならと、ここへの出入りも笑顔で認め、

自分も行きたいとたまに駄々をこねるのだとか。

 

そんな繋がりがとても大切だったのも事実。それでも・・・。

 

「そろそろ潮時なのかもな。」

 

奉行所での協力にしても名前を伏せてはもらっているが、

あまりにも目立ちすぎている自覚はある。

この花魁の街に身を投じる事しか、追い出された自分には生きる術はなかった。

人生をなげうって自分に着いてきてくれた志保のためにも、生きていくためにも・・。

 

「城下町には・・もう行かないでおくか。」

 

支配人であるジンが、使いを頼みたいと託けて

自分を城下町に出してくれているのも知っている。

着物を新しくしたいから一緒に見繕ってとベルモットが誘うのだってそうだ。

 

『新一は蝶みたいだから。だって、自由に舞うだろ?

気をつけていないと逃げてしまうみたいに。』

 

 

青い蝶の簪をくれた、愛する人が渡すときに告げた言葉。

けれど、生きるために虫篭に入ろう。花魁街という女だけの囲いに。

 

「一目だけでも会えてよかったよ。快斗。」

 

彼の前ではもう呼ばないと誓った名前を呼んで

新一は蒼い蝶の簪を机の置く深くへとしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは若君。珍しいところにいらっしゃいますね。」

 

 

江戸の桜が花盛りとなりとなったころ、

紺の紋付袴の出で立ちをした男が火消しの家を訪れた。

彼は玄関先で今まさに退席しようとしている顔なじみを見てフッと口元を緩める。

身分としては不相応な口の利き方だが、若君である快斗は気にする態も無く

彼がとなりにはべらせている綺麗な女性を一瞥して皮肉げな笑みを返した。

 

 

「そっちこそ、女連れて仕事はいいのか?老中白馬殿の嫡男さん。」

「その名称は止めて欲しいですね。僕には立派な町奉行所与力吟味方という役職がある。」

 

親の後光を日頃は利用しているが、

それを指摘されるのは嫌いらしくムッと眉をひそめる。

その隣りで彼の連れていた女性がクスクスと笑った。

 

「紅子どの。そのように笑わなくとも。」

「これは失礼しましたわ。探様。それとお初にお目にかかります。若君。」

 

女性、紅子は着物を正して深々と頭を下げる。

おそらく快斗の身分を存じているのだろう。

快斗は彼女の態度を見て、白馬に話したのかと非難めいた視線を向けた。

 

だが白馬は慌てたように頭を横に振るのみ。

 

「探様は何も仰っておられませんわ。どうかお咎めなさいませんよう。」

 

ふふっと笑うと彼女は視線を快斗からその背後へと移す。

その視線に快斗と探が振り返れば、平次が暖簾から顔を出していた。

 

「なんや声がすると思うたら。久々に3人揃うたな。

どや、黒羽。もうしばらくゆっくりしていき。」

 

平次はそういうと、返事も聞かずに快斗と探の背中を押して店へと押し込む。

おそらく江戸広しと言えども、次代将軍と老中嫡男に

このような態度をとれるものは彼くらいだろう。

 

彼らが親同士の役職によって

幼馴染のような関係であるのがそれを可能としていたのもあるが、

やはりそれ以上に平次の性格も大きいのかもしれない。

 

将軍を父に持つ快斗。将軍の傍に仕える老中の息子、探。

そして老中が管轄する町火消しの元締めをしていた平次の父。

身分は違えど、わずかばかりにあった接点がこうして今日の彼らを繋げているのだ。

 

 

「では、私はこれで。」

 

「なんや、紅羽さんもくればええのに。それに聴きたい事が・・・。」

 

「あら、平次様。今は紅子ですわ。あと、その疑問にはお答えできませんの。

 また、探様とお店へいらしてくださいね。では。」

 

紅子はそういうと赤い着物の袖をひらりと揺らめかせ、3人の男の前から辞す。

洗練された身のこなし。店という言葉に快斗は納得行ったように頷いた。

 

「あの女、花魁か。」

「今は1人の女性ですよ。ところで服部君。」

 

侮蔑的な言い方に白馬は不機嫌そうに呟くと、紅子を目で追う平次に声をかける。

 

「あなたの聴きたい事とは、工藤君のことですよね?」

 

平次はその言葉にゆっくりと頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、じゃああの日以来、来てないのか?新一。」

 

「黒羽君。なんですか、その馴れ馴れしい呼び方は。」

 

部屋に通された快斗と白馬は和葉に出されたお茶を飲みながら、

下座に座り目を伏せている平次を見る。

 

「新一が良いって言ったんだよ。けど、あれは晩冬だろ?ってことは三ヶ月も?」

 

「そや。町奉行所にも顔を出してくれんって、お奉行はんも困っとった。」

 

「やはり。最近、店に行くのですが、彼には会えないんですよ。実のところ。」

 

 

それで、今日、彼と親しい花魁の紅子を呼んだのだが・・・。

平次が尋ねようとしたときと同じようにはぐらかされてしまったらしい。

 

「なぁ。店って新一はそこの世話役でもしてんの?」

 

花魁街で男が働くとなれば、女達の世話役くらいだろう。

新一の気品溢れた様相には似つかないが、話の流れからそう察した快斗は口をはさむ。

そんな彼の疑問に、白馬と平次は少し驚いたように目を見開いた。

 

「なんや、知らんかったんか。」

「新一と下の名で呼ぶから僕はてっきり知っていると思ってましたよ。」

 

「「工藤(君)は・・・・」」

 

 

2人から告げられた事実に、

快斗は久々にポーカーフェイスを崩してしまったのだった。