新一には悩みができた。

頭脳明晰、容姿端麗、スポーツ万能。

まさに天が二物も三物も与えたような彼女にも、もちろん悩みは存在する。

だが、この手の悩みは正直生まれて初めてのもので。

一般的にはこれを「恋の悩み」というらしい。

新一は、相談を持ちかけた幼馴染の数名に、ズバリその悩みの名を教えてもらったところだった。

 

 

 

〜不器用な恋・前編〜

 

 

 

帝丹高校に入学して早数か月。

夏休みも目前になったころ、その問題は起こった。

それは今まで数々の難事件を解決してきたはずの彼女にも解けない問題であった。

問題を解くにはまず情報を集めることが先決であるとは、推理の基本中の基本で。

そこで、新一は、情報を持っているであろうメンバーを

近所の行きつけのカフェへと呼び出した次第である。

 

店内は平日の午後とあってか、学生や若い女性であふれていた。

木目調で統一されている店内は落ち着いた雰囲気で、

天井では空気を循環させるためか木製の3枚羽がゆっくりと回っている。

店の周囲には小さな庭木が植えられ、夕方の日差しを緩和していた。

 

店内の一番奥の席に座って待っていると、セーラー服姿の黒髪の少女がまず顔を出した。

幼稚園時代から仲のいい幼馴染の一人、中森青子だ。

肩のあたりで切りそろえられたストレートの髪と無邪気な笑顔が

彼女のトレードマークである。

その後ろに続いて入ってきたのは、新一と同じブレザー姿の少女。

赤みがかった茶色の髪に冷涼な笑みが似合う彼女は、青子とは真逆のタイプであろう。

そんな彼女もまた、新一の幼馴染の一人である。

 

よっ、と軽く手を挙げれば青子は満面の笑みで新一の向かいの席に腰を下ろした。

その隣に茶色の髪の少女、宮野志保が続いて腰かける。

 

「蘭は部活で遅れるみたい。それで、悩みって?」

 

 

軽く雑談する暇もないのかと思いつつ、それも彼女らしいかと感じながら

新一は馴染みの店員に二人にいつものを、と声をかける。

黒のエプロン姿の女性はニコリと微笑み、店の奥へと消えた。

 

目の前に座る青子、志保、そして部活で遅れるという蘭以外にもう一人

彼女には幼稚園時代からの幼馴染が居た。

その名は、黒羽快斗。この春から青子と同じ江古田高校に通っている。

だが今回、呼び出したメンバーに黒羽快斗の姿はない。

それもそのはず、悩みの原因が黒羽快斗その人なのなだから。

 

「つまり、新一は黒羽君が知らない女性と歩いていたのが気になったのよね。」

 

遅れて合流した蘭が確かめるように述べると新一は深くうなずいた。

志保はそんなやり取りを呆れたように眺め、

青子は前のめりになり目をキラキラと輝かせている。

 

「昔みたいに会えないし。なんか、それで寂しいのかなぁって。」

 

新一は話しながら伸びてきた髪をうっとおしそうに耳にかけた。

夏が近づいてきているからそろそろ切りたいと思ったのだが、先日

快斗が「きれいな黒髪がもったいない!」と反対されたため切れずにいるのだ。

 

「ていうか、あなたたち、まだ付き合ってなかったの?」

「志保ちゃん、直球すぎ!!しょうがないじゃん、新ちゃん鈍感なんだから。」

「青子ちゃん、それ失礼よ。まぁ、当たってるけど。」

 

3人の散々な言いように、新一は頬を少し膨らませる。

クールな見た目に、子供っぽいしぐさ。時に見える大人の色気。

これだけそろっているのだから、老若男女すべてが虜になるのも無理はない。

現に今も、多くの視線を集めているのだが当の本人は全くそのことに気づいていなかった。

 

「たっく、好き勝手言いやがって。とにかく、俺は、快斗への気持ちを確かめる。

 確証や証拠がない時点で判断するなんて、探偵としてあるまじき行為だからな。」

 

「・・・・で、どうするの?」

 

このズレっぷりがなければ完璧なんだけどね、と

志保はストローを指でもて遊びながらとりあえず彼女の考えを聞くことにする。

なんだかんだ言っても、3人はこの幼馴染の一人をとても大切にしているのだから。

 

「青子の協力を得て、江古田に潜入する!」

「・・・ファイト、青子ちゃん。」

「頑張ってね。」

 

「え!!みんな投げやり!?てか、私の負担大きすぎ!!」

 

「青子、よろしくな。」と新一に微笑まれて、

快斗の馬鹿!と当たりたくなったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

その翌日、新一はいつものブレザーではなくセーラー服に包まれていた。

髪には茶色のウィッグをつけ、赤のメガネをかけている。

いつもより短めのスカートからのぞく2本のきれいな足は既に多くの視線を集めていた。

 

「どんな格好でも、新ちゃんはかわいいわよね・・。」

「そうか?俺は青子のほうが似合ってるし、かわいいと思うけどな。」

 

しみじみと新一の制服姿を眺めながら青子はポソリと呟く。

だが、新一から返ってきたのは、照れでもなく純粋な感想だった。

言われたからお返しにというわけではなく、新一は本当に思っていることしか言わない。

ときにきつい物言いにそれは聞こえるけれど、きつい一言もまた相手のことを思って必要最低限に告げられるから、青子は新一の言葉ならいつも素直に受け入れられた。

 

だからこそ、こんな褒め言葉は、逆に恥ずかしくもなるのだが。

 

「青子?」

 

少し頬を染めているのが恥ずかしくて青子はなんでもないとごまかした笑みを浮かべる。

すると顔を少し覗き込んでから、新一は小首を傾げて青子の少し前を歩き出した。

 

 

「本当に快斗くらいだよ。新ちゃんを任せられるの。」

 

青子は少し離れたところから彼女の背中を見つめて呟く。

その言葉は朝の騒がしい生徒たちの声のなかにあっけなく埋もれた。

 

蘭、志保、青子、そして快斗の4人で

必死に純正栽培した成果がでたとは彼女たちだけの秘密だ。

彼女に近づく男たちを徹底的に排除してきたことも。

色恋沙汰の情報も調整してきたことも。

 

だが、純正にしすぎた結果が、この鈍感さなのだが。

 

「あ、そうだ、青子。新ちゃんじゃバレるから、今はエリだ。」

 

前を歩いていた新一が思い出したように振り返り告げる。

その名があまりにも身近すぎて、青子は小さく噴き出した。

 

「それ、蘭ちゃんのお母さんと同じ・・って聞いてないよね。」

 

前を歩く彼女の張り切り様は青子には止めれない。

 

「さぁ、行くぞ。ぜってぇ、確証をつかんでやる。」

「いや、ただ自分の気持ち確かめるだけだよね。」

 

もう、突っ込むだけでも疲れてきた。

どこで育て方を間違ったのだろうと青子は母親の心境になる。

 

そんなどこかズレつつもはりきる新一についていきながら、

青子は本日何度目になるか分からないため息をついたのだった。

 

 

「黒羽、聞いたか。超美人さんが転入したってよ!」

「ふーん。まぁ、美人っても、俺は興味ねぇし。」

 

ちょうどそのころ、教室では校門で目撃された新一が転校生として騒がれていた。

前の席に座っているスポーツ刈りの友達が椅子に逆向きに座って話かける。

だが快斗は大きく欠伸をして、素っ気ない返事をしただけだ。

 

快斗とて、男の子だから女の子は好きだ。

それなりに雑誌なども買って友人の家でくだらない馬鹿話だってすることもある。

けれども、美人と言われてテンションが上がることはこれまで一度たりともなかった。

 

幼いころからずっと隣に居た一人の少女。

快斗は彼女に会った時から、美人の定義は彼女以外にないと確信している。

父を失った空虚感を乗り越えられたのも彼女の美しさがあったからだ。

もちろん、その美しさは見た目だけじゃない。

見た目ももちろんだけれど、心を含めた美しさだ。

 

彼女の暖かな美しさが今の快斗を生かしてくれている。

そんな話を他の幼馴染にすると、いつも呆れたように笑われるけど、

快斗は、幼馴染もまた、その彼女の美しい優しさに支えられていると分かっていた。

 

「たっく、また幼馴染の子か?中森さんも、かわいいけど。」

「青子じゃねぇよ。」

 

二度目の欠伸をしながら快斗は晴れ上がった夏空を見上げる。

もうすぐ地元の夏祭りがあるが今年こそは二人きりで行きたいなぁと頭の中は

その美しい人、新一との夏の予定でいっぱいだ。

乗ってこない友人にしびれを切らしたのか、声をかけた男子は、

美人の転入生で盛り上がる他のグループへと混ざった。

 

「そういや、青子のやつ遅いな。」

 

騒ぐクラスメイトを横目に見ながら、快斗はふと先ほど話題に上がった

幼馴染の一人が居ないことに気づく。

いつもは一緒に行くはずだが、なぜか今日は用事があるからと朝早く家を出ていた。

それにもかかわらず、教室にはいまだに姿を見せていない。

 

鞄から何気に携帯を開いてみるが、特にメールなどもなく快斗は首を傾げた。

 

「ま、大丈夫だろう。」

 

それにしても今日は眠たい。

快斗は友人たちの声と蝉の声をBGMにゆっくりと夢の中に入っていった。

 

 

 

 

 

「・・ば君。黒羽君。」

「んっ。」

 

軽い振動を感じて快斗は思い瞼を開けた。

じんわりと滲む汗に、ここはどこだったけ?とぼんやり考える。

 

「まったく、ここは学校よ。」

「紅子?」

 

見上げれば声の主、クラスメイトの小泉紅子が腕を組んで呆れたように見ていた。

どうやら随分と眠っていたらしい。

昼休みなのか、教室は弁当のにおいで充満していた。

ふと思い出したように青子の席を見れば、鞄は置いてある。

どうやらあの後にでも来たようだと快斗はホッと息をついた。

 

「まだ、寝ぼけてるの?」

「あ、いや。何か用?」

 

まったく自分を見ない快斗にしびれを切らしたのか、紅子は快斗の顔を覗き込む。

誰もが憧れるストレートの黒髪にクールな目元がぐっと近づき

快斗は反射的に少し椅子をさげた。

 

先日転入してきた小泉紅子は一日も立たずしてクラスのアイドルになった。

その美貌と大人びた雰囲気は、このクラスの女子にはないもので、

男たちは必死にアプローチしていたものだ。

だが、そんなアプローチがあったにも関わらず、

紅子が興味を向けたのは彼女に対して無反応な快斗だった。

 

それからというもの毎日のようの付き合えだの、

好きになれだの言われて快斗は正直うんざりとしている。

またその手のことかと思い、どこか投げやりな尋ね方になったが

紅子が気にしている様子はみられなかった。

 

「ちょっと屋上に来てくれない?」

「俺、昼飯が・・。」

「上で一緒に食べましょう。今日は風が涼しいわ。」

 

まったくこちらの意見を聞かずに紅子は颯爽と教室から出て行った。

手には快斗の弁当をいつの間にか持っており、さらにクラスメイトから

小泉を泣かせるなよと言われれば従わざるを得ない。

快斗は小さく舌打ちをして彼女の後姿を追いかけた。