真っ白なセーラーの上で紅子の髪はゆっくりと動いた。 黒と白のコントラストを、廊下の窓から入ってくる夏の陽光が一層際立たせる。 快斗はその後ろ姿を眺めながら、先日の新一とのやりとりを思い出していた。 〜不器用な恋・後編〜 最近、紅子に絡まれているせいもあって、なかなか新一と帰りが一緒にならないことが 続いたある日、偶然、一人で歩く新一の後姿を見つけた。 夏服のシャツに揺れる黒髪を見て、快斗は反射的に走り出し、彼女の肩をたたく。 振り向いて少し驚いた顔も可愛いと思ったことはこれまで何度もあるが、 そのたびに快斗は幸せな気分になった。 とりあえず暑いから店にでも行かないかと誘うと、新一は二つ返事でうなずいた。 このあたりなら、新一の好きなコーヒーショップもあったはずだと快斗は 優秀な頭をフル回転させる。 そして、路地裏にあるその小さな店に二人で入った。 「お、高校生のカップルとは珍しいな。」 店のマスターはそういって数種類の豆を持ってきてくれた。 お客さんの好みを聞いてブレンドしてくれるらしい。 その言葉に快斗は新一の反応を見ていたが、 新一はすでに店にある豆に夢中でマスターの言葉さえ届いていないようだった。 マスター自慢のコーヒーと奥さんが作ったというケーキを注文して二人で席についた。 カウンターだけという小さなつくりの店の一番奥に座ると、新一はコーヒーの香りに 口元をほころばせた。 その笑みは小さな桜が咲いたような儚げなもので、 快斗はその新一の横顔に見入ってしまう。 そしてその笑みを引き出す一端に自身がなれたことがうれしくもあった。 「快斗は俺の好みを全部知ってるみたいだ。」 コーヒーを堪能しながら新一は目を輝かせた。 「俺、魔法とか全然信じないけどさ、快斗が魔法使いっていうのなら信じちまうくらいに。」 「はは。でも俺は新一だけの魔法使いだからさ。魔法は新一にしか使えないんだ。」 「そうか?快斗の魔法は誰の笑顔でも引き出すと思うぞ。」 フォークを口にくわえたまま、不思議そうに首を傾げる新一に快斗は複雑な気分になる。 遠まわしの告白が通じなかった寂しさと、それ以上の嬉しい評価をもらえたということに。 でも、トータルでは嬉しさが断然勝っているけど、と快斗は心の中で呟いて そっと新一の黒髪についたクリームをぬぐった。 「サンキュ。しかし髪の毛邪魔だなぁ。夏も暑いし、どうせならバッサリ。」 「切っちゃダメ。」 「え?」 「俺、新一の黒髪好きだから。きれいだし、もったいないよ。」 手に持ったままのひと房の髪の毛にそっと口づける。 黒髪でなく、新一自身好きだとストレートに言えない自分にちょっと呆れながら。 きっと伝わらないよなぁと顔をあげてみれば、珍しく驚く新一と視線が重なった。 「快斗・・・。おまえ。」 「新一?」 「くせっ毛のこと、まだ気にしてたのか?」 どうすればそんな突飛な発想になるんだろうと呆れつつ、そのあとに間髪入れず 『それに俺も快斗の髪の毛好きだし。』と微笑まれて、再び骨抜きにされたのは言うまでもない。 「黒羽君、またトリップしてたでしょ?」 屋上について扉を開ければ先に来ていた紅子がお弁当を広げて待っていた。 まさか紅子の黒髪を見て、先日のことを思い出していたとは言えず 快斗は曖昧な笑みを浮かべる。 「にしても、ここ。暑すぎるだろ。」 「日陰はそうでもないわよ。しんどいなら食べさせてあげましょうか?」 ドサリと紅子の隣に座ると、確かにコンクリートは冷えており悪くはなかった。 だが、食べさせられるのだけは嫌だと半ば強引に弁当をひったくると快斗は ガツガツとそれを胃袋に放り込む。 紅子はそんな快斗を気に留めることなく、自身の弁当を取り出し食べ始めた。 日頃は何かと言ってくる紅子が今日は静かで、聞こえるのは蝉の声と こんな暑さでもグラウンドで遊んでいる生徒の声だけだ。 時折吹く風が快斗と紅子の間を通り抜けていく。 それぞれ黙々と食事を終えたころ、紅子はゆっくりと立ち上がり フェンスから見える風景をじっと眺めた。 「紅子?」 「今日で決着をつけようと思ってね。」 「は?」 「好きよ、黒羽君。」 振り返って微笑む紅子に夏の日差しが照りつける。 その笑みに覚悟が感じられ快斗は自然と立ち上がり一歩ずつ彼女へと近づいた。 「気持ちは嬉しい・・。」 「しっ。」 紅子の人差し指がスッと快斗の唇に乗せられる。 ひんやりと冷たい指だ。 「その先はわかってるから、望みくらい聞いてくれる?」 「望み?」 「抱きしめてほしいの。一度だけ。それで・・・。」 諦めるからと紅子は快斗の耳元でささやいた。 誰かを愛おしいと思う気持ちは快斗にもわかる。 もう十何年も心に抱いてきたから。 自分はこうしてストレートに新一に伝えることができるのだろうか。 そして無理だと言われても、こうやって素直に引くことができるだろうか。 一度だけでいいからと。 快斗は指に添えられた手をつかむと引き寄せ、ギュッと抱きしめた。 か細い体が腕の中に納まる。 驚いたような紅子の気配を感じたが、すぐに彼女もまた快斗の背に手をまわした。 「ありがとう。」 胸元のシャツに彼女の涙が落ちたのが分かる。 クールな紅子が泣くなんて、泣くと魔力が失われると意味不明なことを言っていたのに。 「紅・・。」 「今、誰か屋上から立ち去ったわよ。」 「え?」 「噂の美人転入生かしら。あの高さから飛び降りるなんて、すごい身体能力ね。」 紅子の言葉に腕を解き振り返れば、給水塔のところに鞄が置いてある。 その鞄にはひどく見覚えがあった。 「新一?」 「あなたも勇気をもって伝えたら。ふられたら慰めてあげてもよくてよ。」 そういって微笑む彼女の眼には涙の後はなく。 快斗は強くうなずいて校内へと続く扉へと駆け出した。 どうして居るか分からないが、大事な幼馴染に気持ちを伝えるために。 新一は全力で階段を駆け下りていた。 学校に来て快斗を偵察していたら他の学生に騒がれ 慌てて屋上のさらに高いところにある給水塔の陰に隠れていたのだ。 そして、昼休み二人は現れた。 見知った顔ときれいな女性の二人。 二人は親密な雰囲気で(新一視点です)、昼食を共にしていた。 そこまでは新一の気持ちのもやもやは何とか抑えられるくらいだった。 だが、快斗が彼女を抱きしめたとき胸がギュッと締め付けられたのだ。 「なんなんだよ、これ。」 涙が止まらない。息ができないくらいに苦しい。 こんな痛みを新一は知らない。 怖くて、寂しくて、そんな気持ちがぐるぐると渦巻いて 新一は気づけば鞄を忘れて、給水塔の陰から飛び降り 校舎の中へと駆け込んでいた。 快斗には彼女が居たのだ。 ずっと隣に居てくれると思っていたのに。 笑いあう毎日が続くと思っていたのに。 「気づいた瞬間・・・失恋なんて。」 走っていた足が絡まり、新一は廊下の隅に倒れこむ。 不思議と涙が止まらなかった。 昔から泣いたときに快斗は傍に居てくれた。 覚えたてのマジックでいつも笑顔をくれた。 だけど、その魔法も今はあの彼女に注がれているのだろう。 「どうしよう、どうすれば涙が止まるんだ・・。なぁ、快斗。」 「どうしました?」 疲れて壁に寄りかかる新一は、ふと聞こえた声に上を見上げた。 涙でかすんだ先に見慣れぬ男子生徒が心配そうに見ていた。 それもそうだろう。 廊下の隅に女子生徒が座り込んでいたのだから。 どこまで走ったのか、周囲に学生の姿はない。 どうやら図書室や保健室しか傍にはないらしく、ここは学生の行き来が少ないようだ。 声をかけた学生の手には洋書らしきものが抱えられ、彼が図書館帰りなのが分かった。 「わるい、なんでもないんだ。」 「なんでもないじゃありませんよ。女性が泣いているのを放っておけません。」 男はそういって本を持っていないほうの手を差し出す。 金髪の髪に気品あふれる男は、どこか他の学生とは一線を画していた。 「ありがとう。」 彼の優しさに微笑み手を伸ばせば、思ったよりも強い力で引き上げられる。 そして、気づけば新一は男の腕の中に納まっていた。 「え?」 「あ、いや。君の笑顔があまりにも素敵で。」 「ちょ、離してくれ。」 じたばたともがくが男の腕はゆるまない。 どうしてだろう。自分の力が急に弱くなった気がして新一は恐怖を感じ始めていた。 「頼むから。」 「泣いていたということは失恋ですか?どうです。恋の傷を癒すなら新しい恋を。」 「嫌だ、離せ!!助けて、快斗っ。」 男の腕の中に居るだけで気持ち悪くて。 新一は思わず叫んでいた。 もう、来てくれないであろう彼の名を。 だが。 「ぐあっ。」 軽い衝撃があったかと思うと同時に新一は腕を引っ張られた。 恐る恐る見れば、目の前にあった男の肩はなく、 自分を抱きしめていた彼は廊下で伸びている。 「たっく、白バカが。新一に手を出すなんて100万年早いんだよ。」 「快斗?」 「新一、何かされたのか!?目が赤い。」 頬に手を添えて新一を覗き込んだ快斗は険しい表情となり倒れている白馬へと体を向けた。 「よくも新一を泣かせやがったな!!」 ブチ切れた快斗の腕を新一は慌ててつかんだ。 昔から快斗はそうだ。 自分が何かされると我を忘れてしまう。 幼い時に同じ幼稚園のクラスメイトからからかわれ泣いた時 快斗は相手の子を容赦なくたたき、園に保護者が呼ばれたこともあった。 そのこと思い出し、新一はギュッと両腕で快斗の腕を握りしめる。 「快斗、違う。その人のことで泣いたんじゃない。ただ、失恋しただけなんだ。」 「失恋って・・・。この白バカに?」 「・・・・。おまえだよ、バカイト///」 小さく顔を真っ赤にして告げられた言葉。 だが、快斗の反応は新一と予想したものと違っていた。 数分時が止まったかのように快斗は新一を眺め、そして。 「はぁ!?ウソだろ。なんで、新一が俺に失恋するんだよ。」 「俺はおまえが好きだったんだ!!」 「てか、もう過去形?」 「論点が違うだろ。今でも好きだよ。てか、好きって今さっき気づいたんだよ。」 顔を真っ赤にして新一はやけになったように叫んだ。 一世一代の大告白。 だが、快斗は信じられないように新一の額の温度を測っている。 「熱はねぇし、健康だ!!」 「だって、新一が俺のこと好きって。ウソだろ。」 「嫌なのはわかるけど、俺の気持ちを否定するのは許さねぇからな!!」 快斗が額に当てた手を振り払って新一は泣き出しそうになるのを必死に耐えた。 最悪だ。 気持ちさえも快斗に届かないのか。 悔しくて、悲しくて そのまま帰ろうと踵を返した瞬間だった。 後ろから強く抱きしめられたのは。 「ごめん、新一。」 「わかってるよ、お前には彼女が。」 「違う、おまえの気持ちを疑ったことだよ。それにさ、新一。俺はずっと好きだよ。 新一と会った瞬間から、きっと新一が俺を思う以上に好きだよ。」 耳元で聞こえた言葉が信じられず新一は快斗の腕を解いて彼を見上げる。 見れば今までに見たことないくらい幸せそうで腑抜けた快斗の顔があった。 「俺のほうがおまえのこと、好きだ。」 「は?いやいや、この十何年、思いを伝えてきたんだよ。俺のほうが好きに決まってる。」 「時間は関係ねぇよ。俺の思いのほうが新鮮なんだからな。」 「俺の気持ちは一秒ごとに更新されてるの。そんくらい新一が好きなんだ!!」 「何、このバカップルの会話。」 「青子ちゃんが新一が居なくなったって言うから来てみれば。」 「志保ちゃん、蘭ちゃん・・・。まぁ、いいじゃない。丸く収まったってことで。」 ようやく思いを通わせた二人の恋は今、始まったばかり。 |