ピーとけたたましくお湯が沸いたとやかんが告げる。

その音にMDを聞いていた由佳はヘッドホンを取ると立ち上がって火を止めに向かった。

部屋では久しぶりにのんびりとした雰囲気が満ちている。

父親と雅斗は新しいマジックのネタを考え、悠斗と由梨は読書。

そして、最後にお母さんは・・・と由佳が新一を見ると、

おもしろそうに一枚の手紙に目を通す姿が視界に飛び込む。

「お母さん。何の手紙?」

火を止めながらぽろりと零れた由佳の何気ない質問。

それが今回の騒ぎの発端。

 

―独裁者―

 

「新一。もう一度言ってくれる?」

由佳の質問に素直に答えた新一の言葉に家族全員が手に持っていたものを

まるで打ち合わせでもしたかのようにタイミング良く床に落とした。

新一はそれをみて“おまえら、コント集団みたいだぜ”とケラケラ笑う。

だけれど、5人にとってそれは笑いで済まされる発言ではなかった。

 

快斗に詰め寄られて、新一は目尻にたまった涙を拭いながら息を整える。

 

「あ〜笑った。マジで腹いてー。」

「いいから。何て言った?」

「だ〜か〜ら。ラブレター。」

 

ヒラヒラと手紙を目の前でふる新一の手から、快斗はすばやくそれを奪い取った。

もちろん新一もはじめから見せる気でいたのだろう。

そうでなければ、こんなところで読むわけがない。

 

『美しき蒼の姫君へ。天空から光が失われし皐月闇の中、

 貴方様を向かえに上がります。』

 

文面にはそれだけがきちんと綴られていた。

流麗な行書体で直筆だと言うことも分かる。

紙は上質の和紙らしく、桜の花びらが透けて見えた。

 

「いたずら?」

ようやく手元に廻ってきた手紙に悠斗は首を傾げる。

隣では雅斗と由佳が今にも手紙を破りそうな勢いになっている快斗をなだめていた。

そう、これは重要な証拠物件。紛失されるわけにはいかないのだ。

「ん〜どうだろ。今日、探偵事務所のポストに入れてあったんだ。」

「じゃあ、送り主は当然不明。」

「そういうことだな。」

すっかり探偵の顔つきになっている悠斗に新一は思わず苦笑を漏らす。

そんなに大沙汰に扱うほどの手紙ではないと思っていたのに・・・。

 

「探偵さんに、もう一つ。証拠物件な。」

「え?」

新一の気分はまさに依頼人。

手紙の内容があまりにも突飛なためか

どうやら今はお遊びモードに切り替わっているらしい。

悠斗はそんな母親に呆れつつも、それに付き合うことを決めた。

あそこで父親をなだめている兄や姉の役回りよりは遙かにこちらがましだから。

 

新一が手渡したもう一通の手紙には印刷された文字の羅列。

こちらには、送り先も見ず知らずの名が刻んであった。

 

「今、知る人ぞしる話題の怪盗さんからの予告状。」

 

「・・・闇の独裁者?そういや、聞いたことある。

 予告状は出すものの、派手なパフォーマンスはまったくなく

 誰にも姿を見られることなく盗んでいくって。KIDとは真逆の怪盗だと。」

 

「おっ、さすがは名探偵。情報が早いな。日本じゃほとんど知られてねーのに。」

 

「馬鹿にしてんのかよ。それで、母さんの所に依頼が入ったわけ?

 持ち主さんから。」

 

「ああ。」

 

悠斗は渡された予告状をしばらく観察する。

そして、ふと、思いついたようにそれを明かりに向けてかざした。

 

「紋章?」

 

「ああ、この怪盗の特徴は予告状に特殊な技法を凝らすこと。

 ほら、お札にある“すかし”みたいにさ。そして、興味深いことに

 そのすかしが俺にとどいた手紙にもあった。同じような紋章が。」

 

これだ。と新一が同じように手紙をライトの下で透かす。

そこには確かに予告状とまったく同一の紋章が刻み込まれていた。

どこの紋章だろうか。中央にはオリーブの葉、そしてそれを持つ女神。

外枠には剣や槍が細かく散りばめられている。

 

「この怪盗のもう一つの特徴を知ってるか?」

「世界の放浪者。一度訪れた国には二度と現れないのよね。」

「その通りだ、由梨。」

 

傍で話を聞いていた由梨の返答に新一は満足げに頷く。

 

「奴はその国で一番の宝と思われるものを一つだけ盗むコレクター。

 今回のターゲットは和国の三種の神器と言われる八咫鏡(ヤタノカガミ)

 草薙の剣(クサナギノツルギ)八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)

 といっても、もちろん本物は無理だからな。

 この3つをイメージしてつくられた日本の世界に誇る最高傑作“和華”だ。」

 

「「和華!!」」

悠斗と由梨は驚いたように顔を見合わせた。

 

和華

それは数十年前に人間国宝である人々だけでつくられた宝石。

外国から政府が大金をはたいて取り寄せたビッグジェルと日本の技術が結集した

西洋と和の融合体。

それは20カラットのダイヤによって

直径5pほどの八咫鏡が模作されている宝石。

その宝石を透かして見ればルビーでつくられた草薙の剣と

サファイアでつくられた八尺瓊勾玉が浮かび上がる仕組みになっている。

 

 

所有者は確か・・・・。

 

「天皇家じゃなかったのか?」

 

悠斗は幼いときにその宝石をテレビで見た記憶をたぐり寄せて眉を細める。

まさか、怪盗がこの国の象徴である天皇に予告状を送りつけるなど考えられないからだ。

そして、それ以上に、新一のもとに依頼が来るのもおかしい。

確かに悠斗も新一ならば、FBI並の捜査で守ることが可能だろうとは思っている。

だが、メディアで知られているわけでもない彼を口コミで訪ねてくるはずがない。

 

「盗まれてるんだよな。その宝石。」

 

「雅兄?ひょっとして・・・。」

 

「ああ、今度のターゲットは“和華”だ。

 といっても表向きは和華の姉妹品ってことになってるけどな。

 さすがに、国も国民の税金でつくった宝石を盗まれましたなんて

 公表できねーだろうし。」

 

雅斗はそう言うと、予告状を見つめながら顔をほころばせる。

久々にスリルのある戦いができそうだ。

その表情はおもちゃを見つけた子供のように無邪気だった。

だが、雅斗の楽しみも次の瞬間にはことごとくうち砕かれる。

「今度の仕事、俺がやる」という快斗の一言によって。

 

「はぁ?冗談だろっ。父さん。」

 

「冗談じゃねーよ。そんなくだらねー怪盗は俺が潰すっていってんだ。

 新一に手をだすやつは、蟻の子一匹生かしちゃおけねーんだよ。」

 

「それなら母さんの傍にいればいいじゃねーか。」

 

絶対今回は譲らない!!そんな剣幕でお互いにらみ合う様は、

親子と言うよりは兄弟げんか。

似たもの同士はこれだから大変なのよ。と傍らでは由佳が他人事のように漏らしている。

 

だが新一はそんな2人に気を止めることなく、のんびりと実行日の対策を考えた。

怪盗の現場に行くのは本当に久しぶりだ。

数年前に親子対決はあったもののそれでも現場に向かったわけではなかった。

 

それにしても・・・と新一は考える。

今回、依頼してきた男性は還暦を迎えたくらいの年齢だったと思う。

質問するたびに困ったような表情で髪の少ない頭をなで回す。

そんな一風変わった老人。

 

彼の話では和華は天皇家から譲り受けたと言っていたが、

どうもその時から気になっていたのだ。

まぁ、探偵に頼むという時点で、なにかと裏はあるのだが。

 

「お母さん。」

「ん?」

思考に没頭していたのだろう。

気がつけば由梨が神妙な面もちでこちらを見ていた。

そして顔を上げた彼に、ようやく聞こえたと息をもらす。

 

「依頼人は盗人?」

「さぁ、でもどこにでもいそうな気弱な老人だったぜ。」

「じゃあ、他になにかあるのかしら。」

 

彼に宝石が渡ったなにかしらの経緯が。

 

「今の時点ではノーコメントだな。」

「そう。」

 

依頼人の秘密の保守は絶対。

それは由梨も分かっているからそれ以上新一に尋ねようとは思っていないようで

スッと立ち上がると、窓辺へと向かう。

そして、随分と細くなった月を見上げた。

 

「新月まであと3日くらいかな?」

 

天空から光が失われし皐月闇

おそらくは新月を迎える5月を示しているのであろう。

「皐月闇か・・・。」

 

恐ろしいほど静寂で不気味な闇夜の形容。

何もなければと思うのはいつもの習わしだ。

 

由梨はそんな物思いに耽りながら、ふと視界の端に違和感を覚えた。

一瞬だったが、確かに生き物が動いた気配がしたのだ。

スッと目を閉じて五感を集中させる。

 

風に揺れる若葉のざわめき。

遠くに聞こえるバイクの排気音。

その中に確かに人間の気配を認めたとき、

その人物は淡い月明かりのなか忽然とその姿を現した。

 

「闇の・・・独裁者?」

シッとそんな仕草でその人間は口元に人差し指を当てる。

何とも言えない威圧感が由梨から声を失わせた。

この感覚を由梨は知っている。闇の人間の匂いがした。

 

未だに後ろでは快斗と雅斗の小競り合い。

由佳がそんな2人にコーヒーを渡しているのが窓に反射して見える。

新一と悠斗は予告状について真剣な顔つきで話をしていた。

 

その間も人間は・・いや闇の独裁者は一歩一歩近づいてくる。

 

「由梨。」

新一が予告状から視線を逸らすことなく名前を呼ぶ。

その瞬間、フッと全身から緊張がほどけた。

 

「こっちにおいで。」

「う、うん。」

 

優しい笑顔で呼び寄せる新一に、快斗と新一は男の気配に

すでに気づいていたのだと分かった。

快斗は雅斗と喧嘩しながらも、意識は外に向いている。

さすがだと思うのはこんなとき。

 

由梨が窓から離れると、交代するように新一が立ち上がる。

だが、一歩踏み出そうとした瞬間に、快斗によってその動きは制された。

 

新一が不満げに快斗を見上げる。

それに快斗は困ったように微笑んで、チュッとおでこにキスを落とす。

そして耳元で“ちょっと、待ってて”と告げるとスタスタと躊躇無く窓をあけた。

 

「不法侵入だぜ。闇の独裁者さん?」

「これはお初にお目にかかるな。KID。」

不適な笑みは似ているかも知れないと、由梨は思った。

立ち話も不審だからと告げる新一に、快斗は渋りながらも男を招き入れた。

 

赤のサングラスに革ジャンとどこにでもいそうな若者の装いをした男。

真っ黒な髪が印象的だが、顔はよく確認できない。

それにもっとも侮れないのは、腰に備え付けてある3つ下りの武器と

胸元に忍ばせてある拳銃。

このぶんだと、他にもさまざまな殺傷道具を身につけているのは確実だろう。

 

とりあえずソファーに座らせて、由佳がお茶を渡す。

どうもと律儀に頭を下げて男は満足げにコーヒーを口に含んだ。

 

「で、何をしに?」

 

「いや、KIDに挨拶をしておこうと思って立ち寄ったんだ。

 ターゲットがかぶってるからな。

 それに俺とお前は完全な初対面じゃないし。」

 

カチャリと男がサングラスを取る。

そして垣間見れた顔に快斗は眉をひそめた。

 

「思い出せないって感じだな。まぁ、無理もないか。

 顔を合わせるのは初めてだから。それでも名前くらいは聞いたことあるだろ。

 吉住。吉住直樹の息子だ。」

 

「吉住・・・って。父さんと同世代のマジシャンの名前か。」

 

「ああ、俺は2世だ。怪盗をはじめたのも親父の影響。

 小さいときに一度顔合わせはしてるらしいぜ。」

 

ククッとのどの奥で笑うと、男はカップをテーブルに置く。

そして軽く大きな欠伸をした。“時差ボケなんだよ”そう付け加えて。

 

新一はその様子を離れたところでうかがいながら変わった奴だと感じる。

快斗も快斗で自分に正体をあっけなくばらしたが・・・。

やはり類は友を呼ぶのであろうか。

 

「視線が痛いぜ。蒼の姫君。」

男が振り返って苦笑する。

それに誰が蒼の姫君だっと叫びたい衝動に駆られるが、

新一はグッと押し黙って、きつく睨み付けた。

どっちにしても、探偵としては敵であるのだ。

 

「お〜お。魅力的な瞳だな。

 KIDOKでも生理的に犯罪者は受け入れられないか?」

 

「別に。俺は正義感で謎解きしてるわけじゃねーし。

 ただ、庭に勝手に侵入する輩が気にくわないだけだ。」

新一は視線を逸らすと興味なしと言った雰囲気で

部屋を出ようともたれかかっていた壁から上半身を起こす。

 

その行動に不快を感じたのか、彼はスッと素早い動きで新一の前に立ちはだかり

グイッと顔を近づけた。

 

「ストップ!!」

 

そのままキスでも・・・と動いた彼を快斗が見逃すはずもない。

素早く新一を引き寄せて、グイッと相手の男の襟元を掴む。

 

「よりによって、KIDの奥さんだとは思いもしなかったぜ。」

 

男はKIDの手を振り払うと、そう言って苦笑した。

どうやら新一がここにいるとは考えていなかったらしい。

 

「忠告しとくぜ。闇の独裁者さんよ。

 俺のものに手を出す人間は、誰であっても社会から抹消される。

 例えあんたが凄腕だとしても、俺には敵わない。」

 

「ハッ。たいした自信家だ。いいぜ、必ず奪ってやるよ。

 宝石も、そして姫君も。俺はその国で一番、美しいものを盗むのが生きがいなんでね。

 この国には2つもあるが、和華よりも綺麗だぜ。蒼の宝石は。

 あと、もう一個言わせて貰うと、吉住は俺とは無関係だからな。日本名なんて嫌いだし。

 名を呼ぶならば“Dictator in the dark”略して“DID”と呼んでくれ。

 特に、姫君には“会いたいわ、DID”って感じが希望。」

 

「「「「「却下!!!」」」」

 

一斉に返事する家族面々にDIDは呆気にとられた表情になる。

そして、愉快そうに笑うと、一瞬の仕草でリビングから姿を消したのだった。

桜の花びらを残して。

 

「にしてもさ、DIDってKIDと一文字違いだな。」

 

思わず呟いた悠斗に、快斗と雅斗の罵声が飛んだのはその直ぐ後のこと

 

 

動悸に続きます