車通りの多い国道沿いから西に折れて数十分。 小さな歩行者天国の道を茶色のレンガが続く。 道の両側に植えてある桜の木を視界の端に移しながらのんびりと歩けば突き当たりに小さな建物。 この通りの雰囲気には似つかわしくない3階建ての構造物。 むき出しになったコンクリートはどこかどんよりと重たく、それでいて人を寄せ付けない。 現に、休日はにぎわいを見せるこの場所であるけれどその建物に寄りつくものはいなかった。 1階と2階にはペナント募集の張り紙。 だが、一年以上を雨風に吹きさらされているためかボロボロになってインクがにじんでいる。 だけど・・・だけど 困ったときは勇気を持って硬質な灰色の階段を3階まで上ってみてください。 その先には暖かな茶色の扉があって、入り口にはこう掲げられているはずです。 「万屋・KID」と変わったネーミングのお店が 〜ひととき・前編〜 「あら、お客様よ。」 赤みがかった茶色の髪を耳元にかけながら、白衣を着込んだ女性は目下に見える道路を示す。 平日で静ま こんなところであそこまでせっぱ詰まった表情をしているのはこの店を訪ねる者くらいだ。 白衣の女性、こと宮野志保の声にそれぞれの席で仕事をしていたメンバーは ごく一名を除いて窓際によった。 「年齢的には18歳前後でしょうか。」 「なかなかの美人さんだね。」 「にしても困った表情しとるやないか。」 半畳ほどの大きさの窓から気づかれないように覗き込んで男三人はそれぞれの感想を述べる。 その隣で紅い髪の女性はクスッと笑みを漏らした。 彼女は「やっかいな、仕事のようね。」と、呟いて お客たちを迎えるために扉の直ぐ隣にある給湯室に去っていく。 志保もまた、受付のために机の整理をはじめた。 「ほら、おまえらも持ち場につけよ。」 1人だけ窓辺に近づかなかった青年、こと工藤新一は未だに談笑する男3人を呼びつける。 お客が階段をのぼる音が、コンクリートで反響し、部屋中に響いていた。 がちゃりと遠慮がちに開いた扉の先には 木製の古びた机4つが左右に2つずつ綺麗に並んでいる。 そしてその中央に大きめの机、おそらくは社長机とよばれるものなのだろう。 だけど、周りに比べて一回り大きいだけでさほど立派な造りではない。 机の上には資料の本と、パソコン、そして綺麗な花が花瓶に生けられていた。 1人の少女はその花を見て首を傾げる。 なぜなら、花瓶に生けてある花は机によって種類も季節もバラバラの花ばかりだから。 社長机には桔梗、一番右奥の机にはリンドウ、その後ろの机には赤いバラ。 左奥の机には大輪のヒマワリ、で左後ろはオニユリ。 ちなみに、入り口の隣にある受付の机にはクリスマスローズがひっそりと咲いている。 その机に座っている女性は白衣をイスにかけると、2人に深々と頭を下げた。 「いらっしゃいませ。KIDへようこそ。」 ニコリと社交的な笑みを浮かべて、 女性は2人を社長机の隣りにある部屋へと招き入れる。 広くとられた左右の机の間を通るとき、左側の席に座っていた男性2人がぺこりと頭を下げた。 「社長、入ります。」 「どうぞ。」 コンコンと扉を叩けば若い男性の声。 その声にお客2人は顔を見合わせる。 志保はそんな2人に「若いけど腕は確かですよ。」と告げ扉を開きぺこりと一礼した。 扉の中は意外にも広く、赤いじゅうたんがしきつめられ 高級そうな革張りのソファーが備え付けてある。 部屋の奥には大きな本棚があり、すきまなく古びた本が並べられていた。 「外からは想像がつかない部屋でしょう。」 驚いたように立ちすくむ2人に先程の男性の声がかかる。 社長と呼ばれたその男は向かい合うように並べてあるソファーの片方に座り ニコリと明るい笑みを浮かべていた。 そしてその隣には、中世的な顔立ちをした男性。 興味深そうに資料を眺めている。 「こちらに。」 志保の言葉に女性2人は男性2人に向かい合うようにして座った。 「ごゆっくり。」 深々と頭を下げて彼女が部屋を出ていくと、ようやく社長の隣りにすわった男は顔を上げた。 「初めまして。社長の黒羽快斗。そして・・」 「秘書の工藤新一です。」 「私は毛利蘭です。」 「その友達の中森青子です。」 やんわりと穏やかな笑みに緊張が解けていき、蘭と青子は自然と笑顔になった。 「それではさっそく、お話を伺っても構いませんでしょうか?」 「失礼します。」 新一の声を遮るように赤髪の女性が扉を開ける。 手には湯気の立つ湯飲みののったお盆。そしてお茶菓子。 彼女は依頼人と社長との間にある長机にそれを並べるとぺこりと頭を下げてさっていく。 どうぞと快斗が手でお茶を示したので、2人は頷いてお茶を口に含んだ。 「じゃあ、お願いします。」 「はい、実は・・・。」 彼女たちは言葉を選びながら話をはじめた。 「今、日本に来ている人気の中国人俳優をご存じですか?」 蘭はそう言って鞄から写真を取り出す。 そこには、最近週刊誌を賑わせている見慣れた男が映っていた。 快斗と新一が頷くのをみて蘭は話を進める。 「彼、実を言うと私たちの親友の彼氏なんです。それも、彼が日本人だったときの。」 「日本人だった?」 快斗はその理解不能な言葉に眉をひそめた。 「はい。これが当時の写真です。」 今度は青子がそう言って、中学生くらいの少年お写真を取り出す。 大きな眼鏡をかけて、あまり微笑まない暗い表情は、 先程見せられた写真とはあまりにも違いすぎる。 だからこそ、新一はその話しに興味を示した。 「彼が同一人物だと言える証拠は?」 「彼の右手首にある傷です。あれは彼が中学2年のときに事故にあってできた傷で。 それだけじゃありません。彼、首もとに蛇みたいなシミがあるんです。」 青子はそう言って別の写真を見せる。 おそらく必死で隠し撮りしたのだろう、だがそこにはまったくおなじシミが存在していた。 「彼は2年前、中学を卒業すると同時に空手の修行だと行って中国に旅立ったんです。 そして、そのまま音信不通になって、彼の彼女、鈴木園子って言うんですが、 彼女がすごく心配してて。そんな時、現れたのがあの中国人俳優だったんです。」 「つまりは、彼は鈴木さんを捨てて、中国で俳優になった。 まぁ、日本人であることを隠すのは気になりますが、彼なりに彼の人生を掴んだのでは?」 快斗の考えは妥当だ。 友人達に身元を証さず、おまけに中学のときは満足行く人生でなかったら 海外で変えようというのは自然の通りだろう。 まぁ、そんな大それた事をできる人間などそうはいないが。 けれど、その言葉に蘭と青子はとんでもないと首を横に振る。 「彼、日本での記憶がないんです。まるで誰かに操られてるみたいに!!」 「ちょっと、待って下さい。どうしてそこまで・・・・。まさか。」 黙って差し出されたのは盗聴器。 まったく最近の女子高生は・・と快斗は天井を見上げて額を抑える。 盗聴は立派な犯罪だと知ってはいるのだろう。 その表情は曇っていた。 「分かりました。このご依頼は私たちが責任をもって調べ上げます。 ですが、くれぐれも彼らには近寄らないように。ここからはプロの仕事です。」 快斗はその盗聴器を全て回収すると、パンパンと手を叩く。 すると、タイミングを図ったかのようにガチャリと扉が開いて志保が顔を出した。 「では、依頼料のお話しはこちらで。」 「「はい。」」 志保の言葉に快斗と新一は苦笑する。 経費は全て彼女に一任してあるのだが、今回の相場はいくらなのだろうか。 おそらくは事情が事情であるだけにそれほど高額な値段ではないだろう。 金持ちのおばさんが猫捜しの依頼に来たときはふんだんに巻き上げていたが。 2人が部屋を去って、快斗はそっと隣りに座った新一を盗み見た。 手元にある資料に先程の情報を書き込んでいるが、いつもと少しだけ様子が違う。 正確に言うなら、日本での記憶がない・・・と蘭が叫んだ辺 「新一?」 「紅子の言うとおり、やっかいな事件になりそうだな。」 トントンと資料を揃えて、それをファイルに挟むとゆっくりと席を立つ。 そして、飲みかけのお茶をお盆に置いて、さっさと部屋を後にした。 「ねぇ、志保ちゃん。何か知ってるんでしょ。」 「知っていたとしても教えないわ。」 事務所が終わって、2人は行きつけのバーのカウンターでお酒を飲んでいた。 誘ったのは快斗のほう。 新一と付き合いの一番長い彼女は きっと今日一日新一の様子がおかしかったことにも気づいている。 そしておそらくその理由も。 注文したシェリー酒がカウンタに置かれると、志保はクイッとそれを飲んだ。 「過去を語るのは嫌いなの。私も彼も。」 「そりゃそうだけど・・・。彼氏として気になるんだよ。」 「あら、彼女を信用していない証拠よ。それ。 まぁ、工藤君を“彼女”と呼ぶには語弊があるかも知れないけど。」 クスクスと笑う志保に快斗はフウーとため息をつく。 もちろん、誘う時点で分かっていた。彼女が答えてくれないことなど。 だけど・・・と僅かな可能性に欠けてみたが、やはり無駄だったらしい。 「黒羽君。」 「ん?」 「もし、今回の依頼に工藤君が暴走する可能性が出てきたときは貴方に話すから。 だから、今は彼の傍にできるだけいてあげて。」 お願いよ。 志保の珍しい頼みに快斗は黙って頷いた。 同時刻、新一は自宅のパソコンに向かっていた。 もちろん、依頼の調査をするためでもあるが、本当の目的はそれだけではない。 彼女たちが依頼した人物については、 白馬や平次が今日中にもなにがしらの動きを見せているはずだし。と新一は思う。 彼らは父親がともに力のある人物だ。その力を頼る白馬と自力で動く平次。 だけれど彼らの肩にはいつも父親の肩書きがついてまわる。 だからこそ、情報量も半端なものじゃない。 紅子は・・・と考えて新一はブンブンと頭を横に振った。 彼女の行動など考える方が突飛なのだ。 今のご時世、FBIだってインターポールだって超能力を使っているわ。 私の黒魔術も似たようなものよ。 それが彼女の口癖。 そして、毎回、その予言には助かっている。 「志保と、あいつはバーにでも行ったな。」 帰り際に2人が言葉を交わしていたのを思い出す。 おそらくは、自分のことについての話だろう。 新一はそこまでで思考を止めて、パソコンの隣りに生けてあるリンドウを見る。 事務所の机にある花と同じリンドウ。 快斗が家に来るたびに生けていく花。 そっとそれに触れれば、快斗の言葉も同時に耳元に響く感覚がする。 『リンドウの花言葉は正義感とか誠実なんだってさ。新一にはピッタリだろ。 あっ、ちなみに桔梗の花言葉は永遠の愛だから♪もちろん新ちゃんへのね。』 「正義感ね。」 表舞台では平成のホームズとして警察の手助けをしている自分には確かにピッタリかも知れない。 だが、それはあくまで表面上のこと。 快斗ももちろんそれを知ってはいるのだろう。 「快斗。桔梗のもう一つの花言葉を知ってるか?」 傍に彼はいないけれど、彼の持ってきたリンドウに声をかける。 そうすれば、なんとなく彼に届きそうな気がしたから。 「桔梗の花言葉は“癒しの力”なんだぜ。」 本人の前で言えばきっと、喜ぶであろう。 だけど、新一はそれを言うつもりは更々ない。 クスッと自嘲めいた笑みを浮かべて、再びパソコンに意識を向ける。 ある人物とコンタクトを取るために。 |