「どういうことやっ。」

「何でこんなに情報量が少ないんですか!!」

 

昨晩必死に駆け回ったというのに。

 

事務所に新一と快斗がそろって顔を出したとき

平次と白馬が悔しそうに紅子に愚痴を漏らしていた。

 

話を聞いている紅子の表情は不愉快そのもので。

 

「あなた達の能力不足よ。」とだけ告げて、

振り返ると入り口で固まっている2人ににこやかな笑みを向ける。

 

「おはよう。工藤君、黒羽君。コーヒーでいいわね?」

 

「あ、サンキュ。」

「俺はミルクと砂糖たっぷりね。」

「はいはい。」

 

分かってるわよと呆れ気味に呟いて、紅子は給湯室に姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうしたんだ。朝っぱらから。」

 

「それがな、工藤。あの中国人について調べたんやけど、情報があつまらんのや。」

「そうなんですよ。僕も必死で捜したんですが。」

 

以前、新一が2人に“おまえらの情報って速いし、役立つよな”と漏らしたことがあり

それ以来、2人は競うように情報収集をするようになった。

そのことについては、快斗も苛つきを感じるものの仕事自体は速くなったので特に苦言は言わない。

 

そんな新一のためと頑張る2人でさえ、情報が得られないとは・・・と快斗は思う。

 

裏で情報を集める必要があるのかもしれねーな。

快斗は自分の机に座りながら、裏業の事を考えた。

 

そう、彼はいま、世間を騒がせている怪盗KIDその人で、裏社会ではちょっとした有名人なのだ。

 

こうして今では表の情報は平次と白馬、

裏情報は快斗(といっても知っているのは紅子、志保、新一の3人。)という構図ができあがっている。

 

「快斗。」

「ん?」

 

ようやく2人から解放された新一は紅子に渡されたカップを2つ持って快斗の正面に立った。

新一はそのひとつを、快斗に手渡すと少しだけ思案した顔つきになる。

 

「隣の部屋、使う?」

「ああ。」

 

新一の意図を読みとったのか、快斗は自分のコーヒーを手に取ると耳元で囁いた。

2人だけで話をするために。

 

部屋に入ってすぐに新一は扉を閉めてそこに寄りかかりながら口を開いた。

 

「今回の件は俺に一任させてくれないか?」

「つまりは情報集めを止めろってこと。」

 

コーヒーを持ったまま振り返って尋ねればゆっくりと頷く新一に、

やっぱりこう来るかと快斗はため息をもらす。

 

実のところ昨晩からこんな展開になるのではと予想はしていた。

新一はたまに単独行動を希望する。

それは事が危険で有ればあるほど。

 

新一のことはおおかた知っているつもりでも、他人に比べれば、の話で

結局の所、快斗は新一を知らないし、新一もまた快斗を知らない。

 

それでも、お互いを大切に思う気持ちは一緒だし、

そのうちゆっくりと思い出話として語られる日が来ると快斗は信じている。

 

「ダメって言ったって、今回も無駄なんだろうね。」

「悪い。」

「分かったよ。」

 

せっぱ詰まったような表情で見上げられて、

ダメダと言い切れる人間がいるのなら会ってみたいと快斗は思う。

万人は彼には甘くなるようにできていると感じるのはこんな瞬間。

 

快斗はホッとする新一を見ながら苦笑すると、コーヒーをテーブルに置いた。

そして、新一の手に持っているコーヒーも一瞬で消してしまう。

 

何をするんだ?と扉に寄りかかったまま不思議そうに見上げる新一。

全てにおいて鋭い感性を持った彼も、色恋沙汰には本当に疎いようだ。

 

「新一。俺は新一の単独行動は好きじゃない。」

「知ってる。そして、何も言わずに送り出してくれるおまえが俺は好きだ。」

「ズルイよ・・・ホントに。」

 

快斗は哀しい笑顔を浮かべて、そっと新一の頬に手を添える。

そして、そのままどちらからともなく唇を重ねた。

 

最初は軽く、ついばむようなキス。

それを繰り返しながらどんどんとそれは濃厚になっていく。

 

「・・・ん。」

 

力の抜けた新一を支えて、快斗はその額に自分の額を押しつけた。

 

「新一。発信器だけはつけさせて。」

「ああ。」

「それと、危なくなったら駆けつけるから。」

「分かった。」

 

ゆっくりと両手をすり抜けて事務所に戻る彼を、快斗は何とも言えない表情で見送る。

戻ってきてくれると信じているけど、やはり背中を見送るのは不安だ。

 

だけど、新一もまた同じ不安を抱えていることを快斗は知っている。

KIDとして赴くとき、裏家業のフィールドとして依頼をこなすとき。

彼はただ何も言わずに見送ってくれる。

必ず帰ってこいという視線だけを向けて。

 

 

 

 

 

どこに行くのかという白馬と平次の声を無視して、新一は硬質な階段を下った。

紅子は特に何も言わず“気をつけて”とだけを告げる。

彼女には全てが分かっているのだろうと新一は思った。

 

カツカツと2階まで下りていると、ふと視界の先に移り込む女性。

 

「重役出勤だな、志保。」

 

新一はククっと笑って階段の一番下で壁により掛かっている彼女に声をかける。

彼女は呆れたように見上げて、手に持っていたカギを回した。

 

「アノヒトの所に行くんでしょう。送るわ。」

「快斗も紅子も、それに志保も・・・お見通しか。」

 

スタスタと自分の車に向かう志保の後を追う。

彼女は淡いピンクのインナーの上に白いカーディガンを羽織り、

清楚な柄のスカートという、珍しく女らしい格好をしていた。

 

こんな事を口にすればきっと志保はいぶかしげな表情をつくり、

翌日には怪しげなカプセルを問答言わさず飲ませるだろう。

それだけは御免だと新一は頭を振る。

 

その仕草に“何やってるのよ”と志保が呆れて振り返った。

 

 

赤のオープンカーは彼女の姉の所有物だった。

もちろんその姉は数年前に他界しているが・・・。

 

「私も会えるかしら?」

「会いたいのか?」

「ええ。できれば。」

 

彼女の姉を殺したのは、これから会いに行く人物といっても過言ではない。

そして、新一の両親を殺したのもまた、その人だった。

 

「不思議ね。私たちは大切な肉親を殺されながらも、彼に従っている。」

「ああ。」

 

結局のところは・・・と新一は過ぎ去っていくビルを眺めながら思う。

 

結局のところは似ているのだ、自分と志保と・・そしてアノヒトも。

 

車の振動が止まったのに気がついて新一は目を開けた。

どうやら眠っていたらしい。

 

ホワイトハウスを模倣して造ったと言っても過言ではないほどの建物に、

再びこの場所に来てしまったと、後悔の念が心にうずく。

 

それは志保も同様らしく表情は厳しかった。

 

インターホンを押すことなく、鉄の扉は開き、線対称の庭が広がる。

剣を太陽にかざす騎士、白馬に乗った女神、苦しむ乞食。

スプリンクラーによって煌めく芝生の上には様々な銅像が配置されていた。

 

白い石畳の道を進むと、中から召使いの男が数名顔を出し、

簡単なボディーチェックが行われる。

その検査に通ると、いつもの通り、一番最上階の部屋へと招かれた。

 

「宮野様はこの先にお進みにならぬようにと。」

 

金でつくられたドアノブに手をかけたところで、腰の曲がった初老の男が志保を制す。

志保は信じられないと言った顔つきでその男を見るが、男は首をゆっくりと横に振った。

 

「志保、ここで待っててくれ。」

「でも・・・。」

「工藤様、宮野様はわたくしがついておりますので。」

 

ご安心を・・と彼は扉を開ける。

その言葉こそが疑わしいと思ったが、今は信じる以外の手段はない。

 

お願いしますと呟いて、新一は震える手を握りしめるとゆっくりと足を踏み出した。

 

 

彼はいつもの場所でいつものように外を眺め、

プカプカと白い煙の上がるマドロスパイプを口にくわえていた。

相変わらず年を取らない後ろ姿に新一は黙って頭を下げる。

 

「新一か。久しいな。」

 

男は振り返ることなく愛おしそうに“新一”の名を呼ぶ。

新一はその男の傍まで寄ると、片膝をつき、儀礼のように彼の右手に唇を落とした。

 

「相変わらず美しい瞳だ。だが、ここに来るとは珍しい。もう、日本が飽きたのか?」

「いえ、ただ今回は副業の用事で参りました。」

「おお、そうだったな。おいっ、彼を連れてこい。」

 

パンパンと男が二度、手を叩くと、

先日写真で見た男が焦点の定まらない瞳でこちらを見る。

 

その傍らには、猿轡を噛まされた男もいた。

 

「あの男か?あいつなら彼を誘拐した犯人だ。処分は適当に済ませる。

 なんせ、われわれの組織と似たような手だてを使用したのだからな。」

 

新一は男を一瞥すると、その顔が誰であるかを思いだす。

確か、マネージャーとして彼に付き添っていた・・・中国人。

 

「今回は偶然とは言え、このような不届き者を

この世から排除できる機会を得ることができた。新一、君に感謝するよ。」

 

「いえ。それで彼は・・・。」

 

「日本名を、京極とか言ったな。彼は記憶を適当に誤魔化して

明日にでも自宅に送り届けるつもりだ。心配はない。」

 

「ありがとうございます。」

 

深々と頭を下げて新一はホッと息をつく。

 

あのマネージャーの男が殺されることは間違いないだろうが身から出た錆。

いちいち気を遣ってやるほど、お人好しではないのだ。

 

それに・・・この組織の国籍偽造の技術を模倣した時点でこの男の末路は決まっていた。

 

「新一。そろそろ帰ってきてくれ。おまえを少し、自由にさせすぎたようだ。」

「ですが・・・。」

 

期限はまだ1年ほど残っていたはず。と新一は彼の顔を伺う。

だが、その表情は思ったよりも険しかった。

 

「つなぎ留める者があるのか?」

「いえ。何も。」

 

「では、あと半年。半年だけ自由をやろう。新一にもそして志保にも。」

 

男はそう言うと、パイプを机の上に置いた。

この仕草は、もう用は済んだので出ろ、ということを示している。

新一はギリッと手を握りしめて、黙って部屋を後にした。

 

「志保。」

「工藤君・・・。」

「あと、半年だ。」

「ええ、聞いたわ。」

 

部屋から出てきた新一に駆け寄ると志保はたまらず新一の手を握りしめる。

その震えて、冷や汗のにじんだ手を。

 

「貴方だけでも・・・。」

 

逃がしてあげれればいいのに。

 

「志保、それ以上は口にするな。」

 

シッと唇に人差し指を添えられて志保は押し黙る。

 

「オレ達はアノヒトが居なくてはここに存在できない。」

「分かってるわ。私たちの心臓はアノヒトの手の中にあるもの。」

 

初老の老人が帰るために扉を開く。

2人は軽く会釈して、再び赤のオープンカーに乗り込んだ。

 

明日になれば京極真も鈴木園子の隣で笑っているだろう。

そんなことを思いながら。

 

END