翌日起きると目の前には自分が居た。 いや、これは夢なのだろうかと和佳子は思う。 にっこりと自分にはできない笑みを浮かべて “おはようございます”と自分と同じ顔の人物は言う。 和佳子は今後これほど自分の顔を見つめることはないだろうというくらいに 再び目の前の人物を凝視した。 ―実家に帰らせて頂きます・後編― 「名越さん?起きてます?」 「あなた・・・由希さん?」 「驚きました?」 バッと起きあがって思わず肩や腰やらを和佳子はさわり始めた。 「な、名越さん?」 「何で、何でウエストとか細いのよ。 もう、変装するなら完璧にしてくれないと恥ずかしいじゃない。」 「は?」 「ていうか、何で変装?」 少しずれた彼女の発想に新一は目が点になる。 ふつうは先に“どうして変装してるのか?”では無いのだろうかと。 だが和佳子は気にした様子もなく、新一の変装にうんうんと満足げだった。 「変わりに出社して欲しいくらいよ。」 「いえ、そのつもりですよ。」 「え?」 「おとり捜査が一番良いんですよ。相手をとらえるには。」 「ちょ、ちょっと待って!!」 ニコリと悪びれた様子もなく告げる新一に和佳子は声を上げた。 「私が頼んだのはボディーガード。相手を捕まえる事じゃないわ。 それに、貴方を危険にさらすわけにはいかない。」 「和佳子さん、無駄よ。うちの子、誰かさんに似て頑固なの。」 「おやおや、それは有希子のほうじゃないかい?」 取り乱す和佳子の声とは対照的な声が室内に響いて 和佳子は驚いたようにその声の出所を見つめる。 和佳子の視線に気がついたのか優作は一歩踏み出ると右手を差し出した。 「初めまして。工藤優作です。」 「あ、初めまして。」 ゆっくりと和佳子はその逞しい手に自分の手を重ねる。 高そうなスーツを嫌みなく着こなし、髪は吸い込まれそうなほど黒い。 見た目では30代後半にも見えないその姿に和佳子は暫し見とれていた。 「ところで和佳子さん。 早速だが有希子にメイクをしてもらってはくれないかい? 君にも変装して欲しいんだよ。」 「え・・。変装って誰に・・。」 「もちろん、我が家の姫君、黒羽由希にね。」 大きな鏡の前でターンして和佳子はマジマジと自分の顔を見つめた。 「なんか、変な気分。」 「中身だけが入れ替わったみたいに感じますか?」 後ろに立っている“自分”を鏡越しに眺めて和佳子は新一の言葉に頷く。 鏡に映っているのはどう転んでも自分なのだが、見た目は100%“黒羽由希” 今ならどんな人手もだませるような気さえした。 「由希さん。」 和佳子は振り返ってニコリと笑う。 「この姿で男を誘惑してみたいわ。」 「名越さん自身の顔でしたほうがいいですよ。」 新一は呆れたように言った。 「じゃあ、行ってきます。名越さんの言うこときちんと守れよ。」 玄関先まで見送りに来た子供たちの頭を撫でて、新一はしゃがみ込むとニッと笑う。 それに子供たちも若干寂しそうな表情を作ってはいるが元気良く頷いた。 「名越さん、喧しいけどこの子たちよろしくお願いします。」 「由希さんも気を付けてね。絶対に無理は・・・。」 「名越さんを困らせることはしませんから、安心してください。」 口元には柔らかい笑みを浮かべて、だけれど瞳は真剣な色彩を讃えている。 和佳子はそんなアンバランスな表情に納得したようで、 軽く頷き預かった子供たちを連れて部屋へと戻る。 パタンと閉まる扉を横目で確認しながら。 それから数時間後、ピンポーンとベルが鳴った。 有希子はそれに“はいはい。”と返事をしながら受話器を取り液晶画面を見つめる。 そしてそこに映った男にニコリと口元を綻ばせた。 夕方、転寝をしている子供たちの傍で音楽を聴いていた和佳子は イアフォンを取り外し有希子の表情の変化を見つめて、優作さんだろうかと考える。 でも、夜まで帰らないって言っていたわよね。 それなら男友達か。いずれにしても 歓迎されるべき客なのだと結論づけて再びイアフォンを耳に入れた。 「和佳子さん。私と一緒に出迎える?」 「え?」 「だませるとは思わないけど。やるだけやってみましょう。」 フフッと笑う有希子に和佳子は彼女の言いたい意味が分かった。 ついに現れたのだ。彼女の旦那様が。 和佳子の生まれ持ってのイタズラ心が沸々とわき起こる。 もちろんこの姿をしている経緯を考えればそれは場違いではあるのだが 有希子が乗り気なのだ。それに携わらない手はない。 今更だが、よくよく考えてみると、自分が由希に変装する必要は無かった。 ということは、初めから由希の旦那をからかう事が目的だったのかも。 和佳子はそう納得させてウォークマンを鞄へと片づけると有希子の後に続くのだった。 「どうぞ。」 がちゃりと開かれた扉の先に立っていたのは、シャツに革のコートを着込んだ日本人。 長身で癖毛のある髪が印象的だが、その雰囲気はどこか柔らかい。 “あなたなんて嫌いよ”と実家に帰ってきた嫁らしく由希になりすまそうと 構えていた和佳子だったが思わず彼を凝視してしまい、それどころではなかった。 「有希子さん、なんの悪い冗談ですか?」 「もう、口を開く前に気づくなんておもしろくないわ。」 「いつもなら少しは乗りますけど、今日は余裕無いんです。 なんせ1週間近く禁欲どころか声も聞いていないんですから。 それに、彼女も演じる気がないみたいだし。」 いつもよりも口調が厳しいのはやはり新一欠乏症の一端。 有希子は少し頬を膨らませて快斗を睨み付けてみたが、 やはり食えない男だと分かっているのか、軽くため息をつくと快斗を家へと招き入れた。 「雅ちゃんたち寝てるから。静かにね。」 快斗は荷物を邪魔にならない場所に置くとそっと眠っている子供たちに近寄る。 そして順番にそっとその柔らかな頬にキスを落とした。 愛おしそうにゆっくりと細い指で髪をとかす姿は見ていてこちらが心温まるほど。 和佳子は側に置かれた荷物の少なさから、 彼がどれほど慌ててここに来たのかを悟りさらに胸を締め付けられる思いがした。 「立派なパパね。快斗君も。盗一さんがあなたにしていたこととそっくり。」 「父さんが?」 「ええ。私が遊びに行ったときちょうど仕事から帰ってきててね。 そんな風に愛おしそうに快斗君の寝顔を眺めてたわ。」 快斗好みに仕立てられたカフェオレを手渡しながら 有希子は懐かしむような口調で告げる。 もう片方の手にあったマグカップは和佳子へと渡された。 「それで、由希は?」 「ちょっとおとり捜査中よ。」 「ごめんなさいね。私が巻き込んでしまったのよ。」 今までの光景を見て、旦那が急いできた理由が分かった和佳子は すまなさそうに目を伏せる。 それに快斗は“貴方のせいじゃありませんよ”と返した。 「なんとなく見た瞬間に、由希の行動なんて分かったし。 じゃあ、俺は由希を迎えに行ってきます。」 「邪魔したらダメよ。」 「事と場合によりますね。えっと・・・。」 「名越和佳子です。」 向き直って思案した視線に和佳子は頭を下げて名を告げる。 「名越さん。貴方の事情は知りませんが、由希に何かありそうな場合は 計画を邪魔させてもらいます。悪く思わないでください。」 「もちろん。そもそもこの件はわたし自身に・・・。」 責任がありますから。と続けようとした言葉を有希子が覆う。 パンパンと大きく手を二回叩いて。 「場所は分かるわね。快斗君。」 「・・・子供たちのことお願いします。」 きびすを返して外へと向かう背を見送りながら 有希子はその視線をツッと和佳子に向ける 「和佳子さん。快斗君の前で責任どうこうを告げるのは命取りよ。」 「え?」 「もし由希に何かあったら、貴方まで大変なことになるわ。」 冗談めかした言い方だが、それが冗談でないことなど明白だった。 彼女の瞳はまったく笑っていない。 「どちらかが欠けてもダメなのよ。特に快斗君は止まらないわ。」 有希子の言葉の意味は分からないが、和佳子はとりあず頷く。 「時に恐ろしいほどの愛情なのよ。」 有希子はそう言うとそっと窓辺のカーテンを閉めた。 日差しが直接子供たちに当たらないようにと。 職場でそれなりに雑務をこなし、今日は早番でいいよという上司の言葉に甘えて 新一が扮する和佳子が会社を出たのは、快斗が有希子たちの家からでたのと ほぼ同じ時間だった。 公園を通り過ぎる辺りから感じていた気配に新一は口元に薄い笑みを浮かべる。 もちろん和佳子の表情でなのだが、 やはり彼の魅力は仮面ですら隠すことはできなかった。 『和佳子。』 人通りの少ない路地にさしかかったとき、気配はスッと新一の手を取った。 恐ろしいほど冷えた手に、 彼がずっと自分が出てくるのを待っていたことが容易に想像できた。 少しだけおびえた振りをして振り返ると、帽子を目深に被った男が立っている。 しっかりと握られた手首にはギリギリと力が加わっていった。 『どうして逃げたんだい?公園で再び会おうと言ったじゃないか。 家にも帰っていないみたいだし。』 『結婚をしたんです。先日、申し上げたはずですが。』 『・・・君は。』 聞こえてきた声の響きの違いに男は手をゆっくりと離す。 それを合図かのように、新一はサッと変装をといた。 『これ以上、彼女に近づかないであげてください。 愛する人の幸せを祈る事も愛ではないのですか?』 和佳子は彼は紳士的な部分があると言った。 ならば、言い尽くされた言葉だけれど、彼には必要な一言のはずだ。 予想通り男は歯を食いしばり、カタカタと小さく身体を振るわせる。 『約束を守る事。それは大切な事じゃないのか?』 『もちろん。ですが・・・。』 10年以上昔の、幼い約束。 ずっと覚えている事のほうが不可能なのではと 新一が言葉を続けようとした瞬間だった。 肩をつかまれ、ドンッと壁に押し付けられる。 鈍い痛みが走り、新一は思わず目をつぶった。 『彼女をこの国でみたとき、私は彼女がようやく会いにきたと思ったんだよ。 ずっと待っていたから嬉しかった。なのに、なのに。』 『待ってた?おまえさ、バカだろ。』 暗闇の中から薄ら笑いと共に、低い声が聞こえる。 その声は路地の壁に反響して、いつまでもこの空間に漂っていた。 『誰だ!?』 男は怒ったように新一から手を離して、暗闇に向けて叫ぶ。 返ってきたのは返事ではなく、コツコツと小刻みな足音だけ。 『誰だと聞いている。急に人を小ばかにするとは。失礼にも程があるっ。』 『あんたなんかに礼をはらう必要なんて無いだろ。 それにさ、誰かを好きなら連絡を待つんじゃなくて、 どうしようかうだうだ考えるんじゃなくて・・・・。 行動しなきゃ。俺みたいにね。』 暗闇から姿を現したのは、本物の紳士。 まるで演出したかのように、雲の合間から月の光が漏れ始め、 スポットライトのように彼を照らし出している。 今は怪盗業を辞めたといっても、その雰囲気はあの頃と同じだった。 「迎えにきたよ。新一。」 急に切り出された日本語に男は目を白黒とさせる。 そんな男を横目に快斗は壁の前に立つ新一の手を取り、ゆっくりと引き寄せた。 「快斗・・・。」 「もうちょっと充電させて。俺、もうギリギリ。」 唖然と見つめてくる男の視線に居心地が悪そうに新一が言葉を漏らすと 快斗はさらに腕の力を強める。 1週間ぶりの彼の感触を確かめるように。 『おい、俺を無視するな。』 『うるさいな、似非紳士。』 『なんだと!?』 『自分で行動しなかったくせに、相手の所為にしているあんたにはぴったりだろ。 そんな男を彼女は好きになったのか?10年前に。』 新一を抱きしめたまま、男には視線を向けず快斗は淡々と問い掛けた。 その瞬間、時が止まったかのように男がハッと息を飲む。 彼の瞳から怒りが消えるのを、新一は快斗の代わりに見ていた。 『・・・私はいつから臆病者になったのかな。』 『誰でも臆病者だよ。俺だって彼女を連れ戻すのに1週間もかかった。』 『そうか。そうだな。悪かったと・・・和佳子に伝えておいてくれ。』 その1週間後、黒羽家に一通の写真と手紙が届いた。 写真には満面の笑みの和佳子と旦那が写っている。 そして、手紙は 『私も由希さんみたいに、冗談で実家に帰るって言えるような信頼関係を築きます』と。 彼女らしい一言で結んであった。 「旦那さん、苦労しそうだね。」 「なんだ。快斗、苦労してるのか?」 新一の手紙を後ろから覗き込んで、快斗がゲッソリと声を漏らす。 それに新一は意外そうにクスクスと笑った。 「まさか。苦労までも愛しちゃってるからね。」 「ふ〜ん。なら、今夜は魚料理か。」 「し、しんいちぃ〜〜。」 END |
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