快斗がアメリカへ行くことを決意したそのころ、 現地でもちょっとした事件が発生していた。 ―実家に帰らせて頂きます・中編― 夕方、散歩がてらに近くの公園を歩いていた新一は ベンチに座ると近くにいたリスに持ってきていたナッツをあげる。 するとリスたちは喜んであっという間に新一の傍に群がった。 『おや、ずいぶんとリスがお気に召していますね。』 ふと突然頭上から聞こえた声に、新一は気配がなかったと驚きながら顔を上げる。 見ればスーツ姿の三十路男がニコリと紳士的な笑みを浮かべていた。 『お隣、よろしいですか。』 『あ、はい。』 新一が少しだけ場所を空けてやると、男は一礼してとなりに座る。 そして、何気なく胸元からたばこを取り出した。 『あの。リスが驚くので。』 『これは失礼。』 たばこに続いて取り出されたジッポに新一は慌てて声をかける。 『ところでお嬢さん。』 『はい?』 お嬢さん。その言葉に新一は目を丸くする。 もうすぐ小学生になる子供が居る相手にお嬢さんとは、 この男の目はどうかしているのではないか。 そんな意味を込めて新一は男を凝視してしまった。 男は黙ったままの新一を気にすることなく言葉を続けた。 『いや、もう夕方だ。貴方のようなきれいな方が1人でこのような場所にいるのは うなずけない。ほら、周りには貴方を狙うオオカミが居るではないですか?』 男がチラリと噴水の方へと視線をやる。 するとそこには柄の悪そうな男たちがたばこを吹かしてちらちらとこちらを見ていた。 『ご容貌から察するに、東洋人ですね?』 『そうですけど。』 『気を付けてくださいよ。この国は安全ではないのですから。』 男はそう言うとゆっくりと腰を上げる。 『そうそう、こんな少女、見ませんでした?』 立ち上がり際に見せたのは一枚の写真。 そこには10歳ほどの東洋人の少女が映っている。 加えてその背景に映る噴水はまさにこの公園のものだ。 『8年前の写真ですから、もう20近くにはなっているんですけど。』 『さぁ、分かりません。』 『そうですか。それでは。』 男は軽く会釈するとスタスタと公園の隅へと消えていく。 新一は軽く首を傾げながら、そろそろ帰るかとベンチをたつのだった。 『彼女。忠告受けるの遅かったんじゃねーの?』 『あの男もどうせなら送ってやれば良かったのになぁ。』 数歩歩いて突然捕まれた右腕。 気配は何となく感じていたが・・新一は面倒臭そうに男たちを睨んだ。 『離せ。』 『へ〜。東洋人にしてはご立派な発音。』 『こっちの観光案内するし。どう?』 クスクスと笑う男たちに新一は軽くため息をつく。 『・・・・5秒でかたつけてやるよ。』 パンパンと手に付いた埃を払って、 地面に伸している男たちを一瞥すると新一はようやく帰路につこうとした。 そのとき耳に入ってきた軽快な音。 今日はどうも素直に家に帰れない日らしいと新一は諦めながら パチパチと拍手をする女性のほうへ視線を向けた。 長い茶色の髪に紫紺の瞳。 新一はその顔と、先ほど見せられた写真とを混合させ、ハッと息をのんだ。 「お見事ね。男たち相手に。」 髪を掻きあげながら女は白魚のような手を差し出す。 「私はリ・ミンレイ。中国人よ。」 「何か?」 流ちょうな日本語を話す彼女に新一はその手を交えることなく尋ねる。 彼女の瞳がただ感心して握手を請うてきたようには見えなかったから。 「ねぇ、私のボディーガードをしない?ちょっと厄介な相手に追われているの。」 「三十代の男ですか?」 「・・・あなた、まさか!!」 新一の言葉にミンレイは敵意を露わにする。 そして、胸元から拳銃を取り出すと新一の眉間にそれを突きつけた。 「あの男の手先なのね!!」 「落ち着いてください。貴方の写真を見せられたんです。 信用できないのなら自己紹介もしますから。」 新一は慌てた様子もなく彼女を諭すようにゆっくりと言葉をつづる。 拳銃を突きつけられても動じないその態度にミンレイは不振を持ったようだが その後、続けられた名前に慌てて拳銃を胸元へ戻した。 工藤優作・・・その名をアメリカで知らぬ者はいないのだから。 「ごめんなさいね。まさかあの先生の娘さんだったとは。」 「良いんです。それより話を聞かせてくれませんか? ミンレイさん・・いえ名越さんとお呼びした方がいいでしょうか。」 新一はそう言うと、彼女の胸元から抜き取ったパスポートを見せる。 そんな新一の態度にお手上げね・・と彼女は微笑んだ。 それから近くの喫茶店に入り、新一は詳しく彼女の話を聞いた。 その質問の仕方が妙になれていると彼女は初め、疑問に思っていたが 日本での職業を新一が説明すると納得したように大きく頷く。 「推理小説家の娘は名探偵ね。私も運に見放された人生ではなかったみたい。」 そう言って彼女は薬指に光る指輪に軽くふれた。 ミンレイと名乗った彼女の本名は、やはりそのままであるようだった。 だが、名越も偽名ではない。 幼い頃に日本の親戚に引き取られて2つの名を持つのだとか。 「日本名は名越和佳子(なごしわかこ)けっこう素敵でしょう?」 和佳子がにこりと微笑むと、口元に小さなえくぼが浮かぶ。 その様子に新一は改めて目の前の人物が20歳ほどの年齢であるのだと実感した。 「で、あの男性は?」 「ああ、彼?彼は昔の婚約者。」 キラリと光る指輪を掲げて彼女はぎこちない笑みを浮かべる。 「もう、10年近く前の話だけどね。」 暫くして注文した料理が運ばれてきた。 新一はいつものようにコーヒーだけを注文したのだが、 和佳子は空腹らしくクラブハウスサンドイッチのセットを注文した。 焼かれたパンにトマトと野菜がみずみずしい輝きを見せているが 今の時間帯にはどうも不釣り合いな気がするのは、米食に慣れている為なのだろうか。 と新一は目の前で美味しそうにサンドイッチを頬張る彼女を見ながら思う。 そして数分で彼女は2個の大きなそれをペロリと平らげた。 「それで、どこまで話したっけ。」 手に付いたパンくずを紙ナプキンで拭きながら和佳子は新一に尋ねる。 「彼が婚約者という話まで。」 「そうだった。彼と婚約したのは10歳の時。 日本に引き取られる前に一度だけこっちに来たのよ。 父方の故郷にどうしても来たくてね。といっても、子供の婚約よ。 当時彼は15歳で、私にとっては大好きなお兄さんって感じだったわ。 そのときは本気にしてたけど、大人になるにつれて忘れていったの。 だけど、先日こっちに仕事で来ていたら偶然会って。婚約の話を持ち出されたわ。 まさかって、思ったけど、彼、本気でね。それからずっとストーカーされてるの。」 そう言ったとき初めて和佳子の表情に暗雲が立ちこめた。 今までは努めて明るく話していたが、さすがにその話はそうもいかないのだろう。 「じゃあ、なんであのとき、あんな写真を・・・。」 「写真?」 「いや、その男にあなたの幼い頃の写真を見せられて知らないかと聞かれたんですよ。」 新一は顎に手を添えるといつもの推理ポーズをとる。 今の彼女を追っているなら今現在の写真を見せるはずだろう。 それどころか、ストーカーをしているのなら探す必要などないだろうのに。 「それは、たぶん・・・。」 考えている新一を見つめながら彼女は言葉を選ぶようにゆっくりと告げる。 「今の写真が無いから。 彼、ああ見えても部分的に紳士でね。隠し撮りはしないみたい。」 「じゃあ、その指輪は。」 「もちろん、日本にいる彼からの贈り物よ。 あと、彼がストーカーをしている理由は彼を10日前にまいたから。 それに、明後日どうせ日本にも帰るしね。 でも、不安で。お願い2日間だけ、ボディーガードを頼めない?」 ジッと見つめる双眼に新一は断る方法など無いと感じた。 喫茶店を出た時、日は完全に暮れていたが、街の喧噪が静まることはない。 和佳子を連れて新一はとりあえず自宅に向かうことを決めた。 それに、結婚してるならきちんと過去の男とは決着付けねーとやばいしな。 和佳子は新一がそんなことを考えているとは知らずに、黙って隣を歩いた。 そして時々、ちらちらと目の前を歩く人物を改めて観察する。 緩くまとめられた髪は日本人特有の黒で、 カラスの濡れ羽色という形容が相応しいほど艶やかな色合いだと和佳子は思う。 自分の髪はどちらかというとブラウンがかっていて髪質も良い方ではない。 女性としてはやはりあこがれる色合いだ。 「でも、闇には混ざらない黒ね。」 「え?」 「あ、ごめんなさい。」 ふとつぶやかれた声に新一は振り返る。 それに和佳子は口元に手を当てると少し恥ずかしそうに目を伏せた。 「つい口に出たのよ。あんまりきれいな髪だったから。」 「そうですか?でも和佳子さんの髪の方がずっときれいですよ。 大地の色って感じで暖かいし。」 新一はそう言って微笑むと、再び黙々と歩き始める。 和佳子はその言葉に目頭が熱くなるのを感じた。 もちろんなんとなく発した言葉なのだろう。 それでも、この髪の色で不良扱いされた経験も多かったことは確か。 だからこそ、嫌いだった色だというのに。 「ありがとう。」 和佳子は聞こえない程度の音量でそっと口にする。 小さな小さな感謝の気持ちを込めて。 案内された豪邸に和佳子は始終目をきょろきょろと動かした。 さすがはあの大人気推理小説家の家だ。と感嘆の息をもらしながら。 「お帰り、遅かったわね。ああ、こちらが和佳子さん?」 「え、どうして。」 「さっきメールで送ったんです。 もう、夜も遅いし説明ダラダラするわけにもいかないと思いまして。 それに名越さん、お疲れみたいですし。」 「そうねぇ、顔色、良くないわ。どうぞ、お風呂にでも浸かってね。」 有希子はそう言うと用意していた着替えとタオルを手渡す。 それは、驚くほど無駄のない動作で、気がつけばお風呂場まで案内されていた。 「ごゆっくりどうぞ。」 にっこりと微笑んだ女性は、娘に負けず劣らず美人だと和佳子は思った。 お風呂から上がると、リビングには小さな子供たちが増殖したように 新一の周りを取り囲んでいて、和佳子は呆然とその光景を眺める。 小さな子供たちは髪を拭いてもらったり、話を聞いてもらったりと まるで母親の取り合いしているようだ。 「由希さん、お子さん居たんだ。」 「え、まぁ。」 初めは兄弟かとも思ったが、子供たちを見つめる視線は母親のそれで、 和佳子はちょこんとそばに座り子供たちに挨拶をする。 すると、彼らは天使のような笑顔を浮かべてかわいらしく頭を下げてくれた。 「いいわね。子供。」 「名越さんもそのうちできますよ。」 「そうね。ところで、由希さんの旦那様は?」 かわいらしい子供たちを見ながら、 旦那もかなりの男前だと思い和佳子は悪びれた様子もなく尋ねる。 それに新一は軽く拗ねたように視線をずらした。 「実家に逃げてるのよ、この子。」 「え?ごめんなさい。立ち入ったこと聞いちゃって。」 「いいのいいの。遊びだから。」 有希子は紅茶と折り菓子を並べながら新一のここ数日の行動を楽しそうに話し始める。 もちろん新一は止めようと必死になるが、 どうも和佳子は有希子と同じ穴の狢らしく軽くあしらわれてしまった。 「すごいわ。やってみたくて実家に帰るなんて。」 「・・・それって誉めてるんですか?」 「ええ。だってお互いに信用してないとできないわよ。」 緩やかな声で和佳子は一語一語確かめるようにそう呟いた。 それからしばらくは他愛のない会話を続けた。 和佳子の日本での学生時代の話とか新一の子供たちについてだとか。 とにかく数年来の友人のように気遣いなく話すことができて 有希子も和佳子も、もちろん新一もその瞬間を大いに楽しんだ。 「ママ・・。」 「ん?もう眠いか?」 傍で本を読んでいた由佳が目をコシコシこすりながら、新一のシャツの袖口を引っ張る。 見れば眼はトロンとしていて、新一は穏やかな笑みを浮かべながら彼女の頭を撫でた。 「それなら、行きますか。お姫様。」 ヨッと由佳を抱き上げてすでに寝ている悠斗と由梨の部屋へと連れて行く。 そしてその後ろをトテトテと雅斗がかわいらしく歩いてついてきた。 「あら、雅斗も?」 「おやすみなさい、有希子さん、和佳子お姉さん。」 寂しそうに声をかけた有希子に雅斗は振り返ってニカッと微笑むと 再び小さな足を必死に動かして階段を上っていった。 和佳子はそんな光景を目の当たりにしながら、紅茶をフーッと吹く。 やっぱ子供はいいわね。そう思いながら。 その日はそれでお開きにして、和佳子は久々に安心して眠ることができた。 自宅に帰ると男に気が付かれるのでここ数日は会社に寝泊まりしていたのだ。 そして、昨日ようやく上司から日本へ帰る許可が下りた。 上司は気前の良いラテン系のアメリカ人で、 新婚だからという理由だけで簡単にOKしてくれた。 本当はストーカーのことを言おうかとも思ったのだが、 あまり周知となっては気分のいいものではない。 それが和佳子の見解だった。 もちろん旦那はすぐにでも帰ってこいと言ってくれたのだが。 和佳子は天使のような子供たちを思い出しながら人知れず口元に笑みを浮かべる。 そして、帰る前に旦那様を拝見したいな〜と漠然と思ったりもした。 まさか、思わぬ方法で対面するとはこのときは予想もしなかったが。 |