歩美は哀と合流するために、事務所の外で待っていた。 もう時計を何度、見たか分からないくらい数分おきにその秒針へ視線を落とす。 せいぜいここまで車で20分の道のりなのだが、 今日は何かの催し物があるのか道は大変混雑している。 待ちきれない車が数台、他の道へと曲がったりしきりにクラクションを鳴らしたりしていた。 〜永久花・9〜 「もう、40分も経ってるのに。」 哀が車を選んだのなら、歩美と同じように何度も時計を睨み付けていることは容易に予想できる。 ひょっとしたら、途中でその車さえ放棄するかもしれない。 待ちきれずに歩美は哀が来るであろう方向に向かうことに決めた。 少しでも早く合流したい。その気持ちだけで歩く速度は自然とテンポをあげる。 そして、大通りの角を曲がったときだった ・・・近くの電気屋のショウウィンドウにあるテレビに頭が真っ白になったのは。 ブラウン管に映し出されているのは、拳銃を向けられた新一。 歩美は大勢の人をかき分けてもっと詳しく見ようとテレビに近づく。 そんな歩美の行動に非難の視線を向けてくる者もいたが 今は気にしている余裕もなかった。 「この男・・・。」 数十分前まで、おだやかな表情で事務所の一室にいた「依頼人」 彼の表情は、まさに般若か鬼のように険しい。 あの時の態度はこの予兆だったのだと歩美は確信した。 「工藤さんはこの事を知っていた?・・・それにあの電話と何か関係があるの?」 歩美は少年探偵団を結成していた当時のことをふと思い返す。 あのころは子供なりの自由な発想ができていたし、まれにだがそれが解決の糸口となることもあった。だが、今は大学を卒業して、たくさんの知識と経験が自由な発想を妨げる。 「全然分からない・・・。」 なぜ、新一があそこに向かったのかも、あの電話と男の関係も。すべてが霧の中。 +++++++++++++++ ちょうど同じ頃、学食のテレビもまた、会場の外での事件が映し出されていた。 「どうする?」 「もちろん行きたいけど・・・。」 「道も混んでるから、今行ったって間に合わない。」 悠斗は由佳の一言に深く頷いた。 学食の傍にある抜け道さえ、徐々に車の列ができはじめている。 だからといって、ここから歩くのは距離が遠すぎるのだ。 それならば、ここで今の状況をテレビを通して見るか、家に帰るか。 選択肢は2つしか残っていなかった。 由梨はしばらく悠斗と由佳の会話に耳を傾けていたが、 先程から気になっている男子生徒へ、ふと視線を移した。 軽く舌打ちをしている、金髪の男。 由梨の頭の中で非常ベルが激しく音を立てる。 彼は危険だと分かっているが、由梨はその理由がしりたくてたまらなくなった。 親譲りの探求心といったところであろうか、自然と足は彼の方へと向かう。 男は近づいてくる足音に顔を上げた。 交わる視線、その瞬間、全身に悪寒が走る。 「ヒュー。噂の由梨ちゃんじゃん。」 「えっ、あの黒羽由梨ちゃん?」 「銀、知り合いか?」 まわりの男達は、彼女が校内で人気の高い由梨だと分かると、興奮気味に会話を進める。 由梨はそんな彼らの会話を聞き流しながら、 目の前の男が“銀”という相性で親しまれているのだと頭のメモに書き残した。 「似ているな。」 「誰に?」 「工藤新一にだ。」 由梨は目の前の男の言葉に眉をひそめる。 “工藤新一”その単語を聞いたのは実に久しぶりだった。 「貴方・・・・誰?」 「あんたの母親の知り合いだ。帰って聞いてみると良い・・・ジンって誰だ?って。」 “ジン”と名乗った男はそう言って実に楽しそうに口元をゆがめた。 その時の新一の反応を想像して楽しんでいるのだが、今の由梨には彼の笑みの意味が分からない。 ただ、彼と新一を絶対に会わせてはいけない。そんな気がした。 「この事件を予想していたの?」 「いや、予定外だ。」 「そう、だから舌打ちなのね。」 「なかなかの観察眼だな。」 ジンは手元にあったアルミ缶を握りつぶして席を立つ。 そして、由梨を見下げる体勢をとって、あざ笑った。 「俺はお前のその眼が嫌いだな。万人に審判を下すようなその傲慢な蒼が。」 「私も貴方の冷え切った瞳は嫌い。まるで手中に全ての命を握ったような冷血な瞳が。」 ジンはポケットからタバコの箱を取り出すと、それを一本取って火をつけた。 その態度が合図なのか、仲間の男達は一斉に席を立つ。 「じゃあ、またな〜。由梨ちゃん。」 「今度は俺らの相手をしてね♪」 「いつでも、OKだから。」 軽口をたたいて通り過ぎていく彼らを気にとめることなく、 由梨はずっとジンの背中を睨み付けていた。 +++++++++++++++ 後ろで女性が震えているのを気配で感じながら、新一は胸元を握りしめた。 先程から断続的に強くなる痛み。 今はもう、意識をとどめておくだけでも一苦労な状況だ。 「・・・あんたはなんでそんな女を庇う?さっさとどけばいいものの。」 男は拳銃を新一の額に押しつけて今にも泣きそうな笑顔を作る。 「できれば、無駄に殺したくない。どいてくれ・・・。」 「別に彼女を庇っているわけじゃない。俺が庇っているのはあんただよ。」 新一は痛みを胸の奥に押しとどめて、不適に微笑んだ。 妻に愛されることなく、腰の持病により職に就くこともできない男。 そんな彼が無理をしてまで探偵事務所まで足を運んだ。 それは、ひとえに妻への愛情の現れだと新一は感じている。 信じたいからそのキッカケが欲しい。なにか、信じられるだけの価値を持つ情報が欲しい。 「殺人なんてかたちであんたの人生を終わらせたくないんだよ。」 「俺の人生はすでに終わってるんだ。この拳銃を手にしたときから。」 男は手の中の拳銃を見つめながら、さらに笑みを深めた。 新一はそこで、ようやく自分がその拳銃の出所を見落としていたことに気がつく。 普通なら、はじめにこの男がどうして拳銃を手にしていたのか考えるべきだった。 日本という国で拳銃を手にすることの難しさは新一も重々承知している。 もし、一丁の拳銃が見つかったのなら、それこそ世間的に大問題になるほどの。 新一は内心、自分のふがいなさに心の中で舌打ちする。 こんな大事なことを見落としているなんて。 「あなた・・・そ、その拳銃、どこで手にしたのよ。」 後ろの女が、新一の肩越しに男に尋ねる。 ようやく口を開いた妻のあまりにも端的な一言に男は鼻で笑う。 どうしてこういう状況になったのかではなく、この拳銃の出所を気にする心情。 それは、ひとえに上級意識の賜だ。完璧なキャリアウーマンの旦那が、 ヤバイ人々と関わっているということが余程心配なのだろう。 よくよく観察してみれば、女は銃口からではなく、マスコミからその姿を隠そうと必死だ。 「ハーフ系の男に貰ったんだよ。黒い服を着て・・・名前はエールって言っていた。」 「エール?」 「ああ、腕には鷹みたいな刺青をしていたな。」 新一はその名に、誰が彼に拳銃を渡したのかを一瞬で悟る。 エールとは、ジンと同様に17世紀にイギリスの下層階級が愛用していた酒の一つだ。 お金のない人々が、水の汚くなった郊外で飲み物としてエールやジンを飲み、 老若男女問わず泥酔していく。そんな風刺画を描いたホーガースの“ジン横町”は、 その当時の悲惨な状況をありありと示していた。 人々が飲み水にとすがった酒の一つ・・・・エール。 その名が何を意味するのかは分からないが、一つだけ確実なこと、 それは彼が間違いなくジンと同等にヤバイ人間だと言うことだ。 「知っているのか?」 「いや・・・・。」 男の声に新一は思考から呼び戻されて顔を上げた。 その時、視界に快斗の姿が映る。 男の背後の群衆の中で、彼は困ったような顔をしていた。 大勢の人々、騒がしい報道陣、拳銃を向けた男、震える女。 その全てが一瞬にして視界からなくなる。 これだけ騒がしい場所にいるのに、新一は快斗と2人きりになったように感じていた。 “手を出しちゃダメ?” 快斗の口が僅かにそう動く。 新一はそれにゆっくりと首を振った。“俺を信じろ”その言葉と共に。 再び音の世界が戻ってくる。気がつけば快斗は視界から消えていた。 それでも彼の気配だけは感じることができて、 新一は不思議と痛みが緩和したような気分になる。 「拳銃の出所も男の特徴も言った。あんたは、警察のそばに行ってこのことを伝えろ。 やばい人間を野放しにしておくのは危険だろ。警察だって無能じゃない。 これだけの情報があればすぐに見つけられる。」 「いや、それは無理だ。」 エールと名乗った男がそう簡単に捕まるとは思わない。 だが、彼の目的は快斗や雅斗殺害であったはず。 新一はそこまで考えて、プツリと思考を止めた。 今しなくてはならないことは違うはずだと。 「なぁ、あんた、仕事できるんじゃねーか?」 「何を言ってるんだ。俺は持病の腰が・・・・・・。」 「気がついたか?あんたは、俺から逃げるときも拳銃を向けている今も普通に立っている。 やる気になれば、なんだってできるんだよ。」 男はゆっくりと自分の腰に手を置く。 そして、ピンと張った背筋に我が目を疑う。 「だって、どんな方法でも治らなかったんだ。」 「気持ちの問題だ。あんたは逃げてたんだよ。全てから。」 生まれつき、腰が弱いことを理由にして。 ずっと・・・・彼は逃げてきた。 「向き合ってみたらどうだ?他にも方法はあるだろ。 もちろん、奥さん。あんたもだ。 仕事のできない彼と、大変だと分かりながら一緒になった理由を思い出せよ。」 男の手からゆっくりと拳銃が地面に落ちる。 女の目から一滴の涙がこぼれ落ちる。 涙と拳銃が地に還ったのは、ほとんど同時だった。 そして、また、新一の意識がなくなるのも。 「新一っ。」 駆け寄る警察官を押しのけて、快斗は前のめりに倒れそうになった新一を支える。 人々は彼が立った今、マジックを披露していた男だとは気づいていない。 ただ、事件終演の人場面に盛大な拍手を送っていた。 「父さんっ。」 「雅斗、哀ちゃんは?」 「さっき、歩美さんと連絡が取れて。今、こっちに向かってる。 はやく、警察に紛れて外に出ないと。」 「ああ。」 雅斗は立ち上がって走り出す快斗を追いながらふと、後ろを振り返る。 泣き崩れる女と男。2人はようやく本当の夫婦になったのだろうか? 「さすがだよな、母さんは。」 何かを確実に変えられる。 そんな力を自分も欲しいと思う。 「見事でしたね。貴方もそう感じているのでしょう?・・・・KID」 視線を再び前に戻したのと同時に、隣から男の声が聞こえた。 |
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